第六話 燎原の火
人は魂を燃やして生きている
美しいと感じる人はとても大きな炎が燃えている
僕らはまだ、火をおこせてすらいないのかもしれない
チリチリと火花を散らしているだけなのかもしれない
それでもいつかその小さな火花が、大きな炎に変わるのだろう
第六話 燎原の火
「俺が、ずっと翔ちゃんを傷つけてるんだ」
「それってどういう……」
どういう意味なのか、@の無理矢理作った笑顔を見たらその言葉は最後まで続けることは出来なかった。明確に線引きをされたのだ。これ以上聞くなと。
パシンと軽い音がした。風見が@の顔を両手で挟んだ音だ。頬を両側から押され変な顔にされた@は目を瞬かせる。
「聞かないから、笑いたくないなら笑うな」
@はへらりと力の抜ける顔で笑ってそして少し泣いた。
それを風見は素直に羨ましいと思った。自分以外の誰かのせいであんなに取り乱す池江のことも、誰かを思って心を痛めて泣く@のことも、羨ましいと思ってしまった。
それと同時になんだか自分がとてもダサく感じた。
だけど、今更自分の生き方なんて変えられないから、どうかこの二人が自分の分までもがいてほしい。そんな思いが過ぎった。
「あのね、ちょっと手伝ってほしいんだ」
その@の提案に風見は躊躇い無く頷いた。
それから三日。池江は森川に呼び出され森川宅で二人向き合っていた。
森川宅は清水宅と同じくらい広く落ち着かない。森川はニコニコとよく読めない表情で池江を見るが、池江は眉間に皺を寄せて奇怪なものを見るように森川の様子を伺う。
二人の前には昼時とあり昼食が用意されていた。
「用件は?」
「そんなに急かさないでよ」
パスタを慣れたようにフォークに巻き付け口に運ぶ。池江に目をやればまだ手をつけていなかった。
「早く食べないと、不味くなるよ?」
そう言われれば渋々だが池江もフォークを手に取った。ぎこちなくパスタを巻いたフォークを持ち上げると引っかかったモッツァレラチーズの塊がコロンと皿に落ちた。
「池江はなんで独りになりたがるの?」
二人の手が止まり、一瞬静寂が訪れた。
誰も触れようとしなかったことに、森川は遠慮なく触れてこようとしていた。森川にしてみればここまで触れるなと言われて何故触れないのか疑問でしかない。
まるで触れてくれと言わんばかりに触れるなと言っているのに。
「何?サークルやめないでってことを言いたいの?」
「別に?やりたくないことはムリにやらなくていいと俺も思うよ」
「だったら」
「うん、だから。独りになりたくないのに、なんで独りになるの?」
「ちょっと、あれ本当に大丈夫?」
森川と池江のいる部屋の向かいの部屋から顔を少し出して風見と高田、@の三人が話を盗み聞きしていた。最初から不穏な雰囲気が漂っていたが、今はもっと不穏な雲行きになっている。
「将貴くんってあんなだった?」
「まぁ、人に興味ないって顔してめちゃくちゃド直球になんでも聞いてくるやつだよ」
「悪気があんのかないのか全く分かんないのがな」
こうなったのは二日前、森川が事の経緯を聞くために今ここにいる池江以外を集めたことが始まりだ。
四人は森川宅の森川の部屋に集まっていた。その手には来て早々何故か引かされた番号の書かれた紙が握られていた。
一は風見、二は森川、三は高田、四は@が持っている。森川はこれまた何故かある学校で使うようなホワイトボードをガラガラと全員に見えるような位置まで移動させる。
「えっ?どういう状況?」
「発言する時は挙手」
「あ、はい」
注意された高田は素直に返事をして手をピンと真っ直ぐ伸ばすも、森川はそれをニコリと見るだけで当てはしなかった。
「えぇ……当ててくれないの……?」
風見と@におかしくない?と同意を求めると未だ困惑した顔をしつつも頷いてくれた。味方を見つけたことで抱いた疑問と不満を飲み込み手を下げる。
「じゃあ紙に書かれた順番に昨日のこと話してこうか」
挙手とはなんだったのか。結局森川の思うままに事が進められていく。一番目は風見だ。
「話すって言ってもなぁ。具体的には?」
「とりあえず池江について、かな」
そう言われ池江とばっかり会ってから去るまでをざっと説明すると、ポイントとなりそうな部分をその時に居合わせた高田と@に確認をとりつつホワイトボードに書いていく。森川が気になるなと思ったところだろうか、所々赤のマジックで印が付けられていく。
「次は俺ね」
森川は自分で話しながらホワイトボードに書き込んでいく。すでに流れとしては完成しているように思えるが、全員の証言を聞かなければ気が済まないらしく高田に話をするよう促してくる。ほとんど風見と森川の話と同じなので色を変えて二人の話の中へ付け足しという感じに書き込まれていく。
残るは@だが、昨日のことに関しては一番池江と接した時間が短いのでやはり空いたところに書き込まれていく。
「うーん。分かんないな」
「えっ!?結局?」
「挙手」
「あっ挙手のタイミングここ?ここなの?」
スっと手を上げれば今度はちゃんと当てられ、はい!と元気よく返事をし何故か起立をすると、座ったままで結構と言われ座り直す。森川はすっかり教師気取りでいる。
「結局何が起こったんですか!」
「釣りって言ったら豹変しちゃったんでしょ?なんかトラウマスイッチ押しちゃった的な……?」
赤字で釣り=トラウマ?と書き込まれる。次に風見がおずおずと挙手をした。
「涼平先輩のとこに電話あったんでしょ?ボラ部辞めたい出来事がその前にあったんじゃない?」
一番上の所から矢印を運んでボラ部を辞めたいと思うなんらかの出来事と書く。更に謎が出てきて頭を捻るも、そんなに池江と接点がある訳では無いので分かるはずもなく、ただ時間が過ぎる。
森川はついに空いたスペースに落書きをしだした。
確実に飽きてきている。しかもその絵が無駄に上手いのがまた腹が立つ。
「あっ」
「挙手」
「はい!そういえばさ、あっくんあの時言ってたのも今お願いしちゃえば?」
それまで発言を必要以上にしなかった@がその言葉を聞いて口を開いた。もちろん手を上げてから。@が頼んだのは一つだけだ。しかも今日の議題には丁度よく関係していた。
【翔ちゃんとちゃんと友達になってほしい】
それだけが@の願いだった。
何故@が池江について頼むのかは分からないが、頭を下げられては断ること等出来ない。いや、断る気などもとより更々ありはしなかった。
友達になるというのは頼まれるようなものではないからだ。
三人はしっかりと自分の意思で池江と仲良くなりたいのだ。だからどうにかこの議題を乗り越えなければならない。
この日、結局結論が出ることはなく、いっその事直接池江に聞こうという方向へ進むこととなった。というのが今に至る経緯だ。
「森川には関係ないだろ」
手元のフォークが皿に当たりカチャリと音を立てる。どうやら森川の直球な物言いは池江に引っかかることが出来たらしい。
「俺は池江と仲良くしたいからね、関係あるよ」
「俺だけじゃないよ。皆、本当は池江と仲良くなりたいのに、池江が怖がるから無理にはいけないだけだ」
「俺が何を怖がってるって?」
「さぁ?わかんないけど、何か」
ピリつく池江に森川は飄々と答えると付き合っていられないとばかりに池江が席を立つ。
「まだ食事の途中だよ」
「食事中の退席はマナー違反だ」
そう席に着くことを促され、強い視線に居た堪れなくなった池江は不承不承な態度で再び席に着く。
さっさと食べ終えて帰ってしまおうと半分以上残った少し冷めたパスタをいっそ音を立てて啜ってやろうかという思いを押し込めて、先程より多めに巻いていく。
その姿に満足そうな顔をした森川のことは見えなかったことにした。
「なんでボラ部辞めたの?」
「元々入ってない」
「俺だって仮入部だし、同じ立場の意見聞いてみたいんだけど?」
「……お前と俺は違うだろ」
「うん。まぁ一緒にしてもらっちゃ嫌かな」
口を開けば嫌味のような言葉が飛び出す森川に影で見守っている三人は冷や冷やしっぱなしで心臓が騒がしい。わざとやっていると知っている自分たちですらこれなのだから池江の気分はさぞ良くない事だろう。
「池江は逃げたもんね、ボラ部から」
笑顔を貼り付けた森川からは何を考えているのか、池江には読み取れなかった。しかし、確かに分かることは喧嘩を売られているということだ。こういうのは買ったら負けなのだと、噛みつきたいのを我慢する。
「……あっくん」
その人物の名前を聞いた時、少しだけ池江の手に動揺した様子が見られた。
それは普通ならば気づかないような微妙なものだったが、池江の反応を見逃さないように注視し続けていた森川はちゃんとそれを捉えていた。
「いい子だよね。池江のこと、心配してたよ」
「今日、剛士くんと海に釣りに行くんだって」
「……あっそ」
「……あっ、海じゃなくて、川だったかも」
ガシャンとテーブルが大きな音を立てた。その振動で使われていなかったスプーンが床に落ち、何度か揺れた後、静かに横たわった。
二人の視線は落ちたスプーンに向けられた。
「あーあ、落ちちゃったね」
力なく森川を睨む池江を、先程の表情と何一つ変わらずに微笑む。釣りがトラウマワードというわけではないとは思ってカマをかけたが、どうやら当たりのようだ。
「新しいの、持ってこようか」
「いい、いらない」
池江の皿にはすでにパスタは残っていなかった。今度こそ席を立つ。これ以上引き止めるのは無理だろうかと、デザートは?と聞くがやはり断られてしまった。
「そう、残念。またご飯食べようね」
「……二度と食べるか」
振り返りもせずに帰っていく池江を窓から見送っていると、隣にいた三人がバタバタと駆け込んできた。
「うーん。失敗?」
「成功ではないだろうよ」
予定としては次々に燃料を投下してヒートアップさせていくはずだったが、思いのほか池江が理性的だった。
「いやだって、ああ言われたら怒るでしょ。お前に何が分かるんだよ!って言って過去の話をするところでしょ」
「まーくん、フィクションの見すぎ。現実ではない」
「……あちゃー」
「全っ然反省してねぇし」
@がその雰囲気を壊すように先程池江を一度留めたマナーの話を振る。確かにあの時の森川は様になっていた。流石育ちがいいだけの事はある。
「そんなマナーあるんだね」
「フレンチはね」
「えっ?」
あの時は引き止めなければならなかったので咄嗟に適当なことをでっち上げたのだと平然と言い放った。
つまり森川はカマかけとでまかせだけであの場を乗り切ったのだ。唖然とする三人に先程池江に向けたような笑顔をすると、風見と高田が引きつったような顔をした。
「本当、いい性格してるよ……」
三人にバレないように、森川は@へと視線を移す。確実に@が関係しているのは分かったが、池江と@両名があまり触れて欲しくなさそうなので深く突っ込めずにいる。
@はいつかは話す気でいるのだろうが、それがいつになるのか。
【池江翔と昔関わりがあって、あっくんというあだ名の誰か】
これだけあれば調べるのは容易いだろう。
池江の人嫌いがここに来て特大のヒントになろうとは。感情が豊かな人はわかりやすくていい。高田や風見よりも余程池江はわかりやすい。
@は、恐らく本来なら本心が分かりにくい人間なのだと思う。それこそここにいた全員の中では一番なのではないだろうか。
森川は人当たりは良いが、基本人嫌いだ。
いつの間にか現れた@を他の皆は当たり前のような受け入れているが森川は最初から距離を置いていた。公園の掃除の時も、会議を開いた時も今この時すらあまり@に対して心を開いてはいない。
そのため@について調べることに対しての罪悪感がほとんどない。仲良くなってしまう前に済ませてしまおうと、頭の中でスケジュールを確認していると、振り向いた@と目が合う。
お互いにニコリと笑い合う。
どこまで@が考えているのかはわからないが、森川のこれからするであろう行動はきっと@にとっては想定内なのだろう。@も、森川に対しては他と対応を変えているのだから。今はまだ気づかないフリをして思った通りに動いてあげようと三人を門の外まで見送りに行く。
空を仰ぎ見れば日が暮れ始めて目に痛いほどの青が赤く色を変えていた。
@以外にも池江の周りにあっくんという人物がいたのではないか。そしてその人物は@によく似ていた。もしくは昔に@と会ったことがあったのか。そうでなければあの池江の@に対する対応はおかしい。
友達なのかと聞いた時、分からないと答えたのは、まだ友達と認めるか決めあぐねていたわけではなく、池江が@の正体に気づきながらも自信がなかったからなのだろう。
カタカタとキーボードを叩く音が広い部屋に響く。
川での水難事故についての記事を片っ端から集めていた。あまりに膨大な量に気が遠くなる。
溺れて川がトラウマになったのか、はたまた他の原因があるのか、そこまで考えてはたとあることに気づく。何も自分が川で何かあったとは限らないのではないか。
例えば、何か衝撃的なものを見た、とか。
池江の昔の交友関係とそれらの推測から浮き出た幾つかの中の一つの可能性が森川の中で強く印象を残した。
普通に考えればありえない、しかし、もしもありえたならば?あっくんがこの人物であっていたなら、@の正体が森川の考える人物であるのなら。
そうだったのなら。
「@は、一体【何】だ?」
あまりにも現実離れしたこの仮定を頭が理解することを拒む。これはまだ、誰にも言えない。言ったとして信じられるわけがない。自分でさえ、信じられないのだから。
パソコンの画面に移されたのはおよそ十年前の地元新聞の記事だった。小さな台風がこの辺りを掠めた日があった。大きな被害は出なかった。小さな命が、儚く水へ連れ去られたこと以外は。
辺りがすっかり暗くなった頃、池江が家に帰れば二日前に帰国した母と叔父が出迎える。おかえりという言葉になんとか声を振り絞って応える。
「あ、翔!今日お父さんから電話があって、今年の夏は帰れないって」
「そう、分かった」
「ご飯は?」
「いらない……」
母の小言を流して自室へ足を運ぶ。自分のことに必死で心配そうな母の様子には気づかなかった。
「義姉さん、翔なんだって?」
「ご飯いらないって」
「今日のタコライスめちゃめちゃ美味く出来たのに……」
「翔、最近やっぱり様子が変じゃない?」
「まぁ、色々あるんだろうさ。何かあったら俺が聞いとくから、とりあえずご飯食おう」
一人分のタコライスにラップをして冷蔵庫にしまう。今日はもう降りてくることはないだろう。
池江の変化を叔父もしっかり感じ取っていた。それが良い方へ向かえば良いのだが。どうかあの日のようにならないようにと、ただただ願うばかりだ。
きっと自分では池江をあの硬い殻の中から引っ張り出すことは出来ないと叔父はわかっていた。
それをするには自分は近すぎるし、池江に対して少し過保護だからだ。可愛い甥っ子がこれからちゃんと未来を歩けるように、辛い時に甘えられるようにどんな時も叔父として見守ろうと、どんな事があっても味方でい続けようとそう決意した。
こんなにも誰かに思われているなど大抵その本人は知らないものだ。いや、もしかしたら知らなくていいのかもしれない。いつか、あの時そうだったのではないかと気付くその時までは。
やっと灯った小さな小さなか細い灯火が消えないように、消されぬように。
何も知らないままで、どうか守られていて。