第四話 動き出した夏
止まることは簡単で、戻ることは叶わない
後ろにある景色は美しくて、前を向くのさえ恐ろしい
一歩踏み出す勇気などいらないと強がることしか出来ない
それでも遥か彼方まで道は続いている
一人ひとりの目の前に
第四話 動き出した夏
七月二十六日、金曜日。ついに今日、池江と森川が加わって初めてのボランティア活動が始まる。
公園の清掃は四ヶ月に一度行うことになっている。幼稚園や小学校が夏休みに入る前なのでこの日は子供の帰宅時間までに終わらせるため、午前から清掃をすることになっている。
九時に集合と言われていた池江は十分程前に着いた。
ツノダシという魚がモチーフの柵が可愛らしく【ツノダシ公園】と名前になる程親しまれている。多分子供たちはツノダシが魚の名前だとは認識していないだろう。池江もその魚の名前は中学に入ってから知ったことだ。
この公園には滑り台やブランコ等の遊具や小さい噴水が涼しげに置かれている。
周りには散歩するのには丁度いいイチョウ並木があり、秋にはイチョウの木が実をつけ、落ちた銀杏が独特な匂いで存在を主張する。その並木道の途中に一つだけゴミ箱が設置されてはいるが、よく溢れているのを見掛ける。
桜が植わっている公園よりは花見客がいないからかゴミは少ないが、それでも素行が悪い人はいるので所々にゴミが落ちていたりする。
公園の中に入ると、木陰になっているところに既に他の部員達が集まっていた。それぞれジャージやスウェットのような格好をしており分かりやすいが、なんとなく近寄り難い雰囲気だ。
少し離れた所で躊躇っていると後ろから肩に手をまわされ前につんのめる。
「なぁにつっ立ってんの?」
「あそこ、多分ボラ部の人達でしょ?」
手を払いよけ、チラリとその手の持ち主を盗み見る。ノースリーブに通称芋ジャーと呼ばれる暗い赤紫色のジャージを着ており虫取りでも始めそうな格好だ。
手を振り払われたことを気にせず、翔の腕を掴みボラ部の集団へと強引に連れていく。
「今日参加することになった@です!よろしくお願いします!」
高田から聞いていたのか皆疑問を持たずに口々によろしくと笑いかける。集団から少し離れた場所でその様子を見ているとその集団から風見が池江の元へとやって来た。風見の背が低く池江の場所からは見つけられなかったため居たのかと少し驚いた。
「おはよ!池江と、@?でいいの?」
「……はよ」
「おはよう!あっくんでいいよ!」
「じゃあ、あっくん!風見洋介です!今日はよろしく!」
「よろしくね!洋ちゃん」
高田の時と同様に@はすぐに風見とも仲良くなってしまった。
集合時刻の五分前になり、残りの面々も揃った。高田の車からリヤカーとネコ車と呼ばれる運搬用の一輪車の上にバケツや雑巾、箒などの清掃用具を載せて運び出す。
ゴミ拾いチームの清水、池江、森川に@が加わり四人でイチョウ並木へネコ車と箒、ゴミ拾い用のトングをと人数分の軍手とゴミ袋を持って向かう。
「あの人、池江の友達なんだって?」
「……まだ、わかんねぇ」
「そっか、じゃあこれからだ」
森川と一緒に清水とはしゃぐ@を見つめる。今はまだ、あの子供のような男をどうすれば良いのか分からないでいる。
ここ最近はずっとペースを乱され気味で落ち着かない。
こちらに気付き手を振る@から目を逸らしてゴミを拾う。落ち葉を拾うくらいだろうと思っていたが、普通に過ごしていて気にしていなかったのか思っていたより色々なゴミが出てきた。
紙くずにスチールやアルミの空き缶、ビニールの袋、タバコの吸殻、たまに砂埃の被った忘れられた玩具たち。この玩具を忘れていった子供たちは、また新しい玩具を買ってもらうのだろう。
そして二度と思い出すことはない。買ってもらった時は確かに嬉しかったはずなのに、無くした時は悲しんだはずなのに。新しい玩具がそれを消していくのだ。
哀れな玩具たち。音を立ててネコ車に横たわる。まだ壊れていないものは綺麗に洗われ市民センターの一室に置かれ、親を待つ子供たちの遊び道具になるらしい。
並木道を一周する頃には四人全員の袋がゴミで膨らんでいた。ゴミを見れば拾い、ゴミを見れば拾いを続けると木陰になっているとはいえ、流石に汗が滴り顔が火照り、柔い風が肌に当たるのが心地良い。
集めたゴミを分別していく清水と@は玩具についた汚れを手洗い場で落としていく。鞄かどこかに付いていたであろうぬいぐるみのキーホルダーまで手洗いしていた。
「それは洗わなくて良いんじゃねぇの」
どうせ捨てることになるんだし、と話しかけられた@は不思議そうに目を瞬かせた。
「捨てるにしてもさ、大事にされたものなら最後に綺麗にしてあげたいじゃん」
そう言って、洗ったぬいぐるみを思いっきり雑巾の如く絞った。池江はその絞り方はちょっと可哀想じゃないかと思ったが口を噤んだ。
先に終わった遊具組が見るからに安い水鉄砲で撃ち合って遊んでいる。人がいないからとかなり乱射してそこらじゅう濡らしていく。
この日照りではすぐに乾くだろう。水鉄砲が壊れたのか何度か水鉄砲を振ったり叩いたりしていた高田が集中攻撃を受けている。
「ちょ、タンマ!水出ねぇんだって!」
「ちゃっちい銃を選んだ自分を恨むんだな!」
「お前らのも同じやつだろ!!」
水鉄砲を置いての追いかけっこが始まった。全員池江の元へ置きにきたのは何故なのか。
ゴミの分別を終わらせ手持ち無沙汰になったので一つ試しに撃ってみるとそこそこの勢いで水が飛ぶ。最近の玩具は安くても性能は良いらしい。二丁持ちしている人がいたのは中に入る水の量が少ないからだろう。
五発ほど撃ったらカシュッと空を切るような音が鳴り空になった。残っている水鉄砲から水を抜いていると背中に冷たいものが当たった。
「翔ちゃん討ち取ったり〜!」
水鉄砲を構えている@が再びこちらに撃ったのを交わして奪い取り水を抜いた。ああっと残念そうな声がしたが知らんぷりをした。@と一緒にいた清水はいつの間にか追いかけっこに混ざっていた。森川が誘われているが木陰に寝転び断っている。
「あっちぃ……」
日が空の中心に近づいて肌をヒリヒリと焼く。池江より肌が露出しているのに@は平気そうな顔をしている。日射病にでもなりそうだ。
被っていた帽子を@に被せて自分は持ってきていたタオルを頭に乗せる。
「うわぁっ!どしたの翔ちゃん?」
「交ざりたいならそれ被っとけよ」
「……!ありがと!翔ちゃん」
帽子を被り直して追いかけっこの群れへとかけて行く。それを視界の端で見送り自分は木陰に向かう。
帽子には及ばないがタオルを被るだけでもそれなりに涼しく感じるものだなとベンチに座ると森川が起き上がってきて近くに座った。
「池江はいかないの?」
「パス」
「あ、あっくんに帽子貸したんだ?今日ほんと暑いもんね」
「倒れて迷惑掛けるよりはマシだろ」
大学生にもなって元気なことだ。
皆森川くらい落ち着けば良いのにと、楽しそうにはしゃぐ@たちを見やる。もしかしたらこの人たちは小学生より小学生らしいのではないのだろうか。
冬には絶対に雪合戦をするタイプの人間の集まりだろう。それならば森川と池江は炬燵で暖をとって外には出ないタイプだ。
カシャッという音が隣からして意識がそちらへ向く。森川が使い捨てカメラでその景色を撮っていたらしい。何回かシャッターを切ると満足そうにポケットへしまった。
どうやら森川は炬燵でまったりではなく雪景色を撮りに外へ出そうだ。
セットしたタイマーが鳴り十二時を知らせる。十二時解散予定なので遠慮なくその場を後にしようとした池江に清水が昼食に誘う。しかしそれを結構ですという一言で断り公園を出た背中を@が皆にまた今度と断り走って追いかける。
すぐに追いつき隣に並び池江に声をかけようとした瞬間、遮るように子供の声が聞こえた。終業式を終えた子供たちが二人の横を通り過ぎる。
「早く来ないと置いてくぞ!」
「待ってよぉ」
活発そうな男の子が少し足の遅い気弱そうな子を見兼ねてその手を繋いで歩いていく。懐かしくて優しくて平和な光景がどこか遠く思えて、頭にザーザーと音が響いて痛い。
足が、手が、冷えていく。息が詰まる。苦しい。
「翔ちゃん!大丈夫!?」
@に揺さぶられ遠のいた意識が戻ってくる。目の焦点が合うと心配そうにこちらをのぞき込む@が見えるが、声が出ない。
心配するなと伝えたいのに、池江の意志とは反対に戻ったばかりの意識が再び飛んだ。
目が閉じる寸前、泣きそうな@が必死に池江の名前を呼んでいた気がした。
次に目を覚ますとそこは自宅のベッドの上だった。
頭の下には半分ほど溶けた氷枕が置かれ、額には貼るのに失敗したのか剥がれかけの冷えピタが貼られていた。
窓から見える赤色がどれだけ気を失っていたかを教える。ふと喉の渇きを感じて部屋を出る。立つ瞬間少しふらつきはしたが、無事に居間へと到着した。
扉を開けるとキッチンの方から声が聞こえる。叔父さんが来ているのかもしれないなと思い足を運ぶが、そこにいたのは叔父さんともう一人、@がいた。
叔父さんが池江に気付き駆け寄ってくる。額、頬、首に手を当てて体温を確認してから新しい冷えピタを額に貼る。
「熱中症だな」
気温は猛暑日までは届かないくらいだったが今日は風があまり吹いていなかったこともありここ最近では一番暑く、途中で水分補給をしなかったために脱水症状になっていた。
しかも池江は慢性的な寝不足だったのが余計に悪化させ熱中症になり倒れたようだ。
「どう?体調、まだ辛い?」
「少し暑いけど問題ない」
@が差し出した水を飲むが想定していなかった味に驚き少し口から零れた。
「しょっぱっ!?」
「どお?俺が作ったけーこーほすいえき」
「経口補水液?塩水の間違いだろ」
「汗かいてたから塩多めの方がいいと思って……」
「普通に作れ」
グラスを押し返された@は自分で一口飲み、これはないなと顔を歪めてキッチンへ戻っていった。
次に持ってきたのは砂糖と塩のバランスがとれて、ちゃんとレモンの爽やかさもある経口補水液だった。美味しいかと聞かれても経口補水液なんてものは大抵不味いものなのだから美味しいことはない。
「医者にも見せたけど水分とって大人しくしとけってよ」
あと、運んでくれたのは@だからちゃんとお礼を言うように。
そう言い残して叔父さんは帰っていった。運んできた@は号泣しながら叔父さんになんとか説明して病院に連れて行き、家の中へ運んだのも@がおぶってベッドに寝かせてくれていたらしい。
「翔ちゃんお腹空かない?ご飯食べよ?」
いつのまにか@がテーブルに鍋敷きをしき、一人用の土鍋を二人分用意していた。
「じゃじゃーん!あっくん特製たまご粥です!」
土鍋の蓋を開けると見た目は美味しそうなたまご粥がそこにあった。しかし、@には経口補水液の前例があるため気は抜けないなと、覚悟を決めて気持ち小さめに一口。@はどう?どう?と期待の眼差しを向けている。
「……ふつーにうまい」
出汁がよくきいていて塩加減もちょうどいいし、たまごはふわふわだ。何故お粥は美味しく作れて経口補水液は失敗するのだろうか。
向かいの席では嬉しそうにガツガツと同じものを食べている。たまに熱さでやられたのか勢い良くお茶を飲んでいる。
池江は猫舌気味なのでゆっくり冷ましてから食べているため、@は先に食べ終えて池江が食べているのを何が面白いのかずっと見ていた。
洗い物くらいは自分でしようと席を立とうとするが@にやんわり止められたうえに食後の麦茶まで用意されてしまった。まだ身体が怠く感じるのでありがたく好意に甘えてお茶を頂くことにする。薄く聞こえる水の音が心地が良い。
空腹を満たしたことで眠気がきたのか、いつの間にか池江は腕を枕にテーブルに突っ伏して眠っていた。髪の隙間から目の下に隈が見え、そっと目もとをなぞる。
昼間のように魘されている様子は無いようで規則正しい寝息が聞こえるのに安堵する。
「俺のことより自分のことに気を使ってほしいのになぁ……」
帽子を貸さなければもう少しマシだったのではないのか、と思わずにはいられない。池江の優しさは自分よりも他人に優先的に与えられる。無意識なのか、意識して自分をおざなりにしているのかは分からないが、少しでも直していってほしい。
できれば、この夏が終わるまでには。
「ごめんな、翔ちゃん」
自分が池江の精神的負担の一因であることは分かっているが、それでも@にはやらなれけばいけないことがある。例え池江に憎まれても、それを成し遂げるために此処に戻ってきたのだ。
きっと池江は@の目的を知れば怒るだろう、傷つくのだろう。そしてそれを、誰にも気づかせずに自分の中に沈めてしまうのだろう。それは許せない。その時のために、今は出来るだけのことをしようと思う。
池江が傷つく時、一緒に泣いてくれる人が隣にいるといい。気持ちを出せない時、言葉を尽くしてくれる人が傍にいてくれるといい。怒った時、その怒りを理解してくれる人が近くにいてくれるといい。
あの人達がなってくれたのなら、きっと思い残すことなくこの夏を終えることが出来る。
一度池江を起こし、まだ半分意識が飛んでいる池江を頑張ってベッドへと誘導する。
「……もう遅いから、泊まってけよ」
ベッドに潜り込んだ池江はその言葉だけ言い残して再び眠りについた。いつもシワのよっている眉間は今は平らで少し幼い印象を受ける。
実は叔父さんからも今日は池江の家で様子を見といてくれと言われていたので、客間に叔父さんが用意した布団が敷かれている。客間は池江の部屋の隣にあるので何か異変があればすぐに駆けつけられるだろう。
クーラーのタイマーをセットしてから部屋を出てまだ早いが@も眠りにつくことにした。
昔より街灯の数が増えて見える星の数が減ったこの場所は、記憶の中と同じ場所なのに違っていて少し寂しい気持ちになり、朝になればその気持ちは薄れるだろうと目を閉じる。
静かな夜に聞こえるのは水の音だけ。