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十二話 波打つ蒼


 いつの間にか時は刻み 


 僕を置いていった時間は進み出す 


 嬉しさと寂しさの入り交じった泣きそうな気持ちをどう表現したらいいのだろう 


 これからの新しい未来を


 新しい仲間たちと共に

 

 

  第十二話 波打つ蒼

  

  

 雪が溶け始めた二月のこと、田舎のある病院で男の子が生まれた。男の子は啓と名付けられた。生まれた時は平均より遥かに小さく弱りきった状態で生まれ、すぐに保育器に入れられた。

 春を越し夏が訪れた。同じ病院で男の子が生まれ翔と名付けられた。啓と翔は偶然にも同じ日に退院することになった。その縁から啓の母と翔の母は親しくなり、その子供である二人もまた仲良くなっていた。


 翔は両親よりも姉よりも啓にべったりだった。人見知りの時期にも姉にすら泣くくせに、近くに啓が来ただけで笑う子だった。

 啓はどこか感情の起伏が薄く、泣くことも少なかったためおむつの交換に気づくのが遅れたり体調不良になかなか気づけなかったりと母親ですら困ってしまうほどだった。けれど、翔が近くにいると翔の方に手を伸ばしたり、気づいて欲しいのか声をあげたりすることが多かった。


 啓の家は共働きで時折、啓を池江家に預けていた。二人が揃うと大人しいもので、二人だけに分かる言葉で話している。そこにたまに姉の晴が紛れて三人できゃっきゃと遊んでいる。

 大きくなって言葉を話したり歩いたり出来るようになると、赤ん坊の頃とは反対に啓は感情をよく出すようになり、翔は人見知りが強く出て家族と啓以外の人の前ではもじもじと黙り込んでしまうようになっていた。


 元気に走り出す啓のあとをトテトテと翔がついてまわる。翔が転んでは泣き、姉がどこからか飛んできて啓を叱り二人と手を繋いで帰ってくることは珍しくなかった。

 この頃から、啓の母は啓に対して過保護な気質が現れだしていた。母の目の前で走ったり服に土埃がついていたり、少しくしゃみや咳をすると大袈裟なまでに心配をし一日家から出してもらえない。

 池江家にいる間はそれがない。

 そんな生活に嫌気がさすだろうに、啓は仕方がないよと笑って言うが翔は心配そうに手を握ってぎゅっとするのだ。


「あっくん、あそぼー」

「うん!」

「あのね、きょうはねおそといこ」

「じゃあツノダシこうえんにいこ!」


 公園に着いた二人は他の子と混じることなく空いたところで遊ぶ。滑り台が空けば滑り台へブランコが空けばブランコへ、空いてる場所がなければ二人で追いかけっこをする。

 今日はどうやら元々人数が少なく、二人は砂場で作った大きな山にトンネルを掘っていた。


「あっくんはさぁ、んと、おかーさん、こわくない?」

「こわくないよ」

「んー、しょーちゃんはね、あっくんのおかーさんちょっとこわい」

「うん」

「ごめんねぇ」


 言葉をたどたどしく話したり語尾を伸ばして話したり、自分のことを翔ちゃんと呼ぶ翔は同年代より少し幼い。

 たまたま啓の家を覗いた時に執拗に啓を心配し詰め寄る啓の母を見て幼いながらに恐ろしさを覚えて以来、翔は啓の母を苦手に思っていた。


「おかあさんはおれをしんぱいしてくれてるってわかってるから」

「そっかぁ」

「しょうちゃんもしんぱいありがとうね」

「ん」


 恥ずかしそうに口を尖らせて頬を桃色に染める翔に啓は笑う。

 啓の母は生まれた時の生きているのが不思議なくらい弱りきった姿やまだ赤ん坊の頃の病弱さに、元気になった今でも囚われて少しでも怪我したり病気をすると過度なまでに心配をする。でも日常の中ではどう接したらいいのかわからないのか、兄や姉に接する時のような気安やというのがなく、啓はどこか壁を感じていた。


「でもね、ほんとうはちょっとこわい」

「あっくんがこわいときはしょーちゃんがあっくんをまもるよ」

「ほんと?」

「うん!」


 翔が頑張ってトンネルを掘るのに続き啓も反対側から掘る。ついにトンネルが貫通し、二人の手が繋がった。やったやったと喜ぶ二人の体は砂だらけだった。

 そこへ話しかける一人の男性が現れた。翔の叔父の浩志だ。


「元気に遊んでるかー?」

「おじさんだ」


 叔父の姿を見つけた翔と啓がぶんぶんと手を振ると叔父は側までやってきてジュースを一本ずつ渡した。


「水分補給はしっかりな」

「はーい。ありがとう」

「ありがとう、おじさん」


 もらったジュースを飲むと一気に体が冷えたのか翔はトイレに駆け込んだ。

 啓はちまちまとジュースを飲みながら叔父と一緒に翔を待つ。


「おじさんさぁ、じぶんがなんで生まれたんだろってかんがえたことある?」

「んー。まぁあるっちゃあるかな」

「おれね、たぶん、しょうちゃんに会うために生まれたんだよ」


 翔は等身大のそのままの啓を無条件で受け入れてくれる。もちろん翔はそんなこと気にしたことないのだろうけれど。過保護な母や嫉妬が混じった目で見てくる兄姉たちでは絶対にくれないものを翔は当たり前のようにくれる。生まれた時から欠けていた心の一部が埋まったような満足感を翔といると啓はよく感じるのだ。

 きらきらと目を輝かやかせながら、トイレから戻ってくる翔を見つめる姿が少し危うく見えた叔父は啓の頭をくしゃりと撫でた。

 

 

 啓と翔は学年でいえば一学年違う。啓が小学校に上がる時、翔はもちろん自分も一緒に行くのだと思っていた。しかし、翔が小学校に行くのは一年先。泣いて駄々をこねてもその事実は変わらず、啓と一方的な喧嘩のようなものをして手紙を出すことで仲直りをして、そうしてやっと翔は通うところが離れ離れになることを受け入れた。

 通う場所が違うようになってもなお二人はいつも一緒に遊んでいた。啓が小学校で仲良くなった友達と一緒に遊ぶこともあったが、同じ子と何度も遊ぶことはなかった。

 啓経由で知り合っても、人見知りの激しい翔は啓の後ろに隠れて挨拶するのが精一杯で、とてもじゃないが仲良くなんてなれなかった。

 翔も小学校に上がると、翔にも他に話せる友達が出来るようになった。けれどお互いが一番大切な親友であることは変わらない。人見知りな性格は残りつつも協調性の出てきた翔は薄く広く交友関係を広げていっていた。それには誰とでも仲良くなれる人気者の啓と仲が良かったことも関係してるのかもしれない。


「あ、あっくん学ランだ」

「いいでしょー」


 翔が啓の家に訪ねていくと丁度啓が来年の中学入学のための学ランの裾合わせをしているところだった。


「ちょっと大きくない?」

「これから伸びるからいいの!」


 からかわれた啓は自分の未来を信じ反論すると、何かに気づいたのかニヤニヤと翔に笑いかけた。


「なに?」

「翔ちゃんも一緒に行く〜!って言わないの?」

「あっくん!」


 幼稚園の時に泣き叫んだ思い出を掘り返されからかわれた翔は真っ赤になりながら啓の名前を呼んで相当恥ずかしかったのか顔を隠してしゃがみこんだ。反撃が成功した啓は満足そうに笑った。


「来週さ、釣りにいこうよ」

「釣り?いいけど」

「友達が釣竿貸してくれるって」

「釣竿なんか持ってる人いた?」

「最近仲良くなった!つっくんって年上の人」

「大丈夫?お金取られない?」

「大丈夫だってー」

 啓の大丈夫にまだ半信半疑な翔も、いざとなれば自分が疑ってればいいかとこれ以上追求はしなかった。

「ね、学ランいらなくなったらちょうだい」

「自分の買うだろー?」

「いいじゃん。おさがり欲しい」


 上に姉しかいない翔はあまりおさがりを貰ったことがない。幼稚園までは姉とお揃いの服やおさがりを着ていたこともあったが、小学校に入り男女の差が現れ始めるとおさがりという文化は池江家からなくなった。だからだろうか、身近な年上で親友からもらえそうなおさがりを予約するようになった。

 そしてあの事故が起きる。

 夏には珍しくない雨の降った次の日、啓と翔はいつもと同じように二人で遊びに出かけた。夏休みのなんでもない一日。

 釣竿を借りて、川へ向かう。

 その後は、キャンプで翔が語った通り。啓はもう学ランへ袖を通すことは無かった。

 

 

 皆は@の、いや、啓の話を静かに聞いていた。


「実は翔ちゃんにも言ったことなかったことがあるんだ」


 学ランを着ていたあの日、翔が帰ってから母に聞いたことがある。


「なんで俺にだけそんなあつかいなの」


 啓のその問いに、母の洗濯物を畳む手が止まる。


「啓、自分が生まれた時の話、覚えてる?」

「衰弱しきってて危なかったって」

「本当は……本当は、生まれてきた時、あなたの心臓は止まっていたの」 


 生まれてきた時にすでに心臓は止まっていて、心臓が動き出したのは奇跡だった。


「俺、一回死んでたんだ……」


 その時のショックが酷くて、遊びに行くのにずっとそのことが頭にあって、だから、だからあの時、前日の雨のことなんて頭になかったんだ。

 

 そんな俺の失態が、あの事故を引き起こした。

 翔ちゃんが滑り落ちそうなところを助けた時、思ったんだよ。

 ああ、あの時止まっていた俺の心臓はこの時のために動き出したんだって。

 

「これが、全部。これが俺の全部だよ」

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