第十一話 夏が終わる時
音の消えた世界で賑やかな声を聞いた
そこに混じる君の声が楽しげで、泣きたくなった
どうか涙よ出てくれるなと、空を仰いだら丸い虹が笑っていた
その虹がいつか消えるように、この夏もずっとは続かない
まだ終わらないでという言葉は、大きな音が消してしまった
第十一話 夏が終わる時
あれから、提出期限の迫った課題に追われたり、急に入ったバイトが忙しかったり家の都合でごたごたしたりとあまり全員が揃って集まれるような日がなく、サークルのボランティア活動でもある日は風見がいない、ある日は高田がいないなど、全員が顔を合わす機会はなかった。
発生しては日本の近くを通って逸れていく台風の影響で雨を幾度と降らした八月は、あと三日で終わりを告げようとしていた。
——カナカナカナ。
山の中では虫の鳴く声がところかしこから響き渡る中、特徴的な虫の鳴き声が聞こえた。
「あー、なんだっけなこの声」
カナカナと鳴く虫の声に高田は持っていた釣竿をどうせ掛かりはしないのだからと横に置き、耳を澄ませる。
数秒鳴いては数秒止まり、また数秒鳴くを繰り返す声を聞き分ける。頭をひねって声の正体を思い出そうとするが全く思い出せない。知っているはずなのに、肺のあたりまでは出てきているのにあと少しが思い出せない。
高田が頭を悩ますこの時間にもカナカナと虫は鳴き続ける。
高田の祖父が社長を務める自動車会社のバイトが休みの日は大体高田は釣りにくる。それは川だったり、海だったりと場所は様々だ。今も尚うんともすんとも動かない釣竿は今までその役割を最後まで果たしたことはない。つまり一度も釣れたことがないのだ。
それでも高田は釣りが好きだった。釣りの最中にこうやって虫の声を聞いたり考え事をしたり、たまに運良く出くわした釣り仲間に会って談笑するのが息抜きに丁度いいのだ。
虫の声の正体が考えても考えて分からない。むしろ考えるごとにどんどん迷宮入りしている気さえする。分からなすぎて空を仰ぐと沈みかけの太陽の周りに光の輪が出来ていた。仰け反り過ぎた高田はそのまま後ろに倒れ、目の前に来た空を見つめていた。
「夏も終わりって感じの空だなぁ」
空の端が赤く染まり始めた夕方。
まだまだ暑い夏の雰囲気を残しながらも、秋はもうすぐそこまで近づいていた。
「……あ、ヒグラシだ」
風見はバイトのない日はよく図書室に行くようになった。調べるのは料理の本だけではない。その料理が出来た歴史やその時代背景などを調べるようになった。それだけではなく、美術関係の本も片っ端から目を通している。料理を盛り付ける時のヒントになれば思ってのことだ。フレンチのような完成された料理や有名パティシエの作るスイーツは一種の芸術のように美しい。感性やセンスだって努力次第で伸びるはずと信じて出来ることをする。
調理師学校のこともインターネットで調べ資料やパンフレットを取り寄せている最中だ。田舎だからか届くまでに少し時間がかかってしまっている。
出来れば奨学金制度のあるところがいい。特待生として受かればいくらか免除されるが、今の風見の成績では厳しいところがある。学校によっては学校側がかなり支援をしてくれるというところもある。パンフレットを確かめてからしっかりと吟味しなければならない。
「風見」
「先生。どうかしたんですか?」
「俺は海外に行くのもありだと思う」
図書室でガリガリとノートに書き込みをしていた風見に大学で経済学を教えている先生が話しかけてきた。パラパラとそばに置いてあるノートを捲ると考えてもいなかったことを提案された。
「海外、ですか……?」
「あくまで、一つの選択肢として入れておくのも悪くないと思うよ」
それだけを言うと「がんばれよ」と風見の頭を乱暴に撫でて去っていった。
「海外……」
確か、いくつかの学校のホームページで海外研修や留学制度がある学校があった。自分にはあまり関係がないなと読み飛ばしていた。もう一度、しっかりと見てみようと頭の隅にその考えを置いて目の前のノートの続きに取り掛かった。
「涼平くん、俺もさ跡継ごうかな」
「どうしたんだ?いきなり」
引越し作業や大学へ提出する書類の用意など、まだまだドタバタと忙しい清水を清水のベッドの上で寝転びながら見つめて森川は言う。手伝いに来たはずなのに、一時間後にはばたりと森川はベッドに寝転んでいた。作業の手を止めずに森川の声に耳を傾けながら清水は返事をした。
幼い頃の反動か、かなり自由に過ごしてきた森川が親に敷かれたレールを進もうかと思うなんてなんの心境の変化かと清水は気にかける。
手を止めるように話しかけてきたり、手伝いに来てこうしてだらだらしているのも、これまで一緒にいた幼馴染みの清水と離れるのが寂しいからだろう。清水はそんな子供らしく態度に出す森川を可愛いなと思う。
「んー、理由は特にないけどさ」
「俺が継ぐから自分もって考えならやめとけよ」
清水の言葉は図星だった。清水のあとについていけば楽しいことが待っていたし、間違いはないのだと森川はこれまでの経験から知っていた。でもこれだけはそんなことで決めていいことではないのだと釘を刺されてしまった。
「涼平くんってなんで家継ぐの?」
「そりゃ、やりたいことがあるからだよ」
「ふーん……いいなぁそういうの」
先日の風見も色々な思いに振り回されてはいたが、それはそれで自分は経験したことがないものだったから森川は羨ましかった。高田だってもう将来は決まっているし、池江は今は目の前のことで手一杯精一杯という感じだが、ああいうタイプの人間はすぐに目標を見つけるタイプだ。
なんだか自分だけが置いてきぼりな気がして森川はつまらない気持ちになる。
あの人達といれば自分も何かを見つけられるのだろうかと底が抜けそうな段ボールを、持ち上げる清水をじっと見た。
「あ、やっぱり落ちた」
案の定、段ボールの底は抜け落ち、中身がバラバラと部屋に散らばった。集めるのを手伝うために森川は重い腰を上げた。
仕事から帰った叔父は部屋着に着替えながら、居間でどんよりとした空気を纏う@に声をかける。
「やけに元気ねぇな」
@はキャンプの後からずっと池江の叔父、浩志の家から一歩も出なかった。
今日も机に突っ伏している。
「あっくんがそうなるのはいつも翔絡みだもんな」
「なんでおじさんは、なんも言わないの」
「んー?」
「俺の事だって最初から分かってたんでしょ」
突っ伏していた顔を上げて麦茶を飲みながら新聞を読む叔父を見つめる。その視線に苦笑いをして叔父は@の頭の方に手を伸ばし撫でる。
「化けてでるくらい、翔のことが心配だったんだろ」
「……どうなんだろ」
最初は池江がほかの友達を作って楽しく過ごしてくれたらいいと思って無理矢理にでも引っ張っていた。他の友達が出来てから、望んでいた光景のはずなのにどこか寂しくて、理不尽にムカついた。だから少し強引な手段で昔を思い出させたりもした。今、自分が本当はどうしたいのか、@にも分からなくなっていた。
「毎年、途中まで来ては翔が来ると急いで隠れてたの見てたぞ」
「うそ!?」
ガバリと体を起こして叔父を見ると憎たらしい顔でにやにやと笑っている表情で鎌をかけられたのだと悟った。
「あっくんは本当に昔から翔のことが大好きだなぁ」
「……うん。大好きだよ。翔ちゃんと出会うために生まれたんだもん」
「ははっ懐かしいなそれ。幼稚園の頃からずっとそうやって言ってたもんな」
昔の気持ちを思い出した。あの頃の記憶。
「ちゃんとさよなら、しないとね」
叔父の亡くなった妻の遺影が優しげに@を見つめていた。
八月三十日。ボラ部の活動で地域の防災訓練の手伝い。多くの三年生、四年生が終わらない課題により欠席。一、二年生の部員たちが中心となっての活動になった。その中には高田を筆頭にいつもの面子が揃っていた。
「この後皆時間ある?」
森川がそう皆に問いかけると、全員が大丈夫だと返した。
「じゃあ終わったら話そうよ。今まで言えなかったこととか、言いたかったこととかさ」
「そうだな」
「よし、じゃあ張り切って防災訓練しちゃいますか!」
防災訓練といっても、参加人数はそこまで多くない。今日は小学校の体育館で、有志の保護者と先生を中心に応急手当の練習、避難所の運営に関する連絡、非常時の持ち物や初期対応についての説明の手伝いをした。補助やプロジェクターのセットをしたり、一緒に学んだりと有意義な時間となった。
昼ごはんは用意された弁当屋ののり弁当とペットボトルのお茶が配られた。それを食べたあと、片付けをして解散だ。
「じゃあ、どうしよう。俺の家にする?」
「あのさっ」
森川の提案を遮るように池江が声を上げた。
「俺の家でも、いいかな」
夏休み前では考えつかないような池江の提案に目をぱちぱちと瞬かせてその提案に乗った。
池江の家には鍵がかかっており、どうやら誰もいないようだった。母は買い物か、友達の家でおしゃべりでもしているのだろう。一時帰郷している姉がどこにいるのかは検討もつかない。
居間に通され、池江が全員分の麦茶を配る。
「ありがとー」
受け取ったそばからなくなる麦茶に、ピッチャーは仕舞わずに置いておこうと濡れないようにテーブルにコースターを敷いてその上に置く。
「この前のキャンプの時はごめんな」
微妙な空気が流れようとしていた中、風見が話を切り出した。
「なんていうかさ、俺料理とか夢とかの話題って地雷っていうか、トラウマだったんだよ。くだらない理由なんだけどさ」
幼い頃から夢を見ていたものを一番喜ばせたかった人に否定されて、成功するビジョンすら見えなくなって誰も喜ばないならと諦めていた夢をいきなり今突きつけられて、困惑したんだと、そう告げる風見は幾分か吹っ切れた顔をしていた。
「でも、もう一度目指してみたいなって思ってさ……その、皆は、どう思う……?」
やっぱり、今更だって思うのかな。無理だよって笑うのかな。そう不安な気持ちが表情に出ている風見に、森川が「いいんじゃない?」とあっけらかんと言った。
「まだ大学二年だし、進路なんてどうにでもなるよ。ね、池江」
「え、ああ」
いきなり話を振られた池江はびっくりして思わずそっけない返事をしてしまう。自分の声のそっけなさに慌てて言葉を繋げる。
「俺は、すごいと思う。やりたいことを見つけてそれに向かおうとするのは、すごいことだよ。応援する」
「そっか……そっかぁ」
安心したのか風見は力が抜けたように姿勢を崩した。
「俺なんか夢とか将来の目標なんてないし、高田とか風見を見てるとなんか、はっきりとした夢がない人って駄目なやつなのかなって思っちゃう時あるし」
いつも穏やかで物事もストレートに言う森川がそんなことを思っていたとは誰も思っていなかった。
「親の跡継ぐってこの前会った時言ってなかった?」
「それも、涼平くんが継ぐなら俺も継ごうかなぁって思っただけだし……そしたらちゃんと考えろって涼平くんに怒られたし。今が楽しければそれで良いのになぁ」
その気持ちが分からないでもないので苦笑いしか出来ない。
「やりたいことも好きなことも沢山あるんだけどなぁ。一番とか将来とか考えるとどれもピンとこないっていうか」
「やりたいことやってればそのうち将来のことも見えてくるんじゃない?」
「今を生きなきゃ、明日は来ないからね」
先程まで黙っていた@が口を開いた。
「……いい言葉だね」
にこりと森川は@を見て笑った。
ここからが、本当に今日の本題なのだろう。
「やっぱり……」
池江がこの先の話に進むのを躊躇って静止の言葉を言おうとするが、それは@によって止められた。
「翔ちゃん」
@の顔が今までとは何か違うのに池江は気づいてしまった。@は、もう覚悟を決めてしまったのだ。
別れの時間が、来た。
「@。海外では豚のしっぽとかカタツムリとかって言われてるね」
「そうなんだ。咄嗟に思いついたものだったから、知らなかったや」
「色々検索したらさ、すぐに出てきたよ。萩森啓くん。十年前、川で亡くなった男の子、発見者は当時一緒に遊びに行っていた友達の男の子、だよね。@、池江」
一つ一つ、解いていこう。




