第十話 衝突
全てを受け流して生きていくのはとても苦しい
それでもぶつかり合うよりはずっと楽だった
その衝撃で何かがこぼれ落ちそうで、ただ怖かった
自分以外の誰かがいなければぶつかることは出来ないのだと
気付くことが恐ろしかったのかもしれない
第十話 衝突
「ばっっか!!お前、ほんと、ばか!!」
足元を滑らせ崖になったところなら落ちそうになった風見をすんでのところで高田が腕を掴んで防いだ。
「わ、悪い……」
即死するような崖ではなかったものの、落ちていればそれなりの怪我をしていただろう。道は歩ける程度には整地されてはいるが、他はあまり人の手が加えられていない自然豊かな土地だ。気をつけて歩かなければまた滑ることもあるだろうと、より一層気をつけて高田と風見は歩く。
言葉はなく、ただ歩く。ちょろちょろと川の流れる音が聞こえてきた。音の方へと歩き続けると小さな川に行きついた。
「あんな風に飛び出して……戻ったら謝らないとだよなぁ。駄目だなぁ俺」
川辺の平らな場所で腰を落ち着けると、風見は足を立てて座り膝に顔を埋めた。その近くにそっと高田も座る。
「俺は、俺は洋介なら本当に料理人になれると思う」
「……俺も昔はそう思ってた」
俺の家は貧乏のくせに子沢山で、俺は長男だからずっと下の子の面倒を見たり家事の手伝いをしてたんだ。その中でも料理は俺にあってたみたいで美味しい美味しいって言われてさ、あ、俺料理上手いんだって調子乗ってたわけ。高校もそういう学校行ったんだけど、そこじゃ俺より上手い人も詳しい人も沢山いて、結局俺はそこから逃げたんだよ。
別に一番料理が上手くないと店が持てないわけじゃない。俺より下手な料理を出す店だってある。だけど、俺は夢を叶えることを諦めたんだ。夢を叶えることは、実は難しくない。でも、親の反対を受け続けて誰にも期待されないで祝福もされないで叶えた夢を、叶え続ける勇気は俺にはない。
そうしたら、夢をみることさえもう怖くなった。
「だからさ、褒めてくれたのは嬉しいけど、俺は……」
「聞き分けのいいフリをして、諦めたフリしてるだけじゃん!」
「違う!」
「じゃあなんで怒ったんだよ!?」
風見はそれに答えられなかった。
「叶わないって諦め続けてるのに、何も知らない俺が簡単に料理人になれるよとか言ったのが気に食わないからだろ!!」
大きな夢を見てその大きさで潰される人はどれくらいいるのだろうか。眩しい未来から目を背けてしまう人は、どれくらいいるのだろうか。手を伸ばしても届かないものに、手を伸ばすことを諦めてしまう人はどのくらいいるのだろうか。
どのくらいの人が、夢を見続けていくことが出来るのだろう、どのくらいの人が夢を叶え続けることが出来るのだろう。
本当に願った未来を、諦めることが出来る人はいるのだろうか。
「……ずっと、諦めてるんだ」
風見の目からぽろぽろと静かに涙が零れる。
「……諦めて、夢をみて、また諦めて……何度も同じ夢をみるんだ」
夢をみるのは素晴らしい。くだらなくなんてない。誰だってそう思いたい。けどそれは夢を叶えられる人だけが言えることだ。風見には無理だった。
不特定多数の内の誰かでいい。普通の人生がいい。特別な何かなんていらない。そう思わないと、立てなくなりそうだった。
「今更夢を見るのも怖い、でも……捨てるのも、もっとずっと怖いんだ」
だからずっと夢なんて最初から見てないフリをして、全部わかったフリしていい子のフリをした。
「そんなの、俺だけじゃない。きっと誰だってそうだ……」
高田は反射的にその言葉を否定しようとしたが、喉につかえて言うことは出来なかった。高田だって、そういう経験があったから。
「うん。そうだね」
夢を諦めるには忘れるか、他の何かを見つけるか、はたまた飽きるか。それらがどれも出来ないのなら自分にはできないのだと、諦め続けるしかない。けれどそれは、夢を見続けるのと同義ではないか。
責めるような、これまでの自分を否定するような雰囲気から一転して落ち着いた様子の高田に、風見は不思議そうに視線を寄せる。
「俺にも、あったよ。自分よりすごい人を見て、自分に足りないものを自覚して、自分には無理だなぁって思ったこと。俺にも、あったなぁ……どうせ叶わないんなら、夢なんて見なければいいのにな」
高田は昔から歴史が好きだった。母が仕事で忙しい時、祖父が連れて行ってくれるお城が高田にとって最高の遊び場で。お城の歴史も関わった出来事も人物も祖父から話を聞くのが大好きだった。祖母に連れられて図書館に行けば必ずお城図鑑や歴史書を持ってきては祖母に強請って読んでもらっていた。いつか、自分がまだ解明されていない歴史を解き明かしてやるのだと夢に見ていた。
学者になれば歴史を解き明かせると思っていた。けれど、自分は勉強が出来ない。頑張っても自分の興味のある歴史以外は点数が取れなかった。学者は頭のいい人の仕事だと思っていた高田は学者を諦めた。調べるだけなら、趣味でも出来る。そう自分を納得させた。
「俺は諦めちゃったから、諦めることが出来ちゃったから。だからさ、洋介がもしその夢を諦めなくていいなら……俺は頑張ってほしい。ごめん。洋介の人生を背負うことなんて出来ないくせに、こんな、勝手なこと言って」
気がつけば高田の方が泣いていた。
「なんで、剛士が泣くんだよ」
「ははっ、なんでだろ」
風見はその辺にあった小石を川に向かって投げた。ポチャンと気の抜ける音を立てて水を揺らしながら小石は姿を消した。
高田の涙が止まるまで、二人の間に会話はなかった。その空気を壊したのは風見だった。
「俺が、進路変えたいって言ったらさ……笑う?」
「笑わない!」
少し震えた風見の声は風見の覚悟の現れだろうか。その質問に高田は間髪を容れずに答えた。
未だに潤んだ高田の目には風見がどんな表情をしているのかは見えない。
「俺が、これから……料理の道に進みたいって言ったらさ、言ったら……お前、応援してくれんの」
「する! 全力で応援する!」
「なに、俺がちゃんと料理人になれると思ってんの」
「なれる!」
「……ばかじゃん。なんで、俺が信じれないのに、お前そんなばかみたいに信じてくれんだよぉ……」
泣き止んでいた風見が今度は声を上げて泣き始めていた。
初めて応援された。初めて誰かに背中を押してもらった。親にも反対されて、友達にも馬鹿にされて風見すらなれやしないと捨て続けた夢を、初めて誰かが許してくれた。
風見は多分ずっと、頑張れって誰かに言って欲しかった。ただその一言が欲しかっただけなんだ。
「池江?」
遠くから池江と@を見ていた森川が突然動かなくなった池江を不審に思い声をかける。池江はいつの間にか寝てしまっていたのかびくりと体を揺らして顔を上げた。
具合でも悪くなったのかと思ったが、どことなくスッキリしたような顔をした池江を見て森川は安心した。
「そろそろ、二人を迎えに行こっか」
「そう、だな」
風見たちの走っていった方向へ池江たち三人も向かう。先程からいつもの騒がしさが嘘のように@は静かだ。
進むにつれて道は狭くなり、陽の光が木に遮られて幾分か涼しくなっていた。
先を歩いていた森川が突然ぴたりと足を止めた。
「どうした?」
「あー、と」
おそらくこの先には川があると気付いた森川は、このまま川にトラウマを持つ池江を連れて進んでいいのか、正直に伝えて戻るべきなのか悩んだ。先程の過去の暴露で池江の精神はすでに疲れ果てているだろうに、また追い打ちをあけるのはどうなのだろうか。そう思った森川は行き違いになると行けないからと、最もらしい言い訳をつけて引き返そうと決意したその時だった。
「行こ」
先程まで静かだった@が口を開いた。
「あの足跡、多分二人のだよね?」
@が指さした場所にはまだ真新しいサイズの違う足跡が先へと続いていた。
「ほんとだ」
「あとちょっとじゃないかな」
にこりと笑う@に背筋が冷たくなるのを感じた森川は@の言う通りに足跡を辿って先に進むことにした。
@が何を考えているのかなんて分かりはしないけれど、きっと必要なことなのだと自分に言い聞かせて。
五分ほど歩くと川の音がはっきりと聞こえてくる。
「池江、大丈夫?」
「たぶん……」
青白くした顔平気だと笑おうとした歪んだ表情は決して大丈夫なんかではなかったが、気丈に振る舞う姿を無下には出来ず池江の手をとり進む。
池江は突然繋がれた手に驚くが、そこから伝わる温度に少し安心した。この年で同性と手を繋ぐなど恥ずかしい気もしたが大人しく手をひかれる。まるで小さな頃のように。
「不安な時はこうすると少し安心するでしょ」
「そう、だな」
「俺も昔、そういう時は涼平くんにこうして手をひいてもらってたからさ」
「森川も、そんな時期があったんだな」
「そりゃあるよ」
気付けば森川との会話で水の流れる音も気にならなくなっていた。拓けた場所に出ると数段の階段を降った先に川が確認出来た。川辺の平になった岩に風見と高田の二人が腰掛け楽しそうに話しているのが見えた。
どうやら風見の方は落ち着いた様子で安心する。階段を降りようとしたところで高田がこちらに気づき風見と共に駆け寄ってきた。
「さっきはごめん!」
池江たちの前に来た瞬間、風見が深く頭を下げた。
「その、俺……」
「駆け出したくなるくらい、いい天気だもんね」
どう謝ったらいいのか分からなくなっている風見に森川が別に今言わなくてもいいのだというように言葉をかける。
「夏ってそういうもんだよ」
「ありがと……。でも、また今度でいいからさ、ちゃんと話させてよ」
「うん」
和やかな空気が流れる中、高田が@の異変に気づいた。
「あっくん、どうした?具合悪い?」
先程までの池江よりも青白い顔をした@がそこにいた。
「え、ああ。大丈夫だよ」
「早く帰ろう」
繋がれていた森川の手を解いて池江は@の腕を掴んだ。夏だというのに冷えきった@の手があの悪夢のような日を思い出させた。
異常な二人の様子に森川たちはすぐに川から離れ、元のキャンプ地へと戻った。
「@も池江も大丈夫?」
「俺は大丈夫だよ」
「……ごめん、ちょっと休ませて」
まだ片付けていなかったテントに戻り池江は横になった。安静にさせるため、他の四人は何かあってもすぐに分かるように視界に入る少し離れたところで腰を落ち着けた。
「ちょっと無理させちゃったね」
もう少し早く気付いて川から遠く離れれば良かったと風見と高田は反省した。そうしたらもしかしたらこんな事態を防げたのではないかと後悔するばかりだ。
「どういうつもり?」
反省ムードを壊すように森川が@に詰め寄った。
「ごめん」
「謝るのは俺たちにじゃないでしょ。引き返そうとしたのをわざわざ止めてまで」
そこまで言って森川は言葉を詰まらせた。目の前の@が泣いていたからだ。
「ごめん」
泣いているのに、@は自分が泣いていることに気付いていないように笑うから、森川は@を責めることが出来なかった。@だってさっきは顔色が悪かった。けれども森川にとっては@は信用しきれていないから、@が先に進もうと言ったから、森川は@にも池江の手をひいて進んだ自分自身にも怒っていた。
もしもを考えていても仕方がない。そう思考を切り替える。
「これからの話をしよう」
@にハンカチを差し出して森川は皆を見渡した。
@は何故ハンカチを手渡されたのか不思議に思ったがそこでやっと自分が泣いているのに気付いた。
「は、ははっ……うん。もう、大丈夫」
泣きながら笑う@をそれぞれが心配そうに見ていた。それを見て@は嬉しそうに寂しそうにまた笑った。
「翔ちゃんも、いい友達に出会えたんだなぁ」
思わず口に出たといったような@の呟きに高田は「あっくんもだよ」と返すが、@の目はその言葉を拒んでいた。拒みながらも羨ましい嬉しいという思いが滲んでいた。




