許されるのならば
相変わらず、目に見えるのは蝋燭の刺さった鉄輪と円い鏡が置かれた祭壇だけ。それ以外は、何も無い真っ暗な場所。それでも、鏡の中を覗くと、外の様子を見ることはできました。
私にできたのは、全身の感覚がぼやける中で、ただぼんやりと、彼女が変わってしまった私の身体を使ってすることを眺めることだけでした。烏ノ森マネージャーをいたぶったり、私のふりをして混乱させたりする、そんな様子を。
それを見ているうちに、烏ノ森マネージャーが私のことを気に懸けてくださっていたということも、知ることができました。それでも、烏ノ森マネージャーは、私のふりをする彼女に簡単に騙されていました。
……それも仕方ないですよね、烏ノ森マネージャーが見ていたのも、私ではなく亡くなった娘さんの面影なのですから。月見野様と、同じように。
入社当時から気に懸けてくださっていた上司が気づかなかったくらいなのだから、葉河瀨さんだって私のふりをした彼女に気がつくはずがない。そんなことを思いながら、ぼんやりと葉河瀨さんが来るのを待っていました。
それでも、なんとかして、葉河瀨さんを巻き込むことを阻止したい。
そう思っても、ぼんやりとする頭では良い方法など、浮かんではきませんでした。そうしているうちに、時間が過ぎ、葉河瀨さん、月見野様、日神さんと早川さんの姿が鏡の中に現れました。そして、彼女が私のふりをして、葉河瀨さんに近づいていきました。
きっと、葉河瀨さんも彼女が私ではないことに、気づくことはない。そうなれば、彼女は葉河瀨さんを言いくるめて、その手を汚すようなことをさせてしまう。
いっそのこと鏡をたたき割って、喉を掻き切ってしまえば、彼女のことも止められるかもしれない。
少しでも可能性があるのならば、試す価値はあるはず。
そう考えて、感覚の無い腕をなんとか動かし、鏡を掴もうとしました。
「……誰ですか?貴女は」
「……え?あ、あの、葉河瀨、さん?」
……でも、私の不安に反して、葉河瀨さんはすぐに、彼女が私ではないことに気がつきました。
それから、葉河瀨さんは挑発しながら、手にした槍のような武器で彼女を攻撃していきました。その度に、ぼやけていた身体の感覚が、元に戻っていきました。
それでも、一瞬の隙を突いて、彼女は葉河瀨さんの義眼を抉って、喉元に手をかけました。そして、私の声で酷い言葉を投げかけました。鏡には、泣き出しそうな葉河瀨さんの表情が映し出されました。
……これ以上、葉河瀨さんを悲しませたくないのに。
誤解をして、酷いことをしてしまったことを謝りたいのに。
ちゃんと私のことを見てくれたことに、お礼を言いたいのに。
鏡を掴んで覗き込んでいると、葉河瀨さんと目が合いました。葉河瀨さんは苦しそうにしながらも、優しく微笑んで……
「貴女……が心か……ら、好……きでし……た……どう……か幸せ……に」
……#私__・__#のことを好きと言って、#私__・__#の幸せを願ってくれました。
もしも、許されるのならば、葉河瀨さんの側に居たい。
そう思ったのに、鏡の中で彼女は首にかけた手に力を込め……
「止めてください!」
……私は思わず鏡に向かって、大声で叫んでいました。
「……ぐぁ!?」
そうすると、鏡の中には、額をおさえながらうめき声を上げる彼女の姿が映りました。
「ええい!今更、何の用だ!?」
「約束が、違いますよね」
私が答えると、彼女は煩わしそうな表情を浮かべました。
「何?約束が違う?」
「葉河瀨さんが、貴女が私のふりをしていることに気づいたら、これ以上巻き込まない約束です」
「はっ!約束通り、手駒にはしていないだろうに」
「それでも、葉河瀨さんを傷つけるのをこれ以上黙って見ていられません!」
「ああ、もう!うるさい!少し黙れ!」
彼女は、苛立った表情を浮かべながら喚き散らしました。
「くらえ!必殺・根性のスーパー主任アロー!」
何か言い返さないとと思っていると、早川さんの声と共に轟音が響き……
「ぎゃあ!?」
彼女は悲鳴を上げながら、葉河瀨さんから離れ……
「貴様から、始末してくれる!」
早川さんに飛びかかり……
「一条さん、ちょっとだけ我慢してね……とう!」
「きゃっ!?」
……月見野様に投げ飛ばされました。
それから、彼女は苛立ちながらも月見野様の説得を受け、得意げな表情でよくある身の上話を始めました。
不幸自慢も大概にしてほしいな、なんて思いながらこの状況を打ち破る方法を必死に考えました。彼女に干渉できるようになったみたいですから、なんとかして動きを封じられないでしょうか……
そんなことを考えていると、鏡の中に静かな動きで彼女に近づく葉河瀨さんの姿が見えました。でも、彼女も葉河瀨さんの動きに気づいている様子です。このままでは、葉河瀨さんが、また危ない目に……なんとかして、彼女の動きを止めないと……
「……不意打ちなどと卑怯な真似をする男も、ろくでもないと思うがな」
「それは、どうも」
焦っているのに良い考えは浮かばず、彼女は不意打ちを振り払って武器を奪い、葉河瀨さんは床に倒れてしまいました。早く、なんとかしないと……
「やはり、貴様から消えてもら……」
「ふざけないでください!」
「うわぁっ!?」
イチかバチか鏡に向かって大声を出してみると、彼女は再び苦しそうなうめき声を上げました。これで、葉河瀨さんを傷つけるのは阻止でしたが、一時的なものですし……一体、どうすれば……
悩んでいると、鏡の中に月見野様の顔が映りました。
……ひょっとしたら、彼女も弱ってきていますし、呼びかけたら声が届くのでは?
「つ、月見野様、今のうちに取り押さえていただけま……」
「……え?」
「ええい!黙れ!」
彼女の声に邪魔されてしまいましたが、月見野様はたしかに私の声に反応してくださいました。これなら、なんとかなりそうです。
「お前の役割はもう済んで……」
「月見野様、はやく……」
「……黙れと言っているだろう!」
彼女の言葉の間を縫いながら声をかけると、月見野様はコクリと頷きました。
「一条さん、ごめんね」
そして、謝りながら彼女を取り押さえくださいました。
これで、当面の間、彼女の動きを封じることができるはず。ただ、あまり長い時間、取り押さえていただくのは、月見野様の身体に負担がかかりそうですし……なんとか、彼女を無力化しないと。でも、まだ、身体の感覚が戻りきっていないですし……
……戻りきっていない?
そうだ、それならば、ひょっとして……
「えいっ」
「痛っ!?貴様、何をする!?」
「え!?ぼ、僕は何もしてないよ?」
ためしに感覚が戻っていない右手を強めにつねってみると、彼女は顔をしかめて月見野様に言いがかりをつけました。濡れ衣を着せてしまったのは申し訳ないですが、これでなんとかなりそうですね……
鉄輪に刺さっている蝋燭を一本引き抜いて、左手で右手の小指を掴んで……よし、これで爪の間に尖った部分を押し当てることができました。
「っ!?お、おい!お前!そこで何をしようとしてるんだ!?」
左手に力を込めると、鏡から、彼女のわめき声が聞こえてきました。それと同時に、右手が震え出しました。ああ、もう、煩わしいですね。
「は、早まった真似をするな!」
左手に込めた力を強めると、右手の震えは少し抑えることができました。これなら、問題なさそうです。
「その手を止めろ!」
私が呪ってしまったおみせやさんの方々は五名。
「分かった、あの男には、これ以上手出しはしない!」
指の爪も五枚。
「月に一度は、お前も外に出してやる!」
彼女が去った後のことを考えると、少しだけ怖いですが……
「だから、やめ……」
……落とし前には、ちょうど良いですよね。
えいっ。
「ぎゃぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
小指の爪が剥げると同時に、鏡からうるさい悲鳴が聞こえてきました。
私の手にはまだ感覚が戻ってきていないですが、向こうはかなり痛かったみたいですね。やっぱり、戻るときが怖いかも……いえ、そんなことは言っていられません。
えーと、まず、これが早川さんの分ですから……
「あぁぁぁあぁぁぁぁぁ!」
次に、日神さんの分。
「ぁぁぁぁっぁぁぁぁぁああ!」
次が、山口課長の分。
「ぁぁぁぁぁ……」
そして、吉田さんの分。
最後に……
「……」
……葉河瀨さんの分。
あら?
いつの間にか、悲鳴が止まっていますね……
「い、一条さん、これはやりすぎなんじゃ……」
「……故に、八珍、八財、八菓……うわぁ……ゴホンっ、珍華、異香……」
「鬼も、痛みで気絶するんすね……」
その代わり、月見野様、日神さん、早川さんのどこか怯えたような声が聞こえて来ました。でも、皆さんにご迷惑をかけてしまったので、これくらい当然です、よね?それとも、これでは足りなかったのでしょうか……
「一条さんっ!」
不意に、鏡から怒っているような葉河瀨さんの声が聞こえてきました。
「は、はいっ!」
慌てて返事をしながら覗き込むと、鏡には怖い表情を浮かべた葉河瀨さんの顔が映し出されていました。これは、怒っているような、ではなく、完全に怒っていらっしゃいますよね……
「一体、何をしているんですか?」
「え、えーと、これは……彼女を止めるためと、落とし前をつけるために……み、みたいな、感じ、ですか、ね?」
私が答えると、葉河瀨さんは右手で顔を覆って、深いため息をつきました。どうやら、私の声は届いたようです。
「ああ、もう。本当に、何故そうなるのですか……」
それから、葉河瀨さんは再び深いため息を吐きながら、とても落胆した様子の声で、そう呟きました。
えーと、これは、落とし前が足りなかった、ということですよね、きっと。たしかに、葉河瀨さんの分になったときには、彼女は気絶していたみたいですし……
彼女が目覚めたら、奥歯も二本くらい抜いた方が良いのでしょうか?
五徳を使えば、なんとかなりそうな気もしますが、抜歯はちょっと難しいかもしれませんね……
それとも、彼女が去った後に左手の爪も剥ぐ、という方が妥当ですかね?




