山場
「それに、ほら、君だって、本当はこんな物騒なことしたくないんじゃないかな?」
一条さん……もとい、一条さんの身体を乗っ取っている鬼に声をかけてみると、彼女は唖然とした表情を浮かべた。でも、すぐに我に返ったように僕を睨みつけた。
「坊主、貴様に何が分かるというのだ?」
「あ、うん。そうだね、でも、君は多分……宇治の橋姫って呼ばれるお姫様だよね」
「……だとしたら、どうだというのだ?」
僕の言葉を、彼女は少し間を置いてから問い返した。うん、信田部長がぼやいていたことが気になったから聞いてみたけど……この感じなら、彼女は平家物語だとか能の鉄輪の元になった橋姫ということで間違いなさそうだね。
「えーと……もともと、君に非があったわけなじゃいのに、鬼になんてなるのは、辛かったんじゃないかなって思って。ほら、鬼になるときは、かなり身体に負担がかかるみたいだし……」
橋姫については様々な伝承が残っているけど、どれも大筋では、夫に裏切られた女性が恨みを晴らすために鬼に転じた、という話だった。たしかに、鬼に転じた後の悪行は褒められたものじゃないけど、彼女の事情を鑑みると一概に彼女だけを責めるのも酷な話じゃないか、と常々思っていたんだよね……
「ほう、私のことを憐れむというのか?」
「あ、いや、憐れむというか……月並みな言葉だけど、昔の恨みにいつまでもとらわれているより、これからのことに目を向けた方がいいんじゃないかなって……ほら、君を苦しめた男の人も、もうとっくの昔に亡くなったわけだし」
「はっ、つまるところ、私にさっさと消え去れということか」
「あ、えーと、そう言うわけでは……」
うーん、能の演目で、説得された鬼が自分から去っていってくれる、なんてものものもあったけど、僕には荷が勝ちすぎてるのかな……
心の中で弱音を吐きながら、葉河瀨部長に視線を送ってみた。戈を支えにしてなんとか立っているみたいだけど、肩で息をしているし、かなり苦しそうだね。うん、やっぱり、前線に復帰してもらうのは、まだちょっと難しそうだね。
「ええい!煮え切らぬ坊主だな!仁王像のような見てくれをしているくせに!」
「……ふふっ……ゴホン、天地吉凶、神に非ずんば知ること……」
足を踏みならして橋姫が叫ぶと、祭文を唱える日神君が一瞬だけ吹き出した。視線を向けてみると、日神君は気まずそうな表情を浮かべながら、祭文を読んだまま軽く頭を下げた。日神君、器用なことするね……
それにしても、この間川瀬社長にも言われたけど、僕ってそんなに仁王像に似てるのかな……そりゃあ、たしかに鍛えてるし、スキンヘッドだけど、そこまで強面じゃないつもりなんだけどな……
「坊主、何を落ち込んでいる?」
ショックを受けていると、橋姫が怪訝そうな表情で首を傾げた。強面と言われてショックを受けていた、なんて言って話の腰を折っている場合じゃないよね。
「あ、ううん、なんでもないよ」
返事をすると、橋姫はつまらなそうに、そうか、と呟きながらこちらに近づいて来た。うん、葉河瀨部長と戦闘をしてたときよりも殺気はやわらいでいるみたいだけど、どうしようかな……
「それで、坊主、お前があの方相氏の代わりに、相手になるというのか?」
対応に困っていると、橋姫は僕の前で足を止め、眉間にシワを寄せながら顔を覗き込んだ。
「あー、えーと、それは……」
返事に困って葉河瀨部長に視線を送ってみると、向こうもこちらを向いていた。葉河瀨部長は軽く頷くと、声を出さずに唇を動かした。
えーと、仮面が半分だけ破れているから、辛うじて唇の動きが読めるかもしれない。なになに……
じ、か、ん、を、か、せ、い、で、く、だ、さ、い……
うん、まあ、この状況で僕がすべきことと言ったら、それだよね。どこまで、できるかは分からないけど、やってみることにしようか。えーと、一条さんの身体に負担をかけるようなことはこれ以上したくないから、なにか、時間を稼げるような話題を……
「と、ところで、君が生きていた時代って、男性が歌を贈って女性がそれに答えて交際が始まってゆくゆくは結ばれるってことが一般的だったの?」
「……いきなり何を言い出すのだ、お前は」
……うん、橋姫の言うとおり、いきなり何を聞いてるんだろうね、僕は。突拍子もない質問に、橋姫は心底あきれたような表情を見せてため息を吐いた。
「いや、ほら、せっかく長い時代を見てきた人に会えたから、ちょっと聞いてみたくなって……」
「それならば、あのキツネやタヌキに聞けばよいだろうに……」
キツネとタヌキ?
あ、えーと、信田部長と山口課長のこと、かな……あの二人、なぜかキツネとタヌキを彷彿とさせるんだよね。若干失礼なことを考えていると、橋姫は、そうだな、と呟いた。
「……まあ、そう言う者達も、稀にいたようだな。私は親たちが取り決めて、それに従ったが」
「へえ……そうだったんだ……」
相槌を打ちながら視線を動かすと、葉河瀨部長が橋姫の背後に回り込むようにして、こちらに近づいているのが見えた。
「ただ、あの男は、私以外の女に対しては熱心に歌を贈っていたようだがな」
「そ、そうだったんだ……」
「あの男……親の決めたこととはいえ君のことを蔑ろにするつもりはない、などと口にしていたくせに……」
「それは、怒りたくもなるよね……」
「まったくだ。問い詰めても、正妻は君だけだ、などと口で言うばかりで、結局は家に帰ってくることもなくなるし……」
「それは、酷いね……」
恨み言に相槌を打つ度に葉河瀨部長はこちらに近づき、ついに戈の間合いに橋姫が入った。葉河瀨部長は戈を構えたが、幸いにも、橋姫はまだ葉河瀨部長に気づいていない。
「そうだろう。あの男はろくでもない男だった……ただし……」
橋姫はそこで言葉を止めると、鋭い目付きをしながら瞬時に振り返った。
これは、まずい……
「葉河瀨君、後ろに避けて!」
「っ!」
慌てて声をかけたが、一足遅く、橋姫は戈の柄を掴みながら笑顔を浮かべた。
「……不意打ちなどと卑怯な真似をする男も、ろくでもないと思うがな」
「それは、どうも」
橋姫の言葉に、葉河瀨部長が不機嫌そうに返事をする。
「死に損ないのくせに、随分と諦めが悪い」
「千年近く前のことをいつまでも恨んでいるババアにだけは、そんなこと言われたくはないですね」
嘲笑を浮かべる橋姫に対して、葉河瀨部長が抑揚のない声で、かなり失礼な言葉を返す。
「なんだと、貴様!」
……まあ、そんなこと言われたら当然怒るよね……なんて、思っている場合じゃない。
橋姫が手を振り払うと、葉河瀨部長は横転して戈から手を放した。すかさず、橋姫は片手で器用に戈を持ち直し、葉河瀨部長の胸元に切っ先を突きつける。
「っ……」
葉河瀨部長が睨みつけながら悔しそうに声をこぼすと、橋姫は口の端を歪めて笑った。まずい、止めなくちゃ。
「やはり、貴様から消えてもら……うぁっ!?」
咄嗟に飛びかかろうとしたそのとき、橋姫が急に苦しそうなうめき声を上げた。
「先刻から煩わしい……つ、月見野様、今のうちに取り押さえていただけま……ええい!黙れ!」
……え?
今のって、一条さんの言葉、だよね……?
「お前の役割はもう済んで……月見野様、はやく……黙れと言っているだろう!」
うん、戸惑っている場合じゃないね。
ともかく、動きを封じないと!
「一条さん、ごめんね」
「ぐっ……!」
一条さんに謝りながら振り上げられていた腕を強く掴むと、橋姫がくぐもったうめき声を上げた。
「は、放せ……」
「ごめんね、それはちょっとできないかも」
ただ、予想以上に力が強いおかげで、ひねり上げて無力化するのも難しそうだ。いや、無理をすればできるだろうけど、それだと一条さんが怪我しちゃうかもしれないし……
「……あとは、私に任せ……うるさい!」
戸惑っていると、再び一条さんの言葉が聞こえた。
ここは、一条さんに任せるしかないのかもしれないけど……あんまり無茶なことはしない、よね?




