へし折れ!
「さすが日神、書道の段持ちだけあって、綺麗なものね」
何枚目か分からない霊符を書き終えると、向かいに座った信田部長が感心したように声を漏らした。符の類はあまり書き慣れていなかったけれども、早朝から夕方まで書き続けているうちにコツのようなものはつかめてきた。
「いえいえ、私などまだまだですよ」
謙遜の言葉を口にしてみると、信田部長は口の端を上げて笑みを浮かべた。
「褒め言葉は素直に受け取るものよ?早川や吉田さんみたいに」
「え?は、はあ」
不意に出てきた部下たちの名に戸惑い、思わず間抜けな声を出してしまった。そういえば、あいつら朝食のときも昼食のときも、妙によそよそしかったけれども、昨日の宴会で何かあったのだろうか……
「ふふふ、今日の作戦が終わったら、本人たちに聞いてみると良いわよ」
なぜだろうか?信田部長の笑みがとても禍々しく見える……いや、気にしても仕方ないか。
「さようでございますか」
「あら、あまり取り乱さないのね?」
「ええ、別に。あいつらには夏前に失態を見られているので、今更何を見られても大した話じゃありませんよ」
「ああ、それもそうね。たしかに、あれは結構な傑作だったわね」
信田部長はそう言うと、挑発するような笑顔を浮かべた。
……たしかに、あの件も俺の未熟さが諸悪の根源だったけれども、こんな表情を浮かべられると若干腹が立ってくる。いや、俺が腹を立てる資格はないということは分かっているのだけれども……
「腹を立てられるくらいがちょうど良いわ。今回の件について、自分に責任の一端がある、なんて面倒くさいことをウジウジと思い悩まれていたら、成功するものも成功しなくなってしまうのだから」
不意に、信田部長が図星をつくようなことを言い出した。
「……貴女は、読心術も使えるのですか?」
「いいえ。祭文の確認をしていたとき、声にどこか迷いがあるように思えたから、かまをかけてみただけよ?」
「そうですか……」
「それに、日神のことだから、自分のせいで三輪さんが長期療養にならなければ、一条さんが思い詰めすぎることもなかった、とか考えそうと思ったから」
「……やはり、読心術の類を使っていますよね?」
改めて問いかけると、信田部長は穏やかな笑みを浮かべた。
「そうね……今夜の作戦を成功させて無事に帰ってきたら、真相を教えてあげてもいいわよ?」
「そうですか。それなら、確実に真相を知ることができそうですね」
こちらも笑顔で言葉を返すと、信田部長は穏やかな表情のまま、その意気よ、と呟いた。後悔や自責の念が全く消えたわけではないが、今は雑念を捨てて、目の前のことに集中しなくては。なにせ……
「あら、日神どうしたの?机の上をまじまじと見つめて」
「……悪鬼避けの霊符が、ここまでの数必要になるということは、かなり壮絶なことになるのかと思いまして。いえ、もちろん失敗するつもりはありませんけれども」
机の上に積んだ霊符を眺めながらそう言うと、信田部長が小さくため息を吐いた。顔を上げると、信田部長は険しい表情を浮かべていた。
「まあ、少し過剰に用意してもらったところあるわ。でも、厄介な鬼であることは確かね」
「そうですか」
「ええ、そうよ。鬼を引きつけて力を削ぐのはハカセの役目だけど、祭文を唱える日神が斃れたりしたら祓うことができなくなるから……可能な限り用意しておくにこしたことはないわ」
「……そうですね」
「だから、変な罪悪感で作戦に支障を出さないようにね」
「……肝に銘じておきます」
返事をすると、信田部長は再び穏やかな表情を浮かべ、そうね、と呟いた。
今回の作戦が終われば、葉河瀨と一条さんには距離ができてしまうのかもしれない。それでも、お互いに生きてさえいれば、改めて距離を詰める機会なんていくらでも作れる。だから、俺が足を引っ張って、作戦そのものが失敗になるなんてことは、絶対に避けなくては。
「正義さん、くーるびゅーてぃーな部長さん、お時間になりましたよー」
決意を新たにしていると、障子の向こうから、たまよの鷹揚な声が聞こえてきた。壁に掛かった振り子時計を見ると、日没の時間まであとわずかになっていた。
「ああ、分かった。伝えてくれてありがとう、たまよ」
「ありがとうね、たまよさん」
信田部長とともに声をかけると、障子の向こうからは、いえいえ、というどこか嬉しそうな声が響いた。
たまよを悲しませないためにも、今日は無事に帰ろう。
「さて、私は先に茶の間に行ってるわ。日神は着替えてから来なさい、装束はそこに置いてあるから」
信田部長はそう言うと、部屋の隅に置いた行李を指差し、部屋を出て行った。
行李を開けると、中には畳まれた烏帽子と水干が入っていた。着替えてみると、キツすぎることもゆるすぎることもなく、ちょうど良いサイズだった。これなら、祭文を唱えている途中に気が散ることもないだろう。
着替えを済ませて茶の間に向かうと、他の面々が既に着替えを済ませて集まっていた。
紺色の道着姿の月見野部長、紅い狩衣を着た早川、そして……
「日神、違和感が職務放棄してるくらい似合ってるな」
……襟と袖が緑色に縁取られた黒い着物と白く幅の広い帯、方相氏の格好をした葉加瀬の姿もあった。目が四つ描かれた白い仮面が顔を覆っているせいで、葉河瀨の声は少しくぐもっている。
「それはどうも。それより、その格好で前が見えるのか?」
仮面の目の部分に穴が開いているように見えなかったため尋ねると、葉河瀨はゆっくりと頷いた。
「ああ。むしろ、見えすぎるくらいだ」
「……そうか」
葉河瀨の目が、他の人間よりも特殊な見え方をしている、と言う話をこの間本人から聞いた。曰く、欠けてしまった視界を補うために脳が色々な物を見せている、ということだった。たしかに、呪術の中には、人ならざるモノを見るために何らかの方法で片目を塞ぐ、ということをする流派もあるけれども、信田部長をして厄介というような鬼を相手に、両目を塞いでいて大丈夫なものな……
「ほら、絵とはいえ、いつもの四倍、目があるわけだから」
……うん。
人が真剣に心配していたと言うのに、こいつは。
「頼むから、反応に困る冗談を言うのは止めてくれ」
「えー、こういうのは本人からネタにした方が良くないかー?」
「そうかもしれないけれども!」
俺たちのやり取りに、月見野部長は気まずそうな表情を浮かべ、早川は訝しげな表情で首を傾げた。どうやら、月見野部長も、葉河瀨の目について話を聞いたみたいだな。
「ともかく、不謹慎な冗談を言う余裕があるくらいなら問題な……」
「あっ!そうか!ようやく思い出せた!」
問題ない、と言おうとしたところ、早川が大声で俺の声をかき消した。
「……早川、人の会話を遮ってまで報告したい、思い出したこと、と言うのは何なんだ?」
笑顔を向けてやると、早川は、失敗した、と言いたげな表情を浮かべた。まったく、そんな表情をするくらいなら、少し考えてから口を開けばいいと思うのだけれども……
「日神君、これから大事な作戦があるんだから、そんなに叱らないであげてね……」
「……そうですね」
月見野部長の言葉に頷くと、早川は安心したようにため息を吐いた。まあ、色々と言いたいことはあるけれども、今は部下のモチベーションを下げるようなことは控えておこう。
「それで、何を思い出したんだ?」
葉河瀨が抑揚のない声で尋ねると、早川は一度、大きく頷いた。
「はい。葉河瀨部長がつけてるお面、どっかで見たことがあると思ってたんすけど……」
早川はそこで言葉を止めると、大きく息を吸い込み……
「すっごく、弐号機っぽいです!」
……なんとも、不吉な言葉を口にしてくれたため、思わず頭をはたいてしまった。
「痛っ!?いきなり、何するんすか!?」
「お前こそ!刃物系の武器で単身闘う奴に向かって、なんて喩えをしてるんだ!?たしかに、ちょっと似てる気はするけれども!」
早川を叱りつけていると、葉河瀨が俺の方を軽く叩いた。
「まあまあ、日神、許してやってくれ。ほら、こっちには特殊素材でできた装束と盾もあるんだから負けてらんない、のも確かなんだし」
「お前も、不吉なフラグを立てながら、話に乗るな!」
「大丈夫、大丈夫、フラグはへし折るためにあるものだから」
「言ったな!?じゃあ、ちゃんとへし折れよ!?何かあったら、承知しないからな!」
「ああ、任せておけ」
葉河瀨は抑揚のない声でそう言いながら、親指を上げた。
……月見野部長も、話について行けない、という表情で困惑しているから、イザコザするのもこのこのくらいにしなくては。
ともかく、今夜は葉河瀨がフラグをへし折るところを、しかと見届けてやることにしよう。




