意思確認の場
「……そうか、そんなことがあったんだね」
「はい」
稽古を終え、葉河瀨部長と二人して縁側に座り、一条さんへ好意を持ったきっかけについて教えてもらっていた。葉河瀨部長にとって、一条さんはすごく特別な人だと言うことが分かった。それなら、全てが落ち着いたら、是非二人には幸せになって欲しいけど……
「それでも、今までのことを忘れた方が一条さんの負担が減るのなら、それでいいんですよ」
葉河瀨部長は僕の考えていることを読んだかのように、そんな言葉を口にした。
「それに、今集中すべきことは、今夜の作戦を成功させることです」
「……うん。そうだね」
葉河瀨部長の言うとおり、今日の作戦に失敗してしまったら、一条さんも京子もこちらへ戻ってこられないのだから。今朝見た、夢のように。
沈んだ気持ちになっていると、葉河瀨部長が小さくため息を吐いた。
「本来なら、月見野さんが方相氏の役をした方が、いいのかもしれませんが……」
「……うん。たしかに、武術についての心得はあるけど、僕じゃ一条さんから鬼の部分だけを切り離すのは、無理だろうからね」
今回必要な力は、筋力や体力よりも正確な目なんだろう。今日現地へ向かうメンバーの中で、一番正確に一条さんと鬼の部分を見分けられるのは、葉河瀨部長だけだ。
「自信のほどはどうかな?」
「はい。月見野さんが手本を見せてくれたおかげで、筋肉や関節の動かし方は理解できましたから、あまり長引かなければ問題ないはずです」
「そっか」
その言葉通り、稽古中に何度か手合わせの手を止めて動きのお手本を見せると、葉河瀨部長はすぐに僕の動きを可能な限り正確に再現していた。日によってむらがあると言っていたけど、今日は特殊な見え方をしているのだろう。
「煩わしい思いをすることも多いですが、今回ばかりは発作に感謝しないといけませんね」
感心していると、葉河瀨部長は苦笑しながら、なんともコメントをしづらい言葉を口にした。
「うん、まあ、えーと……ほら、世の中は気の持ちようってよくいうしね。見方を変えれば、短所だと思っていたところが、すごい長所だったりするし」
「そうそう!商機だって、そういうところにあるんだよ!」
「ほら、川瀬社長も、こうおっしゃってますし」
「まあ、そんなものですか……」
「え!?」
「え?」
普通に会話を続けそうになってしまったけど、二人して慌てて振り返った。すると、背後には得意げな表情を浮かべて胸を張る川瀬社長の姿があった。まだ起きたばかりなのか、カワウソのイラストがプリントされたパジャマを着て、いつもは一つ結びの三つ編みにしている髪を下ろしている。
「川瀬社長、おはようございます」
「おはようございます」
僕と葉河瀨部長が声をかけると、川瀬社長は楽しそうな笑顔を浮かべた。
「うん!おはよー!二人も修行中?」
「はい。も、と言うことは、他の日神君と早川君の様子を見てきたんですか?」
僕が問いかけると、川瀬社長はどこか不満げな表情を浮かべた。
「うん。何かお手伝いをしようと思ったんだけど、ひがみんと部長からは、そんなことより早く着替えてきなさい、って言われるし、早川ちゃんと三輪ちゃんと課長からは、社長がいなくても大丈夫だから、って言われて帰されてきたの」
……うん。祭文の確認とか弓の稽古には集中力がいるから、川瀬社長がいらっしゃらない方がいいのかもしれないね。
「それなら、台たまよちゃんと繭ちゃんのお手伝いをしようかなって思って台所にいってみたら、今度は繭ちゃんから、川瀬社長の手を煩わせるわけには参りませぬ、って言われたの」
「つまり、側にいると手間が増えそうだからどこかで時間を潰してこい、と方々で言われたんですね」
「ダメだよ葉河瀨君!そんなハッキリと言ったら……あ」
的確すぎる葉河瀨君の言葉に、思わず口を滑らせてしまった。しまった、と思ったものの、時既に遅く、社長は頬を膨らませていた。
「二人とも酷いよ!折角、社長がお手伝いにきてあげたのに!」
「あ、えっと、ありがとうございます、川瀬社長。でも、今さっき稽古は終わったんで、お気持ちだけいただきますね」
「あ、そうなの?なら、仕方ないね!」
なんとか言葉を取り繕うと、川瀬社長は膨らませていた頬を元に戻して、笑顔で納得してくれた。これで、不要なイザコザは起きないはず……
「……と、月見野さんにも厄介払いされる、社長なのでした」
「葉河瀨君!折角はぐらかせそうだったのに、失礼なナレーションをしちゃダメだよ!……あ」
……だと思ったのに、葉河瀨部長の言葉に、思わず反射的に言葉を返してしまった。当然、川瀬社長は再び、頬を膨らませた。
「もう!ハカセもつきみんもイジワル!」
「川瀬社長、申し訳ございません!」
「すみませんでしたー」
盛大にヘソを曲げてしまった川瀬社長に対して頭を下げると、葉河瀨部長のまったく反省を感じられない調子の声が聞こえた。
「……それで、本当の要件は何ですか?」
イザコザが起きると思っていると、葉河瀨部長が意外な言葉を口にした。一体何のことを言っているのだろうと思いながら川瀬社長の顔を見ると、いつの間にか不服そうな表情は消えて、大人びた表情が浮かんでいた。
「ハカセに、最終確認をしておこうと思って」
「最終、確認ですか?」
僕が問い返すと、川瀬社長は大人びた表情でコクリと頷いた。
「一条ちゃんの鬼を打ち払ったら、周りからそれまでのことを思い出させるようなことを言うのは、禁止だからね?」
「ええ。分かっていますよ。それでも、今回の件、最善を尽くしますから」
川瀬社長の問いかけに、葉河瀨部長は真剣な表情で、苛立ちや怒り、それに迷いさえも感じられない声で、淡々と答えた。葉河瀨部長の返事を聞いて、川瀬社長は穏やかな笑みを浮かべた。
「うん、それならよかった」
川瀬社長はそう言うと、目をつぶって大きく伸びをした。
「うーん!じゃあ、お腹も空いてきたし、そろそろご飯もできそうだから、皆に声をかけて先にお茶の間に行ってるね!二人も、落ち着いたら早く来てね!」
社長はそう言うと、こちらを振り返らずに廊下を走り去っていった。それにしても、この期に及んで、揺さぶりをかけるようなこと聞かなくてもいいのに……
心の中でぼやいていると、葉河瀨部長が苦笑を浮かべた。
「まあ、悪意はない様子に見えましたから、社長なりに心配していたんでしょう」
「あ、うん。そうだね……」
葉河瀨部長の言葉に、曖昧な返事しかできなかった。葉河瀨部長がそう見えたと言うなら、間違いはないのかもしれないけど……
社長の真意をつかめずにいると、パタパタという足音とともに、川瀬社長が戻ってきた。
「そうだ!ハカセにもう一つ言うことがあったんだ!」
川瀬社長は指さしながら、葉河瀨部長にそう告げた。
「はい、何でしょうか?」
葉河瀨部長が怪訝そうに尋ねると、川瀬社長は勝ち誇ったような表情を浮かべた。
「さっきイジワルなこと言ってきたから、来週一緒に出かけるとき、おまわりさんに、この人にイジワルなことされました、って言いつけてやるんだから!」
「申し訳ございません川瀬社長。重々反省しておりますので、社会的に抹殺するのは何卒ご容赦ください」
……なんとも恐ろしい川瀬社長の発言に対して、葉河瀨部長は深々と頭を下げた。
うん。そういえば、川瀬社長と葉河瀨部長が一緒に出かけると、そこそこの頻度で職質騒ぎになっていたね。たしか、累計すると……
「よろしい!では、ハカセの誠意に免じて、三ヶ月ぶり四十回目の職質を受けるような事態にならないようにしてあげる!」
「正しくは、三ヶ月と五日ぶり、三十七回目です」
……川瀬社長と葉河瀨部長のやり取りで職質騒ぎの累計数が分かったけど、予想以上の回数だった。
今回の件が丸く収まっても、弊社にはややこしい問題がまだまだ色々とありそうだね……




