これならば
天窓から差し込む光で目が覚めた。
どうやら、夜は明けたようだ。
しかし、あの女はまだ眠っているらしい。
耳を澄ますと、微かな寝息が聞こえてくる。
からかう相手がいないのは、少々手持ち無沙汰だな……それでも、わざわざ起こすのも面倒だ。
仕方ない、少し身体を動かすとしよう。
起き上がってみると、身体は昨日よりも更に違和感なく動いた。
力を込めてみても、筋や骨が千切れ砕ける気配すらしない。
やはり、これは悪くない依代だな。
あとは、力の戻り具合か……
ためしに、出入り口とおぼしき扉に近づき、手を触れてみた。
痛みを感じたが、昨日ほどではない。
それでも、まだ結界をこじ開けるほどの力は戻っていない。
仕方がない、どのみち今夜は客人がくるのだから、そのときに結界も解かれるだろう。
ここを出ていくのは、客人をもてなし終わってからでも遅くはない。
ああ、日が落ちるのが楽しみで仕方がない。
「……烏ノ森マネージャー?そちらにいらっしゃるのですか?」
笑いを堪えていると、扉の外から若い男の声が聞こえた。
どうやら、こちらの足音にでも気づいたようだ。
しかし、普通の人間には結界の中の音など聞こえないはず……
ああ、そうか。
あの女の走狗に、結界の扱いに長けていたやつがいたな。
たしか、あれもこの依代に懸想していたはず。
なら、暇つぶしにつきあってもらうことにするか。
「あの……垂野君、ですか……?」
「っ!?い、一条先輩!?」
依代の口調を真似てやると、扉の外から取り乱した声が聞こえてきた。
「はい……目が覚めたら、閉じ込められていたのですが……ここは、どこなのでしょうか?」
「……海沿いの、廃倉庫です。それよりも、体調は大丈夫なんですか?」
男は、すぐに依代の身を案ずる言葉を口にした。
「あ……はい。少し目眩はしますが……大丈夫です」
「……そうですか」
問いに答えると、扉の外からは安堵した声が聞こえてきた。
こちらのことは、微塵も疑っていないようだ。
これならば、今夜あの男を騙すのも、容易だろう。
「あ、あの、垂野君……ここから出るには、どうすれば良いのでしょうか?」
「それは……」
再び言葉をかけてやると、男は言葉を詰まらせて黙り込んだ。
やはり、こいつの一存では、結界は解けないか。
まあ、当然と言えば当然の話だ。
もとより、本気で外に出られるとは考えていなかったから、まあ、よしとしよう。
しかし、退屈なことは変わらないから……少し、からかってやるとするか。
「垂野君、すみません……私が、巻き込んでしまったんですね……」
「っ違いますよ!別に、一条先輩が悪いわけではないです!」
……ほう、この依代に呪いをかけられたというのに、中々に健気なことを言うではないか。
「でも……こんな所に閉じ込められているのですから、私が悪いに決まっています……」
「ああ、もう!ウジウジしたことを言わないでください!ともかく、目が覚めたのなら、すぐに烏ノ森マネージャーに報告してください!同じ場所にいるはずですから!」
ふむ、どうやらあの女に事情を伝えて、ここから出すように取り合ってくれるようだな。
しかし、あの女には、昨日依代のふりを披露してしまったからな……
今、この場に呼んでしまっては、せっかくの暇つぶしが台無しにされそうだ。
「あの、でも、烏ノ森マネージャーは、まだお休みになっているようなので……」
「なに悠長なことを言ってるんですか!?今なら、外に出る許可がおりるかもしれないんですよ!?」
「ありがとうございます。でも、もう、いいんです。今外に出たら……また、垂野君を……傷つけてしまうかもしれないですから……」
「……っ」
悲しげな声で返事をしてやると、悔しそうに言葉を詰まらせる声が聞こえてきた。
依代はこいつのことを煩わしいとしか思っていないのに、哀れなものだな。
「……なら、何かして欲しいことはありませんか?僕に出来ることならば、何だってしますから」
同情していると、扉の外からまたしても健気な言葉が聞こえて来た。
この健気さを常時出していれば、依代の気も引けただろうに……覆水盆に返らずを体現したようなやつだな。
まあ、良い。
あまりにも哀れなことだし、手駒として使ってやるのも悪くないか。
「……本当に、どんなこと、でも、してくれるのですか?」
「……はい」
問い返してみると、男は戸惑いながらも返事をした。
殊勝なことではあるが、一体何をさせるか……
ああ、そうだ。
それなら、もう一人の手駒候補と命がけで手合わせでもしてもらうか。
複数の手駒を使うよりも、蠱毒よろしく生き残った優秀な手駒を使う方が、効率もよかろう。
きっと、こいつも、依代のためなら嬉々として手を血に染めるに違いないのだから。
「それならば、葉河……」
ふざけたことを言わないでください!
「っ!?ケホッ……ケホッ!?」
「い、一条先輩!?どうしたんですか!?」
手駒への名を口にした途端、依代の声が頭に響き、喉が締め付けられるように息が苦しくなった。
私と貴女の区別がつくかどうか確かめるまでは、葉河瀨さんを巻き込まない約束ですよね!?
頭の中に、再び依代の声が響く。
「……ふふふ、まだ、そんな口をたたく余裕があったとはな」
「……一条、先、輩……そこにいるのは、一条先輩ですよね?」
依代のしぶとさに感心し声をこぼしてしまうと、扉の外から戸惑った声が聞こえた。
どうやら、不信感をもたれてしまったようだ。
依代のふりも、ここまでか。
さて、これからどう声をかけてやったものか……
扉の外にいる男への返事を考えていると、背後から足音が聞こえて来た。
振り返ると、案の定、あの女がこちらに近づいてきていた。
「一体何をしているのかしら?」
女は不機嫌そうな表情を浮かべながら、そう問いかけた。
しかし、昨日と比べて更に憔悴した顔をしている。
これなら、ここで仕留めることも出来そうだが……焦ることもないか。
「なに、恋に破れた哀れな男に、少し甘い夢を見させてやっていただけさ」
「……え?あ、あの、一条先輩?」
女の問いに答えると、扉の外から先ほどより更に戸惑った声が聞こえた。
ここまで声に感情が出ると、聞いていて中々に面白いな。
感心していると、女は煩わしそうな表情を浮かべて、深くため息を吐いた。
「相変わらず、悪趣味なのね。垂野君、そこにいるのかしら?」
女は私に向かって悪態をつくと、扉の外へ声をかけた。
「は、はい。あの、烏ノ森マネージャー、一条先輩は、目覚めた……のですよね?」
扉の外からは、未練がましい男の声が響いた。
すると、女は再び深いため息を吐いた。
「さっきの彼女の言葉を聞いて、なぜそんな質問が出るか理解しかねるけど……ともかく、答えはいいえよ。ここにいるのは、一条さんじゃないわ」
「……そう、ですか」
女が淡々と事情を説明すると、扉の外からは意気消沈した男の声が響いた。
「そんなに残念がらずとも、私ならあの依代やこの女より、お前を可愛がってやれるぞ?」
声をかけてやると、扉の外から、え、という戸惑いに満ちた声が聞こえた。
ふむ、悪い気はしていないようなら、もう少し声をかけてやろうか。
そう考えた途端、女がクマが色濃く浮かび上がった目で、こちらを睨みつけた。
「貴女は、少し黙っていなさい。垂野君、それよりも、私と貴方宛に、川瀬社長からのメールが来ていたようだけど、確認はしたのかしら?」
「え、メ、メールです、か……えーと、あ」
男の声を聞くと、女は深くため息を吐いた。
「どうやら、気がついていなかったようね。まあ、良いわ。受信したのは十分前だから、確認してそこに掻いてある物を至急用意してちょうだい」
「は、はい!かしこまりました!」
男はそう言うと、足音を立てながらどこかに去っていった。
せっかく、いい暇つぶしになっていたというのに、つまらないな……
「そう不服そうな顔をしないでちょうだい。せっかく、貴女ににあう着物を用意するという話になっているのだから」
不満に思っていると、女は意外な言葉を口にした。
「衣だと?なぜ、私に?」
「さあ?川瀬社長曰く、せっかくだから、ということらしいけど、何がせっかくなのかは私にも分からないわ?」
女はそう言うと、呆れたようにため息をついた。
川瀬というと……あの川獺か……
いち早く私のことに気づいていた様子だったが……
一体、何を企んでいるというのだろうか?




