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宴の場・その三

 日神君から意外な発言があったことにより、部屋の中はざわついていた。そんな中、葉河瀨部長は取り乱すことなく、真剣な表情を浮かべて、グラスに入ったビールを一口飲んだ。


「呪いを解くのは愛、か……日神、お前たまに良いこと言うよな」


 葉河瀨部長が茶化す様子もなくそう言うと、日神君は穏やかな微笑みを浮かべた。


「まあ、課長だからな」


 日神君がまるで山口課長のような言葉を返すと、葉河瀨部長は、そうか、と小さく相槌を打った。


「俺も一応は部長だし、少しはお前を見習ってしっかりしないとな」


「そんなに自分を卑下することないだろ。お前だって、働きながら博士号を取ったり、お前以上に変人だった先代部長と製品開発部を切り盛りしたりしていたし……部長になってからも部下の性質に合わせて仕事を振っているし、乱心や社長の思いつきがないかぎり営業部うちのことを考慮して仕事を進めてくれているし……」


 日神君はそこで言葉を止めると、穏やかな表情のまま、コップに僅かに残っていた日本酒を口にした。


「そんな凄いことができる人間なんだから、今回だって必ず上手くいくさ」


「……ありがとうな。お前にそう言われると、本当に心強い」


 日神君の言葉に、葉河瀨部長も薄く微笑んだ。

 うん、会社を担っていく中堅社員がお互いを信頼しているのは、とても素晴らしいことだと思うんだけど……


「あの、いい話になってるところ、すみません。葉河瀨部長……日神課長は一体どうしちゃったんすか?」


 ……多分この場の全員が疑問に思っていたことを早川君が声に出して質問してくれた。途端に、葉河瀨部長と日神君以外の全員が、コクコクと頷く。

 戸惑う僕たちをよそに、葉河瀨部長はキョトンとした表情を浮かべた。


「一体どうしたといわれても……ああ、そうか」


 葉河瀨部長は何かに気づいたようにそう言うと、最近めっきり見ることが少なくなった、バスガイドさんのようなポーズで日神君を指した。


「こちら、泥酔した日神となっております」


「え……で、泥酔!?」


 あまりに意外な言葉に、思わず声を上げてしまった。

 普通、泥酔っていうと、目が据わって顔が赤くなって呂律が回らなくなると思うんだけど……日神君の顔色はむしろいつもより白いくらいだし、口調もハッキリしている。信じられないけど、言われてみれば日神君が酔ったところは見たことがないかも……接待や会社の飲み会でも、日神君は相手に飲ませることに終始していたから。


「はい。このように、いつになく爽やかになるし、いっぱい褒めてくれるので、結婚する前はときおり泥酔させていました」


「葉河瀨、さっきから何を言っているんだ?まだ泥酔なんて、していないぞ。たしかに、多少は酔っているけれども」


 戸惑っていると、葉河瀨部長が説明を続け、日神君がとてもハッキリとした口調で反論をした。傍目からだと、日神君が言っていることが正しいように思えるけど……


「そうか、なら日神、早川と吉田のことをどう思っている?」


 疑っていると、葉河瀨部長が日神君に話を振った。途端に、名前が出された早川君と吉田が肩を震わせる。


「ああ。早川は一見すると無理な目標設定を与えても最終的に達成させるし、自分のミスは素直に認めて自主的に対策を採るし、今まで関わったことのない業界に営業にいくときは必ず綿密な業界研究をするし、社内でのコミュニケーションもおろそかにしないし……なにより、上長が間違ったことをすれば、臆することなくぶつかっていくことができるし、自慢の部下だな」


「あ、え、えっと、どうもっす……」


 日神君がかなり的確に褒めると、早川君はしどろもどろになりながら俯いてしまった。


「吉田は、与えた目標をいつも着実に達成させるし、新規顧客の獲得数は早川に及ばないけれども関わった取引先を必ずリピーターにする力があるし、自道化役を買ってでても目的を達成する強さがあるし、物事の裏側まで見極めようとする冷静さをもっているし……見ていて少し心配になるくらい、頼りになる部下だ。ただ、大変なときは、いつだって、月見野部長や俺や早川を頼っていいんだからな」


「は、はい、どうも、ありがとうございます……」


 日神君が再びにこやかな表情で的確に褒めると、吉田もタジタジとしながら俯いてしまった。


「……とこのように、泥酔した日神は、大変威力のある仕上がりとなっております」


「だから葉河瀨、泥酔はしていないと言っているだろ。多少は酔っているけれども」


 再び葉河瀨部長が日神君の状態を説明し、日神君がハッキリとした口調で反論した。

 うん、泥酔しているかどうかの判断はやっぱりつかないけど……なんというか葉河瀨部長の言うとおり、ものすごい威力があるね。


「ひがみん!こうなったら、いつも頑張ってる部下たちを徹底的に褒めるといいなり!」


「そうだね!部下たちのモチベーションを上げるのも、中間管理職の大事なお仕事だよ!」


 山口課長と川瀬社長は日神君の状態に慣れたのか、焚きつけるようなことを口にした。


「たしかに、いつも面倒くさい表現しかしてないんですから、たまには素直に二人を褒めてあげると良いと思います」


「そうね。三輪さんの言うとおり、たまにはひねくれたことを言わずに、部下たちを褒めるのも良いと思うわ」


 続いて、三輪さんと信田部長も、日神君を焚きつける。うん、ちょっと戸惑ったけど、皆の言うとおり、これは良い機会かもしれない。日神君はちょっと皮肉屋っぽいところがあるけど、いつも部下たちのことを気にかけているから。多分、早川君も吉田も、気づいてるとは思うけど。


「うん。たまには心置きなく、部下たちのことを労ってあげると、良いんじゃないかな」


 僕も続くと、日神君はとても楽しそうに目を細めて微笑んだ。


「ええ、そうですね。よし、早川、吉田、今日は自分でも気づいていないような長所を教えるから、今後の参考にするといい」


 日神君がそう言うと、早川君と吉田が揃って身を震わせた。


「い、いえ!なんというか、その、いたたまれないので、勘弁していただけるとありがたいっす!」


 早川君の言葉に、日神君は淋しそうな表情を浮かべた。


「そうか、迷惑だったか……すまなかったな、早川」


「あ、いえ、別にそう言うわけではないっすけど……ほ、ほら、日神課長も明日は重大な任務を任されてるんすから、酔っているならもう寝た方がいいっすよ。な、吉田!」


 早川君がまたしてもしどろもどろにながら話を振ると、吉田が高速でコクコクと頷いた。


「そ、そうですよ!日神課長はいつも私たちのことを気にかけてくださっているので、疲れることも多いでしょうから、今日はゆっくりとお休みになってください!」


 早川君に続いて吉田が説得するように言葉をかけると、日神君は穏やかな微笑みを浮かべた。


「そうか。じゃあ、お言葉に甘えて、先に休ませてもらうことにするよ。上司思いの優秀な部下が二人もいるのだから、俺は幸せだな」


 日神君がそう言いながら立ち上がると、早川君と吉田は曖昧な笑みを浮かべた。


「じゃあ、葉河瀨もあまり遅くならないうちに休めよ。明日の件は、なんとしても成功させるんだからな」


「ああ。そうするよ。じゃあ、お疲れ日神」


 葉河瀨部長が答えると、日神君は上機嫌な表情を浮かべて、少しもフラつくことなく廊下へと出ていった。すると、ほぼ同時に、玄関からチャイムの音が響いた。それから、玄関の方向に向かう足音と扉が開いて閉まる音が響き、バタバタという慌ただしい足音が近づき、襖が勢いよく開くと……


「葉河瀨部長、皆様、遅くなって申し訳わけございません!それと、緊急事態が発生いたしました!」


「なんか、日神課長が出迎えてくれたと思ったら、急に爽やかな表情でめっちゃ俺たちを褒めてくれて、そのまま倒れるように寝ちゃいました!すみません、二人とも手が塞がってたから、受け止められませんでした!」


 ……慌てた表情の助川君と手賀沼君が現れた。助川君は大きなトランクを抱え、手賀沼君は葉河瀨部長の身長くらいありそうな袋を抱えている。たしかに、これだと日神君を受け止めるのは難しいか。頭をぶつけたりしてないといいけど……


「まったく、世話の焼ける義理の息子なりねー」


 心配していると、山口課長が頭を掻きながら立ち上がった。


「ちょっと寝床に放り込んでくるから、助手コンビはゆっくりするといいなり」


 山口課長がウインクをしながら声をかけると、助川君と手賀沼君は同時に深々と頭を下げた。


「ありがとうございます!山口課長!」


「ありがとうございます!さっすが、ウルトラミラクルエキセントリックな山口課長!」


 助川君と手賀沼君が続けて声をかけると、山口課長は得意げな表情を浮かべて、まぁね、と呟いた。そして、上機嫌に鼻歌を歌いながら、部屋を出ていった。


「二人とも、お疲れ」


 山口課長が部屋を出ると、葉河瀨部長が二人に向かって声をかけた。


「お疲れ様です、葉河瀨部長。明日使用する物、完成いたしました。遅くなって申し訳ございません」


「昨日葉河瀨部長からいただいた追加依頼にも、ちゃんと対応したので安心してください!」


 助川君と手賀沼君がそう言うと、葉河瀨部長は穏やかに微笑んだ。


「ああ、ありがとう、助かったよ。二人とも、昨日から寝てないだろうから、今日は早めに休んでおくといい」


 葉河瀨部長が声をかけると、助川君がクマがクッキリとできた顔に凜々しい表情を浮かべた。


「いえ!部下としては、尊敬する葉河瀨部長より先に休むわけにはいきません!葉河瀨部長が緊張でお休みになれないというのであれば、俺もご一緒いたします!」


「助川っちがそういうなら、俺もつきあうよ!二徹くらいなら、なんてことないですから!」


 助川君の言葉に手賀沼君が続くと、葉河瀨部長は困惑した表情で頬を掻いた。うん、部下から尊敬されるのは嬉しいことだろうけど、ここまでくるとちょっと困ってしまうかもね……


「ハカセー!客間に人数分の布団用意してあるし、風呂場に新品の下着と寝間着も用意してあるなりよ!助手コンビの睡眠時間を確保するためにも、今日はもう風呂に入って寝るといいなり!」


 葉河瀨部長に同情していると、襖の向こうから山口課長の声と、何かをズルズルと引きずる音が響いてきた。


「あー、じゃあ、そうするから、お前らも適当な時間にちゃんと休めよ」


「はっ!かしこまりました!」


「了解でーす!」


 葉河瀨部長が声をかけると、助川君と手賀沼君は揃って敬礼をした。葉河瀨部長は薄く苦笑いを浮かべると、僕と早川君に顔を向けた。


「月見野部長、早川、打ち合わせは夜が明けてから、ということで……」


「うん。今日はお酒も入っているし、そうしよう。ゆっくり休んでね」


 僕が答えると、早川君もペコリと頭を下げた。


「了解っす!おやすみなさい、葉河瀨部長!」


 早川君が声をかけると、葉河瀨部長は、ああ、と小さく返事をした。それから、席を立つと部屋を出ていった。


 結局、明日についての打ち合わせはできなかったけど、部下の意外な一面を知れたのは良かった……のかな? 

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