飾り言葉
朝のミーティングの後は、各自通常の業務に戻った。内心気が気じゃなかったけど、勤め人である以上、普段の仕事を放っておくわけにもいかないからね。そんなわけで、お客様との打ち合わせを終わらせて、駅のホームで電車を待っている。終業時間を過ぎているから、このまま山口課長の家に向かわせてもらおう。えーと、たしか地図は山口課長から送ってもらって……
「お疲れ様です」
携帯電話を開いてメールを確認していると、背後から抑揚のない声が聞こえた。驚いて振り返ると、薄手のコートを羽織って、肩に鞄をかけた葉河瀨部長が立っていた。
「お疲れ様。葉河瀨君も、今から山口課長の家に向かうの?」
「ええ。助川と手賀沼の手伝いしようと思ったのですが、二人に追い出されてしまったので」
葉河瀨部長はそう言うと、凄く淋しそうな表情を浮かべた。
「そ、そうなんだ。でも、ほら、二人とも葉河瀨君に無理をさせたくなかったから、じゃないかな?明日は、大仕事が待っているんだし」
「そうですね」
フォローをすると、葉河瀨部長は抑揚のない声で相槌を打った。
しまった、これは無神経な発言だった。葉河瀨部長にとって、今回の件は大仕事どころの話じゃないよね……
社長の話だと、どんな方法を使うかは分からないけど、一条さんにはここ一週間のことを忘れてもらうことになる。葉河瀨部長はそれでも構わないと言っていたけど……
「心配は無用です。もう、決めたことですから」
葉河瀨部長は僕の心を読んだかのように、抑揚のない声でそう言い放った。
「それよりも、月見野さんは大丈夫なんですか?あの烏ノ森マネージャーが相手なんでしょう?」
「あ、うん。そうだね」
どこか刺々しい葉河瀨部長の問いかけに、曖昧に答えた。あの二人は、折り合いが良くないみたいだから、話題が出るときは刺々しい声になるのは、仕方がないか。
「瘴気とかいうのを月見野さんにぶつけるって話でしたが、どさくさに紛れてこちら側に危害を加えるつもりだったりしないんですかね」
これは、なかなか、手厳しい意見だね。まあ、折り合いが悪い相手に対しての意見だから、仕方がないか。
「あー、うん。葉河瀨君が心配する気持ちも分かるよ。でも、そんなことには、ならないよ」
やんわりと京子についてフォローを入れると、葉河瀨部長は眉を軽く顰めた。
「そう言い切るということは、なにか根拠でもあるんですか?」
「うん。まあ、根拠というか……一度は一緒に生活していた相手だから、そんなことはしないと信じたいっていう願望から、言い切ったかんじかな」
「……一緒に、生活していた?」
僕の言葉に、葉河瀨部長は怪訝そうな表情を浮かべた。僕と京子の関係を知っているのは、川瀬社長、信田部長、山口課長、日神君の四人だけだから、そんな表情にもなるよね。
「うん。ずっと昔に、結婚していたんだ。子供も授かったんだけど、僕が至らなかったせいで、残念な結果になってしまってね。それから、京子のことも傷つけてしまって、結局別々の道を歩むことになったんだ」
「そう、だったんですか……」
「そうなんだ。そのせいで、京子も僕も、一条さんに子供を重ねてしまってね。特に、京子はいつも側にいたから、心配のあまり、厳しいことをいってしまってたようだね」
「……そう、ですか」
葉河瀨部長が相槌を打った途端、ホームに電車の到着を告げるアナウンスが響いた。そして、二人で電車に乗り込んだ。
それから、会話が途切れてしまい、電車が山口課長宅の最寄り駅に到着するまで、何となく気まずい沈黙が続いた。
「……さっきの話ですが、一条さんにも話したんですか?」
電車を降りるタイミングで、沈黙を打ち破るように、葉河瀨部長がそう問いかけた。
「……うん。だから、一条さんの気持ちには応えることができない、とハッキリ伝えたんだ」
一条さんを丑の刻参りから解放するには、そのことを伝えるしかないと思ったから。
……でも、結局のところ、それが一条さんが鬼になってしまう引き金になってしまった。
我ながら、いつも大事なところで、選択を間違えているね。
「気を落とさないでください。今回の件、引き金を引いてしまったのは、月見野さんではなく、俺の方ですから」
落胆していると、葉河瀨部長は抑揚のない声が耳に入った。え?引き金を引いてしまったっていうのは……
「一昨昨日、一条さんに自分の想いを伝えました。月見野さんのことを想っているのは知っているけれどそれでも構わない、と」
「そうだったんだね」
僕が相づちを打つと、葉河瀨部長はコクリと頷いた。それから、苦々しい表情を浮かべた。
「……自分に想いを寄せている人間がいると伝えることで、彼女を危険なことから遠ざけたかったんですがね。ただ、逆効果になってしまったようです」
「逆効果?」
「ええ。一条さんの月見野さんを想う気持ちを知ったうえで嘘の告白をしてからかっていた、と思われてしまいました」
葉河瀨部長はそこで言葉を止めると、どこか遠くを見ながら、力なく微笑んだ。
「身体に負担がかかって正常な判断ができるような状態ではなかったのに、俺の言葉で一条さんを不用意に混乱させてしまった。その結果、彼女をより危険な目に遭わせてしまった。だから……」
葉河瀨部長は、そこで軽く息を吸い込んだ。
「一条さんを救い出したら、その後は……もう彼女には関わらないようにします」
「葉河瀨君……」
本当にそれでいいの?
そう聞こうとしたけど、喉の辺りで言葉が止まってしまった。葉河瀨部長は、血が滲むくらいに、右手を握りしめていた。
本当にそれでいい、なんて思って心から思えるわけ、ないじゃないか……
「……失礼しました。ともかく、今は、フェーズ2と言うのを成功させることだけに、意識を向けるようにします」
心配していると、葉河瀨部長は右手を軽くふるって、話題を変えた。
「……うん、そうだね。僕も全力を尽くすよ」
僕がそう言うと、葉河瀨部長も薄く微笑んで、軽く頷いた。
「ええ、お互い全力を尽くしましょう」
葉河瀨部長の声も表情も、非常に穏やかに見えた。ただ、どこか危うさを含んでいるようにも見える。この表情は、夏頃の日神君に似ている気がする……
「葉河瀨君、ただね……命を落としてでも、一条さんを助け出すっていうのは無しだからね?」
僕の言葉に、葉河瀨部長はギクリとした表情を浮かべた。ああ、やっぱりそんなことを考えていたのか。葉河瀨部長くらいの年代の子は、真面目でいい子が多いんだけど、思い詰めてしまうことも多いからね。
「一条さんはここ一週間のことを忘れてしまうことになるし、葉河瀨君が自分を責めてしまう気持ちも分かるけど……生きていれば、色んなことがひっくり返って皆でハッピーエンドを迎える、なんてことだって起きる……いや、そうなるように僕も協力するから」
根拠のない気休めの言葉だというのは、分かっている。でも、自暴自棄になっている子を放っておくわけにはいかない。本当に命がけの仕事が待っているときは、特に。
必死になっていると、葉河瀨部長はぷっと吹き出した。
「ははははは!そうですね、月見野さんにそう言っていただけると、心強いです!」
「……ひょとして、ちょっと馬鹿にしてる?」
あまりに楽しそうな顔で笑われてしまったため、おもわず不服そうに尋ねてしまった。
「いえ、すみません、そうじゃないですよ」
葉河瀨部長は、そう言いながらポケットからタオルをとりだし、薄ら涙がにじんでいた目尻を拭った。
「月見野さんがそう言ってなにかことを起こすと、本当にゴタゴタが良い方向に向かっていくんで、心強いなと」
……葉河瀨部長が言っているのは、早川君が営業部に復帰した件と、日神君が休職後に無事に営業部に戻ってきたことを言っているんだろう。たしかに、あの時も早川君に営業部の問題を話したり、休職中の日神君のところに話を聞きに行ったりしたけど……
「別に、あの件達は、僕が積極的に何かをしたわけではないんだけどね……」
「それでも、まあ、なんというかジンクスみたいなものですよ。少し、気が楽になりました」
葉河瀨部長はそう言うと、穏やかに微笑んだ。
うん、少しでも気が晴れてくれたなら、良かった。
「そう言ってもらえるなら、良かったよ」
「ええ、ありがとうございます」
そんな会話をしているうちに、山口課長の家の前まで辿り着いていた。家のなからは、ザワザワとした話し声が聞こえてくる。どうやら、皆はもう集まっているみたいだね。
まだ不安なことが多いけど……今は決起集会というのを楽しむことにしようかな。




