こうすれば
烏ノ森マネージャーから許可を得て、会社を早退し、駅ビルに入っている書店まで来たのですが……
「この本屋の品揃えはなっていないと思わないか!?」
「……はあ、さようでございますか」
……なぜか、近くにいたら年配の男性から、本の品揃えに対する感想について、同意を求められています。
「そうだろう!?まったく、近頃の本屋ときたら嘆かわしい。そもそも、本屋というものは……」
適当に聞き流していたのですが、男性は書店に対する持論をまくしたて、言葉を止めるつもりはないようです。思い入れが強いものがあるのは結構なのですが、そろそろ面倒になってきましたね。
「おい!?なんだ、その目は!?」
思わず冷ややかな視線を送ってしまっていたらしく、年配の男性は激昂してしまいました。とてつもなく、煩わしいです。
あれ?そういえば、つい最近も似たようなことがあったような……
一条さんが無事で良かったです
……そうだ、葉河瀨さんに助けていただいたんでしたね。あのときは、それで事なきを得ましたが、同じことは望めないでしょうね。この時間なら、お仕事中でしょうから。
それに、月見野様への想いを断たれた私を嘲笑う、という目的をほぼ達成したのですから、今更優しくして私に取り入る必要もないですしね。
「おい!?馬鹿にしているのか!?」
物思いに耽っていると、男性は激昂したまま手を振り上げました。
ああ、まったく、本当に……
「……煩わしいですね」
「は?……うわぁ!?」
男性に向かって侮蔑の目を向けると、側にあった本棚から無数の本が降り注ぎました。
きっと、この方は私が口答えをしないタイプの人間だと思ったから、声をかけてきたのでしょうね。それが、このざまなのですから、いい気味です。
……先日も葉河瀨さんに助けられる前に、こうすれば良かったのかもしれませんね。でも、あのときはお詣りが完遂していなかったから、ここまでのことはできなかったかもしれませんが。
「ぐぇっ……」
感慨に耽りながら眺めていると、男性は後頭部に厚い本を受け、汚らしい悲鳴を上げて黙り込みました。みたところ、呼吸はしているようですし、放っておきましょう。さて、目当てのガイドブックも見つかったことですから、レジに向かわないと。
「お、お客様!?」
レジに向かおうとしたところ、騒がしい音を聞きつけたのか、女性の店員さんがこちらに駆け寄ってきました。店員さんは困惑した表情で顔を動かし、私と男性を交互に見ました。
「あ、あの、お客様、これは一体?」
「さあ?よく分かりませんが、そこの本棚が突然崩れて、こうなりました」
「お、お待ちください!!」
問いかけに答えてレジに向かおうとしましたが、なぜか呼び止められてしまいました。
「まだ、なにか?」
問い返すと、店員さんは怯えたような表情を浮かべました。
「あ、あの、こうなった経緯を教えていただきたいのですが……先ほどから、この方とトラブルになっていたようですし」
……まったく、煩わしいことを聞きますね。
「経緯も何も、煩わしいと思ったら、先ほども申し上げたとおり、そこの本棚が突然崩れただけですよ。それに、トラブルになっていたところを見ていたのでしたら、そのときに止めてくだされば良かったじゃないですか?」
「それは……」
問い詰めるように尋ねると、店員さんは目を伏せて口ごもりました。少し、可哀想なことを言ってしまいましたね。あれだけ大声を上げていた相手にわざわざ近寄って、私を助けようとする物好きな方はまずいないですから。
一条さんが無事で良かったです
……また、葉河瀨さんの言葉を思い出してしまいました。でも、あの方が近づいて来たのは、私の滑稽な姿を嘲笑うためだったのですし。あんな言葉、早く忘れてしまわないと。お詣りの効果が、薄れてしまっても嫌ですからね。
「あの……トラブルを止めるために声をかけようとしたのです。でも、お客様がそちらの男性を睨まれたところで、その……お客様の背中から誰かが跳び上がって、本棚の本をそちらの男性に向かって落としたように見えたので……」
嫌なことを思い出していましたが、店員さんの言葉によって我に返りました。
ああ、この方、色々なものが見えてしまう方なのですか。たしかに、技術者としての訓練をつまなくても、生まれつき見えすぎる方もいるらしいですからね。そう思うと、この店員さん以外にも、先ほどの私を見た方がいるかもしれません。
そうなると、面倒ですね……万が一、真木花に連絡がいってしまうと、折角の休暇が台無しになってしまいそうですから。さて、どうしましょうか……
「あの、お客様?」
対応に悩んでいると、店員さんが恐る恐るといった様子で、声をかけてきました。
彼女は、先ほどから何を怯えているのでしょうか?
別に、何か危害を加えたわけでもないのに……
ああ、そうだ。
良いことを、思い着きました。
「すみません、考えごとをしていました」
笑顔で言葉を返すと、店員さんの表情が少しやわらぎました。
「いえ、こちらこそ、変なことを言ってしまい、申し訳ございませんでした」
店員さんはぎこちなく笑うと、深々と頭を下げました。
「いえいえ、お気になさらずに。貴女が見たのは、本当のことですから。だから、しばらく誰にもこのことを話せないようになっていてください」
私の言葉を受けて、店員さんは頭を上げて、不思議そうな表情を浮かべました。
「……え?」
そして、悲鳴を上げる間もなく、本棚からなだれ落ちた本の下に埋もれていきました。
私の側にある本棚以外では、すべて同じようなことが起きたみたいですね。店内のあちこちから、悲鳴やうめき声が聞こえますから。
これで、誰かがすぐに真木花に連絡を入れる、ということは避けられるはずです。
でも、困りました。これでは、ガイドブックを買うどころでなくなってしまいましたね。久しぶりの旅行なのに、どうしましょうか……
ああ、そうだ。わざわざガイドブックを買わなくても、スマートフォンで調べればいいですよね。喫茶店にでも移動して、ゆっくり調べることにしましょうか。
そう思い移動しようとすると、コートのポケットに入れたスマートフォンが震えるのを感じました。取り出してみると、葉河瀨さんからメッセージを受信していました。
……一体、何の用なのでしょうか?
今から、会えますか?
苛立つ気持ちを抑えて、メッセージを開くと短いメッセージが表示されました。
今から、ですか。こちらは、早退をしたので問題ありませんが、葉河瀨さんは大丈夫なのでしょうか?
……いえ、私が気にしても仕方ないですね。それに、予定より早く用を済ませられるなら、私としても好都合です。
葉河瀨さん
お疲れ様です。
会社を早退したので、大丈夫です。
今から、喫茶店に向かうので、そこで合流しましょう。
メッセージを送信すると、すぐに返信メッセージを受信しました。
了解しました。すぐに向かうので、待っていてください。
まるで焦っているように感じますが、何かあったのでしょうか?
……今疑問に思ったところで、答えは出ませんね。お会いしたときに、聞いてみることにしましょうか。
さて、いつまでもここにいても、仕方がありません。駅前の喫茶店に、移動することにしましょう。
それから、騒がしい書店を後にして、喫茶店に移動したわけですが……
「ちょっと!一人なのに、二人掛の席に座るなんて、図々しいと思わないの!?」
「そうよ!まだ若いなら、私達に席を譲りなさいよ!」
……なぜ、こうも煩わしい人々と遭遇してしまうのでしょうか?
折角、旅行先の観光サイトを気分良く眺めていたというのに、二人組の年配の女性に言いがかりをつけられてしまいました。今日は、厄日なのでしょうか……?
まあ、今までも外出先で言いがかりをつけられることは、わりとよくありましたが……
「ねえ、聞いているの!?」
「早く、そこを退きなさい!」
落胆していると、女性達はやかましくわめき立てました。
あーあ、本当に、もう……
「……煩わしくて、仕方がありません」
ため息と共にそう吐き捨てると、照明が割れて、女性達に破片が降り注ぎました。
「きゃぁ!?」
「痛い!痛い!痛い!」
女性達は頭と顔を覆って、悲鳴を上げています。
「ぎゃぁ!」
「おい!?大丈夫か!?」
「痛い……」
「お客様!?お、落ち着いてください」
店内の他の場所からも、悲鳴や困惑した声が聞こえ始めました。どうやら、照明だけでなく、あらゆるガラス製品や陶器が割れてしまったみたいですね。折角ゆっくりしていたのに、一気に騒がしくなってしまいました……
それはともかく、この場所で待ち合わせはむずかしそうですね。葉河瀨さんに、待ち合わせ場所を変更すると連絡し……
「一条さん」
連絡を入れようとスマートフォンを取り出すと、聞き覚えのある声が耳に入りました。顔を上げて声をする方を見ると、息を切らした葉河瀨さんの姿が目に入りました。
葉河瀨さんは辺りの惨状を見回すと、不安げな表情を浮かべました。
「……ケガは、ありませんか?」
「……はい。見てのとおり、問題ありません」
私の答えに、葉河瀨さんは穏やかに微笑みました。
「それなら、良かったです」
…… まるで、心のそこから私の無事を喜ぶような、声と表情をしていますね。
私に何かあったら馬鹿にすることすらできないから、無事でいたことを喜んでいるのでしょうか?
だとしたら、本当に良い性格をしていらっしゃいますね。
「さあ、ここにいても仕方ありません。どこか、落ち着ける場所へ行きましょう?」
呆れていると、葉河瀨さんは笑顔のまま、こちらに手を差し伸べました。
……たしかに、私のことを馬鹿にして嘲笑うなら、もう少し静かな場所に行きたいでしょうね。でも、わざわざ馬鹿にされるためだけに、場所を移動するというのも面倒です。
答えあぐねていると、葉河瀨さんの表情が段々と曇っていきました。
馬鹿にしていた相手が言うことを聞かなくて苛立ち始めた、ということなら分かるのです。
それなのに、なぜ……
「そんなに悲しそうな顔をしているのですか?」
「……」
私の問いに、葉河瀨さんは悲しそうな表情のまま、目を伏せました。
一体、何だというのでしょうか……?




