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踊り場

 会議が終わったあと、僕たちは各々の執務室に戻った。川瀬社長からは、指示があるまで通常の業務に専念するように、と言われたけど、気が散ってしまって集中できない。そんなわけで、執務室を抜け出し、階段の踊り場で、京子に電話をかけ続けている。 

 一条さんのことは何かの勘違いだった、そんな言葉が聞けるんじゃないかと、一縷の望みをかけて通話ボタンを押し続ける。それでも、通話が繋がることはなく、長いコール音のあとに聞こえるのは、留守番電話の機械的な案内音声だけだ。この様子だと、何かの間違いなんてことはないみたいだね。

 携帯電話を胸ポケットにしまいながら、言いようのない無力感を覚えた。

 

 僕は、今回も守りたいと思った人たちを守れなかったのか……

 

 落胆していると、上の階から足音が聞こえた。使う社員が少ないから、電話をする場所にこの階段を選んだんだけど、一体誰が来たんだろう?

 疑問に思いながら足音のする方向に目を向けると、葉河瀨部長と目が合った。コートを着て鞄を持っているから、これから外出するみたいだね。

 葉河瀨部長は僕に気づくと、軽く会釈した。


「お疲れ様です」


「お疲れ様、葉河瀨君。これから、外出かな?」


「ええ。客先でトラブルがあったみたいなんで、対応にいってきます」


「そうなんだ。じゃあ、気をつけて行ってきてね」


 僕の言葉に、葉河瀨部長は眠たげな表情で軽く頭を下げた。

 葉河瀨部長の表情は、いつもと変わらないように見える。この様子だと、一条さんの身に起こったことは、まだ知らないんだろう。

 川瀬社長からは、一条さんのことはまだ葉河瀨部長には秘密にしておいて、と言われている。それでも、今黙っていたら、葉河瀨部長は一条さんに二度と会えなくなってしまう。元はと言えば、僕が説得に失敗したからだというのに……

 苦々しい思いでいるうちに、葉河瀨部長は僕の横を通り過ぎた。そして、階段を下りていったけど、何故か途中で足を止めた。一体、どうしたんだろう?


「お気になさらずに。月見野部長に対応を任せると決めたのは、俺ですから」


 不思議に思っていると、葉河瀨部長は振り返らずに、抑揚のない声でそんなことを口にした。

 僕に対応を任せる?

 今、製品開発部とメインで連絡を取り合っているのは、日神君だったはず。

 ということは…… 


「葉河瀨君!ちょっと、待って!」


 必死に声を出したが、葉河瀨部長は振り返らずに、早足で去っていってしまった。

 あれは、確実に一条さんの身に起こったことを知っている反応だ。

 ……川瀬社長からなにも指示がないということは、まだ第一フェーズというのは完了していないのだろう。

 それなら、葉河瀨部長が一条さんに会える可能性は、まだ残っているはずだ。

 一条さんの詳しい状態は分からないけど、葉河瀨部長の真摯な想いが伝われば、まだ……


 希望的観測をしていると、上からドンドンという大きな足音が聞こえた。かなり不機嫌そうな足音だけど、一体誰だろう?

 足音の方に顔を向けると、苦々しい表情を浮かべた早川君の姿が目に入った。早川君は僕に気づくと、しまった、といいたげな表情を浮かべた。


「月見野部長!失礼しました!うるさくしてしまってすみません!」


 そして、すぐに謝罪の言葉を口にして、最敬礼で頭を下げた。


「そんなに謝らなくても、大丈夫だよ。特に誰かと話していたわけでもないし」


 僕の言葉を受けて、早川君はゆっくりと頭を上げた。その顔にはしょげた表情が浮かんでいる。


「早川君、何かイライラしてたみたいだけど、どうしたの?」


 尋ねてみると、早川君はビクッと身を震わせた。それから、苦笑を浮かべて、首元を掻きだした。


「あー、すみません。さっきの会議の内容が、あんまり納得がいかなかったんで、社長に直談判しにいってたんすよ」


 川瀬社長に、直談判?

 一体、なんでまた早川君が?

 疑問に思っていると、早川君は淋しそうな表情を浮かべてため息を吐いた。


「まあ、俺がどうこういう話じゃないってのは、分かってるんですけどね」

 

「あ、いや、ほら、早川君も真木花の案件には関わっていたし、そんなことないんじゃないかな」


 心の中を見透かされたような発言に、思わずしどろもどろになってしまった。しかし、早川君は気にする様子もなく、真剣な表情を浮かべた。


「確かに、烏ノ森マネージャーのおかげでゴタゴタした目に遭うことになったし、一条さんの呪いのせいで脱臼はしましたけど……」


 ……うん。早川君は、丑の刻参りの一件よりも前から、真木花に関わったせいで大変な目に遭っていたからね。あのとき上手くフォローができなかったことにつては、今でも責任を感じている。


「ただ、だからといって、汚名挽回する機会も与えずに、お前ら悪いことしたんだから二度と外に出るな、っていうのは、どうかと思うんすよね」


「早川君、汚名は挽回するものじゃなくて、返上する物だよ」


 本筋に関係のない指摘をすると、早川君はハッとした表情を浮かべた。


「つ、月見野部長!今のは、日神課長には黙っていて下さい!また四字熟語を間違ったって知られたら、今度はどんな説教がくるか……」


「またってことは、前にも何かあったんだね……うん、でも大丈夫だよ。間違いだと分かったんなら、次から同じことをしないように気をつければいいだけだから」


 フォローをすると、早川君は目を輝かせながら、胸の辺りで手を握りしめた。


「そうっすよね!だから、今回の件も、もっと他に解決方法があるんじゃないか、って社長に言いにいったんすよ!」


「えーと、それは一人で?」


「はい!その通りっす!」


 早川君は真っ直ぐな表情を浮かべて、大きく頷いた。川瀬社長は普段はおどけているけど、どこか言い知れない怖さがある方なのに、物怖じせず一人で向かっていったのか……

 

「それなのに、早川ちゃんの言いたいことは分かってるから、とか、今はこれ以上の対応はできない、とか言うばっかりだったんすよ。それでも食い下がってみたら、いいから今は大人しくしててよ、って言いながら、ふくれっ面でそっぽを向いて、それ以上なにも話してくれなくなったんす」


 早川君はそう言いながら、不服そうに唇を尖らせた。うん、たとえ無下にされてしまったとしても、京子と一条さんのために抗議してくれたのは、嬉しいことだね。

 ……ん?


「早川君、川瀬社長は、()()これ以上の対応はできない、って言ったの?」


 川瀬社長がしたという発言が気になり確認してみると、早川君は呆気にとられたような表情を浮かべた。


「へ?あ、はい。そうっすよ。さっき聞いてきたばっかりなんで、間違いはないはずっす」


「そうなんだね……」


 川瀬社長の発言に、()()という言葉があったということは、まだ全てを諦めるのは、早いのかもしれない。

 そうだ、京子と一条さんを一緒に封印するところまでが、第一フェーズなら、第二フェーズ以降は……

 社長の計画について推測していると、カツカツという足音が上の方から聞こえて来た。早川君とともに顔を向けると、そこには信田部長の姿があった。

 信田部長は僕たちに目を向けると、小さくため息を吐いた。


「月見野君も、早川も、踊り場で話し込んだら、他の社員の迷惑になるでしょ?」


「失礼いたしました、信田部長」

「部長!失礼いたしました!」


 呆れた表情を浮かべる信田部長に向かって、早川君とほぼ同時に頭を下げた。すると、信田部長は小さくため息をついた。


「まあ、落ち着かないのは分かるけど、今は大人しく自分の業務に戻っていなさい。これから、忙しくなるのだから」


「了解っす!部長!じゃあ、俺はこの辺で!」


 信田部長の言葉を受けて、早川君はお辞儀をしてから階段を駆け下り、執務室の方向へ向かっていった。


「じゃあ、僕もこの辺で」


「あ、月見野君はちょっと待ってもらえる?」


 早川君に続こうと思ったところ、引き留められてしまった。


「はい、なんでしょうか?」


 身構えながら尋ねると、信田部長は軽くため息を吐いた。


「そんなに身構えなくても、大丈夫よ。ただ、ちょっと日神と一緒に、会議室に来て欲しいの」


「日神君をですか?構いませんが、何故?」


 僕の問いかけに、信田部長は口の端を吊り上げて、ニヤリと笑った。

 この笑顔が出たあとに、こちらにとって悪いことが起こることはめったにない。ただ……


「ちょっと、第二フェーズについての打ち合わせをしたいだけよ。無理強いはしないけど、どうする?」

 

 ……うん、やっぱり相当厄介な仕事が発生するみたいだね。

 それでも、事態が好転する可能性があるなら、断ることなんてできない。


「かしこまりました。では、すぐに向かいます」


「そう、それなら良かったわ」


 僕の答えに、信田部長は穏やかに微笑んだ。

 今からでもできることがあるなら、全力を尽くすことにしよう。

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