説得の場
社長から、京子と連絡を取りたい、という依頼を受けて、一旦役員会議室を後にした。それから、京子にメールを送り、川瀬社長が話をしたがっている旨と連絡先を伝えた。多分、京子のことだから、なんだかんだで連絡をしてくれると思いたい。
それにしても、日神君からの話だと、状況はあまりよろしくないみたいだね。
せめて、真木花とのイザコザだけでも、川瀬社長と山本社長の打ち合わせで決着してくれるといいんだけどな……
「あ、葉河瀨部長!お疲れ様っす!」
「ああ、お疲れ」
ため息を吐いていると、後ろから早川君と葉河瀨部長の声が聞こえた。振り返ると、エレベーターホールに佇む二人の姿が目に入った。葉河瀨部長は相変わらず眠たげな表情をしているけど、怪我をしたり体調が悪そうにしたりはしていない。よかった、あれから山本社長の襲来はなかったみたいだね。
安心していると、葉河瀨部長と早川君は僕に気づき、軽く頭を下げた。
「お疲れ様、葉河瀨君。あれから、問題はなかったみたいだね?」
近づきながら声をかけると、葉河瀨部長は軽く頷いた。
「はい、おかげさまで。ただ、一条さんはかなり体調が悪そうだったので、今日はこれ以上接触しない方がいいと思いますよ」
葉河瀨部長は抑揚のない声で、欠伸をしながらそう言った。
一条さんの件について、いきなり釘を刺されてしまったね……
「それに、本人も、明日直接月見野さんとお話ししたい、と言ってましたから」
よかった。それなら、説得する場は何とか設けられそうだね。
「それなら、よかったよ。じゃあ、一条さんには連絡を入れておくから」
僕の言葉を受けて、葉河瀨部長は再び軽く頷いた。明日は外出の予定もないから、一条さんの都合がいい時間帯に合わせることにしよう。あとは、一条さんを傷つけずに、説得ができるようにしないとな……
対応方法を考えていると、後ろからガチャリと扉が開く音が聞こえた。振り返ると、役員会議室のから出てくる日神君の姿が目に入った。
「月見野部長、社長がそろそろ打ち合わせに戻ってくるようにと……」
日神君はそこで言葉を止めると、葉河瀨部長に目を向けた。日神君の視線に気づいた葉河瀨部長は、ふいっと顔を背けて、エレベーターの下りボタンを押した。
「じゃあ、俺はタバコを買いに行ってから、業務に戻るので」
うん、戻って来たとき、日神君が葉河瀨部長に対して文句をこぼしていたから、気まずいのは分かるけど……
「……早川、葉河瀨を取り押さえろ」
日神君が、見逃してくれるわけないよね……
「え!?いきなり、なんでっすか!?」
「いいから、さっさとしろ!」
早川君が戸惑っていると、日神君が眉間にしわを寄せて語気を荒らげた。早川君は困惑した表情を浮かべると、葉河瀨部長に対して勢いよく頭を下げた。
「葉河瀨部長、事情はよく分かりませんが、失礼します!」
そして、その言葉とともに、葉河瀨部長を羽交い締めにした。
「うわー、何をするんだー」
破壊締めにされた葉河瀨部長は、抑揚のない声でそう言いながら、ゆっくりとした動きで腕を上下に動かした。
うん、とりあえず、早川君も本気で締め上げているわけじゃないみたいだし、葉河瀨部長も余裕があるみたいだね。でも、これはかなりイザコザしそうだね……
どうしたものかと考えていると、日神君がスタスタとこちらに近づいてきた。そして、葉河瀨部長の前で立ち止まると、鋭い目付きで睨みつけた。
「二人がかりで乱暴をするなんて、酷いわ。俺、泣いちゃうんだから」
葉河瀨部長は抑揚のない声でそう言うと、両手で顔を覆ってとてもわざとらしい泣きまねをしだした。
「え!?いや、俺は、別に乱暴をするつもりはないっすよ!」
葉河瀨部長の様子に、早川君は焦り……
「今はふざけている場合じゃないだろ!」
……日神君は苛立った表情で、怒鳴り声を上げた。
うん、やっぱり、イザコザしちゃったね……
「とりあえず、日神君、一旦落ち着こう?葉河瀨部長も、もう少し事情を教えてくれな……」
「アンタたち!何をエレベーターホールでイザコザしているの!?他の社員の迷惑になるでしょ!」
何とか宥めようとしていると、背後から信田部長の叱責の声が響いた。
振り返ると、信田部長が険しい表情をしながら、腕を組んで仁王立ちをしていた。
「失礼しました……」
「申し訳ございません……」
「すみませんでした……」
早川君、日神君、葉河瀨部長は、声を揃えて謝ると、肩を落としながら信田部長に向かって頭を下げた。
正直、イザコザを収束できるか自信がなかったから、信田部長が来てくれてよかったよ。僕も、あのくらい迫力があれば良いんだけどね……
「分かればいいわ。ハカセ、丁度いいから今から役員会議室に来てくれる?ついでに、早川も」
「かしこまりました」
「了解っす!」
信田部長の呼びかけに、二人は声を合わせ返事をした。信田部長は軽く頷くと、踵を返して役員会議室に戻っていった。ひとまず、打ち合わせに戻ることにしよう。
役員会議室に戻り席に着くと、信田部長がため息を吐きながら葉河瀨部長に顔を向けた。
「それで、ハカセから見て、さっきの一条さんとの打ち合わせはどうだったの?」
「これ以上こちらの社員に対して危害を加えるつもりはない、という言質は取れました。だから、一条さんの件について、これ以上こちらで何かをする必要はないかと」
葉河瀨君が抑揚のない声で答えると、早川君が表情を明るくした。
「そうだったんすか。なら、丑の刻参りの件はこれで、解決っすね!」
これで解決、か。
一条さんの言葉を信じたいところではあるんだけど……
「……葉河瀨。お前、アレを見ても、本気でそう言っているのか?」
僕の考えていた不安を日神君が代わりに口にした。
気に入らないから、という理由。
日神君が見たという、金色の目。
たしかに、これ以上こちら側の誰かが呪われる、ということはないのかもしれない。でも、このまま放っておいていい状況だとは、到底思えない。
「……別に。これ以上、こっちに被害が出ないならそれでいいだろ。腰痛になったことをそんなに、根に持ってるのか?」
「そんなことは言っていない!」
葉河瀨部長が尋ねると、日神君は机を勢いよく叩きながら声を荒らげ……
「……っつ」
……顔を伏せて、腰をさすりだした。
うん、治りかけているとはいっても、腰痛のときに激しい動きをすると、痛みをぶり返したりするよね……
「ねーねー、ハカセ。応接室の照明をいじって、ひがみんを倒したって聞いたけど、何でそんなことしたの?」
日神君の腰を心配していると、川瀬社長がキョトンとした表情で首を傾げた。
「……あのまま放っておいたら、応接室で流血沙汰が起こりそうでしたから」
葉河瀨部長は少し間をおいて、川瀬社長の問いかけに答えた。すると、日神君がゆっくりと顔を上げて、眉を軽く動かした。
「葉河瀨、お前あのとき……」
「え!?酷いっすよ、日神課長!女子相手にそんな酷いことしようとするなんて!」
「そうなりよ、ひがみん!こうなったら後でたまよちゃんに、女の子に無理矢理酷いことしようとした、って言いつけてやるなり★」
日神君の言葉を遮るように、早川君と山口課長が声を上げた。
「人聞きの悪いことを言うな!あと、今、たまよは関係ないでしょう!?」
日神君は即座に二人に顔を向けて、声を荒らげながら反論し……
「……っ」
……再び、顔を伏せて腰をさすった。
机を叩いたときに、本格的に腰痛がぶり返しちゃったみたいだね。打ち合わせが終わったら、行きつけの整骨院を紹介しておこうかな。このままだと、日常の業務も大変そうだからね。連絡先はたしか、携帯電話の電話帳に入っていたかな?
「じゃあさ、ハカセ。ひがみんは、打ち合わせのときに一条ちゃんの目が金色に見えたって言ってたんだけど、ハカセにはどんな感じに見えた?」
現実逃避気味に整骨院の電話番号を思い出していると、川瀬社長の言葉で現実に引き戻された。
「……なぜ、そんなことを聞くのですか?」
「えーとね、ひがみんも異常が見えたなら、ハカセにはどんなふうに見えたのかなって、気になったから」
「……別に、何も見えませんでしたよ」
葉河瀨部長は、目を反らしながら、川瀬社長の質問に答えた。これは、明らかに何かを見たっていう雰囲気だよね……
「ふーん。そうなんだ。じゃあ、この話はおしまいにしよっか!」
訝しんでいると、川瀬社長がそう言いながら笑顔を浮かべた。てっきり、問いただすのかと思ったんだけどな……
困惑していると、信田部長がピクリと眉を動かした。
「社長、いいのですか?」
信田部長の問いかけに、川瀬社長は笑顔のまま頷いた。
「うん!だって、経営者なら社員のことを信頼しないと!ね、ハカセ!」
川瀬社長が声をかけると、葉河瀨部長は無言のまま視線を反らした。川瀬社長は葉河瀨部長の様子を気にすることなく、よっと、と声を出しながら、椅子から飛び降りた。
「じゃあ、このミーティングおしまい!ほらほら、皆、早く業務に戻って戻って!」
川瀬社長が声をかけると、全員困惑した表情を浮かべながらも、席から立ち上がった。たしかに、通常の業務を放っておくわけにもいかないんだけど……
「あ、そうそう、ハカセ。製品開発部の二人って、今忙しい?」
不意に、川瀬社長が、ドアノブに手をかけた葉河瀨部長に声をかけた。
「助川と手賀沼ですか?今のところ、スケジュールに余裕はありますが」
葉河瀨部長が答えると、川瀬社長は満足げな表情を浮かべながら頷いた。
「本当!?なら、ちょっと二人にお願いしたいことがあるから、社長室に来るように伝えておいて!」
「……分かりました」
葉河瀨部長はそう答えると、軽く頭を下げて役員会議室を出て行った。製品開発部にお願いしたいことというと、通称「社長の思いつきシリーズ」の新製品の話なのかな?
「社長、お願いしたいというのは、何なのですか?」
場合によっては営業部のスケジュールにもかなりの影響が出るから、恐る恐る尋ねてみることにした。すると、社長はニッコリと笑って、人差し指を唇に当てた。
「まだ、ひ・み・つ!」
「そ……そうですか」
楽しげな社長の表情に、思わずたじろいでしまった。
これは、かなり厄介な仕事になりそうだね……
せめて、今回の件が落ち着いてからにして欲しいというのが、本音なんだけど……
「今回の件で、必要なことだから」
心の中で弱音を吐いていると、いつの間にか川瀬社長は大人びた表情を浮かべていた。
……何事もなく、全てが丸く収まって欲しい、というのは、もう難しいのかもしれないね。
それでも、一条さんの説得は絶対に成功させよう。




