しいて言うのであれば
エレベーターを降り、葉河瀨さんに案内され、応接室に辿り着きました。
応接室の中には、まだ誰もいないようです。
「今から日神を呼んでくるので、お掛けになってお待ちください」
「あ、ありがとうございます」
お礼を言うと、葉河瀨さんは、いえいえ、と口にして、応接室を出て行きました。
一人になると、緊張がまた高まっていくのを感じます。さっき教えてもらった呼吸法をしていないと、今度こそ過呼吸を起こしてしまうかもしれませんね……
再び葉河瀨さんから教わった呼吸法を繰り返していると、応接室のドアがガチャリと音を立てました。
慌てて立ち上がり顔を向けると、笑顔を浮かべた日神さんの姿が目に入りました。
「お待たせいたしました。一条さん」
「い、いえ、こちらこそ遅くなってしまい、申し訳ございません!」
慌てて頭を下げると、いえいえ、という声が聞こえました。恐る恐る頭を上げると、日神さんは苦笑を浮かべていました。
「こちらも予定外のことが発生して、たった今社に戻ったばかりですから。それよりも、どうぞお掛けになってください」
「あ、はい。ありがとうございます」
日神さんに促されてソファーに腰を下ろすと、隣の席に葉河瀨さんが腰掛けました。日神さんは私達が席に着いたことを確認すると、テーブルを挟んだ向かいの席に浅く腰掛けました。他の方は見当たりませんが、今回の打ち合わせの出席者はこれで全員なのでしょうか?
「一条さん?いかがなさいましたか?」
疑問に思っていると、日神さんが笑顔で軽く首を傾げました。
「あの、本日は他に誰か出席なさるのですか?」
私が質問すると、日神さんは笑顔のまま、ああ、と呟きました。
「いえ、これで全員です。当初、管理部の信田と山口という者も出席する予定だったのですが、社長から緊急の呼び出しがあったようです」
「そうだったんですか」
あの社長さんからの呼び出しだと、断るのは難しそうですものね……
心の中で納得していると、不意に葉河瀨さんがこちらに顔を向けて、薄く微笑みました。
「そう言うわけで、何かあっても二対一ですから、ご安心ください」
葉河瀨さんの言葉に、日神さんがムッとした表情を浮かべました。たしかに、にそちら側につく気はない、と言われているようなものですからね……
「ありがとうございます。でも、あまりご心配なさらないでください……」
私がそう言うと、葉河瀨さんは少し淋しげな表情を浮かべて、そうですか、と呟きました。
気にかけてくださるのはありがたいのですが、私のせいで会社に居づらくなるようなことがあったら、申し訳ないですし……
それに、お詣りの件が私の仕業だと分かったら、優しい葉河瀨さんでも、さすがに擁護はしないでしょうから。
そうなると、先ほどの、二対一、という言葉の意味合いも変わってきますよね……
「それでは、色々とお伺いしたいことがあるのですが、よろしいですか?」
ネガティブなことを考えていると、日神さんの質問で現実に引き戻されました。
「はい、大丈夫です」
色々不安ではありますが、今までのことを説明するためにここに来ているわけですからね。
「ありがとうございます。では、まず御社の垂野さんのことですが……」
垂野君?
そういえば、うたた寝をしてしまったときに、夢に出てきましたが……何かあったのでしょうか?
「垂野が、皆様にご迷惑をお掛けしてしまったのですか?」
私が尋ねると、日神さんは苦笑を浮かべました。
「まあ、多少のイザコザはありましたが、その辺は今の御社と弊社の状況を考えると、仕方のないことですからね」
そうおっしゃっているということは、また性懲りもなく皆様にちょっかいをかけに行ったんですね。そうなると、昨夜のお詣りは失敗だったのでしょうか……
「ただ、そのイザコザの最中に、垂野さんが倒れてしまいましてね」
「倒れた?」
「はい。急に腹痛を起こしたようです」
良かった。
それなら、昨日のお詣りは成功していたんですね。
「……随分と、嬉しそうな顔をなさるのですね」
お詣りが成功していたことに安心していると、日神さんが笑顔を浮かべて軽く首を傾げました。ただ、先ほどの笑顔よりも、威圧感がある気がします。
私の発言によっては、蟲をけしかけられてしまうのでしょうか……
「そりゃ、気に入らない相手が酷い目にあったなら、ざまあ見ろと思うだろ」
不安に思っていると、隣から葉河瀨さんの声が聞こえました。目を向けると、葉河瀨さんは無表情に日神さんを見つめています。
「日神だって、俺がいきなり鼻血だして倒れたら、笑うだろ?」
葉河瀨さんが抑揚のない声で質問すると、日神さんは呆れたような表情で小さくため息を吐きました。
「いや、普通に心配するけれども?」
「えー、嘘だー。この間、作りたてのカルメ焼きで口の中火傷したって言ったら、思いっきり馬鹿にしたじゃないかー」
「あれは、業務時間中にカルメ焼きを作って食べるという、お前の非常識さに呆れただけだ!」
えーと……何か、あらぬ方向でイザコザしているような気が……
それに、業務時間にカルメ焼きを作るというのは……調理器具とかはどうやって用意したのでしょうか?
机の中に、ガスバーナーとかおたまを常備しているとか……
……いえ、今は、葉河瀨さんの机の中身を気にしている場合ではないですね。
「あ、あの、それで垂野はどうなったのですか?」
話を元に戻してみると、日神さんはハッとした表情を浮かべてこちらを向きました。そして、小さく咳払いをすると、再び笑顔を浮かべました。
「失礼いたしました。部下と一緒に病院に運んだのですが、急性虫垂炎を起こしたそうです。幸い、早めに対処したため、手術も必要なく、命にも別状ないとのことでしたよ」
急性虫垂炎というと、俗にいう盲腸というやつですよね。
なんだ……
「……死ななかったんですね、あの子」
思わず呟いてしまうと、日神さんの表情から瞬時に笑みが消えました。
「……そうおっしゃるということは、やはり、貴女が彼に何かなさったのですね?」
やはり、ということは、日神さんは私がお詣りをしていたことに確信を持っているのでしょう。
ならば、隠し立てしても無駄ですよね。
「そうですね。御社の方々に危害を加える、という話をしているのを聞いたので。それに、前々から煩わしいと思っていたので、お詣りの対象にいたしました」
私の言葉に、日神さんは苦々しい表情を浮かべました。
「ならば、貴女が丑の刻参りを行っていたのは、真木花の指示ではないということですか?」
「はい。全て私の独断です。ですから、今後皆様に何かしようとは、思っていません」
正直に答えると、日神さんはため息まじりに、そうですか、と呟きました。蟲をけしかけてくるということはなさそうですが、呆れた表情をしていますね。たしかに、依頼を受けてすらいないのに個人的に技術を使うなんて、技術者としては失格ですから。きっと、葉河瀨さんも呆れているのでしょうね……
そう思って目を向けると、葉河瀨さんは唇をきつく結んで、目を伏せていました。
その表情は、呆れや怒りというよりも、悲しんでいるようにも見えます。
でも、何故、悲しんでいるのでしょうか?
「それでは、何故、私を含めた弊社の人間を呪ったのですか?」
疑問に思っていると、日神さんの声に現実に引き戻されました。
言葉遣いこそ丁寧ですが、こちらに向けられた眼差しは、先ほどよりもずっと鋭くなっています。
「それは……」
月見野様に迷惑を掛けていたから。
そんな言葉が口からこぼれそうになりましたが、咄嗟にこらえました。
もしも、そんな答えを口にして、それが月見野様の耳に入ったりしたら……
あの方は、全て自分のせいだ、とご自分を責めてしまうでしょう。
……これ以上、月見野様にご迷惑をお掛けするわけにはいけません。
でも、どう答えればいいのでしょうか……
「何故、ですか?」
逡巡していると、先ほどよりも強い語調の日神さんの声が聞こえました。
ああ、もう。
全員、命には別状がなかったというのに、一々煩わしいですね……
「しいて言うのであれば、気に入らなかったからですよ」
そう答えると、日神さんは眉を顰めました。
「気に入らない、というのは?」
「言葉どおりですよ。上司に恵まれているというのに、迷惑を掛けたり、反抗的な態度をとったり、茶化したり」
一度理由を口にすると、言葉が滑り出るように止まらなくなりました。
「恵まれた環境にいるというのに、勝手なことをなさっている貴方達が、凄く煩わしかったのですよ。だから、痛い目でも見れば良いと思ったのです」
私の言葉に、日神さんの表情が段々と青ざめていきました。心なしか、薄らと冷や汗も浮かんでいるように見えます。
そんなに、大げさに恐れることもないと思うのですが……
だって……
「……人を呪うのに、気に入らなかった、以外の理由なんて必要ないじゃないですか。でも、大丈夫ですよ、先ほども申し上げたとおり、これ以上貴方達に何かしようとは思っていませんから」
そう伝えると、日神さんは青ざめながらも、こちらを鋭く睨みつけました。
「……あまり、ことを荒立てたくはありませんでしたが、今の貴女をこのまま帰すわけにはいきませんね」
その言葉とともに、カサカサという音がどこからともなく聞こえました。
きっと、蟲をけしかけるつもりなのでしょうね。
でも、蟲くらいなら、少し気色悪くはありますが……
……術者ごとバラバラにするのなんて、容易いことですから。
「一条さん、俺がいいと言うまで、目を閉じていてください」
不意に聞こえた葉河瀨さんの声に、我に返りました。
えーと……私、今何をしていたのでしょうか?
「あ、あの葉河瀨さん?目を閉じろというのは」
「いいから、早く!」
「は、はい!」
葉河瀨さんの剣幕に、思わずきつく目を閉じました。
すると、ピッという小さな電子音が聞こえ……
「うわっ!?」
日神さんの焦った声が聞こえました。
一体何が起こったのか疑問に思っているうちに、手首を強く掴まれました。
「このまま、目を閉じて俺についてきてください」
「は、はい」
葉河瀨さんに言われるがまま、立ち上がって歩き出しました。
「葉河瀨!お前、何した!?」
背後から、日神さんの抗議の声が聞こえますが……本当に何が起きているのでしょうか?
気になりますが、薄めを開けて確認する間もなく、葉河瀨さんは私の手を引いて歩き始めました。
「もう、目を開けていいですよ」
背後からドアが閉まる音が聞こえるとともに、葉河瀨さんの穏やかな声が耳に入りました。
恐る恐る目を開けると、薄く微笑む葉河瀨さんの顔が目に入りました。
「これで、しばらく時間が稼げるので、今のうちに駅まで送りますよ」
「え、えーと、そう言っていただけるのはありがたいのですが……日神さんは大丈夫なのですか?」
私が尋ねると、葉河瀨さんは薄く微笑んだまま、軽く頷きました。
「ええ。少し動いただけで虹色の残像が発生するように、照明をいじっただけですから。ただ、軽い目眩くらいは、起こしていると思いますが」
それは……大丈夫といえるのでしょうか?
日神さんのことを心配していると、パタパタと足音が聞こえました。
「葉河瀨部長!?さっき、応接室の方から悲鳴が聞こえましたけど、一体何が……あ、姫ちゃん!」
不意に名前を呼ばれて振り向くと、驚いた表情をした三輪先輩が目に入りました。
「三輪先輩、お久しぶりです」
「久しぶり!ところで、さっき日神課長の悲鳴が聞こえた気がしたんだけど、何かあったの?」
三輪先輩はそう言うと、困惑した表情で首を傾げました。
「えーと、それは……」
「ああ、三輪さん。日神のやつ、また倒れたから。まずそうなら、救急車を呼んどいて」
答えあぐねていると、私の代わりに葉河瀨さんが三輪先輩の問いに答えました。すると、三輪先輩は落胆した表情で、深くため息を吐きました。
「また倒れたんですか。最近、ことあるごとに倒れますよね、日神課長」
「まあ、日神が倒れるのは、四半期に一回発生する定例イベントみたいなもんだから」
えーと、お二人とも平然となさっていますが……もっと心配しなくていいのでしょうか?
日神さんのことを心配していると、三輪先輩はこちらを見て得意げな表情を浮かべました。
「大丈夫!よくあることだから、姫ちゃんは心配しないで!葉河瀨部長に、駅まで送ってもらいな!」
「そ、そうですか……ならば、お言葉に甘えて……」
私が答えると、三輪先輩は満足げな表情で頷き、葉河瀨さんも薄く微笑みながら頷きました。
ひとまず、駅まで向かうことになりましたが……
月見野様に、おみせやさんの社屋から移動したことを伝えないといけませんね。




