無事でいられれば
おみせやさんに向かう途中に立ち寄ったカフェで、謎の女の子と相席になり、道案内をしてもらうことになりました。一本道なので迷うことはないはずなのですが、お子さんの厚意を無下に断ってしまってはいけないですからね。
女の子は注文したオレンジジュースを半分くらい飲むと、私の顔を見て首を傾げました。
「ところで、お姉さんの名前は、なんていうの?」
そういえば、まだ名乗っていませんでしたね。お子さん相手とはいえ、失礼なことをしてしまいました。
「申し遅れました。私、真木花株式会社の一条姫子と申します」
おみせやさんの関係者のようなので、念のため会社名まで名乗ってみました。すると、女の子は、あからさまに嫌そうな表情を浮かべてしまいました。
「あー、山本の所の……」
そして、落胆しながら弊社の社長の名前を口にしました。
たしかに、就職活動に関する電子掲示板に、ブラック企業の筆頭として社名と社長名が書かれていたこともありますが……まさか、こんなお子さんにまで悪名が知られているなんて。
「すみません。弊社の社長が、何かご迷惑をおかけしていたみたいですね……」
思わず謝ると、女の子は目を見開いてから、首をせわしなく横に振りました。
「ううん!前に喧嘩しちゃっただけだから、一条ちゃんが気にすることじゃないよ!」
喧嘩?
社長はどちらかと言うと、老獪なタイプだと思っていたのですが、こんな小さなお子さんと喧嘩をするなんて……
意外な発言に驚いていると、女の子はふてくされたような表情を浮かべて、ストローを加えました。そして、オレンジジュースにブクブクと息を吹き込んでいます。
保護施設の職員の方が見たら、叱られてしまいそうですね。ここは、私が注意した方がよいのでしょうか?
「私は素直に褒めたつもりだったんだけど、山本は嫌みを言われたと思っちゃったらしいんだ。いい加減に仲直りしたくて色々してたんだけど、なかなか許してくれなくてさー」
お行儀について対処に悩んでいると、女の子はストローを口から放して、面倒くさそうな声を出しました。たしかに、いい大人がお子さんの発言をいつまでも根に持つのは、面倒くさいですよね……
「それは、災難でしたね……」
境遇に同情していると、女の子は面倒くさそうな声のまま、まあねー、と返事をしました。
「ことあるごとに、私とかうちの社員の命を狙ってくるからさー、いい加減にしてほしくてねー」
たしかに、命まで狙われたら、いい加減にしてほしくもなりますよね。
……え?
「い、命を狙われている!?」
思わず大きな声を上げてしまい、周囲の客席から注目を浴びてしまいました。
慌てて両隣の席に向かって頭を下げていると、女の子は平然とした表情で、そうだよ、と言い放ちました。
「私は割とそういうのに慣れてるけど、社員の皆まで巻き込むのはちょっとねー」
女の子はそう言うと、残りのオレンジジュースを飲み始めました。
ちょうど、お願いしたい仕事もあるし。
不意に、今朝電話で聞いた社長の言葉を思い出しました。
依頼したい仕事というのは、この子をお詣りの対象にしろ、ということなのでしょうか?
技術者の仕事としてお詣りをする際には、私情を捨てるようにとは家族からも言われていましたが……
こんな、小さなお子さんをお詣りの対象になんて、したくありません。
……やはり、今夜は社長をお詣りの対象にしなくてはいけないですね。
絶対に、失敗しないようにしないと。
「一条ちゃん」
今夜のお詣りについて決意を新たにしていると、女の子の声で我に返りました。目を向けると、女の子は真剣な目付きでこちらを見つめています。真剣というよりも、どこか怖いような気さえしますね……
表情にたじろいでいると、女の子はゆっくりと口を開きました。
「それ以上は、戻れなくなるよ」
そして、落ち着いた口調で、含みのある発言を口にしました。
それ以上、とはどういうことなのでしょうか?
私が、お詣りを続けていたことを知ったうえで、警告をしている?
「私なら、大丈夫だから心配しないで。部長と課長もついてるし、こう見えて結構強いんだから」
混乱していると、女の子は穏やかに微笑みながらそう言いました。
「そう……ですか……」
釈然としないまま返事をすると、女の子は満面の笑みを浮かべて、大きく頷きました。
「うん!明日山本に直接会いに行く予定だから、そのときにバッチリ話をつけてくるからね!」
「は、はい。分かりました……」
私が返事をすると、女の子は満足げに二回頷いて、残っていたオレンジジュースを飲み干しました。そして、軽い身のこなしで椅子から飛び降りると、グラスの載ったトレーを手に取りました。
「じゃあ、オレンジジュースも飲み終わったし、会社にまで案内するよ!」
「あ、はい。ありがとうございます」
お礼を言うと、女の子は、いーえー、と口にして、トレーの返却口に向かっていきました。
こちらのココアはまだ少し残っていますが、そろそろ打ち合わせの時間ですし、女の子の後を追うことにしましょう。
「えーとね、ここの定食屋さんはね、定食よりも丼物とお蕎麦が美味しいんだよ!」
「そうなんですか」
カフェを出ると、女の子は周囲の飲食店を一軒一軒説明しながら、道案内をしてくれました。親切に教えてくれるのはありがたいのですが、打ち合わせの時間が迫っているので、少し焦りますね……
ハラハラしているうちに、おみせやさんのビルが目に入りました。
あれ?
入り口に人影が見えるような……
「あー!ハカセだー!」
目をこらしていると、女の子がそう叫びながら走り出しました。
えーと、ハカセというのは、葉河瀨さんのことですよね?
疑問に思いながらも女の子を追いかけると、段々と姿が鮮明に見えてきました。
眠たげな目に、レンズの丸い眼鏡、それと後頭部の寝癖。
間違い無く、葉河瀨さんですね。
葉河瀨さんはこちらに気づくと、軽く会釈をしました。
会釈を返しているうちに、葉河瀨さんの元に辿り着きました。
「ハカセ!ただいま!」
女の子が元気よくそう言うと、葉河瀨さんは小さく欠伸をしてから、軽く頭を下げました。
「お帰りなさいませ、川瀬社長」
そして、抑揚のない声でそう返しました。
なるほど、社長だったから、おみせやさんのことを我が社と言ったり、弊社の社長と面識があったりしたんですね。
……えーと?
「しゃ、社長!?」
一瞬納得しかけてしまいましたが、あまりにも意外な発言に、大きな声を出してしまいました。すると、川瀬社長は、えっへん、と言いながら胸を張り、葉河瀨さんは苦笑いを浮かべました。
「まあ、経営者というよりも、マスコットキャラクターに近いですけどね」
葉河瀨さんの言葉に、川瀬社長は不服そうに頬を膨らませました。
「むー!そんなことないもん!ちゃんと経営してるもん!」
「まあ、三十年以上存続していることを考えると、そうなのかもしれませんね」
「かもしれない、じゃなくて、そうなの!」
抑揚のない口調の葉河瀨さんの言葉に、川瀬社長は頬を膨らませて腕を上下に振りながら反論をしました。なんだか、微笑ましいやりとりですね。
などと、なごんでいる場合ではなく……
「申し訳ございません!存じ上げなかったとはいえ、失礼なことを度々申し上げてしまって」
子供扱いしてしまったことを謝罪すると、お二人はキョトンとした表情を浮かべました。
「大丈夫だよ!失礼なことなんて、全然なかったから!」
川瀬社長はすぐに笑顔になって、フォローの言葉を入れてくださり……
「そうですね。一条さんが社長に失礼なことをしたかよりも、社長が一条さんにご迷惑をかけていないかが心配です」
葉河瀨さんも、薄く微笑みながらフォローの言葉を入れてくださりました。
葉河瀨さん……フォローしてくださるのはありがたいのですが、川瀬社長がまたしても頬を膨らませていますよ……
「もう!ハカセの意地悪!これからおやつ買いに行く予定だったけど、ハカセの分は買ってきてあげない!」
「別に、甘い物のストックは大量にあるので、買っていただかなくて結構ですよ」
葉河瀨さんが欠伸をしながら答えると、川瀬社長は、ふん、と言いながら、二軒先のコンビニエンスストアに向かって走り去っていきました。
なんというか、弊社の社長とは、かなりタイプが違う社長さんですね……
「すみません。弊社社長がもの凄くご迷惑をおかけしてしまって」
呆然としていると、葉河瀨さんが苦笑しながら頭を下げました。
「いえいえいえ!そんなことありませんよ!それよりも、遅くなってしまい、申し訳ございません!」
慌てて謝罪すると、葉河瀨さんは穏やかな声で、構いませんよ、と呟きました。
「到着が予想より遅かったので、心配になって探しに行こうかと思ったのですが、無事だったのならそれでいいです。それに、遅くなってしまったのも、弊社社長がいらんことをしていたからでしょうし」
「えーと……その、すみません」
どう答えればいいか分からないフォローに再び頭を下げると、いえいえ、という穏やかな声が返ってきました。
「では、こちらへどうぞ。応接室へ直接案内しますので」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言うと、葉河瀨さんは薄く微笑んで、どうも、と口にしました。そして、早足でビルの中に入っていきました。
葉河瀨さんに案内されてエレベーターに乗り込むと、さっきまで紛れていた緊張が、高まっていくのを感じました。なんだか、いつもより鼓動が早くなって、呼吸も苦しい気がします。私がしたことを考えれば、当然の報いなのかもしれませんが……
「緊張しているようでしたら、四秒かけて息を吸って、二秒止めて、四秒かけて息を吐いてください」
不意に掛けられた声に顔を向けると、葉河瀨さんが穏やかな表情で微笑んでいました。
「あ、ありがとうございます。そうしてみます」
「いえいえ。一条さんが過呼吸で苦しむのは、避けたいですから」
たしかに、事情を説明しないといけない者が過呼吸を起こしたら、迷惑がかかりますもんね……
「すみません……」
謝罪をすると、葉河瀨さんは穏やかに微笑みながら、いえいえ、答えました。
葉河瀨さんに教えてもらった呼吸を繰り返しているうちに、動悸は徐々に治まりました。まだ少し緊張はしていますが、過呼吸までは起こさずに済みそうです。本当に、葉河瀨さんには、先週の土曜日からお世話になりっぱなしですね……
それ……葉河瀨部長、姫ちゃんのこと絶対好きだわ
……またしても、三輪先輩の言葉を思い出してしまいました。
たしかに、葉河瀨さんは凄く親切にしてくださいますが……実際のところは、私のことをどう思っているのでしょうか?
思わず横顔を見つめていると、葉河瀨さんは私の視線に気づき、こちらに顔を向けました。
「大丈夫ですよ。たとえ何があっても、一条さんのことを最優先にして行動しますから」
葉河瀨さんはそう言うと、穏やかに微笑みました。
「あ、ありがとうございます。でも……」
なぜ、私なんかをここまで気に掛けてくださるのですか?
そう問おうとした瞬間、エレベーターの中に、ポーンという電子音が鳴り響きました。そして、動きが止まり、扉がゆっくりと開いていきます。どうやら、目的の階に着いたようです。
「どうぞ」
「あ、はい。ありがとうございます」
「開」ボタンを押しながら微笑む葉河瀨さんに促されて、エレベーターを下りました。
またしても、聞きたかったことを聞きそびれてしまいましたね……なら、打ち合わせが終わったときに、今度こそ聞いてみることにしましょう。
打ち合わせが終わったときに、私が無事でいられればの話にはなってしまうのですが……




