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休め言葉

 もう四半世紀以上前の話。

 その日は、珍しく接待のゴルフも野球観戦もない休日だった。

 なので、久しぶりに実家に戻って、併設された道場で武術の稽古をしていた。

 稽古を終え一息ついていたところ、突如として道場に両親がやってきた。

 母は穏やかな微笑みを浮かべながら、革張りの表紙をした冊子を抱えている。

 訝しんでいると、母は穏やかな表情のまま冊子を僕に差し出した。

 僕は訳も分からぬまま、手ぬぐいで汗を拭いてその冊子を受け取った。

 革張りの表紙を開くと、中から白い芍薬の柄をした青紫色の着物を着た女性の写真が現れた。

 

 緩やかなウエーブをした艶やかな黒髪。 


 赤い口紅が映える白い肌。


 どこか悲しげに伏せられた長い睫毛の大きな目。


 随分と綺麗な女性がいるものだな、とどこか他人事のように感心していた。

 でも、すぐにそれが自分に関係のある写真だと言うことに気づいた。


「和順も、そろそろ所帯を持つ年齢だろ」


「この方なら、和順さんもきっと気に入ると思うの」


 要は、いい歳なんだからお見合いをしてさっさと所帯を持て、という話だった。

 たしかに、当時の風潮だと結婚適齢期ぴったりだったから、両親の勧めももっともだったのだろう。

 それに、こんな綺麗な女性とお見合いができるというのなら、願ったり叶ったりだった。


「まあ、家柄にちょっと難はあるんだがな」


「あらあら、良いじゃないですか。先方がどうしてもと仰っているんですから、和順さんに刃向かうこともないでしょうし」


 でも、家柄がどうのだとか、どちらが格上だとか、そんなことを気にする両親には、反感を覚えた。

 両親が結婚した頃は、家柄が物を言う時代の名残が残っていたから、仕方のないことだったのかもしれないけど。

 反論しても無駄だということは分かっていたから、お見合いの話を受けることにした。

 返事をすると、母はもちろんのこと、いつも厳しい顔をしていた父も笑顔になった。

 

 それから道場を後にして、シャワーと着替えを済ませ、茶の間で彼女の身上書に目を通した。

 

 烏ノ森京子。

 それが、彼女の名前だった。

 

 彼女の名字には、覚えがあった。

 道場の門下生の一人に同じ名字の人がいて、珍しいから覚えていた。

 仲人になってくれたのは、その門下生の烏ノ森さんだったらしい。

 それと、父が言っていた、家柄に難がある、という言葉の意味にも察しがついた。

 家の道場には何故か、いわゆる呪い事を生業としている人も多く通っていた。

 一人息子ということで、父から他言無用と念を押されながら、門下生の内情は教えてもらっていた。

 まあ、道場を継ぐ気は、あまりなかったんだけどね……

 ともかく、彼女が何か特殊な家系だということは事実なのだな、とは思った。

 ただ、難があるというのならば、我が家だって余所のことを言えた義理ではない。

 たしかに、表向きは古流武術をもとにした護身術の道場、ということになっている。

 でも、護身術というには過剰すぎる技もあったりする。

 そのため、父は後ろ暗い依頼を受けることもあったようだ。

 そんな家業を継ぐのが嫌で、大学に入学してからは親元を離れて一人で暮らして、武術とは無関係のところに就職も決めた。

 武術の稽古自体は、嫌いじゃなかったんだけどね。

 ともかく、僕としてはまったく不都合がない話だったから、京子に会える日を心待ちにしていた。


 お見合い当日、緊張しながら会場となっていた料亭に向かった。

 仲人さんに案内されて個室に入ると、京子はすでに席に着いていた。

 彼女は写真と同じ着物を着て、写真と同じようにどこか悲しげに目を伏せていた。

 でも、実物は写真よりもずっと綺麗だった。

 緊張しながらも、互いに簡単な自己紹介を終えると、仲人さんは個室を出て行った。

 個室のドアがしまると同時に、彼女は小さくため息を吐いた。

 

「貴方も災難でしたね。付き合いとはいえ、私のようなものとお見合いだなんて」


 不意に告げられた言葉に、心臓が止まるかと思った。


「そ、そんなことないですよ!むしろ、貴女のような方とお見合いができて光栄です!」


 慌てて否定すると、京子は、そうですか、とだけ呟いて黙り込んでしまった。

 それから、しばらくの間は、室内に気まずい沈黙が訪れてしまった。

 僕はなんとかその沈黙を打ち破ろうとして……

 

「あの、ボウリングの最高スコアはどのくらいですか!?」


 ……なんとも訳の分からない質問を大声でしてしまった。


「え……ボウ……リング?」


 そのときの、京子のキョトンとした表情は今でも鮮明に覚えていいる。


「申し訳ございません。ボウリングは、したことがないんです」


「なら、今度一緒に行きましょう!そこまで難しいルールもないですから、きっと楽しめますよ!」


 僕の提案に、京子は戸惑った表情で、そうですか、と答えた。

 その後は、互いの趣味の話など無難な話題をして、その日はお開きとなった。

 僕としては交際ができれば嬉しいと思っていたけど、期待は薄いかもしれないと半ば諦めていた。

 唐突にボウリングの話題を出すような訳の分からない人と、交際したいとは思わないよね……


 でも、後日仲人さんからいただいた返事は、意外なものだった。


 先方がよろしければ、このまましばらくお付き合いをしてみたい。


 その言葉に、喜んで、と二つ返事をした。

 それから、無事に交際が始まり、二人で色々な場所に出掛けた。

 もちろん、約束したボウリングにも度々足を運んだ。

 初めのうちはたどたどしかったけど、最終的には百点台後半をたたき出すようになっていたっけ……

 ボウリングの腕と同じように、初めのうちはよそよそしかった京子の態度も段々と変わっていった。

 交際を始めた当初は、硬い表情をして、私なんか、というような発言をすることが多かった。

 それが、次第に笑顔が増え、自分を卑下するような発言も減っていった。

 ただ、時折、不意に悲しげな表情を浮かべて目を伏せることもあった。

 当時は、何となく気が引けて、その理由を尋ねることができなかった。

 今思えば、あのときにちゃんと理由を聞いていれば、良かったのかもしれない。

 

 交際を始めて一年が経過したとき、正式に結婚を申し込んだ。

 京子は驚いた表情を浮かべた後、穏やかに微笑んで僕の申し出を受け入れてくれた。

 

 その表情を見て、何があっても京子を幸せにしようと心に誓った。

 

 そのときの気持ちに嘘はなかった。


 結婚に関する手続きは中々大変だったけど、なんとか乗り切り京子と二人の生活が始まった。

 結婚してから景気は悪くなっていったけど、何故か次々と大型の商談が決まり個人的には仕事は順調だった。

 ただ仕事が忙しくて帰りが遅くなることや、接待ゴルフで休日に留守にすることも多かった。

 それでも、京子は文句一つ言わずに穏やかな表情で僕を労ってくれていた。


 当時は、そんな生活が、ずっと続いていくと思っていた……




「月見野さん、ご気分が優れないのですか?」


 不意にかけられた声に、我に返った。目の前では、取引先の重役が訝しげな表情を浮かべている。

 お客様の所の重役から、至急話がしたい、という連絡を受けて駆けつけいた。何かトラブルが発生したのかと思って心配したけど、どうも話し相手が欲しかっただけみたいなんだよね……  


「申し訳ございません。現在、別件でトラブルを抱えていて、急に心配になってしまって」


 無難な言い訳を口にすると、重役は安心した表情を浮かべて、そうですか、と口にした。

 流石に、何度も聞いたことのある武勇伝だったので退屈して思わず昔のことを思い出していました、なんて正直に言えるはずないからね。


「今は色んなことが複雑になりすぎて、煩わしいことも多いですからね。でも、私が若い頃も……」


 重役はそう言うと、再び若かりし頃の武勇伝を語り出した。まあ、年齢を重ねると話し相手が少なくなって淋しい、という気持ちは分からなくもないかな。でも、今日は少し早めに話を切り上げて欲しい、というのが本音だね。

 重役の武勇伝に相槌を打ちながら、壁に掛けられた時計に目を向けた。


 時刻は十四時四十五分。


 もうすぐ、日神君達と一条さんの打ち合わせが始まる時間だ。間に合えば打ち合わせにも参加したかったけど、この様子だと無理そうだね……

 でも、さっき一条さんに、打ち合わせの後話をしたいという連絡を入れたから、時間は確保できているはず。

 あとは重役のお話が、打ち合わせが終わるまでの間に終わってくれれば良いんだけど……


「ですから、今の若者達も……」


 ……どうも、難しそうだね、これは。

 参ったな、一条さんの件を最優先にしたいところなんだけど、このお客様との取り引きの規模を考えると、営業部の責任者が邪険にする訳には行かないんだよね……

 そんなことを考えると、重役が不意に話を止めて、壁に掛けられた時計に目を向けた。


「おや、私としたことが、随分と長い時間お話をしていたようですね」


 ええ!それはもう!

 と、言いたいところだけど、ここはぐっと堪えることにしよう。


「いえいえ、そんなことないですよ」


 苦笑を浮かべながらそう伝えると、重役は申し訳なさそうな表情で白髪頭を掻いた。


「いやいやいや。私としたことが、すっかりお話に夢中になってしまっていて、お気遣いができずに申し訳ない」


 良かった。これで、途中からだけど、打ち合わせにも参加できそ……


「ただ今、お茶のおかわりとお茶菓子を持ってこさせますので、少々お待ちください」


 ……違う、そうじゃない。

 そんな言葉が、思わず口からこぼれそうになった。

 重役はこちらの落胆に気づくことなく、机の上に置かれた内線電話の受話器を取り、お茶のおかわりとお茶菓子を持ってくるように、と口にした。

 うん、普段ならとてもありがたいお気遣いなんだけどね……

 それから程なくして、総務担当と思われる女性がお茶のおかわりとお茶菓子がのったお盆を手に、応接室に入ってきた。女性はテーブルにお茶とお茶菓子を置くと、申し訳なさそうな視線を僕に送った。僕も、苦笑をしながら軽く会釈をする。


「今後のことを考えると、私達と若い世代が一体となって……」


 重役は僕達のアイコンタクトにも気づかずに、声高に持論を口にしている。

 うん、いつもなら、その素晴らしさに感心していたかもしれないね。でも、今日は焦燥感の方が強いから、内容がまったく頭に入ってこないな……


 

  一条さんのこと、お願いね。期待するだけ、無駄なのかもしれないけど



 不意に、別れ際に聞いた京子の言葉を思い出した。

 ……なんとかしてこの場を抜け出して、一条さんの元に向かうことにしよう。

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