走れ!
先日落札した警備システム導入案件の契約を締結するため、早川と共に会社近くの美術館に足を運んでいた。特にこれと言ったトラブルも起きず、美術館を後にして併設された運動公園を会社に向かって進んでいる。
「日神課長。なんか、思ったよりもすんなり話が進みましたね」
不意に、隣を歩く早川があくび混じりに声をかけてきた。
たしかに、契約の締結自体はすんなりと話が進んだけれども……
「気を抜くなよ、早川。公共機関のお客様は、悪意無しに当初の契約に無いことを要求してくることが、多々あるからな。その辺を上手くさばくのも、担当になったお前の仕事だぞ」
そう声をかけると、早川はげんなりした表情を浮かべた。
「たしかに……いつだったかは、お役所のおえらいさんと葉河瀨部長が仕様について大げんかして、酷い目に遭いましたもんね……」
「ああ……あの時は、事態を収束させるのが大変だったな……」
過去に起こったトラブルを思い出し、どちらからともなく深いため息が漏れた。
「……ともかく、今回はそういうことが起こらないように、上手く立ち回れ。何かサポートが必要な場合は、月見野部長にすぐに連絡しろよ」
「了解っす」
早川はそう返事をすると、凜々しい表情を浮かべた。不意に、主人からの命令を待つ柴犬の姿が思い浮かんだけれども、口に出すのは控えておこう。
「……今、またひとのこと柴犬って言おうとしたっすね?」
……察しが良い部下で、何よりだ。
「別に?そんなことないけれども?」
茶化すように答えてみると、早川は不服そうな表情を浮かべて、そうっすか、と呟いた。その表情を見て、今度はふてくされた柴犬の姿が思い浮かんだけれども、黙っていておこう。鋭い目付きで睨まれてしまったことだし。
それからしばらく、ひとけの無い公園を進んでいた。
「……ところで、吉田は大丈夫だったんすかね?」
再び、早川が声をかけてきた。たしかに、心配ではあるけれども……
「まあ、何かしらの襲撃には遭っているだろうな」
そう答えると、早川は目を見開いた。
「マジッすか!?それなら、今からでも援護に行かないと……」
「落ち着け、早川。今から向かっても、最短で三十分はかかるだろ。それに、山口課長が援軍を用意したと言っていたのだから、悪いようにはなっていないはずだ」
まあ、その援軍というのに、たまよまで引っ張り出されていないかは、心配ではあるのだけれども……
妻の身を案じていると、早川が渋々といった表情で、そうっすね、と呟いた。
「まあ……あの課長が得意げに言っていたから、かなり頼りになる人が援軍なんでしょうね」
「まあ、そうだろうな……」
場合によっては、真木花側に逮捕者が出ているかもしれないけれども……いや、俺が心配することでもないか。
それからまたしばらく、人のいない公園を進んだ。すると、早川が困惑した表情で声をかけてきた。
「そういえば、今日会社に来るって言っていた……」
「ああ。一条さんのことか?」
問い返すと、早川は勢いよく頷いた。
「そうっす!その人も、やっぱり俺たちの命を狙ってたりするんすかね?」
そして、不安げな表情を浮かべて首を傾げた。
たしかに、当初は俺もその可能性が高いと思っていたけれども……
「……いや。昨日少しだけ本人と話したけれども、命までは狙っている様子ではなかったな。だから安心しろ、柴犬」
「そうっすか……って!今、さらっと柴犬扱いしましたね!?」
流石に気づいたかと感心していると、早川は、ふん、と言いながら顔を背けた。実に、柴犬っぽいな。
「まあ、一条さんの件については、午後の打ち合わせで詳しく話を聞かせてもらう予定だけれども……」
そこまで告げると、早川は足を止めた。
「……俺が戻らなかったら後はお前に任せる、って言うつもりっすね?」
そして、こちらの顔を見ずに問いかけてきた。
……察しの良い部下で、本当に助かる。
「……まあ、向こうのメインターゲットは俺だからな。俺に何かあれば、交渉する余地ぐらいはできるだろう。まあ、そうは言っても、易々と向こうの手にかかるつもりはないけれども」
「当たり前っすよ!これから大変そうな案件が始まるっていうのに、中間管理職が不在なんて許しませんからね!真木花の連中なんて、あの気持ち悪い特技で蹴散らしちゃって下さい!」
……色々あったが、部下からはそれなりに頼りにされているならば、幸いか。
ただし、後半の台詞は少しイラッとしたけれども……
気持ちが悪いとはなんだ、気持ちが悪いとは……まあ、陰でコソコソ言われるよりは、面と向かって言われる方がましか。それに、今はそんなことを気にしている場合ではないしな。
「……ということだ。部下からも蹴散らせと発破をかけられてしまったから、そろそろ出てきたらどうだ?」
愛想笑いをしながら声をかけると、公園の植え込みから額に包帯を巻いた垂野が現れた。垂野はスーツについた枯れ葉を払うと、大きな目でこちらを睨みつけた。
「……今日は、あのヒゲ眼鏡はいないんですね」
威嚇しているチワワに似ているな、などと思っていると、垂野が不服そうに声を漏らした。
「ああ、残念ながら、葉河瀨は別件で忙しいみたいでね。なんだ、また足蹴にされたかったのか?」
「そんなわけありますか!」
挑発してみると、垂野は顔を赤くしながら甲高い声で憤慨した。うん、実にチワワっぽいな。
そんなことを考えていると、不意に肩を叩かれた。顔を向けてみると、早川が困惑した表情を浮かべている。
「日神課長……」
「どうした?」
「あいつ、いつから居たんすかね?」
「……は?」
意外な言葉に、一気に脱力するのを感じた。
「早川……つけられているのに気づいたから、真木花についての話を振ったんじゃなかったのか?」
脱力しながらも尋ねてみると、早川は苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。
「いえ……全くの偶然です……」
「……平日の昼間とはいえ、住宅街も近い公園に俺とお前以外の人間がいなかったことについて、不審に感じたりしなかったのか?」
続けざまに問いかけると、早川は苦笑いを浮かべたまま首を横に振った。
「いえ……なんか、今日は空いてるなー、とは思ったんですが……」
……まあ、早川は呪いだのなんだのに無縁の生活を送ってきたのだろうから、仕方ないのかもしれないけれども。
「早川。周囲の状況には気を配れって、いつも言ってるだろ!仮に、俺が部署異動になったり、転職したりしたら、お前が吉田を引っ張って、第三課をまとめていかなきゃいけないんだぞ!」
「えぇ!?日神課長、転職しちゃうんすか!?これから、色々忙しくなってくるんだから、思いとどまって下さいよ!!」
「た・と・え・ば・の話だ!いいか?そもそも、いつも言っているように、お前は主任としての自覚がだな……」
「僕を放っておいて、何をイザコザしてるんですか!?」
部下の緊張感のなさに思わず説教を始めようとしたところ、甲高い叫び声によって遮られてしまった。
声の方に顔を向けると、垂野が苛立った表情で肩を怒らしている。
「ほら、早川。お前のせいで、チワワが怒っちゃっただろ」
「俺のせいっすか!?……ともかく、日神課長。ヒトのことをイヌに喩えるクセ、やめた方が良いっすよ。たしかに、チワワに似てる気はしますが……」
早川が脱力気味にフォローのような止めのような言葉を口にすると、垂野は大げさに足を踏みならした。
「うるさい!ともかく、昨日は少し油断しましたが、今日はそうはいかないんですからね!」
垂野が喚くと、植え込みが再びカサリと音を立てた。
目を向けると、長い髪を一つにまとめたスーツ姿の細身の女性が現れた。
言葉通り、今回はそれ相応の対策はしてきたわけか……
「……久しいな。日神」
「ええ、そうですね。臥篭さん。まさか、貴女ほどの方が、真木花なんかに組みしているとは思いませんでしたよ」
愛想笑いを浮かべて社交辞令を述べると、臥篭は表情を変えずに口を開いた。
「世辞は結構だ」
……相変わらず、可愛げが微塵もない奴だ。
そんなことを考えていると、早川が再び肩を叩いた。
「日神課長、あの綺麗な人、誰っすか?」
「ああ、もの凄く遠縁だが親戚の人間だ」
「へー、そうなんすか。俺はてっきり、元カノか何かかと……」
早川がのんきにそんなことを口にした瞬間、凄まじい早さで烏がこちらに向かってきた。
「うわっ!?」
そして、早川の頭のほんの少し上を飛び去っていった。
「……まあ、これで分かったと思うけれども、鳥を使役するエキスパートだ。あと、あまり恐ろしいことを言う……うわっ!?」
小声で早川と話していると、今度は俺の頭上すれすれを烏が飛んでいった。そして、やや不服そうな表情を浮かべた臥篭の肩にとまった。
「あまり、失礼なことを口にしないでもらえるか?」
「ええ、そうですね。なんと言っても、私と貴女の相性は最悪ですから。仲睦まじくするなんて、貴女も考えたくないでしょう」
挑発してみると、臥篭は苛立った目をこちらに向けた。
苛立ってくれたのは良いけれども、蟲使いに鳥使いでは分が悪すぎるか……
対応に悩んでいると、またしても早川に肩を叩かれた。
「日神課長、なんか凄くやばそうですけど……俺にできること、何かありますか?」
早川はそう言うと、不安げな表情で首を傾げた。
コイツに今できることか……
「そうだな……じゃあ、振り返らずに全速力で会社まで走れ」
「えぇ!?でも、それじゃ日神課長が……うわっ!?」
早川が口答えをしていると、先ほどとは別の烏がこちらに向かって突っ込んできた。なんとかしゃがみ込んでかわしたが、いつの間にか上空では無数の烏が渦を描くように飛んでいる。
「……お前の脚なら、会社まで往復しても十分くらいだろ?そのくらいならば保つから、さっさと行って信田部長……最悪、山口課長でもいいから、どちらかを連れてきてくれ」
諭すように告げると、早川は苦々しい顔をしながらも頷いた。
聞き分けが良い部下で助かった……
「了解っす!でも、日神課長、生傷が絶えないマンなんですから、無茶しないで下さいよ!」
……前言撤回。
上司に変なあだ名をつけるところは、どうにかして欲しい。
「誰が生傷が絶えないマンだ!?」
抗議の声を上げたけれども、早川は言いつけ通り振り返らずに、凄まじいスピードで走り去っていった。
早川め……後で覚えてろよ……
「あ!?逃げるつもりですか!?」
言いつけ通りに走り去っていった部下に憤慨していると、垂野が甲高い声を上げ、臥篭は鋭い視線を向けて手を動かした。
しかし、その手にムカデが巻き付いているのを見つけると、煩わしそうな表情を浮かべてから、視線をこちらに戻した。悲鳴の一つでも上げるなら、まだ可愛げがあると思うのだけれども……まあ、そんなことを考えている場合ではないか。
「久しぶりにお会いできたというのに他の男に目を向けるなんて、随分とつれないのですね?」
愛想笑いを浮かべながら声をかけてみると、聞こえよがしの舌打ちが返ってきた。
「相変わらず、心にも無いことを言う奴だな」
「ははは。まあ、そういう職についておりますから」
そう答えると、今度は深いため息が返ってきた。
「そんなことよりも、良いのか?私を攻撃する絶好の機会に、こんな無駄話をしていて」
臥篭はそう言うと、ムカデの巻き付いた手をこちらに向かって伸ばした。
「ええ。不用意に攻撃なんてしたら、上にいる烏たちが一斉にこちらに向かってくるのでしょう?まあ、それは、こちらも同じなのですけれども」
そう言いながら、臥篭の周囲に数匹のスズメバチを舞わせた。すると、臥篭は鋭い目付きを垂野に向けた。
「垂野、標的以外の者はこの公園に入れるな、と言ったはずだが?」
問いかけられた垂野は、目を見開いてから憤慨した表情を浮かべた。
「だ、だから、こうやって人払いをしてるんじゃないですか!?ムシまで中に入れるなとは、聞いてな……」
「馬鹿者!蟲使いを相手にするのだから、蟲を追い払わずにいてどうする!」
垂野は言い訳を口にしていたが、臥篭に一喝されると目を伏せて黙り込んだ。
まあ、新人のミスに憤る気持ちは分かるけれども、頭ごなしに怒鳴りつけるのはいかがなものだろうか?
「……日神、悪かったな。なるべく、すぐに楽にしてやろうと思っていたのだが、少々時間がかかりそうだ」
「ははは。貴女こそ、思ってもいないことを口にするのがお上手ですね。鳥に啄まれる最期なんて、どのみち酷く時間がかかるものでしょうに」
嘲笑交じりにそう言うと、臥篭は、そうだな、と呟き、口の端を吊り上げた。牽制には成功したようだが、向こうが有利な状況は変わっていないようだな……まあ良い。
部下の準備が整うまで時間を稼ぐのも、上司の仕事のうちだ。
それにしても、この状況でたまよが一緒じゃなくて本当に良かったな……




