蝸牛は進む、いつかはたどり着くだろう
お客様の社屋を出て腕時計を確認すると、正午ぴったりになっていた。
商談も順調に進んで、正式な見積書をお送りするところまでこぎ着けたし、順風満帆だ!
……と、思ってみたけれど、やっぱり気が重い。
自分の上長達を含む社内の人間が複数呪われているうえ、取引先だった会社から全面戦争のようなことを仕掛けられている……何なんだろう、この状況。
入社したときは、名前が特殊だけど普通の会社だと思ったんだけどな……
いや、そんなことを嘆いていても仕方ないか。
私に出来ることは、目の前の仕事に集中して、少しずつでも結果を残していくことなんだから。
よし!頑張ろう!
家で待ってる可愛いカタツムリ達のためにも!
気持ちを切り替えて、駅までの道のりを進んだ。行きは月見野部長に送っていただいたけど、帰りは一人だから注意はしないといけないか。でも、この付近の人通りはそこまで少なくないし、大通り沿いの歩道なら襲撃を受けることもないんじゃないのかな……駅まで、十分もかからないし。
それよりも、一条さんが心配だ。
日神課長は丑の刻参りの件に一条さんが関わっていることに、多分気づいている。
……日神課長も昨日のお昼より冷静になっていたし、強硬手段に出ることはないか。それに、葉河瀨部長が同席するなら、何かあったら止めてくれるだろうし……止め方が、恐ろしいことになりそうな気もするけど。
ただ、日神課長が何かするかどうかよりも、もっと気にかかることがある。
昨日聞こえた声は笑っていたように聞こえたけど、自暴自棄になっている人の声の調子に似ていた。
多分、このまま放っておいたら、何というか……元に戻れなくなってしまいそうな気がする。
話がこじれることを覚悟で、月見野部長に経緯を話して対応をお願いしたけど、上手く行くかな……
「すみません、少々よろしいでしょうか?」
「!?は、はい!なんでしょうか!?」
考え事をしていたところに急に声をかけられて、裏返った声で返事をしてしまった。振り返ると、スーツを着た男性がスマートフォンを片手に、微笑みながら立っていた。
「すみません、この郵便局に行きたいんですが、道に迷ってしまって」
男性はそう言うと、苦笑しながら頭を掻いた。スマートフォンを覗き込むと、駅とは逆方向にある郵便局が表示されている。ここならお客様からの帰る途中で書類を郵送したことがあるから、道は分かるかな。
「ああ、そちらでしたら道を知っていますので、ご案内いたしましょうか?」
「本当ですか!?ありがとうございます!助かります!」
男性は目を輝かせてから、頭を下げた。
急いでいる、と言って断ることは出来るけど……冷たい態度をとって、もしもお客様の所の社員だったらと思うと、無下には出来ない。
「いえいえ、お気になさらずに!では、こちらに」
そう言って歩き出すと、男性は私と並ぶようにして歩き出した。
「いやー、本当に助かりました。上司に、郵便書留を送れ、と言われたんですが、道に迷ってしまって」
「そうなんですか。それは、大変でしたね」
相槌を打つと、男性は苦笑しながら、それはもう、と呟いた。
「まあ、直属の上司に限らず、弊社は人を人と思わずにこき使う奴が多いんですよ。こっちは、毎日毎日毎日毎日死にものぐるいだというのに」
男性は笑みを浮かべたまま、まくしたてるように喋り続けた。
えーと……あんまり、関わっちゃいけないタイプの人だったかもしれない……
とりあえず、下手に刺激しないようにしないと。
「まあ、うちは月並みですよ。無茶振りもありますがフォローもしてくれる、そんな感じです」
苦笑しながら無難に答えると、男性は口の端を更に吊り上げた。でも、目はこれでもかというほど見開かれている……これは、かなりまずい。
「そうなんですか!それは羨ましいですね!」
「そ、それはどうも……」
適当に相槌を打って、早く郵便局に着かないと……
引き離しても構わないくらいに歩くスピードを上げたけど、男性は相変わらず張り付くように隣を歩いている。そして、その間ずっと身の回りについて恨み言を口にして、ときおりこちらに状況を尋ねてくる。
曖昧に答えているうちに、大通りから外れて閑静な住宅街に入った。人通りはなくなったけど、あと少しで郵便局だから大丈夫……
「……いやぁ、御社が本当に羨ましくて仕方ないですよ。あんなママゴトみたいな社名なのに、結構ちゃんとしてるんですね……」
……え?
私、たしか社名は名乗ってなかったは……
「うっ!?」
混乱していると、側頭部が締め付けられるように痛んだ。
視界も回転しはじめてるし、吐き気もする。
立っていられなくなってしゃがみ込むと、頭上から笑い声が響いた。恐る恐る見上げると、男性がこちらを睨みつけながら笑っている。
「……でも、唯一残念なのは、弊社に喧嘩を売ったところですね」
この人、間違い無く真木花の人だ……
早く、ここから逃げないと。
「ご安心ください。命に別状はございませんから。ただ、生きている限りその痛みと付き合うことになる、とは思いますが」
立ち上がろうとすると、不吉な言葉が頭に響いた。
男性が口を動かしてるように見えるけど、痛みのせいか視界がぼやけはじめてきた。
この痛みがずっと続くって……冗談でしょ……
「舞さん。大丈夫ですか?」
絶望していると、優しげな声と一緒に肩を叩かれた。
なんとか振り返ると、灰色の着物を着た姉が目に入った。
今度こそ、お迎えが来てしまったみたいだ……
ぼんやりとした頭で諦めを感じていると、姉はニッコリと微笑んで手を伸ばした。そして、柔らかな温かい手で、私の頭を撫でる。
「頭が痛くなってしまったんですね?大丈夫ですよ、正義さんに頭が痛くなったとき用のお薬も持たされていますから」
姉はそう言うと、手にしていた小さな鞄を開けて中身を探り出した。
「はい。半分が優しさで出来ているお薬です」
そして、取り出したダイオウグソクムシ型ポーチから、紺色のパッケージをした頭痛薬を取り出してこちらに手渡した。
あ、この人お姉ちゃんじゃないや……
「た……まよ……さん?」
「はい。夫がいつもお世話になっております」
声をかけると、たまよさんはそう言ってペコリと頭を下げた。
えーと……そういえば、山口課長が援軍って言ってた気がするけど……
でも、この状況で一番出てきちゃいけない人なんじゃないかな……
「……夫?」
ほら、真木花の人、反応しちゃったし……
「はい。日神正義の妻の、日神たまよ、と申します」
たまよさん、正直に自己紹介しちゃったし……
「たまよさん……私は大……丈夫なので、ここから……早く逃げてください」
「ダメですよ舞さん。困っているヒトを見つけたら、放っておけませんから」
たまよさんは相変わらずニコニコとしたまま、ゆったりとした口調でそう言った。多分、ここに貴女が居た方が、困ったことが加速する可能性が高いのですが……どうしたものだろう。
痛みで上手く回らない頭で必死に対応策を考えていると、男性の笑い声が聞こえた。
「ははは、あの日神課長の奥様でしたか。これは奇遇ですね」
「はい。夫がいつもお世話になっております」
たまよさんは笑顔のまま男性に返事をして、ペコリと頭を下げた。ああ、もうどうしよう……
「いえいえ、こちらこそ。ところで、奥様は今お幸せですか?」
男性が尋ねると、たまよさんは、そうですね、と呟いてから、しばらく黙り込んだ。
「今は……以前と違って、食べ物に毒を撒かれて一族の大半が亡くなってしまうこともありませんし」
「ははは、そうなんで……え?」
「眠っているとこをムカデさんに襲われて、危うく食べられそうになることもありませんし……」
「……は?」
「……隠れているところを無理矢理暴かれて、毒を撒かれることもないですから、幸せなんだと思います」
「ええ!?」
たまよさんが今までの人生を口にする度に、男性から驚きの声が漏れた。というか、私もかなり驚いた。
たまよさん……密林で活動するゲリラ部隊にでも所属していたのかな……
「それに、すたいりっしゅで優しい夫と一緒にいられるので」
たまよさんは、あまりにも壮絶な人生のあとに、一般的な新婚さんのようにのろけた。ま、まあ過去に何があったとしても、今が幸せなら良いのかもしれない。
そんなことをぼんやりと思っていると、男性の方から咳払いが聞こえた。
「そ、そうですか。それはそれは、とても羨ましいですね」
目をこらして男性の顔を見上げると、表情を徐々に険しくしている。
まずい。このままだと、多分たまよさんも……
「そこまでだ。この、外道」
焦っていると、不意によく通る女の子の声が聞こえた。
声のする方向に振り返ると、ポニーテルをして紫色の着物を着た女の子がこちらに近づいてきていた。えーと……この子は、何者なんだろう?
困惑していると、女の子は私の側で立ち止まり、凜々しい表情を浮かべた。
「吉田女史。お待たせいたしました。ただ今その憑き物を落としますゆえ、少々お待ちくだされ。ひとまず、これを」
女の子はそう言うと、四隅と中央に「鬼」と書かれた正方形の紙を袂から取り出して、私の前に差し出した。戸惑いながら受け取ると、女の子は、うむ、と呟きながら頷いた。そして、もう一度袂を探ると、今度は数珠を取り出した。
それから、目を閉じてなにかゴニョゴニョと唱え出す。
「……故に、無量の神力を現す!」
女の子はそう叫ぶと、私の額に数珠を押し当てた。
途端に、頭痛と吐き気が消え、視界もハッキリとした。
「吉田女史。これで、もう安心ですぞ」
女の子はそう言って、ニコリと微笑んだ。
「わー!繭子さん、すごいです!」
そして、たまよさんがパチパチと拍手をしながら声援を送った。この二人は、知り合いなのかな……?
困惑していると、女の子はポニーテールが飛び跳ねるほどの勢いで頭を下げた。
「申し遅れました!小生は山口繭子と申します!拙宅の山口が、いつもお世話になっております!」
「繭子さんは、ウルトラミラクルエレガントな課長さんの、お弟子さんなんですよー」
繭子ちゃんの自己紹介のあと、たまよさんが鷹揚な声で補足をした。
えーと、課長職で山口さんという方は何人か知ってるけど、役職の前に小学生が考えるような形容詞をつける山口課長は一人しか知らないな……
「こ、こちらこそ。いつもお世話になっております。助けてくれて、ありがとう……でも、繭子ちゃん?今日、学校は?」
ひとまず、助けてもらったのはありがたいけど、他部署とはいえ管理監督者のお子様を非行の道に走らせていないかが心配になった。あれ?でも、さっき、たまよさんは弟子って言っていたような……
「問題ございませぬ!本日は、開校記念日でお休みでありますゆえ!」
二人の関係性に混乱していると、繭子ちゃんは得意げな表情でそう答えた。
「そっか。なら良かっ……」
「あの、私を無視して談笑しないでいただけますかね!?」
安心していると、怒りに満ちた男性の声が響いた。振り返ると、さっきの男性が苛立った表情で腕を組んでいる。
一気に色んなことが起こったから、すっかり意識から外れていた……でも、このままだと、繭子ちゃんも危険なんじゃ……
「ご安心くだされ、吉田女史」
不安になっていると、繭子ちゃんはそう言ってにこりと笑った。それから、凜々しい表情を浮かべると、男性の方に歩き出した。
「真木花の技術者殿とお見受けしますが、ここは退いてはいただけませぬかな?」
そして、男性の側で立ち止まると、さっきよりも低い声で問いかけた。対する男性は、腕を組んだままニヤけた表情を浮かべている。
「お嬢ちゃん、悪いけどこれも仕事なんだよ。それに……」
男性はそこで言葉を止めると、更に笑みを深めた。
「お嬢ちゃん達のように幸せそうな女子供を見ると羨ましくてね、人生をめちゃくちゃにしてやりたくなるんだよ。ときおり、仕事以外でもこの技術を使っちゃうくらいにね」
男性が脅し文句を口にすると、繭子ちゃんは、外道め、と小さく呟いた。たしかに、脅し文句とはいえ、かなり外道な発言かも……
「さしずめ、御法種あたりか……然れば、小生も秘奥義を使うしかあるまい」
「へぇ?それは、凄いねぇ!是非とも見てみたいものだよ!」
男性が挑発的にそう言うと、繭子ちゃんは大きく息を吸い込んだ。そして……
「きゃぁぁぁぁ!?おまわりさん!助けてください!」
……悲鳴を上げながら、着物の胸元を軽くはだけさせた。
たしかに、男性からすれば目の前の女の子に叫ばれたら、ダメージが大きすぎる言葉だけど……
「え?……な、何を……?」
男性が戸惑っていると、背後から猛スピードで白い自転車が近づいて来た。よく見ると、自転車には初老の男性警官が乗っている。
「どうしましたか!?」
警官は繭子ちゃんの側で自転車を止めると、慌てた様子で尋ねた。
「警官殿!助けてくだされ!そこの怪しげな輩が、急につかみかかってきたのです!」
警官は繭子ちゃんの言葉を受けると、鋭い目を男性に向けた。
「それは、本当ですか?」
「え?そ、その……つ、つかみかかってまでは……」
男性が返答に困っていると、たまよさんがニコニコとした表情で挙手をした。
「そちらの方は、時々女の子をめちゃくちゃにしたくなったりするそうなんですよー」
そして、鷹揚な声でそう言った。たしかに、それは言ってたね……
「……あと、その子に向かって、是非とも見てみたい、と叫んでましたね」
たまよさんの言葉に続いてみると、男性の顔はみるみるうちに青ざめ、警官の顔は険しくなっていった。
さっき怖い目に遭わされたし、これくらいの仕返しはさせてもらわないと。それに、叫んでいたのは事実だし。
「お兄さん、ちょっと署でお話を聞かせてもらえますか?」
「う、うわぁぁぁぁ!」
警官に睨みつけられた男性は、悲鳴を上げながら踵を返して走り去っていった。
「待ちなさい!……すみません、すぐに後を追いますが、後ほどお話を伺いたいので連絡先をいただけますか?」
「あ、はい……」
取り急ぎ携帯電話番号を伝えると、警官は手早くメモをしてから自転車にまたがった。
「待ちなさい!」
そして、猛スピードで男性を追いかけていった。その姿を見送ると、繭子ちゃんは胸元を直してから勝ち誇った表情を浮かべた。
「うむ!これにて、一件落着でありますな!」
「皆さんがご無事でよかったです」
意気揚々とした繭子ちゃんの声に、相変わらず鷹揚なたまよさんの声が続いた。
ともかく、全員事なきを得たのは良かったけど、何かどっと疲れた気がする……




