交渉の場
関係者のミーティングも終わり、吉田をお客様のところに送っていくことになった。
会社を出る前に、話がしたい旨を京子にメールをしたけど、駅に着いた今もまだ返信は来ていない。流石に、管理職クラスとアポイントメントなしで話がしたい、というのは無茶だったかな……
「月見野部長。今日は、お手数をおかけしてしまい、申し訳ございませんでした」
無計画さを反省していると、吉田が目を伏せながら頭を下げた。
「気にすることないよ。こんなときに、期待の若手を放っておけないからね」
「いえいえいえ!期待だなんてそんな!」
笑いながら答えるると、吉田は首を勢いよく横に振った。いつも頑張っていて、結果も残してきているんだから、そんなに謙遜することもないと思うんだけどな。そんなことを考えているうちに、ホームに電車の到着を告げるアナウンスが流れた。
到着した電車に乗り込むと、車内は二人で並んで座れるほど空いていた。混雑率関東ワーストワンの路線だけど、通勤ラッシュからズレた時間だと、そこそこ空いているからありがたいね。
一駅過ぎた頃、吉田がこちらをじっと見つめていることに気づいた。身だしなみには気を付けているつもりだけど、髭の剃り残しでもあったのかな?
「……月見野部長。一条さんとは、昨日お会いしたのですか?」
疑問に思っていると、吉田がどこか思い詰めた表情で尋ねてきた。
「うん。昨日、真木花からの接触が会ったあったときに、偶然一緒だったよ」
質問に答えると、そうですか、と呟いて吉田は目を伏せた。
昨日、社に戻ってから信田部長に聞いた話だと、吉田も丑の刻参りの標的になったとみて間違い無い、ということだった。
その吉田が、一条さんのことを気にしている……先に標的に日神君も、一条さんが何か関わっていると予想していことを考えると……
「……昨日、車がこちらに向かって突っ込んでくるときに、一条さんの声が聞こえました」
……聞きたくない言葉が、耳に入ってしまった。
「そうだったんだ……」
そう返すと、吉田は無言でコクリと頷いた。
吉田が、嘘を吐くとは思えない。それに、吉田は一度会っただけでお客様の顔と名前を完璧に覚えるような子だから、聞き間違いということもないんだろうな。
でも、京子の話だと、真木花としては一条さんにこちらを呪わせている、というわけではなさそうだ。勿論、京子が嘘を吐いている可能性もあるけど、日神君が丑の刻参りの話を持ち出したときの意外そうな表情は演技ではないように見えた。
そうなると、一条さんが個人的に呪いを使ったということだけど……
「……でも、吉田達が一条さんから恨みを買うようなことはないと思うんだけど?」
そう尋ねると、吉田は気まずそうな表情を浮かべて、目を伏せた。
「山口課長、日神課長、早川さんについては分かりかねますが……多分、私は恨みを買ってしまったのだと……」
「え!?それは、本当なの!?」
思わず大きな声を出してしまい、向かいの席に座った男性が手に持ったスマートフォンから目を上げて訝しげな視線を向けてきた。軽く咳払いをして頭を下げると、男性も軽く頭を下げてスマートフォンに視線を戻した。
「……なんでそう思ったの?」
声を小さくして尋ねてみると、吉田も声を小さくして、そうですね、と呟いた。
「一昨日のランニングで、急に月見野部長を連れ出してしまいましたから……」
ランニング?
確かに、一条さんが葉河瀨部長に恋をしてると思って、途中で抜け出してしまったけど……
「でも、そっちの会合に顔を出すって言い出したのは僕だよ?」
「そうですね。でも、私が声をかけなければ、月見野部長は一条さんとご一緒にランニングを続けていたはずですし」
「そうかもしれないけど……でも、なんで僕がランニングを抜けることが、一条さんの恨みを買うの?」
続けて問いかけると、吉田は気まずそうな表情を浮かべた。
何か、言いにくい理由なのだろうか?
でも、今は少しでも参考になる意見を聞いておきたい。
目を反らさずにいると、吉田は観念したように小さくため息を吐いた。
「……あくまでも、推測ということでも良いですか?」
「うん。構わないよ」
そう告げると、吉田はすっと息を吸い込んだ。
「多分……一条さんが、月見野部長に好意を持っているからですよ」
「え?」
意外な言葉に、思わず裏返った声を上げてしまった。
「えーと……それは、いわゆる恋愛感情ってこと?」
聞き返すと、吉田は困惑した表情を浮かべた。
「そこまでは、判断しかねます……」
「そうか……でも、それなら他の三人は……」
一体なんで、と言おうとしたところで気づいた。
一条さんと一緒に昼食をとった日、早川君が忘れたペンケースをこれから取りに行くと言う話をした。その翌日、早川君が脱臼をした。
そして、真木花の最寄り駅近くのカフェで話をしたとき、日神君によく叱られている、という話をした。昨日聞いた話だと、日神君が腰を痛めたのは……その翌日の土曜日。
山口課長のことは、一条さんとの会話で話題に上がったことはない。でも、山口課長は一条さんと面識がある様子だったから、どこかでバッタリ会ったのかもしれない。あの人は、身内をよく茶化す人だから……
「……ということは、諸悪の根源は僕みたいだね」
一条さんはちょっと極端なところがあるから、多分僕の話で思い詰めてしまったんだろう。僕の不用意な発言で、一条さんを追い詰めてしまった挙げ句、部下や同僚達に迷惑をかけてしまったと思うと、やりきれない思いがするね……
「いえ……多分、誰のせいとかではなく……色々な悪いタイミングが重なってしまったんですよ、きっと……」
吉田はどこか遠い目をして、脱力気味にそう言った。
「ごめんね、吉田。なんか、いつも気苦労を負わせちゃって……」
「いえ……慣れてますから……ともかく」
そこで言葉を切ると、真剣な目つきでこちらを見つめた。
「できれば、今の話は他の方……特に日神課長にはご内密にお願いします。もう、遅いのかもしれませんが……」
そう言うと、吉田は目を伏せた。
「そうだね。昨日の様子だと、強行的な手段をとる気はなさそうだったけど、注意しておくよ」
僕の言葉に、吉田は、ありがとうございます、と呟いて頭を下げた。そして、顔を上げると申し訳なさそうな表情でこちらを見つめた。
「あと……一条さんは、多分、月見野部長がおっしゃることなら、聞いて下さると思うので……差し出がましいお願いだとは思うのですが……」
「いや、多分、ここは僕が一条さんにこれ以上誰かを呪わないように伝えるのが、正解なんだと思うよ。真木花が本格的に僕達を狙い始めたんだから、これ以上負担をかけるわけには行かないし……もとはと言えば、僕がまいた種だからね」
苦笑しながら答えると、吉田は小さく首を振った。
「いえ、月見野部長のせいだとは思いません。それと、私達に負担がかかる以上に……一条さんがつら……」
そのとき、吉田の言葉を遮るように、乗換駅を告げるアナウンスが車内に響いた。
「……ともかく、一条さんのこと、宜しくお願いいたします」
「うん。全力を尽くすよ」
そう答えると、吉田は安心したように微笑んだ。
その後、電車を乗り換え、吉田をお客様のもとまで送り届けた。
さて、当初の予定なら京子と話をしたかったところだけど、返信も来ていないことだし、先に一条さんに連絡を入れておこうかな。
……思い返すと、七月の初め頃、浦元君に因縁を付けられている一条さんに声をかけてから、あの子のことは何かと気にかかっていた。でも、恋愛感情とは違うものだと言うことは、ハッキリと分かっている。
姫子という名前。
年齢。
若い頃の京子を思い出す、自信がなさそうな振る舞い。
その全てが、生まれることの叶わなかった娘がもしも生きていたら、という絵空事と一致してしまうからだ。多分、京子も同じなんだろうけど、彼女の場合はそれが仇となって厳しくしてしまうのだろう。
ただ、あの子にこれ以上手を汚させたくない、という気持ちは一致するはずだ。
ならば、少なくとも全面対決に、一条さんが必要以上に巻き込まれることだけは避けられるだろう。
それに、全面対決を終息させる話を切り出しやすくなるかもしれない。
そんな打算的なことを考えていると、胸のポケットから振動を感じた。
個人用の携帯電話を取り出し開いてみると、画面に京子の個人用携帯番号が表示されていた。
「はい。月見野です」
慌てて通話に出ると、スピーカーから、呆れたようなため息が聞こえた。
「烏ノ森です。先ほど、メールを確認しましたが、業務中に個人用の携帯電話に連絡を入れるのは、どうかと思いますよ?」
「あはは、ごめんね。緊急事態かと思ったから、つい」
苦笑しながら答えると、スピーカーからは再び小さなため息が聞こえた。
「それで、メールに書いてあった至急相談したいことって言うのは何なのですか?弊社の技術者達のことについては、既に私の対応できる状況ではありませんけど?」
……ということは、既にこちらに向かっている技術者がいるっていうことなんだね。
「それは残念だね。でも……相談したいのは、その件だけじゃないんだ」
「……別件?今更、日神課長が転職の話を受け入れる、ということになっても、事態は終息しそうにありませんわよ?」
スピーカーから、あざ笑うような京子の声に、あって話をすることができるかが不安になる。でも、京子から連絡をくれたということは、可能性はゼロじゃないはずだ。
「その件でもないよ」
「では、何でしょうか?私も、暇ではないので、もったいぶらずに教えていただけませんか?」
煽るような京子の声に気圧されながら、息を吸い込んだ。
「……一条さんの件で、話があるんだ」
「……」
一条さんの名を出すと、スピーカーからは小さく息を飲む音が聞こえた気がした。
「……あの子が、どうしたと言うのよ?」
「少し、長い話になりそうだから、電話ではなく直接会って話したい」
絞り出すような声で問いかける京子に答えると、スピーカーから聞こえるのはノイズだけになった。
「……今から言う場所に、一人で来て下さる?」
しばらくして、ノイズをかき消すように京子の声が響いた。
よし、これで交渉の場に上がることは成功したみたいだね。
「ああ、分かった。忙しいところ、時間をとってくれてありがとう」
そう告げると、スピーカーから、別に、という呟きに続いて、真木花の最寄り駅から二つほど離れた駅名が聞こえて来た。
「……ただ、昨日も申し上げましたが、既に動き出した技術者達を止めることは、私にはできませんからね」
「うん。それは、こちら側も覚悟の上だから」
苦笑しながら答えると、そう、という呟きとともに通話が切れた。
本当は、既に動き出した技術者も止めて欲しいところなんだけど……
今は部下達を信じて、これ以上事態が酷くなることを避けることに尽力しなきゃね。




