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急場

 吉田が事故に遭ったという連絡を受けて、直属の上長の日神君と一緒に病院に急行することになったんだけど……


「まったく。命に別状がなかったから良かったけれども、連絡があったときは心臓が止まるかと思ったぞ」


 隣の席に座った日神君はそう言うと、軽くため息を吐いてからコーヒーを一口飲んだ。


「ご心配をお掛けしてしまい、まことに申し訳ありませんでした!」


 そして、向かいの席に座った吉田がテーブルに衝突しそうな勢いで頭を下げた。

 

 僕達が病院にたどりつくと、警察の対応や受診を終えた吉田と、日神君の奥さんのたまよさんが病院から出てきたところだった。たまよさんは、事故現場が日神君の自宅近くだったから、買い物途中に偶然居合わせたそうだ。それにしても、両手に包帯を巻いているけれど元気そうな吉田を見たときは、ホッとして日神君と二人で膝から崩れ落ちそうになるほど脱力したね……

 それから、丁度お昼時ということもあって、最寄り駅の近くにある喫茶店に入り、四人で昼食を取ることになった。


「でも、本当に大けがとかじゃなくて安心したよ……」


 そう言ってコーヒーを飲むと、吉田の隣に座ったたまよさんが笑顔でコクリと頷いた。


「そうですね。ヒトには外殻がありませんから、衝突しなくて本当によかったです」


 え……外殻……?

 外殻って言うと……昆虫とかの皮膚のことを言っているのかな……

 確かに、日神君は虫全般を扱う技術者の家系の子だけど……

 でも、なんで今そんな話題が出るんだろう?


 不意に出てきた予想外の言葉に、吉田もキョトンとした表情を浮かべている。

 二人して混乱していると、日神君が眉間に皺を寄せて咳払いをした。


「ともかく、以前にも言ったと思うが、たまよもあまり無茶はしないでくれ」


 苦々しい表情で日神君がそう言うと、たまよさんはションボリとした表情を浮かべて、はい、と返事をした。そして、肩を窄めて俯いてしまった。落ち込むたまよさんを見て、日神君はしまったと言いたげな表情を浮かべてから、コーヒーを一口飲んだ。

 話を聞いたところ、暴走した車にぶつかりそうになった吉田をたまよさんがすんでの所で助けてくれたそうだ。確かに、一歩間違えれば、たまよさんも大けがじゃ済まなかったかもしれない状況だったから、厳しい口調になってしまうのも分かるかな。ただ、このままだと二人が気まずい空気になってしまうよね……


「ほ、ほら、日神君も二人の無事が確認できるまで、真っ青になるくらい心配してたから、皆気を付けようね?」


 そう言うと、たまよさんは顔を上げて日神君の顔を見つめた。一方の日神君は、若干顔を赤らめて、たまよさんから目を反らすように、僕に鋭い視線を向けた。うん、余計なことを言うな、って言いたげな表情をしているね……

 でも、ほら、夫婦がギクシャクしてしまうのは、あまり良いことじゃないからさ……

 こちらも言訳を伝えるように、日神君に苦笑を向けていると、ふふふ、という穏やかなたまよさんの笑い声が聞こえた。


「そうですね。正義さんを悲しくさせたくないので、気を付けることにします」


 たまよさんが笑顔でそう言うと、日神君は頬を赤らめたまま視線を落とした。そして、それはどうも、と呟くとコーヒーをまた一口飲んだ。うん、なんだかんだ言って、この二人はこれからも上手くやっていけそうだね。


「……ところで、吉田。一つ聞きたいことがある」


 部下の夫婦円満さについて安堵していると、日神君が不意に吉田に声を掛けた。それまで、気まずそうにアイスティーを飲んでいた吉田は、声を掛けられたことに驚いて、むせかえってしまった。そして、涙目になりながらポケットからタオルを取り出し、口元を拭きつつ喉をさすっている。うん、気管に飲み物が入ると凄く辛いよね……


「……失っ……礼い……たしました。はい、何でしょうか?」


 涙目になりながら聞き返す吉田に対して、日神君はバツの悪そうな表情を浮かべて頬を軽く掻いた。


「あー……こちらこそ、何かすまなかったな……ともかく、事故に遭ったときに、何か見たりしなかったか?」


 日神君がそう聞くと、吉田はタオルで口元を押さえながら、眉を顰めて視線を左上にずらした。


「いえ、車が突っ込んでくる瞬間は、スローモーションのように見えましたが……車以外は特に……」


 吉田が答えると、日神君はコーヒーを一口飲んでから、そうか、と呟いた。

 こんなことを聞くということは、吉田も丑の刻参りの標的になっていると考えているのかな?

 確かに、連日社員が怪我をしていることを考えると、その可能性もあるのかもしれない。でも、吉田は真木花の案件には関わっていないから、標的になる可能性は少ないんじゃないのだろうか?

 いや、まだ相手が真木花と決まったわけじゃないか……


「じゃあ、何かが聞こえたり、しなかったか?例えば、聞いたことのない女の声がしたとか」


 そう言うと、吉田はほんの一瞬だけ目を見開いた。


「……いえ、聞いたことのない声がした、ということはないですね」


 吉田は目を反らさずに答えたが、日神君も先ほど一瞬だけ浮かんだ焦りの表情を見逃さなかったようだ。


「じゃあ、聞いたことのある声はした、ということだな?」


 詰問するような日神君の口調に、吉田は目を伏せて口を噤んだ。

 ……ということは、吉田が知っている人物が何か関わっているということだよね。

 吉田と面識があって、真木花と関係がある人物は一人しかいない。

 でも……あの子は……技術者ではなく、管理スタッフだったはず……


「吉田。答えろ」


 嫌な予感を振り払えずにいると、日神君が短くそう言った。

 無表情な上に、大きな声ではなかったけど、その言葉から怒気がひしひしと伝わってくる。

 吉田はそれでも答えなかったが、日神君も答えが返ってくるまで目を反らす気はなさそうだね……


「正義さん、正義さん。なぜ、そのようなことをお聞きになっているのですか?」


 重たい空気を打ち破ったのは、不思議そうに首を傾げたたまよさんの鷹揚な声だった。日神君はたまよさんの方に視線を送ると、困ったような表情で軽く目を閉じてからコーヒーを一口飲んだ。


「……部下二人と、世話になった方に危害を加えるような奴に、それなりの目に遭ってもらうためだ」


 日神君の言葉に、吉田の表情が微かに強張る。そんなに緊張した表情をするということは、やっぱりあの子が何か関わってる可能性が高そうだね……

 軽い頭痛に襲われこめかみを抑えていると、そうですか、というたまよさんの声が聞こえた。たまよさんはそう言うと、吉田に顔を向けてにこりと微笑んだ。


「そうことなら、今は答えない方が良いですよ、舞さん」


 たまよさんの口から出た予想外の言葉に、全員で呆気にとられてしまった。

 夏に挨拶に行ったときの印象だと、人に隠し事を勧めるようなタイプだとは思ってなかったんだけどな……

 そう思っていると、隣からガチャンとコーヒーカップを置く音が響いた。


「……何を言い出すんだ?たまよ」


 続いて、日神君の静かな声が響いた。日神君は鋭い視線を向けているけど、たまよさんは動じることなく笑顔を浮かべている。


「失礼いたしました。でも、正義さんは、今とても怒っていらっしゃいますよね?」


「当たり前だ!一歩間違えば、二人とも死んでたんだぞ!」


 たまよさん問いかけに、日神君は語気を荒げテーブルを叩きながら答えた。その対応に、吉田はビクッと身を震わせ、周囲の視線がこの席に集まる。日神君はそれに気づくと、小さく咳払いをして、すまない、と呟いた。その間もたまよさんは動じずに笑顔を浮かべていた。そして、軽く息を吸い込んでから、ゆっくりと口を開いた。


「だからですよ。正義さんは、怒りにまかせて行動して、後から悲しくなってしまうことが多かったんですよね?」


 諭すような口調のたまよさんの言葉に、日神君は軽く目を見開いてから目を伏せた。日神君が無言でいると、たまよさんは更に言葉を続ける。


「それに、少し前まで、全てをお一人で解決しようとして、辛いことを抱え込んでしまっていたんでしょ?でも、今は周りに事情を分かって下さる方が、ちゃんといらっしゃるんですよね?」


 たまよさんは優しい口調でそう言うと、軽く首を傾げた。

 ……色々なことを背負わせてしまっていた上司としては耳が痛いところだけど、日神君のことを理解してくれる子が一緒にいてくれて、本当に良かったと思う。


「そうだよ。今回の件は、信田部長達だって協力してくれてるし、僕もできる限り力になるから、一人で背負おうとしないでね?」


 たまよさんに続いて声を掛けると、日神君はコーヒーの残りを飲み干して、深いため息を吐いた。


「……そうですね。申し訳ございません。少し、感情的になりすぎました」


「うん、感情的になるのは仕方ないと思うよ。でも、落ち着いてくれて良かった」


 苦笑を向けると、日神君はバツの悪そうな顔をして頬を掻いた。その様子を見て、吉田は安心したようにため息を吐き、たまよさんは相変わらずニコニコと笑っていた。ひとまず、この場は収まってくれたようだね。


「……吉田。事故に遭った直後で悪いのだけれども、一度社に戻って信田部長に状況の報告をしてくれるか?その後は、半休使ってくれて構わないから」


 日神君が声を掛けると、吉田は怪我をした手を軽く握って凜々しい表情を浮かべた。


「かしこまりました!でも、元々はこれから社に戻って業務をしようと考えていたので、半休はとっておきます!」


「いや、半休は使え」

「うん、半休は使ってね?」


 吉田の熱意に満ちあふれ過ぎた発言を日神君と声を揃えて止めてしまった。吉田は残念そうな表情を浮かべて、はい、と呟いた。うん、やる気があることは良いんだけど、今日は安静にしていてほしいかな……

 脱力していると、日神君が訝しげな表情をこちらに向けた。


「ところで、月見野部長はこれからいかがなさいますか?ご予定では、葉河瀨と真木花に訪問となっていましたけれども」


「あ、うん。そうだったね、でも先方には葉河瀨君に事情と、もしかしたら伺えないかもしれない、ってことを伝えてもらうように頼んであるから大丈夫だよ。だから、僕も一緒に信田部長に事情を……」


 そう言いかけた瞬間、胸ポケットから振動を感じた。業務用のスマートフォンを取り出してみると、画面には電話番号と共に「真木花」という文字が表示されている。これは、何かトラブルがあったのかな……

 三人に頭を下げてから、通話ボタンに触れた。


「お世話になっております。株式会社おみせやさんの月見野です……え!?……そうなんですか!?……はい、それは大変申し訳ございませんでした……はい、今から御社に向かいますので……はい、失礼いたします」


 通話を切ると、日神君が不安と苛立ちが混じったような表情で、こちらを見つめていた。


「……今の電話、真木花ですよね?先方は、何と?」


「……あ、うん。何か、先方のスタッフが一人倒れたらしくて……葉河瀨君が、その対応をすることになったから、できれば、僕に来てほしいって」


 僕の言葉に、日神君は意外そうな表情を浮かべた。


「……葉河瀨が?」


「うん。詳しい事情までは聞けなかったけど……僕がこれから真木花に向かう、ということになったから」


 そう伝えると、日神君は軽く俯いてから、かしこまりました、と呟いて顔を上げた。そして、吉田に顔を向けて口を開いた。


「吉田。早川に連絡入れておくから、ここまで迎えにきてもらって、二人で社に向かえ」


「あ、はい!かしこまりました!」


 吉田が返事をすると、日神君は軽く頷いた。吉田と一緒に戻らない、ということはどこかのお客様のところに向かうのかな?

 疑問に思っていると、日神君はたまよさんに顔を向けた。


「たまよ、悪いのだけれども、早川が来るまで吉田と一緒にいてやってくれるか?」


「承知いたしました」


 日神君がそう言うと、たまよさんは笑顔で返事をしてゆっくりとお辞儀をした。日神君は、ありがとう、と呟いてから軽く頷いた。


「……日神君、予定だと今日の外出はなかったはずだけど、どうしたの?」


 恐る恐る聞いてみると、日神君は満面の笑みを浮かべてこちらを向いた。

 日神君が僕に向かってこの表情をするときって、お叱りの言葉が続くことが多いけど、なんだろう……


「月見野部長。私も、真木花にご一緒いたします」


「え……えぇ!?」


 えーと、過去に色々あったから日神君が先方に出向くことは、極力避けることにしていたけど……この表情だと、きっと諦めてくれそうにないよね……

 

「ええ。月見野部長がなんとおっしゃっても、訪問させていただきますけれども?」


 日神君はこちらの考えていることを読み取ったように、笑顔で首を傾げた。

 ……うん。

 今日の打ち合わせは荒れに荒れそうだね……

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