的場
今日からまた一週間の始まりだ。
週末に二日連続で外出したせいで、朝の営業部管理職会議ではうとうとしちゃったけど、気づかれてないといいな……
「月見野部長、失礼いたします」
「え、えーと……な、何かな?日神君」
不意に声を掛けられて、焦りながら答えると、日神君は怪訝そうな表情を浮かべた。
「はい、今朝の会議で話題に出た、第三課の新規顧客につながる可能性がある企業の件について、詳しくお話を伺いたいと思ったのですけれども……」
良かった。居眠りの件について、叱りに来たわけじゃなかったんだね。
ホッとしていると、日神君は目を軽く見開いてから、爽やかな笑顔を浮かべた。
「ああ、会議の件でしたら、お気になさらないでください。月見野部長が居眠りしたとしても、一部下である私めなどが、とやかく言えることではないですから。なんと言っても、月見野部長は営業部の最高責任者なのですから、私めなどが苦言を呈さなくても、次回からは同じ事をなさるはずはずありませんよね?」
……うん、遠回しに叱られてしまったね。
「……ごめんね。次回から気を付けるよ」
肩をすぼめながら謝ると、日神君は軽くため息を吐いて、そうですね、と呟いた。
「それで、本題に戻りますが。午後には吉田が戻るので、一時間程度お時間をいただけませんでしょうか?」
「午後か……今日は午後一に、真木花さんの所に葉河瀨君と一緒に伺う予定だから、夕方で良ければ……」
真木花の社名を口にした瞬間、日神君の顔が俄に青ざめた。視界の端では、早川君も硬い表情でこちらに顔を向けたのが見えた。
「……まことに申し訳ございません。私のせいで、月見野部長にご迷惑をお掛けしてしまって……」
日神君は手を握りしめながら、そう言って頭を下げた。
過去に起こしてしまった件について、表面上は吹っ切れたように振る舞っているけど、完全に過去の事にするにはまだ時間が足りないよね。
「……いや、この件は僕がもっと早く動いていれば良かっただけの話だから、日神君が気にすることじゃないよ。それに、撤退する方向で先方も納得してきているから」
「そうですか……」
日神君はそう言うと、悲しそうに目を伏せた。週明けの午前中に、部下のモチベーションを下げてしまうなんて、僕もまだまだだな……
「……あ、そうだ。話は変わるけど、土曜日に動物園に行ってきたから……はい、これ」
なんとか気を反らそうと、机の側に置いた鞄から、動物園で購入した缶入りのクッキーを差し出した。日神君は戸惑いながら受け取ると、頭を軽く下げた。
「あ、すみません。ありがとうございます」
「いやいや、気にしないで。社長の暴走から、第三課を守ってくれたみたいだからね」
そう伝えると、日神君は何の件なのか察しが付いたらしく、脱力した表情を浮かべた。
「そうですね……本業でもいっぱいいっぱいなのに、これ以上変な業務を増やされたら部下達にも負担が掛かりますか……」
「あー!日神課長だけずるいっすよ!」
日神君の言葉を遮るように、早川君が声を上げた。二人して顔を向けると、早川君はむすっとした顔をしながらこちらに近づいてくる。
「俺だって、社長が第三課の業務に、誰にも知られていない絶好の釣り場を探すこと、って入れようとしたのを止めたんすよ!」
「そうだったんだ……」
「そうだったのか……」
憤慨する早川君に向かって、日神君と同時に声を漏らしてしまった。うん、いくら第三課が社長の肝いりだからと言って、私的な要望を業務に入れるのはよろしくないよね……
社長の暴走に脱力していると、日神君は早川君に爽やかな笑顔を向けた。
「よし、早川良くやった。今度、ガムかジャーキーを買ってきてやるから、喜ぶと良い」
「……それ、犬用の奴買ってくるつもりじゃないっすよね?」
「別に、そんなことないけれども?なんだ、自分が犬っぽいっていう自覚はあったのか」
「……この!」
……この子達は、イザコザしないと気が済まないのかな?
まあ、必要なときはしっかりと連携を取っているみたいだから、あまりとやかく口を出せないかもしれないんだけどね……
部下への対応に頭を抱えていると、執務室のドアがガチャリと鳴った。三人同時に顔を向けると、分厚い紙の束を手にした葉河瀨部長が、欠伸をしながら現れた。
うん、今日はいつもより酷くないけど、やっぱり寝癖がついてるね。お客様の所に伺うまでに治れば良いけど……
こちらの心配をよそに、葉河瀨部長は眠たげな表情でツカツカと脚を進め、僕の席の前で立ち止まった。
「失礼します、月見野さん。今日、先方にお渡しするマニュアルを念のため印刷し……」
葉河瀨部長はそこで言葉を止め、視線を日神君に向けた。
「日神」
「……何?」
急に声を掛けられた日神君が怪訝そうな表情を浮かべると、葉河瀨部長は数回瞬きをしてから眼鏡の位置を直した。
「お前、腰どうしたんだ?」
……腰?
急な言葉に戸惑っていると、日神君はギクリとした表情を浮かべてから、軽く頬を掻いた。
「あー……土曜日に、ちょっと痛めた……」
そうだったんだ……
言われてみると、少し動きがぎこちなかった気がするけど、全く気づかなかったよ。葉河瀨君、良く気づいたな……
「うわー、おっさんが居るー」
感心していると、早川君が日神君に向かって、茶化すように声を掛けた。すぐさま、日神君が鋭い視線を向ける。
「うるさい!歳は一つしか違わないだろ!この、脱臼犬!」
「犬じゃあーりーまーせーんー!」
……うん、イザコザに拍車が掛かっちゃったね。
二人にどう声を掛けたものかと悩んでいると、執務室のドアがバタンと勢いよく開いた。室内の全員が顔を向けると、フリルのあしらわれた黒いワンピースを着込んだ金髪の女性が立っていた。頭には、額の中央に十字架の模様が描かれた包帯を巻いている……
「コラ!早川ちゃん!通勤災害の申請書には、病院の領収書が必要だって前に教えたでしょ!」
声と話している内容から、その人物が山口課長だということが分かった。
でも、山口課長……出社するにあたって、その服装はどうなんだろうか……
脱力しているうちに、山口課長はこちらに近づき、早川君の目の前で立ち止まった。
「書類を提出するときは、ちゃんと確認するなりよ!」
「……すみません。以後気を付けます」
早川君はシュンとした表情を浮かべながら、プンプンと怒る山口課長に頭を下げた。
「……山口課長も、ですか……」
不意に、葉河瀨部長がそう呟いた。小さな声だったけど、山口課長は聞き逃さなかったらしく、視線をチラリと葉河瀨部長に向けた。
「……も?」
そして、いつもよりも低い声で問い返すと、睨みつけるように目をこらしながら、早川君と日神君を交互に見た。
二人が身を強張らせていると、山口課長は困惑した表情を浮かべて、深くため息を吐く。
……二人に、何かあったのかな?
いや、確かに早川君は脱臼してきたし、日神君は腰を痛めているから、何かはあった事には違いないんだけど……
困惑していると、山口課長は満面の笑みを浮かべて、僕に向かって指をさした。
「つきみん!ちょっと、そこの三バカを連れて、ウチの執務室に来るなり★」
「えーと、そちらに伺うのは構いませんが、その呼び方はちょっと、どうかと……」
ハラスメントになりかねない呼び名に戸惑っていると、葉河瀨部長が珍しく驚愕した表情を浮かべた。
「日神早川と同じ括りにされるとは……」
「なぜ、そこで落胆する!?」
「なんで、そこで落胆するんすか!?」
落胆する葉河瀨部長に向かって、日神君と早川君が揃って抗議の声を上げた。山口部長は、三人の反応をみて楽しそうにケラケラと笑っている。
……うん、もうフォローをどう入れれば良いか分からない状況だね。ひとまず、管理部の執務室に行かないといけないね。
イザコザする三人をなんとか宥めて、廊下を挟んだ向かいにある管理部のドアを開いた。執務室の中では、信田部長と三輪さんが、パソコンのディスプレイを覗き込んでいた。
「部長ー!ちょっとだけ相談があるなりー★」
山口課長がウインクをしながら声を掛けると、信田部長は煩わしそうな表情を浮かべてゆっくりと顔を上げた。
「一体、何なの?今、取締役会議事録の最終チェックで忙し……」
信田部長はそこで言葉を止めて、切れ長の目を見開いた。そして、鋭い視線をこちらに向ける。その視線に、山口課長以外の全員がたじろいでいると、信田部長はゆっくりと口を開いた。
「……日神、早川」
「……はい」
「はい!」
二人が声を揃えて返事をすると、信田部長は息を軽く吸い込んでから言葉を続けた。
「至急、対処しないといけないことがあるから、30分ほど時間をもらうけど、良いわね?」
「……かしこまりました」
「了解っす!」
二人の返事を聞くと、信田部長はコクリと頷いてから、三輪さんに顔を向けた。
「三輪さん、ちょっと二人で席を外すけど、電話対応をお願いできる?私達じゃないと対応できないような連絡は、折り返し連絡すると伝えてくれれば良いから」
「はい、かしこまりました。でも部長……何があったんですか?」
三輪さんが不安げな表情で問いかけてから、早川君にチラリと視線を向けた。うん、婚約者が急に呼び出されたら、不安になるよね……
「大丈夫、大したことじゃないわ。今のところね」
信田部長は宥めるような声で三輪さんにそう告げると、僕に顔を向けた。
「月見野君、日神と早川の状況について、ちょっと説明があるんだけど、一緒に来てもらえるかしら?」
「ええ。どうやら、あまりよろしくない状況のようなので、構いませんよ」
そう答えると、信田部長は再びコクリと頷いた。
信田部長が動くような状況ならば、放っておくわけにはいかない。でも、本当に何があったんだろう……これ以上怪我が酷くなる可能性がある、とかだったらどうしよう……
「じゃあ、これから役員会議室に移動するけど……」
部下二人の心配をしていると、信田部長は困惑した表情を浮かべて、葉河瀨部長と山口課長に顔を向けた。
「なんでハカセまで、ここに居るのよ?」
「さあ、俺にもサッパリ分からないですね」
葉河瀨部長が平然と答えると、山口課長が、へぇ、と呟いてクツクツと笑い出した。
「サッパリ分からない、ねぇ?」
「ええ、おっしゃる通りですね」
いつもよりも低い声で問いかける山口課長に対して、葉河瀨部長は動じることもなく答えた。その回答に、山口課長は軽く鼻で笑う。
「随分と、白々しいことを言うじゃねぇか」
そして、山口課長は目を見開いて口元だけで笑いながら、葉河瀨部長の顔を覗き込んだ。その様子に、その場に居た全員が息を飲んだ。
「なあ、葉河瀨……見えたんだろ?」
山口課長は首を傾げながら手を伸ばし、葉河瀨部長がかけた眼鏡のブリッジに人差し指を当てた。葉河瀨部長は、軽く眉を顰めて、視線を反らしている。
なんだか、物騒な空気になってきてしまったね……
でも、葉河瀨部長には、一体何が見えたって言うんだろう……?




