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たとえば

 月見野様と葉河瀨さんが電車を降りたため、私と吉田さんの二人きりになってしまいました。

 公園でお会いしたときは溌剌とした印象だったのですが、今はとても苦々しい顔をしています。どうしましょう、月見野様の部下の方に何か失礼なことをしてしまったのでしょうか……

 

「あの、一条さん」


「は、はい!」


 不安に思っているところに急に声をかけられてしまったため、うわずった声で返事をしてしまいました。でも、吉田さんは気にすることなく、どこか思い詰めた表情で口を開きました。


「今日は急にお邪魔してしまい、大変申し訳ございませんでした」


「……いえ、その件はあまりお気になさらないでください」


 帽子を取って最敬礼で頭を下げる吉田さんに向かってそう告げると、すみません、という小さな声が返ってきました。この様子だと吉田さんは、私が月見野様を慕っていることに、お気づきになったようですね。


「月見野様がそちらの会合で楽しんでいらしたのなら、私はそれで充分ですから。だから、顔を上げてください」


 お昼ご飯のときに、葉河瀨さんに話を聞いていただいたので、笑顔で対応することができました。もしも、あのとき放って置かれていたら、ここで酷く取り乱していたでしょう。吉田さんも、悪気があったわけではないのに取り乱されたりしたら、やりきれなかったでしょうね……葉河瀨さんには、感謝してもしきれません。


「すみません。月見野部長も悪気があってそちらから抜け出したのではなく、どうも勘違いしていたようで……」


 吉田さんはゆっくりと頭を上げると、バツの悪そうな表情を浮かべて頭を掻きました。頭を上げていただけたのはよかったのですが……月見野様が、勘違い?


「……勘違い、とおっしゃいますと?」


 聞き返してみると、吉田さんは、しまった、と言いたげな表情を浮かべてから、目を左右に泳がせて口ごもってしまいました。きっと、口にしづらいことなのでしょうね……でも、とても気になります。

 しばらく見つめていると、吉田さんは観念したように小さくため息を吐いてから、苦笑を浮かべました。


「えーとですね……どうも、一条さんが葉河瀨部長に思いを寄せている、と勘違いしていたようで……それで、お二人の邪魔をしてはいけない、と思ってこちらの会合に一人で参加したそうです……」


 ……私が、葉河瀨さんを?


 意外な言葉に唖然としていると、吉田さんは慌てた様子で言葉を続けました。


「で、ですので、月見野部長は、一条さんから離れたかったから抜け出した、というわけでは決してなく、私としてもそちらの邪魔をするつもりは微塵もなかったのですが……」


 そして、吉田さんは肩を落として力なくため息を吐きました。


「……結果として、こうなってしまったという次第です」


「そうだったのですか……」


 相槌を打つと、吉田さんは少し疲れた表情をして、無言で頷きました。月見野様が迷惑がっていたわけではないということが分かったのは良かったのですが……


「そうだとしたら、葉河瀨さんには大変なご迷惑をおかけしてしまったみたいですね……」


「……え?」


 思わず考えていたことを口にしてしまうと、吉田さんは眉を顰めて軽く首を傾げました。


「えーと……ここだけのお話にしていただきたいのですが……葉河瀨さん、どなたかに思いを寄せていらっしゃるみたいなんですよ。それなのに、私が思いを寄せている、と勘違いされてしまったら、事態がややこしくなるんじゃないかなと……」


 事情を説明すると、吉田さんは、目を硬く瞑りながら頭を抱えました。


「あ、あの……大丈夫ですか?急な偏頭痛なら、痛み止めを持ってきているのでお渡ししましょうか?」


 声をかけると、いえ、という力ない呟きが返って来ました。


「大丈夫です。ただ、ちょっと、明日どんな顔で出社すれば良いか、分からなくなってしまっただけなので……」


 吉田さんはどこか遠いところを見つめながら、力なくそう言いました。どうしましょう、私が余計なことを口にしてしまったばっかりに、吉田さんの負担を増やしてしまったみたいです……


「その……色々と申し訳ございません……」


「いえ……一条さんが謝ることでは、ないと思いますよ。それに、厄介なことには色々と慣れてますから……」


 吉田さんはどこか疲れた顔で笑いながら、返事をしました。慣れてしまうほど厄介な目に遭ってきたなんて、想像以上に壮絶な人生を歩まれているのかもしれませんね……

 その後、色々とお話をしながら車内での時間を過ごしました。おかげで、月見野様の食べ物の好みや、日々のちょっとしたエピソードなど、色々と興味深いことを知ることができました。

 お仕事でのお話では、失敗した部下に対して原因と対策を自分で見つけられるようにアドバイスをなさったり、ご自分が情けない役を引き受けることによって部下を立てたり……


「……予想はしておりましたが、月見野様は聖人君子か何かなのでしょうか……?」


 思わずため息まじりで尋ねてみると、吉田さんも感慨深そうな表情で頷きました。


「……そうですよね。私としても、もっとお力になりたいのですが、何分まだまだ未熟で……でも、早くお力になれるように、日々精進です!」


 吉田さんはそう言うと、凜々しい表情で手を握りしめました。吉田さんの気持ちは、よく分かります。私も、月見野様のお役に立ちたい一心で、お詣りを続けましたから。ただ、月見野様のお側でお仕事ができて評価もしていただける吉田さんが、少し羨ましくもあります。

 私のお慕いする気持ちやお詣りは、あくまでも一方的なものでしかないですから……


「一条さん?いかがなされましたか?」


 暗い気持ちになっていると、吉田さんが心配そうに首を傾げました。


「あ、いえ……吉田さんは、ご謙遜なさってますが、月見野様からかなり信頼されていると思ったので。吉田さんがいらしたときに、どこか誇らしげな表情をなさっていましたから」


 お詣りのことを伝えるわけにはいかないので、誤魔化すように答えると、吉田さんは勢いよく首を横に振りました。


「いやいやいや!私なんてまだまだですよ!……今日の会合でも、結局はお仕事の話になってましたし……余計に負担をかけてしまって……」


 その時、車内アナウンスが流れました。吉田さんはハッとした表情を浮かべると、膝に乗せていた鞄を抱えて立ち上がりました。


「失礼いたしました、私はここで乗り換えですので!」


 そして、勢いよく頭を下げました。


「あ、はい。今日は色々とお話ができて、楽しかったです」


 笑顔でそう伝えると、吉田さんも屈託のない笑みを浮かべました。


「私もです!社内にも、全国でんでん虫を愛でる会にも、年の近い女性があまりいないんで……よかったら、またお会いしましょう……あ、入会の連絡も随時お待ちしていますよ!」


「そうですね……入会の方は……ちょっと、考えておきますが……」


 曖昧に答えると、吉田さんは目を輝かせて、是非!、と口にして、開いたドアから去って行きました。例えば私があのくらい活発だったら、停滞している色々な事が好転するのかもしれませんね……


 吉田さんと別れてから、二回ほど電車を乗り継ぎ、自宅の最寄り駅に着きました。日が短くなってきているので、辺りはもう暗くなっています。今日は色々あって疲れているから、駅前で何か出来合いの物を買って帰りましょう。

 家について食事を終え一息ついていると、不意に壁掛け時計が目に入りました。

 あと数時間で、日曜日が終わってしまうのですね……いえ、暗い気持ちになっていても仕方ありません。お弁当箱を洗って、スポーツウェアの洗濯をしてしまいましょう。

 お弁当箱とスープジャーは中身がほぼ空になっていたので、洗い物はそこまで大変ではありませんでした。スポーツウェアも、速乾性の生地でできているため、脱水しただけでかなり乾いています。これなら、今日中に乾きそうなので、明日の洗濯物を干す場所が狭くなる心配はなさそうですね。

 ……葉河瀨さんに、良いスポーツウェアを選んでくださったことと、お弁当を残さず食べてくださったことのおかげで家事が凄く助かった、とお礼の連絡をいれた方が良いでしょうか?

 そう思って時計を確認すると、もうすぐ日付が変わる時刻になっていました。

 こんな時間にわけの分からないお礼が来たら、葉河瀨さんも混乱してしまいますよね……連絡はやめておきましょう。それにしても、夜が明けたらまた、些細なことで叱られたり、後輩に嫌みを言われたりする一週間が始まってしまうのですね……


  ……今日の会合でも、結局はお仕事の話になってましたし……余計に負担をかけてしまって……

 

 暗い気持ちでため息を吐いていると、ふと、電車での吉田さんの発言を思い出してしまいました。

 ……月見野様も、日々責任ある立場で大変な思いをしているのに、休日までお仕事のお話しになってしまったのなら、今日はかなりのご負担だったのかもしれません。月見野様のような理想的な上司の元で日々お仕事をされているというのに、休日まで負担をかけるなんて……

 

 ……吉田さんに悪気はなかったのでしょうが、少しだけ、思い知っていだだくことにしましょうか……


 少し筋肉痛気味ですが、この程度なら高下駄で転ぶことはないはずです。早速、今夜のお詣りの用意をしなくてはいけませんね。


 藁人形を編み上げ、ケースに入った釘の残量を確認すると、あと四本になっていました。今日の分を除くと、あと三本……未開封のケースはまだありますが、今度実家に連絡するときに、補充をお願いしておきましょう。

 そういえば、まだ実家にいたときに、お詣りは決して自分のために使うな、とことあるごとに母から言われましたっけ。嫉妬に駆られて使うのは言語道断だ、とも。

 

 ……これは、月見野様のために行っていること。

 自分のためなどでは、決してありません。

 ましてや、嫉妬などでは……


 それなのに、釘を取り出す手が震えるのは何故でしょうか?

 ……きっと、疲れが出ているせいですね。

 この気持ちは、嫉妬などでは決してないのですから……

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