乗り場
目の前に設置されたバーベーキューグリルの上で、串に刺された野菜と肉が美味しそうな焼き色を付けて、良い匂いを放っている。
でも、コンテナいっぱいのカタツムリを見学するという貴重な体験をしたせいなのか、あまり食欲が湧かない気がするね……
「月見野部長、召し上がらないのですか?」
紙皿を片手に途方に暮れていると、帽子の上にカタツムリを乗せた吉田が、海老の串焼きを片手に尋ねてきた。
「あ、うん。下ごしらえのお手伝いしてたら、結構お腹いっぱいになっちゃったから」
当たり障りのない理由を説明すると、そうですか、と言いながら吉田は軽く目を伏せた。
「本日はゲストとして来ていただいたのに、バーベキューの用意まで手伝っていただいて、ありがとうございます」
「あはは、気にしないで。今日は色んな方とお話しできて楽しかったから」
頭を下げる吉田に笑いながら声をかけると、重ね重ねありがとうございます、という言葉が返ってきた。コンテナいっぱいのカタツムリには焦ったけど、なかなかお会いするのが難しい方々とお話しできて有意義に過ごせたのは事実だからね。
取引先が一つ減ってしまうことがほぼ確定しているし、今日の集まりを機会にして新規案件に繋げられるようにしたいかな……
「ところで、月見野部長。葉河瀨部長達のお昼ご飯は、大丈夫だったのでしょうか?」
打算的なことを考えていると、申し訳なさそうな表情をしながら吉田が首を傾げた。
「うん。今日は一条さんがお弁当を作ってきているから、二人で食べていると思うよ」
一条さんも意中の人に手料理を食べてもらえたし、葉河瀨部長も憎からず思っている相手と二人でゆっくり食事ができたわけだから、上手くいっているといいな。
そんなことを考えていると、不意に吉田の表情が曇った。何か、気がかりなことがあるのかな?
「一条さんがお昼をご用意なさっていたのですか?」
「うん、そうだよ。昨日、自分のお弁当を作るついでに、作ってきてくれるっていう話になったんだ」
そう答えると、吉田は眉間に軽くしわを寄せてこめかみを押さえた。そして、首を傾げながら苦々しい表情でゆっくりと口を開いた。
「そうだとしたら、月見野部長はこの会合に参加してもよろしかったのでしょうか?」
吉田の口から出たのは、思いもよらない言葉だった。
「え、なんで?折角、二人でゆっくり食事ができるんだから、僕が一緒にいたら邪魔になっちゃうでしょ?」
あ、でも三人分のお弁当を二人で食べるわけだから、余ったりしたら一条さんの帰りの荷物が増えちゃうよね……
そう思うと、申し訳ないことをしてしまったかな……
一条さんの負担を増やしてしまったことを後悔していると、吉田が軽くため息をついてから、意を決した表情で僕の目を見つめた。
「月見野部長、僭越ではございますが申し上げます。おそらく、一条さんは……」
「おーい、吉田ー。飲み物なくなっちゃたから買い出しに行くけど、他に買ってくるものあるかなー?」
緊迫した吉田の声を、よく通る男性の声が遮った。二人して声の方向に顔を向けると、財布を手にした嘉木代表がこちらに向かって手を振っている。
「嘉木代表!?買い出しならご一緒いたしますので、少しお待ちください!」
吉田が焦った声で嘉木代表に返事をすると、分かったー、という鷹揚な声が返って来た。吉田は軽くため息を吐くと、こちらに向かって軽く頭を下げた。
「月見野部長、お話の途中で申し訳ないのですが、少々席を外してもよろしいでしょうか?」
「あ、うん。僕のことは気にしないで行っておいで」
バツの悪そうな表情で尋ねる吉田に向かってそう答えると、ありがとうございます、という言葉とともに苦笑いが返って来た。
「では、お言葉に甘えて行って参ります。嘉木代表お一人にお任せすると、ホットカフェオレソーダとか特殊な飲み物を買われてしまうことが多いので……」
「そ、それは難儀だね……じゃあ、話の続きは返って来たらしようか」
僕の言葉に、吉田はコクリと頷いてから嘉木代表の方に駆けていった。一条さんは、という言葉の続きが気になったけど帰ってきたら教えてもらうことにしようかな。
そう考えていたけれど、吉田は帰って来るなりお酌や料理の取り分けに忙しく、僕の方も他の方と色々話をしたりしていたため、結局話の続きはできなかった。そうこうしているうちにバーベキューはお開きとなり、片付けを終えて吉田と公園の出入り口に向かった。
出入り口付近に設置されたベンチには、一条さんと葉河瀨部長が並んで腰掛けていた。二人は僕達に築くと、ゆっくりと立ち上がった。
「お帰りなさいませ、月見野様」
「……どうも」
一条さんは笑顔だけど、葉河瀨部長の表情はこころなしかいつもより憮然としている気がする。多分、眠気が酷いだけだとは思うけど、一条さんと何かあったんだろうか……
「一条さん、本日はまことに失礼いたしました」
二人のことを心配していると、隣で吉田が深々と頭を下げていた。
「急に抜け出してしまって、すみませんでした」
吉田に合わせるように頭を下げると、一条さんは慌てた表情を浮かべながら激しく首を横に振った。
「いえいえいえ。お二人が楽しんでいただけたなら、問題ありませんよ」
苦笑しながら軽く首を傾げる一条さんの隣で、葉河瀨部長が大きな欠伸をする。
「一条さんがそう言うのであれば、それで良いんじゃないですかね」
そして、どこか投げやりな口調でそう言うと、眠たげな目を擦った。うーん……、眠いだけなのか不機嫌なのか分からないね……
「ともかく、全員用事が済んだなら、帰るとしましょうか」
葉河瀨部長はそう言うと、スタスタと足早に歩き出した。
「あ、待ってください、葉河瀨さん」
その後を一条さんが小走りに追いかける。
「明日の出社、少し気が重いです……」
吉田がため息まじりにそう言いながら、とぼとぼと歩き出す。……やっぱり、葉河瀨部長、何か怒ってるのかな?
少し気が重いけど、路線が一緒だから、帰り道に聞いてみないといけないかな。来週からは、真木花の件で一緒に動くことが多くなるから、イザコザしているわけにはいかないからね……
重い足取りで三人を追いかけ、公園の最寄り駅に向かった。改札を通り過ぎホームにたどり着くと、程なくして電車が到着した。
僕と葉河瀨部長は一駅で乗り換えだったから、一条さんと吉田に挨拶をして電車を降りた。しばらく無言のまま二人で歩いていたけど、乗り換え先のホームに着くと不意に葉河瀨部長が口を開いた。
「今日はお誘いいただき、ありがとうございました」
葉河瀨部長はそう言うと、小さく欠伸をした。てっきり何か厳しい言葉が来るのかと思っていたから、予想外のお礼の言葉に驚いてしまった。
「うん、どういたしまして。今日は楽しめた?」
僕の問いかけに、葉河瀨部長は、そうですね、という気のない返事をした。それと同時に、ホームにアナウンスが響き、程なくして電車が到着した。車内に乗り込むと、幸い空いていたため二人して座席につくことができた。
「……」
「……」
そして、再び気まずい沈黙が訪れてしまった。
「……葉河瀨君、今日は途中でいきなり抜け出しちゃってごめんね」
沈黙に耐えきれず言葉をかけると、葉河瀨部長は眉を少し動かしてから、小さい欠伸をした。
「いえ。その件について、俺は感謝してますよ。おかげさまで、一条さんと二人で食事ができましたし、手料理のお礼として食事に誘うことにも成功しましたから」
「あ、そうだったんだ!良かったね」
何かあったのかと心配したけど、上手くいったんだ。良かった、これで一条さんの恋も大きく進んだみたいだね。
安心していると、葉河瀨部長が再び小さく欠伸をした。
「……ただ、今の一条さんが見ているのは、俺ではないですけどね」
葉河瀨部長の口から出た言葉は、意外なものだった。
「……え、そうだったの?」
思わず聞き返すと、葉河瀨部長は無言でコクリと頷いた。今日のランニングに葉河瀨部長を誘ったのは一条さんだったから、てっきり好意を持っているんだと思ったんだけど……
「そうだとしても、俺は彼女を素直に諦めるつもりはありませんし、今現在思いを寄せている方よりは彼女を悲しませないようにしますよ」
戸惑っていると、葉河瀨部長はそう言って大きな欠伸をした。
僕としては一条さんの恋路を応援したいところなんだけど、葉河瀨部長の言葉が気になった。
「その、一条さんが思いを寄せている相手っていうのは、彼女を悲しませるような人なの?」
恐る恐る聞いてみると、葉河瀨部長は再び無言のまま頷いた。
「そうなんだ……じゃあ、是非とも葉河瀨君に頑張ってもらいたいな」
そう伝えると、葉河瀨部長は、そのつもりです、と呟いてから目を閉じた。
それからしばらく反応を待っていたけれど、葉河瀨部長は静かに寝息を立てながら眠り込んでしまった。昨日はあまり眠れていなかったって言ってたから、仕方ないね。
でも、一条さんが思いを寄せていたのは、葉河瀨部長じゃなかったのか……
本当ならば、一条さんの恋路を応援したいところだけど、悲しませるようなことをする相手とは一緒になって欲しくないかな。
本人にとっては大きなお世話だろうけど、あの子には悲しい思いをして欲しくない。
生まれることが叶わなかった娘と同じ名前を持っているあの子には、幸せになって欲しい。
そんなことを考えていると、車内アナウンスが結婚していた頃に住んでいた駅名を告げた。
今考えていたことが京子に知られたら、また呆れた顔でため息を吐かれてしまいそうだ。
……一条さんが幸せになることも応援したいけれど、明日からは真木花との決着に向けても頑張らないといけないね。
取引が完全になくなったら仕事で顔を合わせる機会はなくなってしまうけど、葉河瀨部長の意気込みならきっと大丈夫だろう。あとは、僕と京子の関係か……今まで明確な決着というのを避けていたけれど、腹をくくらないといけない時が来ているのかも知れない。
これ以上、京子の手を汚させないためにも。




