逃げ場
一条さんと葉河瀨部長に二人きりの時間をつくろうと、少し離れた場所から気配を消して二人を見守っていた。でも、葉河瀨部長から新製品に関する衝撃的な発言があったから、思わず飛び出してしまった。一条さんは気にしないでほしいと言っていたけど、このままじゃ駄目だよね。葉河瀨部長も残念そうな顔をしているから、なんとかしてこの場を離れないといけないと考えていたら……
「あれ……月見野部長!?」
黒いキャップを被ってスポーツ用ジャケットを着た人物が、こちらに走り寄ってきた。スポーツ用ジャケットに描かれた、大きなカタツムリのロゴマークとよく通る高い声……営業部第三課の吉田舞さんだね。現在、営業部唯一の女性社員にして、カタツムリをこよなく愛し、おまけに坊主頭というかなり特殊な子だ。でも、新規の取引先を開拓したり、難しい案件にも回りの協力を得ながらめげずに立ち向かっていく、期待の部下でもあるね。
そういえば、長らく営業部に女性がいなかったから敬称をどうするか第三課の面々と悩んだけど、本人から、悩むくらいなら呼び捨てにしてください、とハッキリ言われたときは面食らったな。
「あ、葉河瀨部長も……お疲れ様です!」
昔のことを思い出しているうちに、吉田は僕達の元にたどり着いた。そして、葉河瀨部長に気づくと帽子を取って、背筋を伸ばしてお辞儀をした。うん、どこに行っても恥ずかしくない、きちっとしたお辞儀の仕方だ。感心していると、葉河瀨部長も軽く頭を下げ、一条さんも姿勢を正して頭を下げた。
「お疲れ様。こんな所で会うなんて奇遇だね。えーと今日は……」
どうしてこの公園に?、と聞こうとしたけど、その必要は無かったかもしれない。服装を見れば、間違い無くカタツムリ関係で来てるって分かるよね……
「はい!今日は全国でんでん虫を愛でる会のフィールドワークでこちらに参りました!」
吉田は元気よく予想通りの返事をすると、一条さんに視線を向けた。
「ところで、月見野部長、そちらの女性は?」
そうか、吉田は例のお客さんとは直接かかわっていなかったから、一条さんに会うのは初めてだったね。
「こちらの方は一条姫子さん。真木花株式会社の方で、今日は縁あって僕と葉河瀨君と三人でランニングをしているんだ」
「そうでしたか!いつも、お世話になっております!私は、株式会社おみせやさん、営業部第三課の吉田舞と申します!」
吉田はそう言うと、一条さんに向かって勢いよく頭を下げた。
「こちらこそ、いつもお世話になっております。私は真木花株式会社、技術者サービス部門管理スタッフの一条姫子と申します」
一条さんも自己紹介すると、再び吉田に向かって丁寧にお辞儀をした。管理職クラスではイザコザの最中だけど、二人とも悪い第一印象を持ったということはなさそうでよかった……
「時に、一条さん、でんでん虫はお好きですか?」
「え?……あ、失礼致しました。デンデンムシですか……?」
……という、上司の安心を見事に打ち砕いてくれるね、吉田は。
一条さんも、訳が分からないといった表情で固まっちゃったし……まあ、プライベートの活動を上司がどうこう言えないのかもしれないけど……
「はい!もしも、ご興味があるようならば、是非我らが全国でんでん虫を愛でる会に……」
「こら、吉田。取引先の方をいきなり秘密結社に勧誘するもんじゃないぞ」
部下の暴走をどうしたものかと悩んでいると、葉河瀨部長が吉田の言葉を遮るように注意をしてくれた。あまり強い口調ではなかったけれど、吉田は我に返ったようで、しまった、という表情を浮かべて一条さんに頭を下げた。うん、ナイスアシストをありがとう、葉河瀨部長。
「大変失礼致しました。最近、新規加入者も減ってきているので、つい……」
吉田はそう言いながら、肩をすぼめて頭を下げた。吉田のこういう突破力は仕事の時にとても力になるけど、冷や冷やすることも多いね。でも、幸いにも一条さんは気分を害した様子も無く、慌てながら首を横に振っている。
「いえいえいえ、どうかお気になさらないでください。紫陽花にデンデンムシが乗っていると風流だな、というような凡俗な発想しか思いつかない人間を誘っていただいただけでも、ありがたいことですから」
……気分は害していない用だけど、何かマイナス思考のスイッチを入れてしまったみたいだね。どうしよう、元はといえば一条さんの気分転換にと思って企画したランニングなのに、逆効果になってしまったよ……でも、吉田は僕の戸惑いをよそに、目を輝かせながら一条さんの手を取った。
「いやいやいや!私達にはそう言った素直な気持ちを持つ方が必要なんです!やはり、ここは是非全国でんでん虫を愛でる会に!!」
「はーい、吉田ー。ちょっと落ち着こうなー」
息を荒くして一条さんに詰め寄る吉田を、葉河瀨部長が宥めるような口調で肩を掴みながら引き離した。
「駄目だぞ、吉田。一条さんが困ってるじゃないか」
そして、諭すように注意すると、吉田は再び肩をすぼめて頭を下げた。
「……重ね重ね、大変失礼致しました。でんでん虫のことになると、自制心を失ってしまって……」
「いえ……お気になさらずに。好きなものや人の前で必死になってしまう気持ちは、私も分かりますから」
頭を下げる吉田に向かって、一条さんはにこやかに微笑んだ。そして、僕の方に視線を向けると、はにかみながら軽く頭を下げた。なんだか、色々と気を遣わせてしまって申し訳なかったけど、話が落ち着いたみたいでよかったよ。ただ、葉河瀨部長が 少し淋しそうな顔をしているのがちょっと気になるかな……
「ありがとうございます一条さん!では、無理な勧誘はできませんが……」
葉河瀨部長の表情に気を取られていると、吉田はそう言ってスポーツ用ジャケットのポケットを探った。そして、カタツムリのロゴマークが付いた名刺入れを取り出し、中から一枚の名刺を一条さんに差し出した。
「こちら、全国でんでん虫を愛でる会の名刺です。もし、気が向いたら記載しているURLにアクセスしてみてくださいね!」
「あ……ご丁寧に、ありがとうございます」
一条さんは頭を下げて、満面の笑みを浮かべた吉田から名刺を受け取った。弊社の名刺より、印刷が綺麗な気もするけど、深く触れないでおこうかな。全国でんでん虫を愛でる会には、各業界のトップクラスの企業の重役が関わっているって聞いたこともあるし、資金も豊富なのかもしれないね……
「ところで、皆さん。これから、全国でんでん虫を愛でる会のメンバーでバーベキューを予定しているのですが、よろしければご一緒にいかがですか?」
全国でんでん虫を愛でる会のメンバーに思いを馳せていると、吉田から意外な申し出をされた。色々と予想外のことが起こってしまったけど、これはチャンスかもしれない。
「じゃあ、部下がいつもお世話になっていることだから、私はちょっと挨拶して来ますね。一条さんは、もう少し休んだら、葉河瀨君と先にお昼を食べててください」
これで、また二人きりになれる機会ができるね。
「あ……はい、月見野様がそう仰るのであれば……」
一条さんはそう言って頭を下げて、葉河瀨部長も、分かりりました、と呟いた。二人とも表情が硬い気がするけど、緊張のせいかな?でも、これを乗り切れれば、お互いが憎からず思っていることが分かるはずだから、頑張るんだよ。
「あの、別に三人でご出席されても、こちらは構わないのですが……?」
「あ、ほら、はじめて会う人が多いと、一条さんも緊張してしまうかもしれないから、ね」
「そうですか……では、失礼致します……」
吉田は戸惑いながらも二人に頭を下げると、踵を返して歩きだした。
「じゃあ、行ってくるね!」
「……はい。行ってらっしゃいませ……」
「行ってらっしゃい」
頭を下げる二人に軽く会釈をしてから、吉田の後を追った。
二人の姿が見えなくなるほど離れた場所に着くと、吉田は僕に怪訝な表情を向けた。
「あの、月見野部長……お二人を置いてきてしまって、よろしかったのでしょうか?」
「あ、うん。むしろ助かったよ。さっきから、なんとか二人きりにしようとしてたんだけど、なかなか上手くいかなかったから」
質問に答えると、吉田の表情はより一層怪訝そうになった。
「葉河瀨部長と一条さんを二人きりにですか?」
「うん。どうも、一条さんは葉河瀨君に恋をしているみたいで、葉河瀨君も一条さんのことを気に入ってるみたいだから、僕がいると邪魔になっちゃうからね」
笑いながら答えると、吉田は意外そうに目を見開いた。
「一条さんが、葉河瀨部長にですか?」
「そうみたいだけど……意外そうな顔してるね?」
でも、僕もはじめは少し驚いたから、吉田の気持ちも分かるかな。葉河瀨君、ちょっとだけ取っつきにくい雰囲気があるからね。確かに、二人きりにして全く不安が無いわけではないけど、二人ならきっと大丈夫だと思いたい。
二人の進展に期待していると、隣で吉田が目を伏せて、そうですか、と呟いた。
「確かに、葉河瀨部長が一条さんに好意を持っているのは、なんとなく伝わりました。先ほど一条さんの手を思わず握ってしまったときに、ちょっとムッとした顔をされていましたから」
「そうだったんだ……僕は全く気づかなかったよ。吉田の洞察力は凄いんだね」
「いえ、どれほどでも」
吉田は謙遜しているけど、カタツムリの観察を日々おこなっているから、洞察力が鍛えられているのかもしれない。それに、表情が分かりやすいタイプじゃない直属の上司の日神君に対しても、日々上手くサポートしているし。この洞察力を強みにして、これからも頑張ってもらいたいね。
感心していると、吉田は視線を僕の顔に向けた。頭に枯葉でも、付いてしまっていたかな?
「ただ、一条さんの方はむしろ……いえ、なんでもありません」
吉田はそう言って再び目を伏せた。
むしろ、何なんだろう?
一条さんが思いを向けているのが、実は僕とか?
……いやいやいや、流石にこんなスキンヘッドの強面なおじさんに恋するわけないよね。
ともかく、どうにか二人の恋路が穏やかなものになって欲しいね……
そんなことを考えていると、ランニングコース脇の植え込みから一羽のカラスが顔をだした。
カラスは僕の顔を見つめると、一声鳴いてどこかに飛び去っていった。
……少なくともあの二人が、相手のことを思い出すだけで胸がえぐられる気分になる結末を迎えないことを心の底から祈ろう。




