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思えば

 今日は、心待ちにしていた月見野様たちとのランニングの日です。昨日のお詣りで寝不足ぎみですが、なんとか早起きして、お弁当も用意できて、月見野様の足を引っ張らずに走ることもできたのですが……

「あの、葉河瀨さん……お加減はいかがですか?」

「はい……お陰様で、落ち着いてきました……」

 葉河瀨さんが真っ先にダウンする、という予想外の事態が起きてしまい、非常に混乱しています。やはり、昨日無理に誘ってしまったのが良くなかったのでしょうか……いえ、考える余地もなくそうですよね。思えば、そこまで親しくない方に、月見野様が退屈なさらないように、という理由で声をかけるなんて失礼にも程があります……

「……お邪魔をしてしまって、申し訳ないです」

 自己嫌悪に陥っていると、葉河瀨さんが項垂れながらポツリと呟きました。いけません、暗い表情をしていたのが、ご自分のせいだと思われてしまったようです。

「いえいえいえ!元はと言えば、私が無理にお誘いしてしまったのが、諸悪の根源なのです!余計なご迷惑をおかけしてしまって、まことに申し分けございませんでした。いっそのこと、私の肺が爆発してしまえば良かったので……」

「肺を爆発させるのは、控えていただけると助かります。まだ、人工肺の仕組みを把握しきっていないので」

 葉河瀨さんはこちらの言葉を遮るようにそう言いました。人工肺の仕組みを理解なさったのなら、肺を爆発させても良いのでしょうか?でも、たとえ人工肺をお造りになることができても、取引先の管理スタッフを助ける義理なんて、無いですよね……

「……信じていただけるかは別として、誘っていただけたのは嬉しかったですよ」

 くだらないことを考えていると、葉河瀨さんはそう言って、薄く微笑みました。社交辞令とはいえ、そう言っていただけると救われる思いです。

「それは……ありがとうございます……」

「いえいえ、こちらこそ。それよりも、良ければ、となりにどうぞ」

「あ、ありがとうございます」

 二人で頭を下げあったあと、葉河瀨さんに勧められてベンチに腰掛けました。


「……」

「……」


 でも、昨日と同じように、はやくも会話が途切れてしまいました。どうしましょう……売店はここから少し離れた場所にあるから、月見野様がお戻りになるのはもう少し時間がかかるでしょうし……そうだ。

「あの、先ほどは可愛らしいマスコットをいただき、ありがとうございました」

 先ほどいただいた盗撮カメラ発見機能が付いたマスコットについてお礼を言うと、葉河瀨さんは動きを止めたあと、あー、と言いながら軽く頭を掻きました。

「……いえ、お気になさらずに。盗撮カメラは、ありませんでしたか?」

「はい。試しにスイッチを入れてみましたが、特に反応はありませんでした」

「ならば、良かったです」

 葉河瀨さんはそう言うと、軽く息を吐いてから薄く微笑みました。

「でも、私の着替えなんて写ってしまったら、盗撮カメラを仕掛けた方もがっかりで……」

「いえ。決してそんなことは無いと思いますよ……あ」

 こちらの言葉を遮るように言葉を発した葉河瀨さんでしたが、急に動きを止めてしまいました。

「すみません。語弊がありました。決して一条さんの着替えを覗きたい等と考えた訳ではなく、ご自分を卑下して欲しくない、という考えから先ほどの発言をした次第です」

 そして、かなり早口にそう言うと、俯いて黙り込んでしまいました。消耗されているにもかかわらず一気にお話しになったためか、心なしか顔色がまた赤くなってしまっている気がします。なにか、もの凄く申し訳ないことになってしまいました……

「すみません……私の不用意な発言をフォローしていただいたばかりに、折角落ち着いてきた呼吸を乱してしまいました……」

「いえ……どうか、お気になさらずに……」

 葉河瀨さんはそこで言葉を止めて、深く息を吸い込みました。

「……それと、重ねて言いますが、あまりご自分を卑下しない方が良いですよ。月見野さんも言っていましたが、一条さんは、魅力的な女性だと思いますから」

「あ……りがとう……ございます……」

 葉河瀨さんの言葉に、月見野様からいただいたお言葉を思い出し、言葉に詰まってしまいました。社交辞令とはいえ、お慕い申し上げている方から、可愛らしい、というお言葉をいただけたなんて……思い出しただけで、頬が赤くなっていくのが分かります。

「……いえ。そういうことなので、もう少し自信を持った方がいいですよ」

 葉河瀨さんはそう言うと、薄く微笑みました。ただ、少し口元が震えていたように思えました。何かを堪えているような様子にも見えますが、気のせいでしょうか……いえ、私の容姿がどうのという、心底どうでも良い話題に飽きてきたのでしょう。きっと、そうに違いありません。ならば、話題を変えないと……

「えーと……ところで、葉河瀨さん。お好きなんですか、モルモット?」

「……え?」

 ……話題を変えるにしても、急に何の話をしているのでしょうか私は……

 葉河瀨さんも、キョトンとした表情のまま、固まってしまいましたし……

「すみません……先ほどいただいたマスコットが可愛かったのですが、モルモットのモチーフってあまり見かけないなと思いまして……」

 混乱させてしまったことに対して頭を下げてからそう告げると、ああ、と呟いてから葉河瀨さんは再び薄く微笑みました。

「そうですね。齧歯目は大概好きですが、モルモットは特に好きですね。見ていると、穏やかな気分になるので」

「……そうだったんですか」

 齧歯目という大きな括りが好きということは、あのマスコットがハダカデバネズミになってしまった可能性もありえたのでしょうか……?

「……流石に、ハダカデバネズミをモチーフにした物をプレゼントするほど、変人ではないつもりですよ?」

 若干失礼なことを考えていると、葉河瀨さんは不服そうな顔を浮かべながら首を傾げました。そうですよね、流石にそこまでエキセントリックな方ではないですよね。いえ、そのようなことに感心している場合ではなくて……

「なぜ、考えていたことが分かってしまったのですか!?」

 考えていたことが筒抜けになってしまったことに驚くと、葉河瀨さんは軽く吹き出してから、目を細めて笑いだしました。

「ははははは、すみません。齧歯類が好きと言ったあとに、怪訝そうな顔をされたので、ちょっとした冗談のつもりりだったのですが……まさか本当にハダカデバネズミのことを考えているとは思いませんでしたよ」

 葉河瀨さんはそう言いながら、苦しそうにお腹を押さえてうずくまりました。ランニングで体力を消耗しているところ、またしても呼吸を乱すようなことをしてしまって申し訳ない思い出いっぱいです……

「諸々、大変失礼いたしました……」

「いえいえ、一条さんのそういうところ、俺は可愛いと思いますよ……!」

 呼吸が落ち着いた様子の葉河瀨さんでしたが、言葉の途中で一瞬呼吸が止まってしまったように見えました。顔色もまた赤くなってしまっていますし、今日は、葉河瀨さんにご迷惑をお掛けしてばかりですね……

 ……可愛いと思う……?

 そういえば、昨日も私の言い回しを面白がっていらっしゃいましたね。

 ……私は葉河瀨さんにとって好ましい人間、ということなのでしょうか?

 ……いえ、アホっぽいということを遠回しに仰っているのですね、きっと。

 ご迷惑を掛けているばかりか、気を遣わせてしまって本当に申し訳ない…… 

 やり場の無い罪悪感に肩を落としていると、葉河瀨さんは軽く咳払いをしました。

「……ともかく、ハダカデバネズミは面白い生物なので、今後の製品開発で生態を参考にするかもしれません」

「……葉河瀨君。ご乱心シリーズには慣れているけど、もう少し手加減してくれると、ありがたいかな」

 不意に聞こえた声に、二人して慌てて顔を向けると、スポーツドリンクと紅茶のペットボトルを手にした月見野様が苦笑しながら立ちすくんでいました。私としたことが、全く気配すら感じることができませんでした……

「月見野様!お帰りなさいませ!」

 ベンチから飛び跳ねるように立ち上がり頭を下げると、頭上から穏やかな笑い声が聞こえて来ました。 

「そんなにかしこまらなくても良いですよ。あと、一条さんも疲れているでしょうから、これをどうぞ」

 月見野様はそう言いながら、ペットボトルを差し出して微笑みました。葉河瀨さんだけでなく、私のことまで気にかけてくださるなんて……

「ありがとうございます。このご恩は、この身を引き裂いてでもお返しいたしますので」

「そ……そこまで気負わなくて良いですよ……あと、葉河瀨君も、はい」

 月見野様は困ったどこか気まずそうにそう言って、葉河瀨さんにペットボトルを手渡しました。

「……ありがとうございます」

 対する葉河瀨さんも、ペットボトルを受け取る表情がどこか淋しげなような気がします。ひょっとして、葉河瀨さんがにがてな味のスポーツドリンクしか売っていなかったのでしょうか?確かに、あのスポーツドリンクは酸味が強いので、甘党の葉河瀨さんのお口には合わないのかもしれませんね。私も、不用意に飲んでむせ返ってしまったことがありますもの。

「ごめんね、もう少し二人でお話ししていたかったよね。なのに、新製品にかかわるかもしれない話題だったから、つい口を挟んでしまって……」

 スポーツドリンクの酸味に思いをはせていると、月見野様の言葉によって現実に引き戻されました。月見野様のお顔に目を向けると、苦笑しながら首に掛けたタオルで額の汗を拭いていらっしゃいます。

「いえいえいえ!とんでも、ございません!」

 慌てて首を横に振ると、そうですね、という葉河瀨さんの呟きが耳に入りました。

「今回、イレギュラーなのは俺の方なので、あまりお気になさらないでください」

 そう言って、葉河瀨さんは微笑みました。でも、口元がまた微かに震えているようにも見えます。先ほども、そうでしたが……まるで、悲しいのを堪えているような……私がまた、何かしてしまったのでしょうか?

 


「あれ……月見野部長!?」



 葉河瀨さんを悲しませるようなことをしていないか、先ほどまでのことを振り返っていると、少し離れた場所からよく通る女性の声が聞こえてきました。

 三人でほぼ同時に振り返ると、黒いキャップを被って深緑色のスポーツ用ジャケットを着た人物が、こちらに走り寄って来るのが目に入りました。スポーツ用ジャケットには、大きなロゴマークのような物が描かれています。


 ……あれは、デンデンムシ?


 再び月見野様の顔に目を向けると、どこか安心なさったような表情をなさって手を振っています。

 多分、お知り合いの方なのでしょう。

 ランニングに参加する方が増えるのは問題ないと思いますが、お昼ご飯が足りるかどうかが少し心配です……

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