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そうなれば

 極彩色の壁に囲まれた店内で、シュークリームにフォークを入れていると、テーブルの上に載せたスマートフォンが、ガタガタと音を立てて震え出しました。向かいの席に座った葉河瀨さんに促されて確認すると、月見野様からのメールを受信していました。えーと、内容は……


  一条さん

  お世話になっております。月見野です。

  明日のランニングの件、承知いたしました。

  若いお二人の足を引っ張らないように頑張りますので、よろしくお願いしますね。


 むしろ、私の方がお二人の足を引っ張ってしまいそうな気がします……それはともかく、葉河瀨さんに結果をお伝えしなくては。

「葉河瀨さん、月見野様から、明日のランニングの件についてご快諾いただきました」

 葉河瀨さんはコーヒーを一口飲んでから、安心したような表情で、そうですか、と答えました。これで、月見野様へのご用事も済みそうなので、なによりです。

 こちらも安心して、シュークリームを口にすると、口元に視線を感じました。視線の方に目を向けると、葉河瀨さんがこちらを凝視しています。どうしましょう、食べ方が不快だったのでしょうか……

「……すみません。ひょっとして、口元にクリームがついてましたか?」

 ハンカチを取り出して口元を拭きながら尋ねると、葉河瀨さんは少し慌てた様子で首を横に振りました。

「すみません、そういう訳ではないです。ただ、前回昼食をご一緒したときにも思ったんですが、食べ方が綺麗だなと……」 

「あ、ありがとうございます……」

 意外にも、お褒めの言葉をいただいてしまいました。ともかく、不快な思いをさせているのでなければ、良かったです。

「ところで、お好きなんですか?シュークリーム」

 またしばらく二人で黙々とケーキとシュークリームを食べていましたが、不意に葉河瀨さんに話しかけられました。いえ、二人でお茶をしているのですから、不意にと言うのは語弊があるかもしれませんが……などと考えている場合ではないですね。

「はい。ここのシュークリームもサッパリとして美味しいですが、もう少し甘い物も好きですね」

 葉河瀨さんは、そうですか、と呟くと、コーヒーを飲み干すように一気に口にしました。

「もしご迷惑でなければ、こ……」

「あれ?ハカセじゃん!」

 突然聞こえた明るい口調の声に、葉河瀨さんの言葉は遮られました。二人して声の方向に顔を向けると、栗色の長い髪の毛をまとめ上げた、紅葉色の紬を着た女性が笑顔で立っていました。葉河瀨さんは、どうも、と言いながら軽く頭を下げていますが、どこか残念そうな顔をしています。苦手な方なのでしょうか?

「えーと……葉河瀨さん。そちらの方は……?」

 恐る恐る尋ねてみると、葉河瀨さんは気まずそうな表情を浮かべて、頭を掻きました。

「勤め先の……一応、人事課長を務めている方です」

「ハカセー、このウルトラミラクルエキセントリックな課長に向かって、一応とは酷いなりよー」

 頬を膨らませる女性に対して、葉河瀨さんは平淡な表情で、すみません、と呟いてから言葉を続けました。

「それにしても、エキセントリックという御自覚はあったんですね」

「まあねー★それで、ハカセ……」

 人事課長さんは言葉をとめて、私の方に笑みを向けました。

「そちらの可愛らしいお嬢さんは、彼女さん?」

 ……初対面の人間にたいして、いきなり何を仰るのでしょうかこの方は。葉河瀨さんもショックのあまり、口を開いたまま動きをとめてしまいましたし……ここはキチンとご説明しないと、ご迷惑がかかりますよね。

「いえ、私は真木花株式会社の一条いちじょう 姫子ひめこと申します。先ほど、御社の葉河瀨様に危ないところを助けていただいたので、お礼にケーキをご馳走させていただいているだけです。決して、恋人ではございません」

 人事課長さんにそう伝えると、葉河瀨さんは勘違いが正されたことに安堵したのか、軽いため息を吐きました。

「……そういうことです」

 そして、脱力気味に呟きましたが、どこか悲しそうなところが気にかかります。やはり、私なんかが恋人だと思われたのですから、ショックが大きかったんですね……本当に申し訳ないことになってしまいました。

 やり場のない後悔の念に駆られていると、人事課長さんは口元に手をあてて、弊社の社名を数回呟きました。

「……真木花ってことは、ひょっとして三輪さんって子を知ってたりする?」

「ふぇ!?……あ、失礼いたしました。以前、同じ部署でとてもお世話になっていましたが……ひょっとして、今は御社にいらっしゃるのですか?」

 不意に出た先輩の名前に変な声が出てしまいましたが、人事課長さんは特に気にする様子もなく、そうなりよー、と言って頷きました。

「同じ部署でお世話になってたってことは、姫っちは管理部門勤めなりね?」

「……はい。管理部門という独立した部署はありませんが、技術者サービス部門の総務、労務管理、給与計算、販売および購買管理、経理などを担当しております」

 いきなり友好的な呼び名を付けられて面食らいましたが、質問に回答すると人事課長さんは凜々しい表情を浮かべました。そして、そのままこちらに歩み寄り……

「俺には君が必要なんだ。是非とも弊社に来てくれないか?」

 ……手を取りながら、愛の告白のような台詞で、ヘッドハンティングをなさりました。しかも、なぜか葉河瀨さんの声真似をしています。先ほどの勘違いといい、今日は葉河瀨さんの厄日なのかもしれませんね……

「……人の声を真似て、気恥ずかしい台詞を吐かないで下さい」

 葉河瀨さんが絞り出すような声でそう言うと、人事課長さんは手を放してご自分の頭をコツンと叩くと、舌をペロリと出しました。

「メンゴメンゴ★でも、もしも今の職場に不満や限界を感じたら……はい、コレあげるからいつでも連絡して欲しいのねん★」

 人事課長さんは転職サービスの広告のような台詞を言いながら袂を漁り、名刺を一枚取り出しました。

 

 株式会社おみせやさん

 管理部人事課課長

 山口 慧


 ……本当に、人事課長さんだったのですね。

「おやぁ?姫っち、何か今失礼なこと考えたなりね?」

 失礼な感想を抱いたことが表情からバレてしまったのか、山口課長に満面の笑みを向けられてしまいました。

「いえいえいえ!滅相もございません!」

 慌ててごまかすと、山口課長は、そう、と小さく呟きました。

「まあ、でもこの件は考えておいてよ。もしも、姫っちが来てくれたらすっごく嬉しいなりよ★ね、ハカセ?」

 山口課長はそう言うと、お冷やを飲んでいる葉河瀨さんに向かってウィンクをしました。葉河瀨さんは、グラスに口をつけたまま固まってしまっています。確かに、私が転職してきて嬉しいかと聞かれても、反応に困りますよね……ここは、僭越ながら私が山口課長をたしなめないといけません。

「あの、山口課長?葉河瀨さんが困っているので、あまりからか……」

「いえ。俺としては一条さんが弊社に転職することは、賛成です」

 山口課長への進言を遮るように、葉河瀨さんはそう言いました。またしても、こころなしか早口だったのが、少し気になりますが……

「……少なくとも、弊社の管理部門には、下らないことで部下を追い詰めるような上司はいません。それに、気心の知れた先輩が同じ職場なら、今ほど日々の業務に緊張することもないでしょうし」

 そう言った葉河瀨さんがお冷やを飲み干すと、山口課長が得意げな顔を浮かべました。

「……ただし、年齢性別ともに不詳のエキセントリックな課長が上司になってしまうのは、少し心配ですが」

 そして、その後に続いた言葉を受けて、山口課長の眉間に薄らとシワがよりました。

「経費の請求書を机の中にしまいっぱなしにするような部長に、部下の扱いを心配されたくないなりよ」

 山口部長の言葉に、葉河瀨さんは棒読み気味に、以後気をつけます、と答えてそっぽを向いてしまいました。それにしても、葉河瀨さん、部長さんだったんですね……弊社の場合、部長に該当する職位は全員50代以上の方々なので、会社が違うと随分と文化が違うみたいです。まあ、私程度では管理職の選定基準がどうであっても、あまり関係はないのですけどね。

 それでも、私なんかを必要だと言って下さる人の元で働くことが出来れば、日々の業務も憂鬱ではなくなるのかもしれません……でも、そうなれば月見野様に毎日お会いすることになってしまいます。その場合、私の心臓は果たして無事でいられるのでしょうか?

「まあ、あと、月初のクソ忙しいときに社員証ホルダーを壊すようなどうしようもない営業部長もいたりするけど、基本的には和気藹々とした職場なりよ★」

 自問していると、山口課長の軽快な声によって現実に引き戻されました。

 営業部長となると、月見野様のことですよね?確かに、月初の忙しいときにお仕事が増えるのは、大変ですが……

「……社員証ホルダーを壊した位で、どうしようもないと仰るのは、失礼かと存じます。月見野様は、日々数々のプレッシャーの中で、部長職という責任あるお仕事をなさっているのですから」

 意を決して反論を申し上げると、山口課長はキョトンとした表情を浮かべて首を傾げました。

「ありゃ?つきみんのこと知ってたなりねー。でも、なぜそんなにつきみんの肩をもつなりか?」

 

 それはお慕い申し上げているからです!

 

 ……などと、職場の方々の前で言えるわけもありませんね。

 答えあぐねていると、山口課長は興味なさげに、ふーん、と呟きました。そして、なぜか葉河瀨さんの方に、一瞬だけ目を向けてから、再びこちらに向かって首を傾げました。

「姫っちなら、スキンヘッドの強面なおっさんよりも、いい人がいるんじゃない?」

「な……!?なんて失れ……」

「師匠!!また人様にご迷惑をおかけしているのですか!?」

 抗議をしようとした矢先、よく通る子供の声に言葉がさえいられました。声のする方向をみると、高い位置で結ばれたポニーテールにトンボ型の髪飾りを付け、グレーのコートを着た女の子が小走りでこちらに向かってきています。山口課長は、しまった、というような表情を浮かべてから、こちらに向かって軽く頭を下げました。

「あはは、弟子と一緒だったことを忘れてたなりよ★じゃあ、アタシはコレで失礼するけど、転職の件は前向きに検討してみてね、姫っち★」

 山口課長はそう言うと、そそくさと女の子の方へ向かって行き、ご自分達の席に戻って行きました。

「……弊社の山口が、まことに申し訳ございませんでした」

 お二人がご自分達の席に着いたのを確認すると、葉河瀨さんが力なくそう言って頭を深々と下げました。

「いえ……色々と驚きはしましたが、葉河瀨さんが謝ることではないと思いますよ……」

 でも、月見野様に対する失礼な発言は見過ごす訳には行きません。きっと、日々ご本人相手にも失礼な発言をなさっているのでしょう……幸いなことに、お名刺はいただきました。本当は明日に備えて早く休もうと思っていたのですが、致し方ないですね。


 少しだけ、痛い目に遭っていただくことにいたしましょう。


「……一条さん?」

 今夜のお詣りに対して意気込んでいると、葉河瀨さんが怪訝そうな顔を向けていました。いけません、少しだけ意気込みが表情に表れてしまった、ようですね。

「失礼いたしました。改めて明日のことを考えたら、緊張で顔が強張ってしまったようです」

「そうですか、それだけなら良いのですが……」

 笑顔で答えると、葉河瀨さんはそう言ってなぜか悲しそうに目を伏せました。これは、何とかして話をそらさないといけません。えーと……

「そうだ、明日のランニングについての連絡もあるので、ご連絡先を伺ってもよろしいでしょうか?」

 ……なぜか、ナンパのようになってしまいました。わざわざ連絡先を聞かなくても、口頭で時間と場所をお伝えすれば済む話でしょうに……葉河瀨さんも、対応に困ってまた固まってしまいましたし……

「……大変失礼しました、ご迷わ」

「いえ。全くもって、何も問題はありません。ただいま、スマートフォンを用意いたしますので、しばしの間お待ち下さい」

「そ、そうですか……」

 葉河瀨さんは鬼気迫る表情でそう言うと、コートのポケットを探り始めました。

 なぜ鬼気迫る表情なのかは不明ですが、ご迷惑ではなかったようなので良かったです。

 さて、連絡先を交換して、紅茶を飲みきったら、家に帰って今日のお詣りと明日のランニングの準備をいたしましょう。

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