結びの言葉
葉河瀨部長たちの活躍のおかげで、一条さんも京子も無事に戻ってくることができた。
僕と京子が倉庫を出ると、スーツ姿の信田部長が立っていた。
「二人とも、お疲れ様です」
「信田部長も、お疲れ様です」
「……どうも」
僕と京子が返事をすると、信田部長は微笑みを浮かべて首を傾げた。
「早速で申し訳ありませんが、烏ノ森マネージャー、少しご同行をお願いできますか?」
「ええ。構いませんわ」
労いの言葉もそこそこに信田部長が声をかけると、京子は頷いてから足を進めた。
信田部長の声と表情は穏やかだけど、今までのことを考えると、あまり穏やかな話にはならないのかもしれない。できれば、京子に手荒なことはして欲しくないんだけど……
「月見野君。そんなに殺気を放たなくても、大丈夫よ。ただの事務手続きの話だから」
信田部長はニヤリと微笑んでそう言った。
「さ、殺気だなんてそんな、とんでもない!」
慌てていると、京子が深くため息を吐いた。
「……和順さん。私にも分かるくらいだったわよ」
「え?ほ、本当?」
信田部長に向かって殺気を放つなんて、無謀なことをしてしまった……
「まあ。今回は色々あったから、神経質になるのも仕方ないわね」
「すみません……その、それで、事務手続きというのは一体?」
「ええ。出向の、手続きよ」
僕の問いに、信田部長はさも当然といった様子で答えた。
「え、出向?」
「そうよ。烏ノ森マネージャー、一条さん、あと垂野君は、うちに出向することになっているから」
「なっているからって……そんな急な話をして、また山本社長とトラブルにならないんですか?」
「ふふふ。心配は無用よ。今回作戦の報酬に、この三名を家に出向させる、というのが含まれているから」
「そうですか……」
でも、そんなきわどい内容は契約書に書けないはず……本当に、後々イザコザに発展しないのかな?
「大丈夫よ、和順さん。川瀬社長がいうところの、すっごく効力のある契約書、に、その内容が書かれているから。いくら、山本社長といえども文句はつけようがないわ」
「そ、そうなんだ……」
相槌を打つと、京子は深くため息を吐いた。
「事務手続きはともかく、後任者への引き継ぎが大変そうね……まあ、多分彼女ならそれなりに上手くやるんでしょうけど」
「部門責任者の引き継ぎは大変だよね。もちろん、そうじゃなくても大変だけど……あれ?そういえば、一条さんって一人で事務方を担当していたのに、大丈夫なの?」
「知らないわよそんなこと!でも、いつ言いがかりをつけて技術者としてかり出すか分からないようなところに、あの子を一人でおいておけるわけないじゃない!」
「あ、う、うんそうだね……」
京子の剣幕に、思わずたじろいでしまった。
「ええ。こちらもそれを懸念しているので、彼女が自発的に呪いを使ったり、だれかに使うことを強要されたりしないように、監視させてもらうわ。もちろん、烏ノ森マネージャー、貴女もですよ」
信田部長が鋭い視線を送ると、京子も冷ややかな目を返しながらコクリと頷いた。
「……ええ、そうですわね。貴女たちと敵対して、命も奪われず監視だけで済んだんですもの、ありがたいことだと思っておりますわ」
それから、京子は冷ややかな声で言葉を返した。この二人も、折り合いが悪いのかもしれない……でも、取りあえず、ここでイザコザが発生しないようにしないと……
「と、ところで信田部長!管理部に人手が足りないから、一条さんに来てもらうっていうのは分かりますが、垂野君は一体なぜ出向の対象になったんですか?」
とっさに話題を変えると、信田部長はピクリと眉を動かした。それから、脱力した表情を浮かべて深いため息をついた。
「祭が妙に、あの子のこと気に入ったみたいでね……まあ、察するに、隠れ家的な釣り場にヒトが入らないようにしたい、とか、私に叱られそうなときに匿ってもらいたい、とかそんな理由だと思うけど」
「ああ、そういう……」
脱力しながら相槌を打つと、京子も力なくため息をついた。
「まあ、垂野君の技術はそういったことにうってつけね……信田部長も、ご苦労なさっていらっしゃるのね」
「ええ。新設する秘書室室長の貴女にも、苦労をかけると思いますが……」
「お気になさらずに。こちらも、孫が授業で歌を披露するからやら、孫が転んで膝をすりむいたからといった理由で事前連絡無しに失踪する手に負えない社長がいたので、厄介な代表の取り締まりには慣れていますわ」
「烏ノ森マネージャーも、大変だったのね……」
二人はそう言うと、コクコクと頷き合った。
……うん。取りあえず、何かがものすごく通じ合ったみたいだから、即イザコザに発展するってことはなさそうかな。でも、あの山本社長も、お孫さんは甘いのか。なんだか、意外なような凄く納得のいくような……
「ともかく、そう言ったわけだから。烏ノ森マネージャーは、借りていくわね」
「あ、はい。分かりました」
我に返って返事をすると、信田部長はニコリと微笑んだ。
「ところで信田部長、一条さんはいつから出社ということなるのでしょうか?酷く怪我をしているので、来週早々というわけにもいかないですわよ?」
そうだ。一条さん、右手の爪が酷いことになっているもんね。それに……
「ええ。その辺りについてもこれから詳しく話そうと思いますが、皆さんがこちらに来るのは一条さんの怪我が治り次第ということになりそうですね。それに、ここ一週間強のことも忘れてもらいますから、その辺りの影響も落ち着いてからの方が良いと思いますし」
「……そう。分かりましたわ」
……やっぱり、一条さんの記憶を消すことは、やめてもらえそうにないか。
「……こればっかりは、私にどうこうできる話じゃないから」
「……そうですか」
まるで心を読んだかのような信田部長の言葉に、相槌と共に深いため息が漏れてしまった。京子も、どこか残念そうな顔をしている。一条さんと葉河瀨部長、上手くいきそうだったのにな……
「そうよ。私にはどうこうできる話じゃないの、私には、ね」
「……え?」
含みのある言葉を問い返すと、信田部長はニヤリと笑った。
「さあ、それよりも。烏ノ森マネージャー、本当に、そろそろ行きましょう?」
「え?あ、そ、そうですわね」
そして、信田部長はそのまま戸惑う京子を連れて去っていった。でも、今の笑みは、絶対に何か企んでるよね……
そうして、長い長い一週間強は幕を閉じた。
なんだか、体感だと二年くらいが経ったような気がするけど、それだけ色々あったということなんだろう。
そんなこんなで、僕たちにも日常が戻り……
「つきみーん!助けて!キョンキョンがいじめるの!」
「川瀬社長、私は業務内容通り目を通していただく書類にチェックをして、お持ちしただけですわよ。それをいじめとは、どういうことですの?」
「だって、そんな量の書類チェックしてたら、次のスケジュールに間に合わないもん!ね!垂野っち!」
「いえ。集中して取りかかっていただければ、充分に間に合います」
「うわーん!垂野っちの裏切りものー!」
「……川瀬社長、ご自分の業務がお忙しいからといって、当課のミーティングを中断してまで月見野部長に泣きつくのはいかがと思いますけれども?」
「しゃ、社長!取りあえずここは、一旦退いてほしいっす!日神課長の袖口から、なんだかガシャガシャ音が聞こえますから!」
「早川さんの言うとおりですよ社長!あとで、でんでん虫シールをさしあげますので、ここは退いてください!」
「うわーん!みんなの裏切り者ー!」
「ほら、次のスケジュールもあるんですから、さっさと戻りますよ!」
……こんな感じで、川瀬社長が嵐のようにやって来て、垂野君か京子に引きずられながら帰っていくということが増えたね。思えば、今までは信田部長が管理部の仕事をこなしながら、一人でこの役割をしてたのか……大変だったんだろうな……
「それでは、月見野部長。ご迷惑をおかけしました」
「あ、うん。お疲れ様、京……じゃなくて、烏ノ森室長」
思わず名前呼びをしそうになると、京子は苦笑を浮かべた。
「月見野部長、会社での名前呼びはご遠慮いただきたいのですが?」
「あ、うん。そうだよね、ゴメン」
あれから、京子とは、まだ再婚していないけれど、一緒に過ごす時間が増えた。色々なことが落ち着いたら、また一緒に暮らそう、なんて話もできるくらいに。
「あー!お二人ともラブラブな空気を醸し出すなんて、ズルいっすよ!俺と摩耶だって、公の場では我慢してるのに!」
「早川!茶化すな!たしかに、気まずくはあるけれども!」
「そうですよ、早川さん。たしかに、見ているこっちが気恥ずかしくはなりますが、ようやく落ち着いて来たお二人なんですから、そっとしておいて差し上げてください」
部下たちがフォローのような茶々のような言葉を口にすると、京子がほんのり顔を赤くして咳払いをした。
「ともかく、川瀬社長がご迷惑をおかけして申し訳ございませんでした。それでは、私もこれで!」
京子はそう言いながら、大げさに足音を立てて、会議室を出て行った。うん、京子もこの会社に随分となじんできたみたいで、何より……なのかな。
ともかく、僕たちは何となく小康状態を続けていけそうなくらいになった。だから、あとは……
一条さんと、葉河瀨部長にも、良い結果が訪れますように。




