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博士の恒常な愛情

 日神の機転と月見野さんの奮闘で、赤黒いモヤは跡形もなく見えなくなり、気配も感じなくなった。それは、良かったことは確かだが……


「日神君、この子たちを頭から下ろしてもらえる……かな?」


「ああ、はい。たしかに、くすぐったそうですもんね」


「あ、うん……ま、まあそんなところかな」


 ……赤黒いモヤが霧散すると同時に、月見野さんの頭に、ムカデ網ゲジ目ゲジ科オオゲジ属オオゲジが降り注ぐという、大変悲惨な事態が発生した。

 右手の爪が全部剥がれるという事態はいただけないが、一条さんが気絶してくれていたのは不幸中の幸いだ。血やら内臓やらが降り注ぐ光景よりはマシかもしれないが、ハイスピードでオオゲジが背中を駆け下りる光景も、見ないにこしたことはないからな……


「貴方たち、何をギャーギャーと騒いでいるの……」


 不意に、背後から不機嫌そうな女性の声が聞こえた。振り返ると、真木花の烏ノ森マネージャーが、咳き込みながらこちらに近づいてきていた。


「京子!無事、だったんだね!」


「……ええ。おかげさまでね」


 嬉しそうにする月見野さんに向かって、烏ノ森マネージャーが皮肉めいた口調で言葉を返す。だが、体温も血圧も心拍数も、いわゆる安心したとき、に示す数値だということが見える。このお歳になるまでツンデレを貫き通しているというのは、中々に希有な存在だな。


「……何か?」


 心の中で感心していると、烏ノ森マネージャーはこちらに苛立った表情を向けた。


「いえ、別に」


「そう……それならいいわ。それよりも、それは一体どういうことなのかしら?」


 烏ノ森マネージャーは、俺の腕の中でグッタリとする一条さんに視線を向けながら、眉間にシワを寄せて軽く首を傾げた。


「どうもこうも、鬼とやらから一条さんを取り戻したのですが、見て分かりませんか?」


 嫌みたらしい口調に問いを返すと、烏ノ森マネージャーの眉間のシワが更に深くなった。


「そうじゃなくて、一条さんがなぜそんな大怪我をしているか聞いてるのよ」


「それは……」


 返答に詰まっていると、烏ノ森マネージャーは聞こえよがしに大きなため息を吐いた。


「まったく、貴方なら一条さんのことを傷つけず救出できるかもしれない、なんてほんの少しでも期待した私が馬鹿だったみたいね」


「そうですねー。バーカ、バーカ」


「っ!?な、何なのその態度は!?」


「こっちが大変な思いしてたときに臥せってた人に、嫌みを言われてムカついたので、言い返しただけですー」


「こ、この……」 


「ふ、二人とも、落ち着いて?ほら、葉河瀨部長が頑張ってくれなかったら一条さんは戻ってこられなかったんだし、京子がいてくれなかったら僕らはここに入った瞬間に動けなくなってたんだし……」


 不意に、月見野さんが仲裁の言葉を口にしながら近づいて来た。


「和順さんは黙っててください」

「月見野さんは黙っててください」


 不本意ながら声を合わせてしまうと、月見野さんは肩をすぼめてうな垂れた。ちょっと、強く言い過ぎてしまったかもしれないから、あとでフォローを入れておこう。


「……言いたいことは色々とあるけど、早く一条さんの応急処置をしにいきなさい」


「ええ、そうさせてもらいますよ。俺は別に貴女に用はないですから」


「……ふん」


 一条さんを担ぎながら答えると、烏ノ森マネージャーは不機嫌そうに鼻を鳴らした。


「……感謝はしているわ。この子を助けてくれて」


 ……まあ、若干無愛想に聞こえるが、嫌々言っているようには見えないか。


「……それは、どうも」


 軽く頭を下げると、月見野さんが安心したように微笑んだ。


「それじゃあ、僕たちはまだ用事が残ってるから、皆は先に行っていて」


「はい」

「かしこまりました」

「了解っす!」


 日神、早川と声を揃えて返事をすると、月見野さんは笑顔で頷き、烏ノ森マネージャーが軽くため息を吐いた。

 ……この二人の因縁も、これで決着がつくように祈っておこうか。


 それから、三人で倉庫をあとにし、一条さんの右手を見てギャーギャー騒ぐ垂野を尻目に、リムジンに急いだ。

 車内に入り、一条さんを肩から下ろして座席に横たえると、日神が軽く咳払いをした。


「ああ、そうだ。早川、ちょっとこの間の新規案件のことで、確認しておきたいことがある」

「……え?何も、今そんなことを聞かなくても……あ!ああ!そ、そうっすね!じゃあ、葉河瀨部長、俺たちはちょっと場所を変えるんで!」


 そして、日神と早川は白々しく席を外し、車内は俺と一条さんの二人だけになった。あいつらも疲れているのに悪いことをしたとは思うが、ここは素直に厚意に甘えておこう。


 一条さんの側に居られるのは、今日までなのだから。


 ……感傷的になっていないで、早く応急処置を終わらせようか。


 いつの間にか車内に置かれていたタヌキ型の救急箱から必要な物を取りだし、一条さんの指への応急処置を始めた。

 傷に消毒液をかけると一条さんは軽く眉を寄せたが、幸いにも目覚めることはなく、無事に全ての指にガーゼと包帯を巻き終わった。あとは、目覚めたら痛み止めを飲んでもらえば、処置は完りょ……


「……っ!?」


 ……一息つこうとしたところ、左肩に激痛が走った。着物を捲って見ると、血の滲んだ噛み跡ができていた。大きくはないが、深さはそこそこありそうだ。

 本来なら、噛まれてできた傷なんて、早急に処置するべきだが……


  一条ちゃんには、丑の刻参りを始めた日以降のことを忘れてもらうことになる

  丑の刻参りをしてた期間のことを思い出させるような話題を出すことも、禁止だよ

 

 ……不意に、川瀬社長の言葉を思い出した。

 そんなことは、覚悟の上だ……



「う……ん、はか……せ、さ……ん?」



 苦々しい気持ちで救急箱の蓋を閉めると、一条さんが目を覚ました。


「ああ、すみません。起こしてしまいましたか」


「あ……い、え……大丈夫で……っ!?」

 

 微笑みかけると、一条さんはぼんやりと返事をしたが、突然、右手を痙攣させながら上半身を起こした。


「痛み、ますよね。今、鎮痛剤を用意しますので」


「あり……がとうご、ざいます……で……も……」


「この痛みは罰だから鎮痛剤は飲めない、なんて言うつもりじゃないでしょうね?」


 言い出しそうな言葉を投げてみると、一条さんは無言で俯いた。やっぱり、そんなことを考えていたか……

 さて、一条さんも変に強情なところがあるから、どうしたものかな……ああ、そうか。


「あんまり強情なことを言うと、口移しで飲ませますよ?」


「……っ!?」


 頬に手を添えて親指で唇をなぞりながら問いかけると、一条さんは小さく肩を震わせた。そして、頬を紅潮させながら、視線を反らした。


「興味のない男にそんなことをされるのは、嫌でしょう?」


 明日には全て忘れてしまうのだし、このくらいの戯れをしてもバチは当たらないだろう。それに、こう尋ねれば、きっと答えを出すのが気まずくなり、ひとまず鎮痛剤を飲んでくれる……



「あ……えー、と……決、して……そんなことは、ない、です……」



 ……はずだった。

 それがなぜか、一条さんは俺の手に手を重ね、軽く首を横に振った。目をこらしても、嘘を言っている兆候は見えない。



 ……記憶が残らないといっても、理性を失うのは良くない。

 社交辞令に惑わされず、ここは冷静になろう。

 えーと、ほら、素数を数えたり円周率を暗唱したりすれば、良い、のか。


 混乱していると、一条さんは困ったような微笑みを浮かべた。



「ただ、私はまだ、知らな、いことが、多すぎるので……葉河瀨さんのことを、もっと、知るために、これから、側にいてもい、いですか?」


「……ええ、もちろんです」


「良かった……聞きたいことも……もちろん、謝りたいことも……沢山あるので……約束のシュークリームのお店で、ゆっくりお話しましょう……」


「そうしましょう……だから、そのためにも、今は痛み止めを飲んで、安静にしてください」


 頭を撫でると、一条さんは安心したように微笑んだ。


「……はい。楽しみに、してます」


「……俺もです」


 必死に笑顔を作って、相槌を打った。

 それから、一条さんは俺の言葉を疑うこともなく鎮痛剤を飲んで横になり、頭を撫でているうちに再び眠りについた。これで、今度こそ一息つけそうだ。

 何気なく顔を上げると、右目の義眼が外れたままの顔が、フルスモークの窓に映っていた。

 

 

 彼女は、この姿を見ても、側にいると言ってくれた。

 それでも、次に目が覚めるときには、そんな言葉も忘れいる。



 そんなことを考えていると、左肩が再びズキリと痛んだ。それでも、救急箱の蓋を開ける気にはなれない。


 いっそのこと、このまま化膿して爛れてしまえばいい。そうすれば、跡を残すことができるから。

 今日のことが確かにあったことだと、証明するための跡を。

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