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花咲くマラエ  作者: 秋主雅歌
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かりそめの王

 「イエテ様が来月、マラエで盛大なヘイヴァ(祭り)を開きたいそうだ。王様亡き後、絶えて無かったほど立派なヘイヴァを。ついては君たち『ヒナの子孫』の力を借りたいとのことだ」

 イエテからの使いは、ノアノアと彼の仲間たちにそう告げた。ノアノアら、秘かに島の昔からの踊りや歌を繰り広げている若者たちは「ヒナ(月の女神)の子孫」を名乗っていた。禁じられている習俗だけに、フランスからの役人に知られぬよう、決して目立った動きはしていなかったが、イエテの耳には当然入っていたのだろう。ノアノアら「ヒナの子孫」はイエテの館に丁重に招かれた。

 イエテは町なかではノアノアたちと親しげに交わってはいたが、実際に彼らを館に招くのは初めてだった。


 イエテの館は、街の中心部から少し離れた丘の端にある。かつての王族の住まいらしく、二階建てでフランス風の石造りの、瀟洒な一軒家だ。先祖代々からの召使いたちが隅々まで磨き上げた居間には、フランスからの家具や絵画、壺などの調度品が所狭しと並んでいた。

 イエテは優雅な曲線の籐椅子に座り、ノアノアたちを穏やかな、だが隙の無い笑顔で迎えた。

「おお、『ヒナの子孫』たちよ、よくぞ来てくれた」

 ノアノアたちはイエテの前に跪き、頭を垂れた。

 イエテが続ける。

「聞いているとは思うが、来月は先王ポアテ様が身罷られた月。もう十年もの月日が経った。これを機に、盛大な追悼のヘイヴァを催そうと思うのだ」

 その言葉に、「ヒナの子孫」の中で最も年嵩で、リーダーであるヨテファが心配そうに問う。「イエテ様、大変素晴らしいことと我々は思うのですが、フランスからの提督はなんと…」

 イエテは鼻で笑った。

「ポアテ様の十年の追悼だ。あのフランスの犬どもがいくら非情だとて、そのくらいは認めてくれるだろう。いや、私が認めさせてみせる」

 イエテは王族らしく威厳に満ちた態度で言葉を放つ。ヨテファも、イエテがそう言うのならそうだろうと簡単に納得した。イエテは続ける。

「素晴らしいヘイヴァにしよう。金に糸目はつけない。衣装でも楽器でも、好きなだけ豪勢なものを用意するが良い。この島だけでなく、周囲の島々からも長たちや踊り自慢の若者たちを大勢呼び寄せよう。誰も見たことがないほど華やかな夜にするぞ。もちろんノアノア、お前が祭りの主役だ。思う存分、踊るが良い。神々を喜ばせ、死霊を追い払え」

 イエテはノアノアを見た。が、肝心のノアノアはと言えば、ぼんやりと宙を見たままだ。ヨテファに肘を小突かれて、初めて我に返った。

「……ありがたき幸せ」

 ノアノアは小さな声で呟くと、深く頭を下げた。先王の追悼ヘイヴァの主役など、本来ならば、飛び上がるほど光栄な役目だ。だが、ノアノアは浮かない顔のままだった。昨日のペールの言葉が、胸に突き刺さり、何も頭に入らないのだ。

 …私はフランス本土に帰ります…

(どうして?ペール、どうして?)

「おやおや、ノアノア、どうしたのだ?いつもの輝きがないな。お前が元気になるであろう計画があるのだ。聞いてくれ」

 イエテは楽しげに身を乗り出し、ノアノアにもっと近付くよう大きな黒真珠を嵌めた指で招いた。

「計画?」

「この国に王が消えて十年。いくらフランスの属国になったとはいえ、この月日は我らには屈辱だった。踊ることも、歌うことも禁じられ、心のよりどころとなるものを失った。我らの美徳はすべて否定され、このままでは我らは劣った民として侮蔑の目で見られるだけだ。そうは思わぬか?」

「おっしゃる通りです!イエテ様!」

 ヨテファが目を輝かせて叫ぶと、かがんだままイエテの膝元ににじり寄った。屈強で、一見すると強面のヨテファだが、中身はあっけないほど単純で純粋だ。「我らの美徳を引き継がねば。そのために我らは毎月密かにヘイヴァを開いていたのです」

「知っておるぞ、ヨテファ。ご苦労であった」

 イエテは満足そうに頷くと、まるで忠実な飼い犬にするようにヨテファの頭を撫ぜた。「我らには王が必要だ」

 イエテの目が光った。

「では、イエテ様がついに王位に…」

 ヨテファの期待に満ちた言葉を、イエテは遮った。

「ヨテファよ、それは出来ぬ。我らはもはや何の力も無い。フランスが首を縦に振らなければ、我らは何一つ決められない。よって、力のある真の王を擁立することは、もはや出来ないのだ」

「そんな、イエテ様…」

「だが、ヨテファよ、私は思うのだ。現世の力を持たぬ、心の中の王ならば、フランスも見逃すのではないか、と」

「…心の王?」

「そうだ」

「イエテ様が、心の王に…」

「いや、私は駄目だ。かつての王族がそのようなことを企てては、フランスはこの事態を危険視し、黙ってはいまい」

「それでは誰が?」

 イエテはニヤリと笑い、よく通る声で呼びかけた。

「ノアノア!」

 まだ鬱々と思い悩んでいたノアノアは、突然の名指しに目を丸くした。

「す、すみません。今、何と…」

「ノアノアよ、お前が王となれと申したのだ。なに、王とはいえ、『心の王』。つまり名前だけだ。何もせずとも良い。ヘイヴァの夜の主役だと思えば良い」

「イエテ様、ですが…、私は…」

 ノアノアは戸惑った。ペールはノアノアがヘイヴァで踊ることを嫌っている。本土に帰ると言い出したのも、ヘイヴァの夜が原因だったじゃないか…。

「ノアノア、お前以外いないのだ。お前以上に踊れる男がこの地上にいると思うか?」

 そう言うと、イエテは手を打って召使いを呼んだ。「かの胸飾りをこれへ」

 年老いた召使いが恭しく運んできたのは木箱。イエテはそれを開け、中からきらきらと光る胸飾りを取り出した。

 それは無数の南洋の貝を使って作り上げた、螺鈿細工の胸飾りだった。肩から胸全体を覆うもので、星のように煌いている。ノアノアがこれまで胸に飾っていたものよりも、数段まばゆく、精巧だった。晴れ渡った夜の銀河を模したかのような美しさに、ヨテファたちからどよめきが起きた。

「なんという輝きだ…!」

「美しかろうよ」

 イエテは悠然と胸飾りを掲げる。「これは王家に伝わる、海の支配者の証の胸飾り。これをノアノア、お前に授けよう。これを付けて、王として君臨するのだ」

「ノアノア!何と光栄な!」

 ヨテファはもう泣きそうな勢いだ。だがノアノア本人は呆然として言葉を継げない。

「でも、俺…」

 イエテは有無を言わさぬ微笑を浮かべて立ち上がると、ノアノアの胸に輝く飾りを自ら掛けた。

「よく似合うぞ、ノアノア。分かるな、ノアノア。これは海の神のお告げだ。ヨテファ、それではヘイヴァのことは任せたぞ。詳しいことは私の家の者と打ち合わせるが良い」

 そう言うと、イエテは籐椅子から立ち上がり、ノアノアたちを残して客間を去った。背後で、ヨテファたちが歓喜の声を上げているのを、口の端で笑いながら。


 イエテが向かったのは、バルコニー。そこにいたのは、ビンセントだった。

 潮風に吹かれ、イエテから拝借した高級葉巻を吸いながら、ビンセントは皮肉な笑みを浮かべて館の主を迎えた。イエテは無言のまま頷くと、指の合図でビンセントについてくるように告げる。

 彼らの行き先は、別棟にあるイエテの私室だった。海に向かって開いた窓から、心地よい潮風が吹き込んでくる。イエテはビンセントにゆったりとしたソファに腰掛けるよう手で示した。

「なかなか楽しそうな計画ですね、イエテさん」

 ソファに埋もれてビンセントが嫌みたっぷりに言う。

「聞いていたのか」

 流暢なフランス語でイエテは答えた。彼の顔は笑みを浮かべたまま、微動だにしない。何を考えているのかは、ビンセントにも分からない。

 ビンセントは両手を広げた。

「現地の言葉は私にはあまり分かりませんがね。ま、私はノアノアが王になるのは、大賛成ですよ」

「酔狂で言っているのではない。我らにとっては必要なことなのだよ」

「ああ、そうそう。イエテさんはこの島の文化とやらを心から愛し、誇りに思っているように、聞・こ・え・ましたよ」

 聞こえました、の部分をビンセントは、あからさまにゆっくりと大きな声で言った。イエテの眉が一瞬、ピクリと動く。

「…おや、画家先生、それではまるで、私がこの島の文化を愛していないとでも?」

「違いましたか?」

 ビンセントは薄い顎鬚を撫でながら、歪んだ笑いを浮かべた。イエテもまた、微笑みを張り付かせ、葉巻をくわえたビンセントの口元を見ている。

 ビンセントには、この館に足を踏み入れた時から分かっていた。イエテが実はこの島の文化を馬鹿にしていることに。館内のあちこちに飾られているのは、ヨーロッパの絵画ばかり。それも形ばかりの美しさを取り繕った、時代遅れの二級品だ。この島の物はどこにも見当たらない。楽器の一つさえも。

「お館にあるご立派な調度品を見ますとね、イエテ様は、ヨーロッパの文化の方がお好きなのかと思ったもので。この葉巻もまたしかり」

「ふん」

 イエテは鼻を鳴らすと、丁重な口調をガラリと変えた。「実を言うと、私には美とやらはよく分からん」

 イエテはパン、と手を打った。すると、召使いが緑色の液体が入ったグラスを持って現れ、そしてすぐに消えた。

「アブサンか。王族様とは思えぬほど、ヤクザなお酒がお好みですね」

 ビンセントは呆れたように笑い、だが喜んで杯を手にし、一気にあおった。

「ビンセント、君は面白い奴だ。大いに面白い」

 イエテも杯をあおる。「君はヨーロッパから来たくせに、あの地の文化を憎み、軽蔑している。君が馬鹿にしているのは、それだけじゃない。この島にはびこるフランス軍も、フランスの習俗も、提督も、そして君自身さえも」

「さすが王族様だ。何もかもお見通しってことですかね。それで、イエテさん、あなたは私に何をさせたいんですか?こんな所に呼び出して、まさかヘイヴァの絵を描いてほしい、なんてことじゃないでしょうね」

「それ以外あると思うかね?ビンセント先生。君に素晴らしいヘイヴァの絵を描いてほしい。ヨーロッパ人の度肝を抜かすような絵を頼む」

「イエテさん、そろそろ本音で話しませんかね?他に私にやってほしいことがおありなんでしょ?」

 ビンセントが立ち上がると、イエテも応じるように立った。

 並ぶと、ビンセントの方が二十センチくらい背が高い。だが、イエテはビンセント以上に堂々としていて、視線を絶対に自分からは外さない。すべての感情を穏やかな笑顔の下に隠している。

「ビンセント、君は度胸がいい」

 イエテの目が再び、鈍く光った。「その度胸を買いたい。フランスの動きを探ってほしいのだ。ヨーロッパから来た君なら怪しまれぬだろう」

「そんなことだろうと思ってましたよ。でも、『動き』とは?何か気になることでも?」

「トゥアール提督と軍隊だ」

 イエテは、この島を治める最高責任者のフランス人の名を口にした。

「連中に、ヘイヴァのことを知られぬようにするんですね」

「逆だ。提督も、軍隊も全て、ヘイヴァの夜にマラエに引きつけてほしい」

「引きつける?なぜ?」

「聞くのかね?」

「どうせ私はあなたのために危険を冒す駒なんでしょ?それなら知っておく権利くらいあるでしょうに。まあ、私はあなたたちの味方だ。俗悪で腐臭漂うヨーロッパの連中をギャフンと言わせられれば、それでいい」

「その言葉を信じていいのかね?」

 イエテの目が冷たくビンセントをとらえる。ビンセントもおちゃらけた笑いを消し去り、まっすぐにイエテを見た。

「イエテさん、あなたは分かってるはずだ。私はいつ死んだっていいと思ってる。最後に一つだけ、でっかい花火を打ち上げられれば。私が生きていたってことを証明する、盛大な花火を」

 イエテは穏やかな笑顔を浮かべたまま、じっとビンセントの目を見た。そして、おもむろに口を開いた。

「それでは、君に血が沸き立つような使命を与えよう。蜂起だ。ヘイヴァの夜、どんな手を使ってでも、マラエにトゥアール提督を引き寄せろ。マラエにはここら一帯の島の首長や力自慢の者たちが集まる。そこで提督を捕らえ、人質にする」

「人質に?」

 ビンセントは半信半疑の体で、顎鬚を撫でた。

「そうだ。提督を人質にし、交渉材料としてフランスに我が国の王の復活を認めさせる」

「なるほどね。それでノアノアを王にする…と」

「何を寝ぼけたことを言っている」

 イエテが鼻で笑った。「本物の王が帰ってきたのなら、かりそめの王は去るのみだ」

「去るのみって、ノアノアは…」

「だから、彼は『心の王』だと言ったろう」

 イエテはもう話すことは無いとばかりに、くるりと背を向けると、黒真珠の指輪を嵌めた指を振ってビンセントに退出するように無言で告げた。


 ……いけ好かない男だ。

 ビンセントは、アブサンの杯を見ながら思った。

 イエテの言っていることは、あながち間違いではない。いや、言っていることは正しい。計画の理念も十分に共感できるものだと思う。

 だが、イエテと話していると、背中がシンと冷たくなる。何か底知れぬ違和感、不快感を覚えるのは、気のせいだろうか。

 ビンセントは精巧なガラス細工に入ったアブサンの杯を見た。それは、ノアノアに捧げた石のように鮮やかな緑色だった。


 数日も経たぬうちに、先王追悼のヘイヴァの噂は南洋の島々を駆け巡った。

 それぞれの島の長たちは、すぐに準備を進めた。自分の身を飾るものやカヌーの準備とともに、随行者に力自慢の男たちを選んだ。

「踊りの名手じゃなくていいんですか?ヘイヴァですよ?」

 問う召使いに、長たちは暢気に答えた。

「あの島には、ノアノアとかいう大した踊り手がいるらしいからな。誰も彼には適うまいよ。それに、イエテ様の言うことには、どうやらマラエで力比べがあるらしい。勝ち残った者には、賞品がたんまりと出るらしいぞ」




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