第六話:天使キタ
【Sideリンド ‐7時間後‐】
ズシィィン!!
「ぜえ、ぜえ・・・・・」
俺はフラフラの足を引きずりながら、森の中を歩いている。木々の間を走る体力なんて、とっくの昔に無くなっていた。そしてもう、今しがた森の奥から聞こえてきた地響きに反応する気力すら、俺の中には全く残されていなかった。
「く、そ・・・」
だがせめて、音のした方向は避けるように歩いて行く。これを繰り返したおかげで、俺はもう目指していた方角に進めているのかどうかすら、分からなくなってしまったのだか。
一度あのゴリラに襲われて以降、魔物は姿を現していない。だがこの不気味な地響きは、定期的に俺の耳に響いてくる。
果ての無い森と、いつバケモノに襲われるか分からない恐怖。疲労と心労で、俺の体力は遂に限界を迎えてしまった。
この森、マジで、終わん、ねえ・・・・・・
もう、無理・・・・・・
力尽きたように、巨木の根元に座り込む。木の根に背中を預け、泥のようにぐったりとうなだれた。
すでに陽は傾き、森の薄暗さは輪をかけてひどくなっている。俺は光の消えた目で、ぼんやりと目に映る光景を眺めた。
森・・・森・・・・・・・森地獄。
終わらない森の無間地獄。
いや・・・これは騒音ゴリラ地獄だ。
ヨエル・・・あの野郎。
何が“悪魔じゃない”だ?
お前はホンモノの悪魔だ。
ここは紛れもない地獄じゃねーか。
頼れと言ったパガニーニは死んでいる。天使は出たと思ったらすぐ消える。おまけに魔の森は魔物の森で、俺は4mを越える怪物ゴリラにいきなり追いかけ回された。
森は果てしなく続いているし、ここがどこかも、どうやったら脱出できるのかも分からない。そして俺は水も食料も、生き残るための何も持ってはいないんだ。
まさに、八方塞がり。
ただただこうして恐怖に震えながら、ゴリラのクソになる時を待っているだけ。
これが地獄でなくてなんだってんだ!
畜生、あの野郎!
ヨエル!もしまたあの世で会ったら、俺が必ずその場で地獄を見せてやる!
あまりの状況に、俺はヨエルに恨み節をぶつけまくる。だが疲労が強すぎて、怒りも長続きしない。闇が深くなっていく森の中で、俺はもう、半ば第二の人生を諦めていた。
はあ・・・駄目だ。とてもじゃないが、ここから脱出できる気がしない。
このままだと・・・エサかな、魔物の。
嫌だな・・・痛いのは。
せめて俺が寝てる間に、喉笛スパッと食いちぎってもらいたいもんだ・・・
はあ~~・・・
本当は、この異世界でやってみたいこと色々あったのにな。
前世じゃできなかったこと。
もっと交友を広げてみたり。
趣味以外の生きがいを見つけてみたり。
童貞捨てるワンチャンも有るかと、期待したりもしちゃったけど。
全部パアだ。この異世界に、そんな希望を叶える余地なんてどこにも無かった。夢持たせといて即潰すとか、ヨエルお前、いい悪魔っぷりしてるよ・・・
精魂尽き果て、俺はドサッと地面に横たわった。きっと明日の朝日は拝めないだろう。もう真っ暗になろうとしている森の中で、せめてあの世でヨエルに見せる予定の地獄の内容を考える。
とりあえず、あのムカつく角を両方ともへし折って、束ねてケツにぶちこんで・・・
いいね、双角ア〇ル地獄・・・
―――――――ん?
闇落ちしていく俺の視界に、ふと、小さな光が見えた。
いや、たった今灯ったのだ。
真横になった視界の一角、森の奥の方に。
・・・何だ?
上体を起こし、暗闇の中で目を凝らしてみる。
あれは――――――
「家・・・?」
かなり遠くの方だが、その光は木々の合間に確かに見える。
それは、民家の灯りのようだった。
「ウ、ウソだろ・・・?」
たまらず立ち上がり、よたよたとそちらを眺める。
だが何度見ても、間違いない。
暖色系の光のすぐ横に、建物の柱と、屋根のようなものが見えた。
「うっ・・・うおおおおお!!」
俺は疲労も、ここが魔物の森だってことも忘れ、雄叫びを上げて光の方に走った。
民家が見えた。ということは、集落も近くにあるはずだ。森が終わった。もうギリギリ、本当に終わってしまうギリギリで、間に合ったんだ。
俺は・・・・・・助かった!
嘘みたいだ、こんな奇跡!!
うおお――――――ッ!!
俺は喜びを爆発させ、無我夢中で民家の前まで走った。丸太の屋根に、木製の壁。それは民家と言うより小屋に近い、木こりの家みたいな建物だった。
あの家に明かりが灯る瞬間を、確かに見た。
あの中には今、確実に人がいるはずだ!
しかも家が建ってるってことは、もうあんなゴリラはこの近くにはいないはず!
しゃああ!さらばゴリラ!
永遠に――ッ!!
歓喜と共に、家の前まで辿り着く。光の発信源は、玄関先に吊るされた古風なランプだった。
嬉しくって仕方が無いが、ここは一旦落ち着こう。中の人にどう声をかけるか、確認しないとな。
『夜分遅くにすみません、森で迷ってしまいまして』
これを異世界語で言うと・・・うん、大丈夫。分かる。
よし・・・!
俺は呼吸を整える。
心の準備を済ませ、玄関先から異世界語で、その家の主人に向かって呼びかけた。
「すいませ――ん!」
「・・・・・・・・」
「すいませ―――――ん!」
「・・・・・・・・」
あ、あれ?
反応なし?
その家からは、何の反応も返ってこなかった。というかそれ以前に、内部から物音一つ聞こえてこない。
お、おかしい。確かにこの家に、明かりが灯る瞬間を見たのに・・・
ドンドンドン!
「すいませ―――――ん!!」
玄関の戸を叩いて呼びかけるが、やはり何の反応も無い。
寝ちゃった?
いやいや、早すぎるだろ。
その家の周りをぐるりと回って様子を見てみる。窓は締め切られ、中の様子は伺えない。ただ、壁の隙間から中の明かりは漏れている。誰かいるのは間違いなさそうだ。
え・・・何で?
まさか、よそ者お断りとか?
素性の分からない奴には、反応もしませんよってこと?
つ、冷たい!異世界人冷たい!
ドンドンドン!
「すいませ―――ん!誰かいらっしゃいませんか――!?」
繰り返し呼びかけてみるが、やっぱり何も返ってこない。
俺は少し考えてみた。
・・・誰かいるのは間違いない。なのに反応が無いってことは、やっぱり俺が得体の知れない男だからか。となれば、誰かしらのツテがあるってことを伝えれば、反応を変えてくれるかもしれない。
見込みは薄い気もするが・・・一か八かだ!
「あ、あの!俺は、パガニーニって人を訪ねてここに来ました!彼のことをご存じじゃありませんか!?」
まあ俺は、パガニーニのお墓らしきものをバッチリ見ちゃってはいるんだけど。しかしこれも方便だ。もしこの家の主人が、パガニーニのことを知ってれば・・・
そう思って反応を待つが、答えは同じだった。
無視継続。
これでもダメか・・・
いや、あきらめるな!
何でもいい、とにかく何か言ってみるんだ!
「お、俺は・・・ヨエルに言われてここに来ました!ヨエルっていう男から、彼の娘とパガニーニさんを訪ねるように言われて、ここに来たんです!」
バアン!!
開かなかった玄関の扉は、唐突に開いた。
【Sideピコ ‐扉が開く5分前‐】
ドンドンドン!
「すいませ――ん!」
小屋の入り口の戸を叩き、私を呼ぶ声が聞こえてくる。
その扉の前で、私は断崖絶壁に追い詰められた子犬のような心境に陥っていた。
ドンドンドン!
「すいませ――ん!誰かいらっしゃいませんか――!?」
<何やってるの?早く開けて!>
<自分でここに招いたんでしょ!>
<話をするにはこれがベストだって決めたじゃない!早くして!>
心の声は、もうずっと悲鳴を上げている。
分かっているのだ。この扉を開けなくてはならないことくらい。
彼に話しかける方法を考え始めて数時間後。
私は彼を、この家に招き入れることを思いついた。
彼はへとへとになっていたし(誰のせいだ)、休む場所が必要だった。
家に迎え入れるというやり方なら、唐突に話しかけるよりも自然に話ができるような気がしたのだ。
私は魔物を倒した時の地響きを利用して、彼をこの家の方角へと誘導した。
その狙いはうまく行き、彼はこの場所まで無事に辿り着くことができていた。
後は中に招き入れて、話を聞くだけ。
なのに、それが出来ない。
最後の一歩が踏み出せないのだ。
<いい加減にして!>
<彼はもう、くたくたなのよ!?>
わ、わかってる・・・
扉を開けて、「どうしたんですか?」
そう言うだけでいい、それだけだ・・・
でも、彼は何を言って来るだろう?
それになんて返せばいいんだろう?
誰かと話をするのが久しぶり過ぎて、会話のイメージが全く湧いてこない。
私はおじいちゃんと、どんな風に話をしていたっけ・・・
<そんなの、出たとこ勝負でいい>
<早く扉を開けて、中に入れてあげなきゃ!>
<今すぐ!>
「・・・・・・」
・・・・・・・やっぱり、嫌だ。
彼に声をかけようと思えば思うほど、私はそれを拒否したい衝動に駆られてしまう。
<何を考えてるの?今さら!>
<何のために、こんなことをしてると思ってるの?>
<彼と向き合って、直接話を聞くためでしょ!>
嫌だ。人間と話をするなんて、やっぱり嫌だ!
彼と話したい「心の声」と、それを拒む「私」。
2つの思いは平行線を辿ったまま、もう数時間にわたってせめぎ合いを続けている。
「心の声」は、この人が私の味方だと叫んでいる。
でも「私」には、人間を信じることができなかった。
<これを開けなきゃ、何も始まらないでしょ!>
始まらなくていい!人間と話をするくらいなら!
<じゃあこの森に、ずっと1人で暮らしていく気?>
<この人は、パガニーニおじいちゃんと同じように・・・>
<私の側にいてくれる、私を迎えに来てくれた人なのかも知れないのに>
私の育ての親、パガニーニおじいちゃん。
この世界でただ1人、私と一緒にいてくれた人。
大好きな家族。
3年前、そのおじいちゃんが亡くなってから、私はずっとこの魔の森で1人暮らしを続けてきた。
<やっとまた、誰かと一緒に暮らせるかもしれない>
<私は、分かってるはず>
<パパの一番の部下だったおじいちゃんにだけ、【転移】の術式は託されたはずだった>
<だから【転移】を使えるのは、今はもう私1人だけのはずだった>
<なのにこの人は、私以外の誰かの【転移】で私の所にやって来た>
<きっとおじいちゃんの他にも、パパから【転移】を託されていた仲間がいたんだ!>
<その人ならきっと、私のことだって聞かされているはず>
<扉の前のこの人は、きっとおじいちゃんと同じ・・・私の味方だ>
<だから、この扉を開けなきゃ!>
ドンドンドン!
「すいませーん!森で迷ったんです!は、話だけでも聞いてもらえませんか!?」
<ほら、呼んでる!>
<応えて!>
心の声はそう言って、玄関の戸を開けようとする。
でも、そうしようと手を伸ばす度――――
私の頭には、思い出したくもない光景が蘇ってくる。
私の額に生えている、2本の黒い角。
魔族の証。
この世界の人間とは、それを見た時どういう反応を見せるものなのか――――
その光景は私にとって、脳裏に焼き付いて離れない生涯最悪の思い出だった。
やっぱり嫌だ・・・もう、あんな思いはしたくない。化け物だって言われて、怯えられて、追い立てられて・・・あんな思いをするくらいなら、人間となんて関わりたくない!
<この人もあの人間達と同じだって、決まっている訳じゃない!>
いいや決まってる!
おじいちゃんが亡くなってから3年。パパが戦死してからは、もう11年も経っているんだ。【転移】で私を迎えに来れるなら、もっと早くに来ていなきゃおかしい!何年も独りぼっちにしておいて、今さらやってくるなんて・・・
不自然だ!
この人は、パパやおじいちゃんとは関係ない!何か悪い企みを持っている人間に、決まってる!
私は人間のことが怖かった。
とてもじゃないけど、信じようとは思えなかった。
私は人間が、嫌いだった。
<・・・だったらずっと、このまま1人でいる気なの?>
<本当にそれでいいと思っているのなら、わざわざこんなことしてないでしょ?>
人間なんて、みんな同じだ。野蛮で、恩知らずで、簡単に人を裏切る。他人の痛みなんて、これっぽっちも理解しない奴らだ。
<おじいちゃんは本当に優しかった>
<家族だった>
<おじいちゃんだって、人間なんだ>
<この世界のどこかには、おじいちゃんみたいに優しい人間が、きっと他にもいるはず・・・・>
いるはずない!
扉の前のこの人だって、きっと同じだ!
<確かめてみなきゃ、分からない!>
うるさい!私は1人でも平気なんだ!
<嫌だ!!もう、孤独は嫌だ!!>
うるさ―――――い!!
「あ、あの!俺は、パガニーニって人を訪ねてここに来ました!彼のことをご存じじゃありませんか!?」
「!?!?」
唐突に聞こえてきた、おじいちゃんの名前。
私は自分の耳を疑った。
え・・・・・?
おじいちゃん?
この人いま、おじいちゃんの名前を言った?
おじいちゃんを、訪ねてきた・・・?
ま、まさか・・・・・
そんなこと、あり得ないはず。そう思いながらも、私は一瞬奇跡が起こったのではないかと期待した。
でも次に私の耳に飛び込んできたのは、まるで予想だにしていなかった、とんでもない言葉だった。
「お、俺は・・・ヨエルに言われて、ここに来ました!ヨエルっていう男から、彼の娘とパガニーニさんを訪ねるように言われて、ここに来たんです!」
「!!!!!!!!」
バアン!!
あっ、と思った時には、扉を開いていた。
この人は今、絶対に聞き逃せないことを言った。
ヨエルに・・・
パパに、言われて、ここに来た。
確かに今、そう言った。
でもパパは、もう11年も前に戦死したはず。
この人は一体、何を・・・
訳が分からず飛び出した玄関の先に、傷だらけの皮鎧が見えた。ゆっくり視線を上げると・・・
その男の人と、目が合った。
思い切り目が合った。
私は瞬時に固まる。
・・・いけない、何か言わないと。
そうだ、第一声だけは決めていたんだった。
決めていたなら言えるはず。
え~と・・・あれ?
あ、あ、あ、あれ??
あれ!?なんだっけ!?
「どうしたんですか?」の一言が思い出せず、私は思い切りテンパった。頭の中が真っ白になって、何も考えられない。
「(助けて、おじいちゃん!!)」
思わず助けを呼ぶが、それは叶わぬ願いだった。絶望のあまり、涙目になる私。
その時ふと、私の耳に妙なつぶやきが聞こえてきた。
「て・・・」
て?
「天使キタアアアアアアアアアアアア!!!」
ビック――――――――――ッ!!!
突然の叫び声に、私は思わず後ずさる。
心臓が破裂したかと思った。
天使・・・?
な、何!?
この人は一体、何を言ってるの!?
何を言っていいのか分からない状況で、何を言っているのか分からない言葉を、絶叫された。
私はぴくりとも動けないまま、なぜかその人がこちらに向けてくる爛々と輝く瞳に、ただただ恐怖した。