第三話:何をしようか考える
森の中に、ぽつんと広がる小さな草地。
ここに来てからすでに10分近く経っているが、俺はまだ目覚めた時と同じ場所にいた。
「お~い!」
森に向かって呼びかけてみる。
だが案の定というか、何の返答も無い。
「やっぱりいないのか・・・?」
俺はずっと、天使の姿を探していた。何度も辺りを見回し、こうして声もかけてみる。
だが結局、その姿はどこにも見つけることができなかった。
何だったんだろう、あの子。
この草地で目を覚ました直後・・・
ほんの一瞬だったけど、確かに見た。
美しい白金の長髪。
大きな茜色の瞳に、透き通るような白い肌。
その小さな顔は、驚くほど整っていて。
とんがり帽子にワンピースという出で立ちは、木漏れ日の中で神秘的な存在感を放っていた。
あまりの可憐さに、思わず天使とつぶやいてしまったほどだ。
まあ服装的には、天使というより魔女っ娘って感じだったけど。
俺が彼女から目を離したのは、ほんの一瞬だった。
あのタイミングで隠れることなんて、絶対に無理なはず。
なのに姿が見えなくなったってことは、あれは俺の寝ぼけ頭が見せた幻だったのか?
いや・・・とてもそうは思えない。
きっと俺の知らない、何かの力を使って姿を隠したんだ。
魔法とか、そういうやつを。
非現実的だとは思うけど、ヨエルのことを考えればあり得ない話じゃ無いだろう。
それにあの子は、俺が目覚めたその場に立っていたんだ。
ヨエルが俺を転生させた、この森の広場に。
もしかしたら、何かヨエルと関係がある子なのかもしれない。
絶対、あの天使は重要人物だ。
なんとかもう一度会って、話を聞いてみたい。
ただ・・・これだけ探して見つからないってことは、もうどこかに行ってしまったのか。
メチャクチャ気にはなるけど、いつまでもここにいる訳にもいかない。
全く見知らぬ異世界の森に、1人きりな訳だし。
ここで探し回っていても埒が明かない。
しょうがない、天使探しはいったん後回しだ。
それより今は、これからどうするか考えないとな。
とりあえず・・・この場所なんだけど。
ヨエルからは、地名だけ聞いている。
曰く、《魔の森》だ。
“魔”・・・
俺は改めて、辺りを眺めてみた。一面の深い森で、人工物らしきものは何もない。生えている木のサイズは、日本じゃちょっと見かけない大木ばかりだ。
木々の合間には、深い森の闇が覗いている。
あの奥には、何が棲んでいるんだろう?
ふとそんなことを思ってしまう。急激に、猛獣が棲むジャングルの中に置き去りにされたような気分が湧いてきた。
「・・・・・」
“魔”とは・・・
あれだ。きっと“魔族”の“魔”だな。
ヨエルは自分が魔族で、魔族とは亜人の一種だと言っていた。
つまりここは、ヨエルみたいに角が生えている人がいっぱいいる森なのだ。
うん、きっと、ただそれだけの話だ。
そう考えれば全然オッケーじゃないか。
ヨエルも別に怖い奴じゃ無かったし、角が生えてるだけの人間なら全然問題ない。
魔族の森、略して魔の森。
あんま略せてないような気もするが、気にしたら負けだ。
うむ、決定。ここは“魔族の森”です。
俺は無理矢理そういうことにして、余計なことを気にするのは止めた。“魔”の正体に嫌な予感がしたのは事実だが、それを考えたところでどうにもならない。
どこに向かえばいいかもはっきりしないんだから、とりあえずは歩き回ってみるしかないだろう。それで人のいる場所に辿り着けることを期待するしかない。
むしろ重要なのはその後だ。
俺がこの異世界で、何をするか。
現状は、目的もはっきりしないまま異世界の森に放り出されたって感じだからな。
ヨエルの話を聞いただけじゃ、この異世界のことはほとんど分からなかったけど・・・
とりあえず、分かっていることだけでも整理してみよう。
・この異世界では、古代風の戦争をやっている。
・ヨエルも仲間と一緒に、異世界の王国と戦っていた。
・ヨエルが俺を転生させた目的は、あいつの“力”を仲間達の元に返すこと。
・その“力”は今、俺が持っている(らしい)。ただ、それが何なのかは分からない(言っとけよ)。
・その“力”はとても強力だから、なるべくヨエルの仲間以外には会わない方がいい。出会う人間を間違えれば、命に係わる(何だそれ・・・)
・真っ先に会えと言っていたのは、パガニーニという男。反乱軍の軍師らしい。
・パガニーニは今、この森に住んでいる。
って感じか。
他にもいくつかあったけど、当面重要そうなのはこのあたりだろう。
ふ~む・・・
俺はしばし考えを巡らせる。
ヨエルは俺に、王国と戦ってほしいと言っていた。そのために、俺に“力”を渡して転生させるんだと。
でも正直・・・無いな。
さっきちらっと生の戦場を見たけど、あれは無い。自慢じゃないが、もし俺があそこに参加したら、5秒でこの身体から叩き出される自信がある。
確かに俺は合戦大好き歴史オタクだが、自分でやりたいとは思わない。
ていうか、絶対無理だ。
やっぱり平和が一番ですよね。
せっかく転生できたんだ。戦争なんかに関わらず、愉快な異世界ライフをエンジョイしたい所なんだけど・・・
ただ俺に渡されたという“力”は、ヨエルがわざわざ赤の他人の俺を転生させてまで仲間達の元に返そうとしているものだ。
たぶんそれほど重要な、何か戦争を有利に進めることのできる能力ってことなんだろう。
ということは、もしパガニーニって男に会って事情を話せば、
「“力”キタ!これで勝つる!さあ行きましょう、戦場へ―――」
って展開になりかねない。
そして拒否権なしで、戦争に巻き込まれてしまうと。
ヨエルにゃ悪いが、それは勘弁だ。
こうして異世界に転生できたのは、ヨエルのおかげだ。
そう考えれば恩があるし、ヨエルの頼みなら応えたい気持ちはある。
でもいくらなんでも、自分の代わりに戦争をやれっていうのは、ちょっと要求がハード過ぎないかい?
俺は生まれてこの方、武器なんて持ったこともないんだ。
異世界の戦争なんて俺にしてみりゃ無関係もいいとこだし、関わり合いになりたくないっていうのが正直なところ。
できればパガニーニとは、会わない方向で話を進めたい。
ただ・・・ヨエルの言っていた言葉で、どうしても気になることがある。
“出会う人間を間違えれば、君は転生早々命を落とすことになる”
って台詞だ。
ぶっちゃけこれ、脅しじゃない?
出会う人間を間違えればって言うけど、それって具体的にどんな人間なんだ。
それが分からないんじゃ、パガニーニ以外の人間との接触は全部NGってことになってしまう。
“君がすでに持っている“力”は、この異世界の戦争と君とを無関係ではいさせてくれないだろう”
この言葉の意味も深刻だ。
つまり俺は・・・ほっといたら、勝手に戦争に巻き込まれるような状況にあるってこと?
イヤイヤイヤ、冗談じゃ無いぞ!
いくら恩人の頼みだからって、無関係な戦争に巻き込まれるのはごめんだ。
その展開は何としても阻止せねば。
そもそも、持ってるだけで戦争に巻き込まれかねない“力”って、どんなものなんだ?
ヨエルが言うには、大抵の人間には負けないらしいけど。
すんごい馬鹿力とか?
ひょっとして、今の俺ってメチャクチャ強かったりするんだろうか。
自分の身体を見てみる。
肌は白くて若々しい感じ。皮鎧から伸びた腕や脚は、それほど太くはないけど筋肉質に引き締まっている。
この新しい俺の身体に、とんでもない力が眠っている?
だとしたら・・・おお、なんか胸熱!
俺は試しにシャドーボクシングの真似をしてみた。
今の俺なら、とてつもない一撃を放ててしまうのかもしれない。
空中にパンチを放つ。
シュッ!
拳圧で、木の葉が舞い上がった。
・・・なんてことはなかった。うん、普通。
地面を強めに殴ってみる。
草地が少しへこんだ。拳が痛い。
よく分かった。これはパワー系の能力じゃないな。
てことは、魔法系の能力か?
そういやヨエルも紫色の魔方陣みたいなやつを出してたし、そっちの可能性の方が高いかもしれない。
「・・・・・・・」
いや、魔法の撃ち方なんて知らんし!
感じるぞ、魔力を・・・とか、そういう展開は無いのか?
手が痛い以外、特に何も感じないんですけど・・・
もしかしたら、イメージすれば火の玉くらい出せるのかもしれない。そう思って色々試してみたけど、無理でした。
ふむ。
我が体内に封じられし“力”・・・
これ、絶対説明がいるやつだ。
時間が無かったのは分かるけど、もうちょい詳しく教えてほしかったぞヨエルさん!
と、返答できないヨエルに不満をぶつけてみるが、どうしようもない。
“力”に関しては保留だ。
もしかしたら、その辺も含めてパガニーニに話を聞けってことなのかもしれない。
結局、パガニーニを探すしかないのか。
俺としては、無事にこの森を抜けて、生きる場所を見つけて、かつ戦争に関わらないで済むってのが理想なんだけど。
でもどう考えても、今ある情報だけで確かなことは何も分かりそうにない。
一度パガニーニに会って、話を聞いてみるしかないか。
少なくともパガニーニは、“出会うと命を落とす人間”ではないんだろうし。
実際俺には、それ以外当ても無いしね。
もし俺の話を聞いたパガニーニが、俺を戦争に連れて行こうとしてきたら・・・
その時は、隙を見てバックレよう。
なんてことを考えつつ、俺はパガニーニを探すべく草地から森の中へ入ろうとした。
その時ふと、草地の中のあるものが目に入った。
「・・・?」
それは1mくらいの、縦長で大ぶりな石。それが平坦な草地の一角に、ぽつんと置いてある。周りには雑草しか生えていないので、その場所にだけそんな石があることに妙な違和感を覚えた。
俺はなんとなく、それを側に行って眺めてみる。
「あれ?何か書いてある・・・」
石の表面に、見たこともない文字が刻まれていた。
これ、異世界の文字か。アラビア文字に似てるな。
何だろう、この石。なんかの石碑か・・・?
――――――ん?
“彼は義の人。戦うべき時、戦うべき敵と戦った”
「!?!?・・・えええ!?」
俺は自分のしたことに混乱した。
全く知らない文字で書かれた文章を、読んだのだ。
“彼は智の人。世を見通し、民草を導いた”
「な、何だよ、これ・・・!」
訳が分からなかった。
完全に初見の文字の意味が、分かる。
まるで日本語の文章のように。
“彼は仁の人。陽光のように、誰をも温めた”
あ、頭が痛くなってきた。
何でだ?何で読める・・・?
と考えてみるが、思い当たる節は1つしかない。
ヨエルが俺に渡したっていう“力”の影響だ。そのせいで、全く知らない知識が俺の頭の中にあるのかもしれない。
そう思うと・・・途端に気持ち悪くなってきた。
どうなってんだ、俺の記憶!?大丈夫なのか!?
俺は慌てて、自分の記憶を確認してみた。
だが自分が前世で経験したこと以外に、知らない何かが俺の頭に思い浮かぶようなことはなかった。
よ、よかった。
この「記憶」は間違いなく、俺のものってことでよさそうだ。
だからつまり、問題は1つ。
「ソイェ カケル リンドウ。プエ アラ ステリオ デオトル ムド(私は林藤 駆です。異世界語喋れます)」
何でだ―――――――ッ!!
え!?俺、今、普通に喋ったぞ!?
日本語を話す時みたいに!!
頭で思った時、自然と言葉が湧いて出てくる。
完全に初耳の言語が。
こ、こわ・・・
自分の頭の中に自分の知らないことが入ってるってのは、恐怖だ。
俺はしばしの間、頭を抱えてうなだれた。
が、少ししてから思い直した。
言葉が分かんなきゃ、この異世界の人間と関わることなんて出来ないだろう。
理屈は分からんが、とにかくここの言葉が分かるっていうのは、俺にとってプラスの事態だ。
気持ちは悪いけど、頭を切り替えよう。
分からんことは分からん。
それより今は分かることを生かして、状況の把握に努めるべきだ。
俺はなんとか気を取り直して、目の前にある石碑と向かい合った。
これは、ヨエルが俺を転生させた場所に建っている石碑だ。何かこの先のヒントになるようなことが書かれているかもしれない。
俺はもう一度、そこに記された文章を読み直してみた。
“彼は義の人。戦うべき時、戦うべき敵と戦った”
“彼は智の人。世を見通し、民草を導いた”
“彼は仁の人。陽光のように、誰をも温めた”
・・・要はこれ、誰かを讃えた文章ってことだよな。
戦った、導いたってことは・・・将軍か何かか?
過去形なのが気になる。これって、もしかして・・・
その下の続きには、こう書かれてあった。
“英雄の魂は、栄光と共に。永遠の安息と共に”
安息か、やっぱな。
これ、お墓だ。英雄のお墓。
でも英雄って割には、ずいぶん辺鄙な所にお墓があるんだな・・・
英雄のお墓なら、もっと見晴らしのいい丘の上とか、ふさわしい場所がありそうなもんだけど・・・なんて思いながら、俺は続きを読み進める。
その文章の最後には、こう刻まれていた。
“パガニーニ ここに眠る”
――――――ん??
ちょっとまて。
あれ?なんか、どっかで聞いた名前のような・・・
“パガニーニだ!セングレア反乱軍“軍師”パガニーニ!転生と同時に、私は君を彼が隠れ潜んでいる森の中に送る!”
“彼を見つけ出してくれ!”
“それが君の力になる!!”
「・・・・・・・・」
これは、あれだ。
目覚めたばっかで寝ぼけてるんだな。
初めて読む文字だし、間違いってこともある。
よく読んでみよう。もう一度・・・
“パガニーニ ここに眠る”
「・・・・・・・・」
死んどる――――――ッ!!