プロローグ~とある合戦場にて②~
『・・・リンド、聞こえてる?』
天使のように可愛らしい声が、俺の脳裏に響く。
耳で聞く音声ではなく、頭に直接響いてくる声。
これは離れた場所でもテレパシーでやり取りができる【念話】って魔法の効果だ。
俺の知る限り、この魔法の使い手は1人しかいない。
それを認識した瞬間。
俺は今の今まで胸の中を占めていた弱気の全てを、即座にかき消した。
そして、
『ピコ、どした?』
と目いっぱい、落ち着いた感じを装って応える。
5秒前までこの世の終わりみたいな顔をしていた人間とは思えないほど、さり気ない返事ができた・・・はずだ。
『うん。開戦の法螺貝が聞こえたから・・・リンド、どうしてるかなって』
どこか控えめで、自信なさげな声。
ああ、もっと聞いていたいんじゃあ。
心から俺のことを心配してくれている、この内気で天使な少女の声を。
『はは、いつも通りだよ?ちょうど今、開戦の号令をかけようとしてたとこ』
『そっか・・・』
俺は“何を心配してるの?”と言わんばかりの軽い調子でピコに応えた。
本当はいつも通りどころか、かつてない強敵を前にビビり過ぎて固まっていたんだけども。
でも俺は、そんな自分の本心はおくびにも出さなかった。
そんなこと、この少女にだけは悟らせる訳にはいかないのだ。
俺は無理矢理にでも平静を装って、ピコを安心させようとした。
『ね、リンド・・・』
『ん?』
『1人で敵に突っ込んでいくのは、やめてね』
『分かってるよ』
だがそれでも、ピコは俺のことが心配で仕方がないようだ。
ピコは今、俺の立っている丘から2㎞近く離れた森の中から、魔法で俺に話しかけている。
『敵に囲まれたら危ないし、もし魔法の集中砲火の的にされたら・・・』
『分かってるって。ピコが側にいないのに、そんなマネしないよ』
その俺の言葉は本心だ。
俺は過去の戦いで、敵陣のど真ん中に単騎で飛び込んでヒャッハー!とか、よくやってた。
でもそんな無茶な戦い方ができたのは、決して俺1人の力によるものではない。
全てはピコが、俺のことを陰ながら魔法でサポートしてくれていたおかげなのだ。
この異世界の人間は、敵も味方も、俺のことを剣も魔法も使いこなす万能の魔法剣士だと思っている。
だが実際のところ、俺は魔法がほとんど使えない。
俺が使っていると思われている魔法は全て、ピコがこっそり俺の近くで発動しているものなのだ。
ピコ自身は魔法で透明化して、見つからないよう常に姿を隠している。
俺のパワーとピコの魔法。
これがセットで、俺達は1人の魔法剣士として認知されている。
《民衆の星》、あるいは《聖王》なんてあだ名で呼ばれながら。
だけど今、俺とピコは離れた場所にいる。
この戦いの作戦上、やむを得ない理由で。
だからピコは、こうして俺に心配の【念話】を入れてきたんだろう。
『気を付けてね、死角のサポートもできないし・・・』
『大丈夫、背後にもちゃんと気をつけるから』
『ピンチの時、魔法で敵を薙ぎ払えないし・・・』
『絶対、味方から離れないようにするよ。魔法のサポートはあいつらがやってくれるから』
矢継ぎ早に不安を口にするピコを、俺は宥めるように説得する。
ピコがこうして俺を心配してくれるのは、今に始まったことではない。
それはもう、俺がこの異世界に転生した直後から、ずっと同じだ。
今でこそ、俺はそんじょそこらの奴には負けないほどの力を使いこなしている。
でも転生した当初、俺は自分の力の使い方を全く知らなかった。
そんな状態で、俺はいきなり異世界の森の中に放り出されてしまった。
そこで魔物に襲われ死にかけていた俺を、助けてくれたのがピコだった。
ピコは見ず知らずの俺の命を救ってくれた、大恩人なのだ。
その出会い以降、ピコはずっと俺のことを心配して、魔法で護り続けてくれている。
俺は俺で、ピコのためにこの異世界で戦いを続けている。
俺がこの異世界で戦争なんてやっているのは、ピコがそう望んだからなのだ。
『ピコ、心配しないで。こっちはこっちで、うまくやるから』
『でも、敵多いし・・・やっぱリンドと離れてると、怖くて・・・』
心細さ全開といった感じで呟くピコ。
ああ、その響きに癒される・・・
俺がピコのために戦っているのは、何も恩返しをするためだけじゃない。
そこにはもっと、大きな理由がある。
ピコは、種族的には人間ではない。
魔族と呼ばれる、亜人の子供だ。
それが原因で、ピコはこの国の人間から迫害を受けてきたという、悲しい過去を持っている。
ピコはまだ12歳の女の子なのに、何年も1人ぼっちで人間から迫害され続けていたのだ。
普通なら、人間なんて大嫌いになるところだろう。
なのに、ピコはそうならなかった。
それどころか、ピコは飢えて死んでいく王国の人間達を見て、ずっと心を痛めていたのだ。
そしてついに、彼らを助けようと思い立ってしまった。
それを聞いた時、俺は「自分を迫害した相手を、助ける義理なんて無いだろ!」と言って、ピコを強く説得した。
だけどピコは、一切聞く耳を持たなかった。
誰かが困っているのを見かけたら、問答無用で助けに行く。
嘘みたいな話だが、それがピコという少女なのだ。
ピコの夢は、この辺境に新しい国を創ること。
誰もが安心して暮らせる、自由で平和な国を築き上げることだ。
そのために、ピコはたった1人で悪政を布く王国相手に戦いを挑もうとしていた。
そんな天使の姿に、俺は胸を打ち抜かれた。
元々俺は、見知らぬ誰かのために命を賭けられるような人間じゃない。
でもピコが望むことなら、俺は力になりたいと思った。
だから今、俺はこうして異世界の反乱戦争に加担している。
『ね、リンド・・・やっぱり私、リンドの近くにいたい』
『ピ、ピコ・・・!』
な・・・なんて可愛らしいことを言うんだ、この天使は!
戦う前から、俺をキュン死させる気ですか?
開戦の法螺貝の直後、聖王討ち死に(キュン死)とか、シャレになってないぞピコ!
もちろん、それは俺としても、ピコに側にいてもらいたいのは山々だ。
でも残念ながら、非常に残念ながら、今はそういう訳にはいかない。
俺の立てた作戦通りに進めないと、この戦いは本当に一方的に負けてしまう可能性があるからだ。
この戦いに勝つためには、俺とピコは離れて戦う必要がある。
そうでないと、敵を策に嵌めることができないのだ。
この戦いを始めた当初は、こんな心配をする必要も無かった。
転生ボーナスの俺のパワーは規格外だったし、そしてそれ以上に、ピコは天才的な魔法使いだった。
俺とピコのコンビは、これまで思うがままに戦場を無双してきた。
ザコはもちろんのこと、俺とピコの“敵将狩り”に太刀打ちできる王国聖騎士もいなかった。
でも俺とピコが無双して終わりだったのは、もう過去の話だ。
敵のレベルが上がり、戦いの規模が大きくなるにつれ、それだけでは通用しなくなってしまった。
だから俺は、次第に戦い方を変えていった。
戦いの前に、様々な策を張り巡らせるようになったのだ。
歴史オタクとして身に付けた、前世の知識を生かして。
戦力に乏しい反乱軍を、確実に勝利に導くために。
その策はもちろん、この戦いにも用意してある。
『ピコ、俺もピコと一緒に戦いたいけど・・・説明したろ?今回は、こうやって離れて戦うのがベストだって』
『・・・』
『心配しなくていいよ。俺は接近戦なら、そこらの雑兵なんかにゃ負けないし。それにこの状況は、全部俺の作戦通りなんだから』
『うん・・・』
俺の強がりに、ピコは不安げなつぶやきを返す。
脳ミソお花畑の隊長達とは違い、ピコはこの現状の危険度を正確に把握しているようだ。
その辺りはさすがである。
目の前の相手は、過去最強の騎士団だ。
反乱軍との戦力差は、決して俺とピコの2人だけでひっくり返せるようなものではない。
ならそれを打ち破るためには、敵をより深く策に嵌めこむ必要がある。
この戦いの勝敗は、その俺の策が当たるかどうかにかかっているのだ。
俺はずっと、それを不安に思っていた。
自分の作戦は正しいのか。
隊長達は、ちゃんと抜かりなく事を運んでくれるだろうか。
自信が持てないまま、異世界無双もここまでか・・・なんて弱気な思いが、ずっと俺の頭をよぎっていた。
でもピコに強がりを言いながら、俺は思った。
「全部俺の作戦通り」という言葉に、嘘は無いのだと。
俺は事前に、この平原に様々な仕掛けを用意しておいた。
そして王国軍は、俺の誘いに乗ってノコノコとこの平原にやって来た。
つまり、奴らは気付いていない。
この平原が、俺によって用意された戦場であるということを。
勝つための作戦は、ある。
それが実現する根拠もある。
そして俺は、勝たなくてはならないのだ。
この少女のために。
俺はその思いで、自分の策への不安を塗りつぶした。
そしてまるで確信しているかのように、力強くピコに言ってみせる。
『大丈夫、今回も勝つって!』
『・・・うん』
不安が払拭されたわけじゃないようだけど、ピコのその返事には少しだけ明るさが戻っていた。
もう一押しだ。
俺はさらにピコを勇気づけようと、彼女に未来への希望を感じさせる話題を振った。
『ピコ、この戦いが終わったら・・・』
『え?』
『いよいよできるな。ピコがずっと夢見てた、みんなのための理想の国が』
『・・・う、うん』
『待ってろよ?すぐにあの見掛け倒しの連中蹴散らして、ここをピコの国にしてやるから』
『・・・無理しないでね』
『おう!ピコも気を付けてな!』
『うん。リンドも』
そこで、ピコとの【念話】は途切れた。
くう・・・
やっぱ優しいな、ピコは。
戦いの前は、こうしていつも俺の身を案じてくれて・・・
ピコの心の優しさは、いつも俺をほっこりさせてくれる。
俺はひとしきりデレッとした後、もう一度丘の上から敵の陣形を眺めてみた。
「「「「ハウッ!! ハウッ!!」」」」
平原に密集した兵士達。
王国四大騎士団の一角、《クアレント騎士団》2万4千総出の布陣。
その第一陣が雄叫びを上げながら、いよいよこちらに向かって前進を開始した。
だが俺はもう、そこに先程のような威圧感は感じなかった。
むしろ胸の内にふつふつと、闘争心が湧き上がってくるのを感じる。
そんな心境の変化に、俺は改めて自分のモチベーションを再確認した。
やっぱ、ピコだな。
開戦前にちょっと話をしただけで、こうしてやる気が蘇ってくるんだから。
敵は強い。
だから何だ?
例え何が出て来ようと、ピコのために勝たなきゃならないのは同じだ。
待ってろよ、ピコ。
お前の夢を叶えるために・・・
俺は絶対に退かん!
オジサン、頑張っちゃうからね!!
渾身の気合で自分に喝を入れ、俺は開戦の檄を飛ばすべく丘の先端に歩み出た。