眺めてや
夜汽車にて
満天の星
眺めてや…
するりと立ち上がり
浴衣を羽織った
留め置く紐は 軽く結ぶ
夜気が襟首をなぞった
慌ててはんてんをたぐり寄せる
男は尽き果て 仰向けに寝ている
重い掛け布団を
ゆっくりと掛けた
額に刻まれた皺を そっと撫でる
音を立てず 月明かりを頼りに
妻は台所へ行き 水を飲んだ
喉が乾くのは
いつもの事だ
こくり こくりと
喉を鳴らしてコップを置くと
水場の硝子戸の隙間から
遠くで汽笛の音がする
フ、ファオゥ
****
「こんばんは」
気がつけば夜汽車の車内だった
赤いビロードが好きだと
言っていたのは
あの…
「こんばんは」
はっとして前を見る
少年が座っていた
顔が小さいのに目ばかり大きい
その顔に女は…
「しぃ 言っては」
首を振る少年に 女は戸惑う
その様子に少年は
にこりと笑う
慈しむように 愛おしいと言わんばかりに
「なにも 迷うことはない」
女は目を見開いた
夫の夢を 支えてあげれずにいた
家庭を守るばかりで
夫の想いを 本当は…
「泣かないで」
本当は知っていた
知っていて 蓋をした
ただ自分の為に
自分と子供を守るために
「それも 間違いではないんだよ」
はらはらと泣く女に
少年は 手を伸ばし
やがて苦しそうに横を向き
自身のシャツの 胸を掴む
「悔やまなくていい」
少年は最初と同じように座って言った
そして
胸に手を当て
微笑みながら そっと瞼をふせて
「あなたの…」
フォウゥ
****
遠くで夜汽車の走る音が聞こえる
しばらくして音は去り
妻は台所に立っている事に気が付いた
頬を伝う一筋の雫に
無意識に手をあてる
妻は 男が眠る寝間へと戻る
男の傍に座り じっと眺め
そっと 頬を撫でる
少年の言葉を胸に刻みながら
あなたの…
あなたの思うままに
愛おしむように眺め
触れるだけの口づけをし
秘めた決意を 告げんとす
やがて温んだ布団に入り
抱き寄せられた男の胸に 顔をうずめた
夜汽車にて
満天の星
眺めてや
微かに届く
汽笛の響き