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獣狩りだと言って、村人たちが森に入ってきた。しかし、なにも見つけられずに帰っていく。それはそうだろう、危険な獣などここにはいない。そんなものは、とうの昔に私が食べた。万が一にも私の娘に危害を加えられてはいけないからな。
娘はあれからも変わらず私のもとにやってくる。
「村に住まないか、って言われたの」
そう話す娘の表情は暗い。どうやらただの親切ではないようだ。年頃と言われる年齢の娘を見つめる村人たちの――男たちの視線はねっとりとしていた。
「村に住んだ方がいいのかな? だって……そうすればひとりではなくなるでしょう?」
ひとりは寂しいと娘は言う。ふーむ、ひとりではなくなるために村に行くということか。しかし本心ではそれを望んでいない。
母がいるではないか、と枝を揺らすが娘は溜息をつくばかりだ。私は土の中で根をぎゅっと丸めた。なんとかしなければ。娘が喜ぶために、母はなにをすればいい?
娘が帰った後、私は考えた。娘の望みはなんだろう。記憶を遡り、思い出す。
そうだ、オウジサマだ――。
そして旦那様と子供と暮らすのだったな。今までの娘の話から考えると、王子様が旦那様でいいのだと思う。では王子様で旦那様はどこで調達すればいいのか。……そうだな、娘が憧れている街で探すのがいいか。それから旦那様は優しくなければならないのだな。
都合よく、王子様で旦那様で優しい男は見つかるだろうか?
娘が望む者を用意してやりたい。さがすのに時間がかかりすぎるのもよくない。手っ取り早く見つけたいが……。
と、そこで私はふと思い出した。随分昔の記憶だが、同じ植物系のバケモノから聞いた話だ。そいつは寄生というものを得意としていて、たびたび人間の中にも入ると言っていた。そのやり方を得意げに語る奴をうるさいと思っていたが、それが今使えるのではないか。
そうだ、そうしよう。
私は自分が自分であるもののすべてを、枝の先へと集中させた。それから枝先をぽきりと折る。
今までの体を、私は捨てた。大木から、葉っぱが一枚だけ付いた小さな姿へ。折った場所から少しだけ根を出し、捨てた体をよじ登る。そして天辺につくと、飛び上がり風に乗った。
葉っぱで上手く風を受け、街を目指す。街の場所はよく知らないが、村からまっすぐ行けば着くことは知っている。だからひたすら真っ直ぐ進む。そうして暫く風に乗っていると、それらしきものが見えてきた。たくさんの建物と、夜を煌々と照らす灯り。更に近づくと、たくさんの人の気配がした。
間違いない。私は葉の向きを変え、街に降りた。さて、王子様はどこだ? あちこち探索するしかないかと移動を開始……しようとして気づく。王子様とはどんな人間だ?
…………。
そ、そうか、王子と呼ばれている人物をさがせばいいのだ。
私は移動を始める。できるだけ人の多い場所の方がいいかと、あちこちの建物の中に入りながら王子様をさがす。そうしていくつめかわからないドアの中へと入った時、それは聞こえてきた。
「――は、わたしの王子様なのよ」
「やだ、違うわよ。わたしの王子様なのよね」
王子様! 今、確かに王子様と言っていたぞ!
声がした方向へと急ぐと、そこには数人の女に囲まれた男がいた。
……あれが王子様?
私は内心で唸った。不味そうな男だな。娘の父親と同じ臭さを感じる。いや、しかし女たちはあれを王子様と言っている。ということは王子様なのだろう。
男は「喧嘩するなよ」と笑いながら立ち上がった。用を足しにいくらしい。好機だ。若干不満もあるが、時間がない。この王子で我慢してもらおう。人間の美醜はよく分からないが、見た目は若く私の娘と並んでも丁度よい感じがする。
ひとりになった男を追いかけ、用を足し戻ろうとしたところで後ろから首に飛びついた。
「うわ、なん……ああああ!」
うなじを根で突き破り、中へ。男は叫びながら暴れ、何事かと人が集まってくる。ううむ……人間というのは痛みに弱いな。騒ぎの中私は頭まで辿り着き、寄生を始めた。
繊細な作業なので集中する。と、その間に男の体はどこかに運ばれた。治療だ、事故だ、事件だ、という声を遠くに聞きながらなんとか寄生に成功した時には、既に太陽は空の上にいた。
私は目を開ける。枝……ではなくて、手を上にあげる。握る、開く。足をあげる。……思った通りに動くな。体を起こせば、近くにいた女が大きな声をあげた。記憶によると、この女は男の母親だな。大丈夫なのか、誰かにやられたのかと訊いてくる。
「あー。あーあーあー」
よし、声も出せる。
私は立ち上がり、部屋から出た。ここは男の実家だ。男の父親はいくつもの仕事をしていて金持ち。だから家が大きい。男は特に仕事はしていなかったようで、父親の金で飲みに行ったり遊んだりしていたのだな
母親と、それから父親も現れてまだ動いてはいけないなどと言っているが、無視して外に出る。時間がかかりすぎた、早く娘のところに行かなくては。
慣れない人間の足を懸命に動かして移動する。しかし遅いな。これでは益々娘のところに行くのが……うん? 馬に乗っている記憶があるぞ。
私は方向転換し、馬小屋へと向かう。男の愛馬は栗色のあれか。近づくと、馬が警戒した様子を見せる。人間よりも動物の方が聡いからな、いつもと様子が違うと思ったか。
「乗せろ」
パシリ、と馬を叩いてから準備をする。記憶を頼りに乗り、走らせる。止まれと言う声を背に聞きながら、娘のもとへと急いだ。道を走って村を抜け、娘の家に辿り着く。馬を降りたところで、ちょうど娘が家から出てきた。
私の新しい姿を見た娘は、眼球が零れ落ちるのではないかと心配するほど目を見開いた。
「あ、の、森で迷われたのですか?」
怪我をされているじゃないですか、と慌てている。そういえば、中に入り込む際の怪我は治療をしてあったが、血の付いた服はそのままだな。
「大丈夫だ」
私が首の包帯を指させば、娘は安堵した表情をしたあと頬を赤らめた。これは……男の容姿を気に入ったということか?
「飲み物を貰えるか?」
「え? あ、はい、どうぞ」
娘はあっさりと私を家の中へと入れ、水しかないのですがと申し訳なさそうに言いながら汚れたコップに入った水を渡してきた。それを一気に飲み干し、娘を見つめる。
「あ、あの、わたしは……」
娘が名乗ったので、私も記憶の中の男の名を告げる。
「……街の方?」
憧れを含んだ視線。そうだ、娘を街に連れて行ってやらねば。
「共に行こう」
私は少女の手を取った。
「え? それはどういう……」
「私は旦那様となる、君は妻」
それだけ告げ、戸惑う娘を抱き上げて家を出る。
「落ちないようにしっかり掴まれ」
「ちょ、待ってください、これは……!」
馬を走らせ、私は娘を連れて街に戻った。街を見た娘は驚き、娘を見た両親は更に驚いた。
「申し訳ない、すぐに帰す」
娘に向かって謝る両親に、私は首を振る。
「駄目だ、ここで一緒に暮らす。私の妻だ」
ひとりは寂しいと言っていた。だから王子様を調達したのだ。
両親は酷く戸惑った。見つけた少女を気まぐれで攫ってきたのか、しかし様子がおかしいと医者が呼ばれる。医者は私の体をあちこち触りいろいろと質問をして、怪我のショックで混乱を起こしていると言って帰っていった。
両親は悩んだ末、帰さないと言い張る私に折れて、娘を客人として屋敷に暫く置くことにした。娘に身寄りがないことも幸いした。森にひとりで住んでいると聞き、それならば心配する者もいないのでいいかとなったようだ。
私は娘を服屋に連れて行き、服を買ってやった。髪切り屋にも連れて行き、ただ長く伸ばしていただけの髪も整えさせた。それだけで随分と見た目が変わった。
「こんなにしていただいて、いいのですか?」
「君は私の妻だ。いいに決まっている」
化粧と宝石、香水。男の記憶の中にある女に必要な物を次々と買っていく。
「……妻って、本気ですか?」
「当然だ」
「だって、会ったばかりなのに……」
違う、と言ってもわからないか。
「他に欲しいものはないか?」
「十分すぎます」
屋敷に戻り、部屋で娘と茶を飲む。
そういう毎日を繰り返していると、ある日娘が訊いてきた。
「あの……」
「なんだ?」
「いろいろ買ってもらえるのは嬉しいのですが、支払いはどうなっているのですか?」
うん?
「街で買ったものは、父に請求が行くようになっている」
「え?」
男の記憶では、これまでもこうして好きなものを買っていた。問題ないはずだ。が、娘は戸惑う。
「それじゃあお父様がすべてを? あなたのお金ではなくて?」
「そうだ」
「そんなことになっていただなんて……。そういえば、あなたは働いていないのですか?」
「働いていないが?」
「じゃ、じゃあもうなにも買っていただかなくていいです。今までだって必要以上に買っていただいていたし……」
私は眉を寄せた。どういう意味だ? 私の金ではなく父の金であったことが問題なのか。そして私が働いていないことも、あまり快く思っていないのか?
「……わかった」
私は頷いて部屋から出ていく。そして父のもとへと行くと、仕事がしたいと言った。父は卒倒しそうなほど驚き、それから体中の水分がなくなってしまうのではないかというほど泣いた。
翌日から仕事を始めた。と言っても宿主の男には仕事の知識が無かったので、まずは勉強をしなくてはならなかった。意外なことに、勉強は苦にはならなかった。むしろ知らないことを覚えるのが楽しいくらいだった。
そうして私がひとりでも仕事がある程度できるようになった頃には、両親は私の娘を非常に可愛がるようになっていた。一目惚れをした少女の為に息子が改心したと思ったらしい。
仕事をして金を儲けるというのは、なかなか面白い。儲けが増えれば両親が喜び、娘が喜ぶ。いつの間にか私は父親よりも優秀な息子と言われるようになり、ついに娘と結婚をすることになった。