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夏のホラー2017遅刻。残酷描写、虐待描写ありなのでご注意ください。

「お母さんがいないの」

 少女は私を見上げてそう言った。

 涙で濡れた顔、腫れた目、あちこち捜しまわったのであろうか息が切れている。

 そんな少女の様子を見て、困ったなと私は思う。

 母親ならば、私が今食べている――。



~木漏れ日のひと~



 私は木である。正確に言えば、木の姿をしたバケモノだ。森に住み、近寄ってきた動物を捕食して生きている。

 そして私の前で泣いているこの少女は、森の近くに両親と住んでいる。……いや、母親は私が食べているので、今は父親と二人で住んでいることになるか。

 少女と母親は、時々森の中に入ってきては食べられそうなキノコや木の実を取っていた。そして何を気に入ったのかそのたびに私の前に立ち、「大きいね」と見たままのことを言ったり根元に座って水を飲んだりしていた。

 動物を捕食する私は、当然人間も食べる。しかしこの母娘は痩せていてあまり美味しそうではなかった。母娘より鳥や鹿のほうが余程美味しそうなのだ。だから、近寄ってきても捕食はせずに放置していた。

 では何故今母親を食べているのか。それは、向こうから食べてくれと言うようにやってきたからである。正確には、母親は今朝やってきた時には既に死んでいる状態で、私の根元に埋められたのだ。

 根元に埋められたのならまあ食べるか、という軽い気持ちで食べ始めたのだがいけなかったのだろうか? 返してもいいが、あとは骨が僅かに残っている程度だ。

 私は心の中で小さく唸る。骨でもいいかと訊きたいが、残念ながら私は喋れない。何故なら木だから。木には口がないのだ。ちなみに食べるというのは根から吸収することを指す。

 ぽろぽろと涙を流し始めた少女を見ながら私は骨を返すべきか迷う。と、その時また足音が聞こえてきた。

 土をしっかりと踏みしめる足音、その方向に意識を向ければ少女の父親がやってきていた。この父親は、滅多に私に近づかない。たまに近づくこともあるが、私はこの人間も食べなかった。理由は母娘と同じように痩せているから、それから不味そうだから。なんとなく肉が臭そうだと感じるのだ。

 父親は私――と言うより少女に近づくと、その肩に手を置いた。

「こんなところに居たのか」

「お母さんは?」

「あいつは出て行った。もう戻ってこない」

 父親の言葉に、少女が声を上げて泣く。

 ……うん? 私は内心首をひねった。いや、首などないのだが、まあそんな気分だったというわけだ。出て行ったと言うが、母親の死体を運んできて根元に埋めたのは、この父親ではないか。何故なにも知らないという感じで話すのか。

 父親は泣きじゃくる少女の腕を掴み、引っ張って歩き出す。帰るらしい。父親の言動の意味はよくわからないが、人間には人間の事情があるのだろう。そして、骨は返さなくてもいいようだ。

 私は残り僅かな骨もすべて食べた。



◇◇◇



「お母さんがいないの」

 翌日、少女はまた現れた。

 ……昨日と同じことを言っている。困ったな、骨も食べてしまったのだが。少女の目は相変わらず腫れ、今日は頬も青く腫れていた。

 どうすべきか、と考えて思いつく。そうだ、返してやる方法があるではないか。私は幹の中にある少女の母親から得た栄養を、少女に一番近い位置にある枝へと集中させた。そして、ぎゅうっと力を籠めて栄養を一つの塊にし、枝の先にぶら下げる。つまり、果実を作り出したのだ。

 さわさわ、と枝を揺らして果実があることを知らせる。少女は顔を上げ果実があることに気づいたが、瞬きするだけで手を伸ばそうとしない。仕方なく少女に向けて果実を落とした。

「あ……」

 足元に転がってきた果実を少女は拾い上げる。果実と私を交互に見て「くれるの?」と訊いてきたので、そうだと言うように枝を揺らした。

 少女は少しだけ躊躇った後、果実を齧る。

「甘い!」

 赤い汁を口から滴らせながら少女は笑う。そうだろう、本来ならば果実は獲物をおびき寄せるために作るものだ。香りも味も甘くて美味しいその果実に夢中になっている獲物を捕らえて食べるのだ。

 少女は夢中で母親を食べた。指に付いた汁も執拗に舐めている。やれやれと安堵する。形は違うが、私は確かに少女に母親を返したのだ。母親は少女の体に吸収され、少女の栄養となった。

 腹が満たされて気持ちが落ち着いたのか、少女は私に「ありがとう」と言って帰っていった。返しただけだ、別に礼を言う必要はない。私は去っていく少女に向かって軽く枝を揺らした。

 これですべて解決した。もう少女が嘆くこともないだろう。

 そう思っていたのだが、その考えが違ったことが翌日判明した。少女がまた来たのだ。

「お母さんがいないの」

 少女は私を見上げて言う。昨日返しただろう、と心の中で言って気づく。そういえば……返しはしたが、それが母親だとは伝えていない。なるほど、少女はあの果実が母親だとは気づいていなかったのか。

 うーむ、どうやって伝えるべきか。悩んでいる間に少女は帰っていった。そして翌日もその翌日も、毎日私のもとへとやってくるようになった。

「お母さんがいないの」

 私を見上げて最初に言う言葉はいつも同じ。変わってきたところと言えば、少女が更に痩せたところか。襤褸の服も汚れが激しくなった。私の根元に座り込むことも多くなった。今日も座り込み、めそめそと泣いている。

 母親が恋しいと少女は泣く。それほどまでに大切な存在であったか。そういえば二人でここに来ていた時は、とても睦まじい様子だった。私はバケモノなのでよくわからないが、子にとって母親の存在というのはとても大きなもののようだ。

 根元に埋められた時には母親は既に死んでいたが、食べたのは私だ。食べなければ、少女にそのままの状態で返していれば、これほどまでに嘆くこともなかったかもしれない。

 うーむ、どうすべきか。暫し悩み、ハッと思いつく。

 そうだ、私がこの子の母親になろう!

 本物の母親はこれ以上返すことができない。ならば、私が母親の代わりになってやればいいのではないか。

 我ながら実に言い考えだ。……が、母親というのは何をすればいいのだ?

 私は少女に意識を集中させる。まずやるべきことは……そうか、太らせることだ。少女は――いや、私の娘は痩せすぎている。最近では歩く時もふらふらとしているではないか。きっと栄養が足りていないのだ。

 私は幹の中にある栄養を集中させて、果実を作った。以前と同じように枝を揺らして果実があることを教え、娘の足元に落とす。娘は驚いた顔をして果実を拾い、私を見上げてからそれを貪り食った。

 ……お腹が空いていたのか。もう一つ果実を作り、落とす。二つの果実を食べた娘は、私に「ありがとう」と言って帰っていった。

 礼などいらない。母親として当然のことをしたまでだ……たぶん。

 娘を見送り、私は周囲の気配を探った。明日も娘は来るだろう。もっと栄養のある果実を作るために、狩りをしなくてはならないな。



◇◇◇



 毎日、娘は私に会いにやってくる。私は娘に果実を与え、暑くないようにと枝と葉を動かして影を作る。娘の体には徐々に肉がついてきた。最近は、母親がいないと言うこともなくなってきた。実に順調に、私は母親としての役目をこなしている。

 娘は私にいろいろな話をしてくれる。娘の家はこの森の近くで、村から少し離れている。村の者たちは、あまり娘の父親をよくは思っていないようだ。父親も、娘にあまり村に近づくなと言っているらしい。

 その父親だが、ここ数日帰ってきていない。街で金を稼いでいるそうだ。

「たまにね、凄く儲かったって言ってリボンとかお菓子とかを買ってきてくれることがあるの。ほら、このリボンもお父さんに貰ったの」

 髪に結んであるリボンは色あせていた。

「街にはね、面白いものがたくさんあるんだって」

 どうやら娘は街に憧れているらしい。目を輝かせて行ったこともない街の話をあれこれと聞かせてくれる。いつもより饒舌に話し、娘は帰っていく。

 別の日に来た時は、歌を歌ってくれた。私の為に歌ってくれたそれは調子が外れていて歌詞もうろ覚え状態だったが、それでも私は拍手の代わりに精一杯枝を振ってやった。娘の照れた笑顔を見たのはその時が初めてだった。

 そんな日々を繰り返し、数年が経った。

 バケモノの私にとってはたいしたことはないが、人間にはそこそこ長い時間だったのだろう。娘は背が伸び、体も若干丸みを帯びてきて、私の前に母親をしていた者の服を着るようになった。だがまだ痩せすぎなくらいだな。もっと太らせなくてはならないが、どうすべきか。

 考えていると、娘が私に抱きついてきた。

「お別れなの」

 ……うん?

 どういう意味かと戸惑う私に娘は話す。父親の借金を返済するために売られるのだと。「いつか、王子様のような人が迎えに来てくれると信じていた。優しい旦那様と子供に囲まれて……そんな……生活を……してみたいって思っていた!」

 幸せになりたかったと娘は泣く。うーむ、どうやら売られることを娘は嫌がっているようだ。売られると幸せになれないらしい。それは、母として見過ごすわけにはいかないな。

 泣く娘を見送ったあと、私はこれからすべきことを考えた。売人とやらが来るのは今夜らしい。その売人が娘の家に到着しなければ、娘は売られることがないのではないか?

 よし決めた。売人が娘の家に行くのを阻止しよう。

 私は日が橙色の光を放ちながら落ちていく時間まで待ってから、根を土の中から出した。すべての根を地上に出し、軽く曲げ伸ばしをしてから動き出す。私は一見ただの大木に見えるが、バケモノなので移動は可能だ。と言っても、こうして移動するのは久しぶりだが。

 他の木に引っかからないように注意しつつ、娘の家に向かう。家が見えたらそこで暗くなるまで待機し、更に移動する。娘の家から伸びる一本道を進んで行き、村と家の間辺りで止まった。そこで暫し待っていると、遠くから不快な笑い声が聞こえてきた。

 ……これは父親の声だ。

 声が近づいてくる。

「うちの娘は器量がいいんだ。高く買ってくれよ」

「それは見てみないと分からないな」

「そう言わずに」

 どうやら父親は、積極的に娘を売ろうとしているらしい。

 私は愕然とした。何故だ、娘は嫌がっていたではないか。更に、売られた先での娘の扱いについて売人と父親は話す。娘は人間として扱われない場所に連れて行かれるらしい。

 人間を人間として扱わない、ならばなんだ? 私と同じようにバケモノとなるのか? しかし人間はバケモノにはなれない。

 おかしい、そして不快だ。この者たちに娘を渡せば、どうなるかわからない。そして、売人というのを追い返すだけでいいと思っていたが、この父親がいる限り安心はできない。私は母として、娘を守らなければならない。

 声に向かって移動する。私の姿を見た男たちが悲鳴を上げる。その声も不快だ。枝を伸ばして口を塞ぎ、根を突き刺す。

 ……不味い。

 父親は、想像した通り臭い肉の持ち主だった。売人も同様で、私はすぐに食べることをやめて男たちを村に向かって投げた。

 これで娘は売られることがなくなった。同時に父親もいなくなったが、それはまあいいだろう。もともと家にはあまりいない男だったし、たまに帰ってくると娘が嫌がることをしていたようだ。時々娘が酷く辛い顔を見せていたのは、あの男のせいだろう。

 さて、森へと帰ろう。

 私はいつも娘と会う場所へと戻り、根を地面の中へと埋めた。これで私は元通り、娘も安心だ。

 朝になり、昼になり、私は娘がやってくるのをいつも通り待つ。しかし娘はやってこない。どうしたのかと思っていたら、陽が落ちる頃にようやく娘がやってきた。

「お父さんが、獣に食い殺されたの」

 娘は泣いていた。

 獣……? ああそうか、中途半端な状態で捨てたからそう思われたか。

「ひとりになっちゃった」

 それは違う。ここに母がいるではないか。

 うーむ、あんな男でも娘にとってはいなくなってはいけない存在だったのか? しかしあのままにしておけば、娘は確実に嫌な目にあっていた。だから、間違いではないはずだ。

「わたしも、いなくなった方がいいのかな?」

 でもまだ死にたくないと娘は言う。

 死にたくないのならば生きればいい。

 私は枝を揺らし、震える娘に向かってたくさんの葉を落とした。大丈夫だ、悲しむことはない。

 今夜は母の葉に包まれて眠るがいい。



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