前編
遥か昔、この星にまだ名があった頃。
幾百、幾千という流れ星がその星の地に降り注いだ。
その星に住む生き物たちは、流れ星を喜んだ。しかし、流れる星は只の欠片では無かった。
流れ星に一人が触れた。するとどうだろう、流れ星が割れ、中から見た事もない生命体が生まれた。
それは産声を発する訳でもなく、静かに産まれたのだ。
今まで見た事もない生き物に、驚き、恐怖し、感動した。
それが、人類である。
新たなる来訪者に、人は感動した。
流れ星は生命体だと分かると、人は直ぐに流れ星をその手に収めようとした。
人が触れれば新たなる命が孵る。
触れた人の数だけ、命は増す。
彼らは遅かったのだ。確かに、未知のものに興味と好奇心が生まれるのは人が持つ探求心だが、それが仇となったのだ。
そう。産まれ過ぎたのだ。
彼らは流れ星と言うのな卵。その孵化を進めたのは人。
産まれた彼らに知恵はあるのか。なにを食すのか。感情はあるのか。
人は彼らを孵化させ続けた。その結果、孵化した彼らは人の手によって知恵も、感情も手に入れてしまった。
孵化した彼らはまず、何を思ったか。
それは、人がいるかいらないか。要するに見定めたのだ。
見定めたのちに、判決を下した。
人は、この星にはいらないのだと。
彼らは人に襲い掛かった。
爪もあり、牙もあり、人が与えた知識もあった。
そんな彼らも前に、人は減っていった。だが、人にも知恵以外の力もあり、応戦はした。そう、したのだ。だが、人に知識を与えられた彼らには分かっていた。人の力が何というのかを。
人が例えば10人いたら、彼らは1日で10人殺した。
人が例えば100人いたら、彼らは1日で100人殺した。
では、1000人いたら、彼らは1日で何人殺したことだろう。その星の人は知恵もあり力もあり、文明は進化し続けている。そんな人を彼らは何人殺し続けたのだろうか。
彼らは人を殺すことを止めなかった。その結果、星に住む人の数は絶滅寸前にまで追い込まれた。
男も女も関係ない。子供も老人も関係ない。彼らにとって、人は生まれながらに知恵あるモノとして殺すのだ。
たとえそれが、母親の胎の中に居る子供であっても。
人は震える者もいれば、涙を流して生きようとする者もいた。
けれど、彼らには同じ人にしか見えなかった。
彼らによる虐殺で、人が終わりを告げるのかと思われた。生き残った人は為す術もなく、殺されるのだと。
彼らも、人が彼らにかなうはずが無いと、そうだ、油断はしては居たのだろう。
それが、彼らに終わりを告げた。
それは槍にも見えて、塔にも見える巨大な物質が、宙から降って来たのだ。
星の裏側に深く刺さったソレは人を救い、殺戮する彼らを砕いた。
彼らを殺すのは、同じく宙からの流れるものだった。
だが、確かに人は救った。しかし星は死んだ。正確には星の半分が死の海と化したのだ。
星の中心部にまで深く深く刺さったソレは、星の血である赤くドロドロとした熱を呼び、海は海に住む生き物の血によって赤黒く染まり、大陸も割れて沈んだ。
人は救われ、星の半分は死んだ。
それでも、人は生き残った。絶望は未だにぬぐえず、希望は何処にあるのかもしれず、それでも、生き残った人は生きて行くのだ。
こうして、世界の半分は終わりを告げた。星の半分は死んだ。
長い長い時の中、星の名も失われ、彼らが人を虐殺した事も時の流れに埋もれた頃に、何時しか人は星の半分を死に至らしめたソレを「最果て」と呼ぶようになった。
そして、流れ星は再び星に降る。
―――――――――――時は流れ、打って変わり2人の兄妹の話をしよう。
木に囲まれ、長い階段を鳥居が段ごとに立ち、他と断絶されたかのように佇む大きな屋敷があった。
その屋敷には沢山の人が住んでいた。そして、その中には幼い2人の兄妹が手を繋いで走ったり、騒いだりして遊んでいる姿もある。
活発で、なにも恐れるものはないかのような紅蓮の瞳を持つ兄と、お調子者で兄の後ろを歩くのが好きな妹。
大きな屋敷のわりに、子供がこの兄妹しかいないのは後に分かるだろう。
仲の良い兄妹に、屋敷の人間も優しく接した。
少し厳しい父親に、優しく抱きしめてくれる母親が居て、この兄妹はさぞ恵まれた事であろう。
兄が、流れ星を持ち帰るまでは。
外界から断絶され、周りには木しかない。
屋敷で妹と遊ぶのも良いが、外に出たいと兄は思った。その思いを両親に伝えると、子供に、特に兄に甘い両親は屋敷の外へ出ることを許した。
ただし、妹は連れてはいけなかった。兄は妹も一緒にと言ったが、両親が首を縦に振る事は無かった。妹に関しては両親は誰よりも厳しかった。どこかおかしいくらい。
兄が外の世界への許可をもらったその日、妹は泣きながら門の手前まで見送った。
直ぐに戻って来ると妹に言い、兄は初めて屋敷の外の世界を見に行った。
兄は外の世界が何なのかを知らない。だからこそ、それが致命傷になった。
知らないからこそ、全ては掌の上だという事に。全て仕組まれていたという事に。
兄の心は外に出るまで高まっていた。初めての外、初めて見るもの、初めて触れるもの沢山あると思っていた。
屋敷の外に出て、階段を下ったまでは良かった。そこにあるモノを目にするまでは。
幼い兄には理解できなかった。階段を下っただけなのに、目の前に広がる光景に恐怖を感じた。
辺りを見回しても、小さな光を放つ鉱石が幾つもある洞窟だ。兄は此処が洞窟だとは知らないが、いきなり分からない場所に居る恐怖と、いつも隣にいる妹がいない心細さで泣きそうだった。
そんな兄を落ち着かせるかのように、息をするかのように淡く光る何かが、台座の上に祀られている。
優しい光だった。母とも、妹とも違う優しさ。
兄はその光に惹かれ、台座に祀られているソレに触れた。
温かい。まるで生き物の様に暖かい。
兄は其れを持ち帰ろうと両手でソレを持ち上げた。不思議な事に幼い兄でも持てたのだった。
落とさない様にドキドキしながら兄は其れを持ち帰ろうとした時だった。
振り返ったら、もう目の前が屋敷なのだ。確かに振り返るまでは薄気味悪い洞窟に居たはずだった。それが、振り返っただけで、屋敷の目の前にいるという不可解な現象が起きたのだ。
兄は驚いて振り返るが、あの洞窟は無く、鳥居と階段しかない風景だった。
首を傾げながら、兄は紅蓮の瞳を爛々とさせながら屋敷へと戻って行った。
そう。そして全ては此処から始まり、狂いだした。
兄が持ち帰ったものは、遥か昔に人に知恵を授けた生物の卵なのだと両親は言った。
過去で、何と呼ばれていたのかは分からないが、今の人は、この卵から孵化した生物の事を「竜」と呼ぶ。
「竜」は過去、人に知恵と感情を授けた、だがそれを忌まわしく思った何者かによって「最果て」をこの星に突き刺し、「竜」を全て消し去ったのだと父は言う。
しかし、「最果て」が星の中心部に突き刺さったおかげでこの星の半分は死に、人は絶滅の危機に瀕した。人は恐怖し、生きる希望が見いだせなかったその時、宙から4枚の翼を持つ「竜」が現れ、人に希望を与えた。
そして自ら4枚の翼を4匹の「竜」に変えた。
4匹の竜は、赤黒く染まった水を浄化し、沈んだ大地を蘇らせ、暗雲おおう空を風で切り裂き、星の熱き血を鎮めた。
自らの翼を「竜」に変えた「竜」はこの星の何処かに眠っているという。しかし、その「竜」が何処で眠っているのかは誰も分からない。
4匹の「竜」は人に希望を与えた事から「希竜」と呼ばれた。力を使い果たした「希竜」は、何物にも砕けぬ石の卵の姿になり、人から人へと渡り、この星に恵みを与え続けていると言われている。
星に降る「竜」は石のようだが決して誰にも砕く事の出来ない卵の状態で眠っている。
眠る「竜」を起こすために人の力が居るという。其れは決して見える力ではないが、とても強く、眠れる「竜」を呼び覚ますことが出来る力。
「竜」は自らを呼び覚ます人を選ぶ。「希竜」は特に、人を選ぶ。「希竜」に選ばれた人は、「希竜」と共に「最果て」を目指す。未だに「最果て」は存在し、その周囲は生命が許される状況をではないからだ。
故に「希竜」と共に「最果て」に赴き浄化をするのだ。それが「希竜」に選ばれた人の定め。
兄は4匹いる「希竜」の中で最も大人しいと伝承に残っている「火の希竜」に選ばれたのだ。
父は、これからは「火の希竜」の為に生きなければならないと兄に言う。母は貴方が選ばれて誇りに思うと涙を流しながら兄を抱きしめる。
幼い兄は、両親が何を言っていたのか全ては理解できなかった。けれども、大好きな両親にお前なら出来ると言われ、兄は大きく頷いた。
兄が頷いたことに両親もとても喜んだ。
そして兄はそのまま父と母に、妹も一緒が良いと、今度は一緒に行きたいと言ったのだ。
ああ、悲しい事かな。幼き兄は此処で少しでも気づけばよかったものを、少しでも気づいていたのならば、あの悲劇を和らげることが出来たのだろうに。
兄が妹と共に行きたいと言った事に怒ったのは父親だった。
あれはお前とは違う。お前こそが相応しいのだ、あれは欠陥品だと父は幼き兄の目の前で怒鳴った。
母は泣いた。あの子は外には出れないの。あの子にはあなたが持っているものを持って生まれなかったの、それを埋めなければ妹は外に出れないのだと母は泣きながら言う。
兄は此処で恐怖し、妹を連れ出せば良かったのだ。この場から逃げて、妹の手を取り、この狂った屋敷から逃げればよかったものを、幼き兄はしなかった。
いや出来なかったのだ。
優しい母が泣くところなど見た事もなく、少し厳しい父がこのように怒鳴る事も無かった。
兄は両親に謝った。ごめんなさいと。でも「最果て」に行って帰って来たら妹と一緒に行きたいと兄も負けじと言い返した。それに対して両親は笑顔で答えた。
兄は其れを許しと捉え、1人で「最果て」へと行くことを決めた。帰って来たら妹を連れ出して色んな所を妹に見せるために。
そして、この選択が悲劇の運命を動かした。
兄が「最果て」へと行くために、屋敷の人間たちは兄のためにと準備をし始めた。
どんな困難にも立ち向かえるように、どんな危機に瀕しても生き延びれるように、兄を指導し始めた。
兄は妹の為にと、それに応え紅蓮の瞳は益々その輝きを増していった。
―——————そうした時は緩やかに過ぎ、悲劇は着々と足音を立てて近づいていた。
兄が成長すると伴い、「火の希竜」も孵化をした。紅蓮の瞳を持つ兄に相応しく、真紅に身を包む「火の希竜」。他の「竜」達とは違う雰囲気に、息をのむ人もいた。
妹はと言うとあまり変わらなかった。外に出られる兄を渋りながらも、兄が帰って来たら外に出られるという言葉を信じて兄の帰りを渋々待つという。
「希竜」は人と会話ができるというが、「火の希竜」は兄と妹以外の人とは話さなかった。
其れゆえか、妹は「火の希竜」によく懐き「火の希竜」も妹には少し柔らかい雰囲気だった。
兄はその様子が微笑ましく見え、少しだけ兄妹のように見えたという。
幼かった兄は少年へと成長し、そして青年へと至る。
屋敷の人間たちの指導の下、その背は伸び、その身体は磨きかかり、その瞳は迷いなく紅蓮に輝く。
兄は「希竜」に相応しい人へと成長を遂げた。
そして、兄の本当の旅立ちが明日に決まったその夜。
兄は屋敷の縁側に腰かけ、月が照らす夜空を仰いでいた。
そんな兄を門の屋根の上から声を掛ける「火の希竜」。最初はその重さで門が潰れるかと思ったが、「火の希竜」曰く、少し浮いているらしい。
眠れないのかと「火の希竜」が尋ねれば、少しだけと兄は答える。あの時とは違う、本当の意味で外の世界がどのようになっているのか知れるのだ。緊張しない訳がない。
それに、帰って来たら妹を屋敷から連れ出す気持ちが大きく、もしも帰って来れなかったら妹はどうなるのだろうかと言う不安もあった。
そんな兄の気持ちがわかるのか、「火の希竜」は帰りたいと思えばいつでも帰れる、と言う。確かにその通りだと兄は頷く。
いつだって帰りたい時に帰ればいい。会いたい時に会えばいい。兄は兄で妹は妹。兄妹なのだから。
気持ちが落ち着いたのか、兄は「火の希竜」に礼を言うと、部屋に戻って行った。
「火の希竜」はその姿を見届けると、この悲鳴を止めるのは今のお前には出来ない。そう言い残すのだった。
兄と「火の希竜」が旅立つ日が来た。外の世界がどのようになっているのか、「最果て」には一体何があるのか。そして、全てを成した後に必ず帰り、妹と一緒に世界を見る為。
兄を見送りには妹しかいなかった。それでも兄は妹だけでよかったと安堵する。父や母が居たら、きっと会話が出来なかったとさえ思うのだ。
時が過ぎれば過ぎるほど、この屋敷の人間に疑心を抱いた。どこかおかしいと思える部分があり、巧妙に隠されていると気付けばそうなるのも当然である。
だがそれでも、兄に対して妹の接し方は明らかに違う。
兄は「火の希竜」に選ばれたことで屋敷の人間からは気持ちの悪いほど優しく、丁寧に接せられていた。幼い頃は思わなかった。けれど、今ならわかる。
この屋敷の人間は、妹を人間だと見ていない。
最初からなかったかのような扱い。そこに居ても誰も見ない。声を掛ける者は兄と「火の希竜」以外両親くらいしかいない。その両親でも妹に対して他人行儀なのだ。
妹がよくひん曲がらなかったなと思い返す。
寝る時を除いてほとんど一緒に過ごしたのだ。それでも、孤独感や兄に対する劣等感はあったはずだ。憎しみや両親から愛情を注いでもらえなかった苦しみで妹は壊れても良かった筈だ。それがこうして多少煩いのを除けば、元気に育ったなと思う。
感傷に浸る兄に、帰って来る時は美味しいお土産を期待していると頼む妹。
仕方ないなと笑いながら頷く兄。
それが、本当に最後の最後。妹と交わした会話だった。
門が開き、兄と「火の希竜」は屋敷の外へと踏み出る。
その階段を下った後、兄が屋敷を振り返れば、手を振っている妹が屋敷の門に閉ざされて行く姿が見えた。本当は連れ出した方が良かったのかもしれない。けれど、兄と違って妹は「竜」を孵した訳でもなく、その身体を鍛え上げたわけでもない。もしも妹を連れ出したとしても、護り切れなかったら意味がないどころではない。「竜」との戦う時が来たら、兄は「火の希竜」が居るが、間違いなく妹は死ぬ。兄はまだ妹を守り切れる自信がなかった。
「最果て」へと赴き、帰って来れたのならきっと妹を護れると信じて。
まさか、「最果て」へ行き、生きて帰ってくるまでに6年かかるとは思っても見なかっただろうに。