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5 監禁状態が強くなる中、シラ、ナギの気配に気付く

 それから扉はとりあえず開かれたままになった。そしてひとまずは出入り自由になった。

 ひとまず、である。この建物とその周囲以外は身動きが取れないのだから、結局はまだ不自由の身と言えよう。

 この建物というのが、案外大きくはない。三階建てなのだが、どちらかというと縦に長い、という印象を受ける。そして意外に古い。赤茶の煉瓦で四角く組まれ、そこにツタが絡まっている。屋根は枝垂桜様式であるから、まあ古いと言ってもそれこそ何百年と昔という訳ではないことはシラにも判る。


 それでも百年以上は経っているわ。


 ぐるりとこの建物の回りを一周した時、シラはそう思った。

 ここの主人は… シラは彼女が皇太后ということには全く気付かないのだが、よく外出している。と言うよりは、ここが彼女の邸宅ではないらしい。彼女はここへ通っているようなのである。時々馬車で出入りする所をシラは見かけた。そして夜ここに居る気配はない。

 藍はどうやらここに住まわされているようだった。だがシラが手を出した翌日から彼女は姿を消した。代わりにやってきたのが、もう少し大柄で、もう少し歳かさで、もう少し気の強そうな少女である。


「紅とお呼び下さい」


 やはり黒髪黒目の彼女はそう言って頭を下げた。長い髪を後ろで一つまとめ、三つ編みにしている。ずいぶんと太くて固い髪らしく、親指と人差し指で輪を作っても余りそうだった。

 ああどうやらこれは無理だな。そう初対面でシラは感じた。だがどうやら話相手くらいにはなれるらしい。融通が利く。

 そして相変わらずここが何処かなどということが全く判らない。全く街並みが見えない森があるくらいだから、よほど都市の外れにあるのか、それともそんな広大な敷地を持っているのか。

 何せシラは皇宮を訪れたことがない。その中の後宮ならなおさらである。

 つまりはここは、後宮の一角である。本宮から道は色々に分かれて、一つ一つの館の周りには森がある。森は自然の壁となり、館の主を外敵から多少なりとも守ることになる。

 ちなみにこのシラが捕らえられている館は、「芙蓉」館と言う。今の季節ではその姿を見ることはできないが、もう少し経つと、芙蓉の類の花々が森に入り込むまでの庭に薄黄や薄赤の花がふわふわと乱れ咲く。

 十ある後宮の館のうち、七つまでは現在の皇帝の夫人方が所有している。ただしそのうちの四つは、その主を失って久しい。それは主が亡くなった者もあるし、また副帝都の実家に戻ってしまった者もいる。

 そして残りの全てをカラシュが使用していた。彼女が住むのは、この後宮にやってきて以来ずっと「楓」館である。かつては現在の皇帝も、そこで育ったのである。

 そして残りの二つ、「芙蓉」と「梅」は、専らサロンとして使われている。常に何かしらの客人を迎える用意ができているのだ。そのために普段より客人専用の使用人が詰めている。

 …まあシラはその知識はある。後宮関係は、少女達の話に上るのだ。そしてシラはナギほど変人の仮面をかぶってはいなかったから、そういった噂話にも結構耳を傾けていた。

 だがどれだけ後宮についての知識を持っていたところで、ここが後宮であると気付かないうちは、何の意味もないのである。



 夜になって、紅が夕食を運んできた時に、訊ねてみた。


「市内通信? ああ駄目です。できません」


 彼女ははっきりとそう言った。


「おかしいわね。この館には通信機がないというの?」

「無い訳ではありません。しかし使わせる訳にはいかないと申しておるのです」

「どうして」

「主さまの命令ですから」


 主さま、と紅はカラシュのことを呼ぶ。おそらくは皇太后さま、と呼びたいのだろうが、それを口にしてしまうと彼女の正体が判ってしまうので、まだこの時点では藍も紅も口止めされていた。


「でも通信機はあるんでしょ」

「あっても、線が使えないようにしてありますから、探し当てても無駄でしょう」


 全く、とシラは怒り半分にため息をついた。


「あまり騒ぎを起こさないで頂きたいのですが」


 紅は笑わない人だったが、それに輪をかけた無表情で、さらりと言った。シラはその無表情が妙に気に食わない。何を言っても何をしても、糠に釘押し、のれんに腕押し状態なのである。そういうのは好きではない。

 そこで少し怒らせるようなことを口に出してみようと思う。あいにく、さほど面識のない相手に喧嘩を売るのは相棒の専売特許ではないのだ。


「それはあなたの希望?それとも頼み?頼みなら嫌。希望ならあたしには関係ないわ。だいたいあたしが何したって言うのよ。そのへんも全く判らないくせに大人しくしてろなんて冗談じゃない!」

「おっしゃることは非常によく判りますが、我々はそれが仕事ですので」


 馬耳東風。きわめて冷静に、彼女は答えた。


「ふうん我々」

「ええ」


 なるほどね。少しばかり自分の琴線に触れる言葉に気付く。何気ないが、それは日常茶飯事で使われている言葉のようだ。

 シラは彼女達がある種の団体だということに気付いた。ということは、家の周りをうろうろしている連中もその一部かもしれない。あの可愛い藍という娘もそうだろう。

 紅は口は固いだろう、とシラは思う。特に何らかの集団だというのなら。

 だが、何処かでぽろりと何やらもらすかもしれない。


「…じゃあ仕方ないわね」


 非常に落胆した様子を見せる。


「せめて家の方に無事だということを知らせたいのだけど…」

「ああ、そちらの方には既に連絡済みです。ご心配なく」

「ああそう。それは良かった…」


 食事は毎度ながら良いものだった。毒は入っていないようなので、とにかく体力は温存させておかなくちゃ(太るのは嫌だけど)、という訳でシラもまた、別の場所の相棒同様よく食べる。

 珍しく、この夜は魚料理だった。平べったい白身魚のムニエルが香ばしく、美味である。付け合わせは青いアスパラガスととうもろこしの茹でたものである。

 主食はパンの時もあるし、時には麺であることもある。

 帝都は基本的に粉食地域である。南東部など、麦や米を直接調理して食べる所もあるが、帝都及びその周辺、辺境地までは粉に挽いたものを焼いたり煮たりするのが通例である。

 食事に魚が出るのはこの時が初めてだった。基本的には焼かれた肉か、煮込み料理か、さもなければ豆料理が出る。あまり肉が好きではないシラは、魚料理はちょっと嬉しい。野菜は主菜の付け合わせか、さもなくば煮込み料理にふんだんに加えられている。

 そしてお茶のセットと、デザートまでつく。この日は真っ白なブラマンジェに濃い赤紫のソースが掛かっている。何のソースかはシラは判らなかったが、下の端々までつんとくる酸味が奇妙に心地よいと思えた。

 これはなかなか本格的な食事の構成である。しかも魚まで。

 帝都は内地である。魚は海か、川でしかとれない。いずれにせよ帝都からは遠い。輸送手段が発達した現在だからある程度市場には出回るが、それでも魚はそうそう一般庶民の口には入らない。

 とすると。

 こんな客人(もしくは囚人)にそんなものを出すというのは。

 そして紅はまた明日、と無表情のまま出て行った。

 ちょっと待てよ。そしてシラは彼女が出て行ってから気付く。


 連絡済み。ご心配なく。


 心配をうちの連中がしなくともいい、ということかしら。それとも?

 これは誘拐ではない、とシラは考えていた。もし誘拐だとしても、金だの物だのを目的としたものではない。どう見ても相手の方がそういったものは持っていそうである。必要がない。

 だとしたら、自分をこうやって閉じこめておく理由は何だろう?

 はっきり言って、今日が何日なのか、それすら現在のシラは確かめる方法がないのだ。


  

 馬車が到着する音で、目が覚めた。窓を開けたら、よく晴れた陽の光が一気に部屋の中に入ってきた。

 馬車が玄関に横付けになる。シラは寝間着のままで下をのぞき込む。二階の張り出しが大きいせいで、三階の様子は下からは見えない。

 馬車の扉が開く。


 あれ。


 シラは半分眠っていた目をこする。


 …

 ちょっと待て!


 陽の光に、きらきらと光る、無造作な髪。適当に切ったことが丸分かりで、しかも後ろに長く伸びる細かい三つ編み!


 こんな頭してる奴なんてあたし一人しか知らない!


 シラは目を見はる。手を伸ばす。大声を出さなくちゃ。ナギがそこにいる!

 だがすぐにその姿は建物の中に消えていく。視界から消えていく。


 でも中に入ったのは確かよ。


 シラは大急ぎで寝間着を脱ぎ捨てる。たたんでいる暇なんてない。寝台の上に放り投げると、短い靴を履く。長い靴の紐を結んでる暇なんて無いわ。

 ばん、と音を立てて扉を開けて、廊下を走る。真っ赤なジュータンは上等なものだから、どれだけばたばたと走っても、音一つ立てない。

 階段を駆け下りる。絶対に学校でこんな降り方したら、教師に舎監に怒鳴られる。だけどここは学校ではない。寮舎でもない。


 誰があたしを止められるっていうの! 


 シラは最後の三段を一気に飛び降りる。

 一階までその要領で一気に行く。何処の階も同じような作りをしていて気持ちが悪い。ややぐるぐると勢いよく手摺を使って回ったので、平衡感覚がちょっとおかしくなってる。


 でも一階!


 一階と言っても結構広い。シラは耳を澄ます。長いふわふわした焦げ茶の髪を耳に掛け、少しの音でも逃すまいと神経を逆立てる。

 一つ二つ三つ…

 四つ目のドアの前まで来た時だった。

 話し声が、聞こえる。


 ここだ。


「…私は黒夫人… のご招待を受けた筈ですが…」

「ええその通りだわ」

「なのに夫人はいらっしゃらない。これはどういうことですか?」


 声が聞こえる。一つはこの家の主。そしてもう一つは…彼女の好きな、アルトの声。いつもだったら、最初は多少の猫をかぶるのに、どうやらそうしない程…怒っているらしい。

 シラはドアの取っ手に手をかける。ひねる。がち、と止まる感触。鍵が掛かっている。入れない。

 中から鍵が掛かっている。ナギは誰かと話している(でもそれは黒夫人ではない)。このままじゃ気付かれない。ナギに会えない!


 どんどんどん。


 シラはドアを叩く。思いきり叩く。


「ナギ! 居るんでしょ!」


 会話が止まる。


「あたしよ!」


 両手を握りしめて、思いきり、叩く。殴る。蹴りまで入れる。


「な…」


 気配は無かった。口がふさがれる。それだけではない。何やら冷たい、薬品臭が鼻をつく。さほど強い力で押さえられている訳ではないのに、身動きが取れない…

 がっくりと、シラは力と意識が抜けるのを感じる。感じて…何も分からなくなる。

 そして紅は、その力の抜けた可愛らしい人形を、無表情のまま支え、何処にそんな力があるのか、軽々と抱き上げた。


「ご苦労様」


 扉が開く。この家の主は、にこやかに微笑んで目前の光景を確かめた。

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