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4 シラ、皇太后カラシュを引っ張り出すために力技を使う

 だいたいにおいて、アヤカ・シラ・ホロベシという少女は閉じこめられるのは嫌いだった。

 我慢はできる。だが嫌いだった。それが例え、どれだけ広い敷地の中にある、広い建物であろうとも。

 いや、閉じこめられているとしても、例えば寮舎のように、何処かしらに抜けがあって、しかも相棒が居る時だったら、それは特に苦はない。逆に、その閉じこめられてる状況をどうしようかと、半ばわくわくするような気持ちになることが多い。

 一種の冒険好きと言えよう。

 そのお嬢さん外見に係わらず、彼女にはそういう性質があった。

 例えば寮の部屋に一つ残らず取り付けられている盗聴器。その中でどうやって内緒話をしましょう?

 そこで頭を働かせる。情事の際には盗聴も薄れるわ。

 だから情事の際に内緒話はする。昼間なら筆談をする。耳打ちをする。時にはその際に相棒の耳たぶなんて咬んだりもする。

 ナギはそれは嫌いじゃあないらしい。攻められてばかりいる(でも気持ちいい)シラのささやかな抵抗である。

 閉じこめられているは嫌い。だけど相棒が居れば。

 だけど相棒はここにはいない。

 シラは眉根を寄せて窓の下を見る。与えられた部屋は三階、下にはいつも誰かしらうろうろしている。ただ、男の姿はほとんど見かけたことがない。

 シラはここが何処なのか知らない。だが少なくとも、黒夫人の、ミナセイ侯爵の家ではないことは確かだ。

 ある朝気がついたらここの寝台に寝かされていた。それからもう三日になるが、食事と着替えと入浴の世話をする少女以外、誰一人としてやってこない。

 少女は黒い髪黒い目で、やや小柄で、あまり長くはない髪を全部一度上げて、それを二つに分けている。そういう風にしつけられているのか、必要なこと以外一言も口を利かない。

 部屋そのものは良い。一つ一つの調度品もどうやら相当に上等なもののようである。こういう時でなければ、「こんな部屋に住んでみたい!」とひとこと言いたくなるような部屋である。淡いモスグリーンのカーテンは、シラが今まで捜していた色である。

 用意される食事にしても、渡される着替えにしても同様だった。上等きわまりない。

 だけどそれだけだった。

 部屋からは一歩も出られない。扉には鍵が掛かっているし、例え扉自体を壊そうとしても、外には見張りが居る。

 窓は一応開いているけれど、三階では降りようがない。外に見える景色は多少の庭と、あとは何やら様々の木が勝手気ままにはびこっている…森だろうとシラは思う。

 つまりは優雅な虜囚の役を自分はさせられているのだ、と彼女は気付く。

 三日もその状態で、気付かない方がおかしい。

 まあ暇自体はそれなりにつぶせる。この部屋には実に大量の本があった。もしかしたらここは、この家の中の図書室かもしれない、と彼女はふと思う。

 壁一面に、本棚があった。その中に、所狭しと本が入っている。それも、ほこりをかぶって放っておかれたのではなく、つい最近まで誰かが使っていたような形跡だ。

 その背表紙の題名を一つ一つ眺めていく。「帝国地誌総覧」「帝国本紀」といった実にぶ厚く、人の一人くらい殴り殺せそうな程堅い本。「**年度卒業生一覧」「家政」「究理学」と言った学生の鞄に入っていそうなもの、かと思えば「旅好きのあなたのために-桜州」「大陸横断四等車貧乏旅」「辺境とは何ぞや!」といった旅行本があったりする。

 小説では極端な流行作家オデギン・フルラ・クーボウの「悲しみの果て」「静けさの中で」、フレップ・ミドゥシュ・カランの「秘密の合図」「生涯最高の輝かしき年」「この雨さえも」といったもの。果てには「キネマ・キネマ」「新星」といった活動スタアの雑誌まである。

 図書館というよりは、誰かの本棚、と言う方が正しいのかもしれない、とシラは思う。

 そしてあまりにも暇だったので、その幾つかに手をつけた。シラは割合本を読むのは速い。そんな訳で、わかりやすい言葉で一気に読める流行小説は一気だった。

 もちろん全部が全部を一字一句逃さずに読んだ訳ではない。ぱっと見て、波長が合ったものは読むし、ああ無理だと思ったものはそのまま本棚へ逆戻りである。

 この本棚の持ち主は、よほどクーボウやカランの小説が好きだったらしく、小振りな本が、実に綺麗に並べられていた。シラはどちらも大して知らなかった。そこで一応ざっと目を通してみたのだが、どうもクーボウよりはカランの方が性に合うらしい。クーボウも悪くはないのだが、気がつくと読み返しているのはカランの方だった。

 出られたら買い揃えてみようか、とシラは思う。

 だが。

 問題はその出ることなのだ。



「ねえねえ、あなた本は好き?」


 シラは食事を持ってくる少女に訊ねる。


「…いえ別に…」


 少女は聞かれるのがうっとうしい、という調子で答える。無論シラもそれには気付いているのだが、気付かないフリをして、話を強引に続ける。


「そーお? それってつまんなくない?」

「…いえ…」


 少女は困っている。歳の頃はシラと同じくらいに見える。それで働いているのだから、義務の初等学校しか行ってないのだろう。

「そおっ? あたしはすごくつまらないと思うわよっ!」

「そうですか…」

「ほらこれこれ! これ見たことはない?」

「…いえ…」

「つまんないわねえ。せめてお世辞でもいいから見たとか言いなさいよ」

「見ました」


 素直な子である。あまりに素直なんで、思わず意地悪したくなってくる。


「ふーん。じゃどのへんが面白いと思った?」

「あ、あの…」


 少女はさらに困る。あがり易い体質らしく、顔が真っ赤になっている。もともと白い肌なので、染まった頬が実に綺麗な色に見える。七分袖から出た、手首よりやや上の所まで赤くなっている。


 ああら可愛い。


 失礼します、とその隙を狙って少女は手早く仕事を済ませると扉の外に消えた。

 そしてその時シラは一つの楽しみを見つけた。

 彼女は追ってくる者は手ひどくぴしゃりとはねのけるのが好きだが、逃げていく者はとても興味がある。

 まあつまりは「来る者は拒まず、去る者は追わず」の逆である。来る者は拒み、去る者を追う。かなりそれが力技であったとしても、である。

 ちなみにナギは放っておくと確実に自分をも見捨てそうな雰囲気がある。実はそのへんも彼女は好きだった。

 少女は「去る」側、もしくは「来ない」側の人間らしい。だが見かけはなかなか可愛らしく、ここの所そういったものとご無沙汰している身とすれば、引っかかるものがあるのだ。

 それにもう一つシラには算段があった。

 少女には主人がいる筈である。その主人を引っぱり出せば、ここが何処か、どうして自分がここに居るのか、その理由が掴めるとシラは思う。


 だとしてら、せいぜい可愛がって困らせてやりましょ。


 くすくすくす、とシラは笑う。



「あら、どうしたの?」


 入ってきた少女を見て、彼女の主人は訊ねた。


「目が真っ赤よ」

「な、なんでもありません」


 少女は慌てて目を主人から逸らす。主人はそれまで手紙を書いていたのだが、その手を止めて立ち上がる。栗色の長い髪が揺れる。そしてゆっくりと少女に近付く。


「何でもないじゃあないでしょ。藍。…ああ、あの娘ね。そうでしょ?」


 藍と呼ばれた少女はこくんとうなづく。


「何か意地悪されたの? 閉じこめてどうのとか」

「いえ、そういうことではないんですが」


 どうしていいものか、と藍はため息をつく。藍の主人… 言わずと知れた皇太后エファ・カラシェイナ、通称カラシュであるが、これはただ事ではないな、と気付いた。


「まあそこへお座りなさい」


 藍は素直に示されたカウチに掛ける。掛けてからも、なるべく目を見せないようにしよう、しようとうつむいて前掛けの端ばかりをいじっている。

 カラシュはその横に掛けると、何をされたの、と訊ねた。


「…あ、あの…」

「言いにくいことだとは思うわ。でも言わなくては判らないでしょう? 彼女は大切な客人だし、あなたもあなたで大切な一人よ。ね?」

「…あの…」

「ん?」


 にっこりとカラシュは笑う。


「…こんなこと言ってもいいのでしょうか… あの… 私」


 もの凄く言いにくそうなことか。何となくカラシュは想像がつく。伊達に長く生きている訳ではない。まるでこの反応は、男からの性的嫌がらせに遭った少女のものなのである。

 だがしかし。


「いいわよ。何であっても。あなた身体に、何をあの娘にされたの?」


 藍はぱっと顔を上げる。


「…皇太后さま」

「別にあなたが悪いんじゃないし、それは私が断言するわ。だから言ってちょうだい」

「…私… 私… あの… 犯されたんです」


 は?


 さすがの彼女も、その言葉には驚いた。

 皇太后カラシュは長い時間生きてきたし、その間にいろいろなことをしてきた。「賢帝」と呼ばれたかの六代帝の最後にして最高の配偶者であり、現在の七代帝の母君。開明的な六代帝の後押しもあってか、彼女はそれまで低かった女性の地位を少しでも引き上げることに力を尽くした。現在でもその関係者がサロンには集う。

 そういった中で、不当な暴力を夫だの父親だの兄弟だのから振るわれてきた少女も沢山見てきた。だから藍が入ってきた時の反応がそれによく似ていたから訊ねたのだ。

 とはいえ、同じくらいの少女相手に「犯された」とは尋常ではない。アヤカ・シラ・ホロベシ男爵令嬢は、特にそういう風には見えないが。


「…あ… と、答えたくなかったら、じゃあその後はいいわ。ただ一つこれは答えて。その『犯された』というのは、男の人がそうするみたいに、という意味? それとも別の意味なの?」

「私、わかりません」


 とうとう藍はわっと泣き出した。


「だって私、まだ好きな男のひとだっていないんですよ。誰かと寝たことなんてないんですよ。それであの、比べろなんて、あの…」

「ああごめんなさいごめんなさい、私が悪かったわ」


 そう言いながらぽんぽんとカラシュは藍の背中を叩いてやる。よほどショックを受けているのだろう。この実直生真面目を絵に描いたような少女は、自分が皇太后に口ごたえしていることすら気付いていない。


 それでもその言葉を使うんだから。


 彼女は予定をやや変更することにした。



 そしてようやく、扉が全部開いた。

 シラは自分が何処かへ連れていかれるのか、と思ったが、それは思い違いだった。

 開かれた扉からは、一人の女性が入ってきた。シラはもちろん知らないが、入ってきたのはカラシュである。そして扉の前の見張りに、もういいわ、と高くも低くもない声で告げた。


「なかなかとんでもないことをしてくだすったようね」

「それはそうですわ。誰もここが何処だか、どうしてあたしがここにいるのか、どうして出られないのか、誰も答えては下さらない。あの女の子に聞こうと思ったけれど、実に真面目ですわね、一言もそのことについては喋らないではないですか」

「あれはそうするように言われているのよ。可哀想に。ずいぶん泣いていたわ」

「そうですね、ずいぶん素直な子のようでしたから」

「何をしたの? あなたに犯されたって言ってたわ」

「その通りですね」


 いけしゃあしゃあとシラは言う。もしも彼女のクラスメイトや親戚筋の叔母や従姉妹あたりが見たらかなり驚くだろう。それは相棒にしか見せたことのない一面だった。


「第一中等の学生だったらもう少し真面目かと思ったけれど? 私の母校でもあるし」

「ああそうなんですか。でもそれだったら貴女もご存知でしょう? 入寮時の習慣とか、いろいろ」

「…?」


 カラシュは何を言われているか判らない。何せ彼女が学校を中途退学してこの場所にきたのは、もう百年も昔のことなのだ。


「ご存知ない? 最初に上級生に犯されてしまう習慣のことですよ。黒夫人もご存知でしたから、てっきり貴女もご存知かと思ってしましたが?」

「なるほどラキ・セイカはその部分はぼかしたな」


 聞こえない程度の声でつぶやく。ふっとカラシュの目が厳しくなった。


「それで? もう少し詳しく話してくれない?」

「どちらですか? あの可愛い黒髪の娘をどうこうしたことですか? もうしませんよ。要は貴女を引っぱり出したかっただけなんですから。それとも学寮の習慣について?」


 どちらもよ、とカラシュは答えた。

 では、とシラはどっか、とソファに掛けた。



「まあ犯したというのは彼女も言い過ぎかもしれませんよ。私は入れませんでしたから。そちらは専門ではないし」

「直接的ね」


 ふう、とカラシュはため息をつく。

 差し向かいで二人は話す。二人を挟むテーブルには何も乗っていない。これでお茶でもあればもう少し和やかかもしれないが、あいにくお茶を入れる彼女が被害者なのだから仕方がない。


「ではどうしたというの?」

「まずとても濃厚なキスを一つ」


 それは相棒から学んだ。ナギは手加減はしていたとは言え、それこそ百戦錬磨の技術をふんだんに使って相棒を楽しませている。何度と、何十度と、繰り返されるうちに、される側も覚えていくものだ。その一つを使っただけである。

 考えてみればけしからぬ二人ではある。


「さすがにはじめは嫌がっていたけれど」


 そしてシラは事細かに説明を始めた。力が抜けた少女をそのままこのソファに倒して、顔から次第に下に行って、首のスナップを外して云々。

 カラシュは次第に頭がくらくらしてくる自分に気付いていた。

 少なくとも自分達の時代にはそういうことはなかった筈である。

 いや、もしかしたらあったかもしれないが、少なくとも自分は無縁だった。彼女が皇帝のもとに嫁いだ時は処女だったのだから。

 カラシュは手をひらひらとさせながら、


「…もういいわ。それで寮舎の方は?」


 少々カラシュはカルチュアショックを受けていたようである。


「上級生が、入ったばかりの新入生を狙うんですよ。そしてそれを何とかしたい下級生は、とりあえず手近の友人とそういう仲になっておくんです。だけどだんだんそれは慣れという形で本気になっていってしまう。極端な話、卒業して、結婚してからも、その相手を恋しがる場合もあるようで」

「…そう」

「だけどそれは別に目くじら立てることではないと思いますよ」

「あら、なあぜ?」

「学校内の慣習としか思わない、何も考えない娘は、それこそ親の勧めのまま結婚すればそんなこと忘れるでしょう。そしてそれからも続く人は、そもそもそういう傾向があったと思いますが」


 それは相棒の受け売りである。そういう話を二人はよくそういう時にしていた。およそ色気の無い話だが、そういう不穏な話をするにはそういう時がうってつけなのである。


「なるほどねえ。では貴女は?」

「あたしですか?」


 そう、とカラシュはうなづく。


「まあたぶん、そもそもの方なんじゃないですか」


 シラはあっさりと言った。

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