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3 黒夫人から「顔を貸せ」と連絡が入る

「ナギちゃん市内通信ですよ」


 コルシカ夫人が、昼近くになって呼びに来た。何処からか、と訊ねたら、夫人はやや大げさに手を広げた。


「ミナセイ侯爵家の方ですってさ。ナギちゃんをご指名だって言うんだけど」

「…何かしら」


 ご指名、ね。

 久しぶりに聞いたその言葉に、ナギは昨夜のことを思い返す。その言葉は、流れ流れている時にはよく聞いた。娼館では毎日、一日に何度も耳にしていた。

 昨夜あれから、コレファレスに勝負を挑んだが、それは勝算があったからした訳である。夜の夜中の、寝台の上で、果てた方が負け、という実に単純明快な勝負だったが、ナギは無用に負けが判っている勝負は挑まない。

 結果として彼は本日は風邪だなんだと理由をつけて、寝込んでいる。もちろん風邪などではない。

 でもあの見かけは嘘だ、とナギは思う。

 あれは明らかに「四十代初めのやり手の執事」を演じていた。歳をごまかすため、多少はメイクも入っている。実際はその見た目より十歳は若いだろう。

 正直言って、そのあたりを見極めたかったから、その方法を取ったのだ。

 良かれ悪しかれ、好き嫌いあれども、長い間やってきた生きてくための仕事というのは、人をその道のプロにする。本当の年齢などそれなりに見抜ける。

 コレファレスはどうやら、学位を取って卒業してすぐにこの家に入ったのだろう。それが何故かは判らない。だが歳をごまかさなくてはならない理由はあったろう。サートゥン・コレファレスという名とて果たして本当かどうか。

 勝負は延々数時間に及んだ。

 その間に何度も何度も彼女は相手の声を聞いた。

 自分ではない。こういうのもなかなか楽しいかもな、とナギは思った。

 何と言っても相手も自分も生理的欲求に急かされている訳ではない。如何に相手を急かすか、というのも勝負の一部となる。まあ腕試しのようなものか、とナギは思う。

 ここのところずっと女の子を楽しませることは存分にしてきたが、野郎はずいぶんご無沙汰していた。しかも「仕事」の時にはそういう努力とは無縁だった。

 ナギはしようと思えば幾らでも相手を楽しませることはできるのだ。経験値という奴である。

 何はともあれキャリアは長い。かつての友人アワフェ・アージェンからキスのテクニックを教えてもらったように、流れ流れてきた様々なところで、少しづづ技術を会得してきたのだ。

 そう、技術である。それ以上ではない。如何にして自分はいかずに、相手をいかせ続けるか、そのための技術である。そうすることによって、自分の身体のダメージも減るし、相手からの受けがいい。娼館では、むげに商品である女達の身体を傷つけたくはないから、技術を教え込むのだ。

 尤もナギは身体については何の心配もしていなかった。だから技術を使う面倒を避けた。まあ向こうの好きなように、と身体を投げ出すのが普通だった。

 そして客は、大抵は綺麗な彼女を抱いたという事実だけで満足する。

 技術を駆使するのが「努力でない」と感じられる場合や、明らかにそれをした方が有利だ、という時には、存分にそれは発揮される。あまりそういうことはなかったが。まあナギは最近では、専らシラをいかせる時にそうしている。かなり手加減はしてはいるが。


「一体…」


 訝しげに首をひねる様をコルシカ夫人に見せながら、ナギは通信機の前に座った。保留にしてある画像と音声を通わせる。夫人はじゃあまた、とその場から去った。

 復活した画像には、くっきりした顔立ちの女性が映っていた。


「こんにちは」

『イラ・ナギマエナさん?』


 画面の中の女性はあでやかに微笑む。

 真っ黒なややきついウェーヴのかかった髪を耳の下で切り揃えている。

 その下にはくっきりと、ややつり上がった黒い眉、さらにその下には大きな黒い瞳、そしてやや茶系の、それでも深みのある赤の唇。極めつけは、ナギよりもさらにやや低い、それでいて甘い、アルトの声。ヘッドフォンごしにも、耳の何処かをくすぐるかのようだった。


「ええそうですが… ミナセイ侯爵家の方ですか」

『ええそうよ。私はミナセイの家内、ラキ・セイカよ。イラ・ナギ、お目にかかれて嬉しいわ』


 別にナギは嬉しくも何ともない。その本当の名でこの人に呼ばれるというのも何やら耳障りである。

 愛想笑いを返すのがしゃくだったが、まあ回線の向こう側である。とりあえずはにこやかな表情を作る。


「そちらにうちのお嬢様がお世話になっているということで、ありがとうございます」

『ふふふ。彼女はとても元気よ。心配しているならご無用』


 どうやら向こう側の通信機は、やや広めのコンソールデスクが取ってあるようである。

 向こう側の彼女は、やや身を乗り出して話している。コンソールデスクに乗せている腕を包む袖もまた黒く、たっぷりとしている。もちろんその腕の先、上半身をくるむのも黒だ。ナギは服飾関係には全く興味はないが、どうやら最新モードの形ではあるらしい。何となくゆったりしたラインは、ウエストが低く取っているのを伺わせる。


「ええそれを聞いてとても安心しました」

『彼女、可愛らしい人よね』

「ええ全く。…でも申し訳ないのですが、お嬢さんはすぐにでも返していただけませんか?こちらも葬儀の関係とかございますし」

『ああら、喪主は他に居るのではないの?』

「いいえ、喪主はシラさんです」

『…やけに断言するのね』

「いえ、本当のことですから」


 ここで「いけませんか?」などとケンカを売らなかっただけでも立派だ、とナギは思う。

 何しろ相手が相手だ。黒髪黒目、全身黒の衣装のこの女が黒夫人でなくて一体誰だというのだ。その黒夫人が自分を名指しで通信してきた。気は抜けない。


「こちらの家人一同、なるべく早急に葬儀をしたいと思っているのです。そちらには申し訳ございませんが…」


 語尾をぼかす。そろそろ下手に出る耐久力が切れそうだ。


『嫌、と言ったら?』

「お嫌なのですか?」


 そこで初めて黒夫人は顔の笑みを消した。もちろんそれまでも、目は決して笑ってはいなかった。


『嫌』


 彼女は断言する。唐突にナギは、胸に熱い、細い棒を打ち込まれたような衝撃を感じた。それもただの熱さではない。鉄を鍛える炉のような物に突っ込まれ、白金色に光るその熱さである。

 普段はそんな感覚はない。滅多にない。まず、ない。喉にまでその熱さがこみあげてきて、一瞬口がきけなくなる。どうしたの、と向こうの言葉にやっと少しその熱を冷まされる。


「それは困ります」


 そしてようやくその言葉を絞り出す。


『そうよね、とても困るでしょうね。でもこちらも嫌と言ったら嫌よ』


 歌うように彼女は言う。


「何故ですか」

『さあ何故でしょうねえ。それに通信機でお願いされても私も困ってしまうわ。あなた直接いらっしゃい。それからどうするか考えるわ』

「直接?」

『今私、皇宮にいるのよ』


 ああそれはあり得る。ナギは記憶をひっくり返す。別に社交界に興味はないが、入ってくる噂は聞くともなしに耳に入ってくるものだ。成績優秀真面目少女が集まるらしい「第一」とは言え、少女達の話題に社交界のことは欠かせないらしい。興味を持たないのは、それこそいつか辺境に戻る留学生や、ナギのような

「頭いいし素敵だけど変人」の類だけである。

 その噂によると、ラキ・セイカ・ミナセイこと黒夫人は現在、後宮におけるサロンの構成員の中では一番の実力者だということである。

 後宮は女性の園である。今上の第七代の皇帝陛下には、七人の夫人方が居る。後宮は、建物のことを指すのではない。皇宮内の一つの地域のことを指す。その後宮の中には、十余りのやや小さな建物があり、一つ一つに名前が付けられている。


 やっぱり典雅よねえ。その一つ一つが植物の名がつけられているんですって。

 あんたその一つ一つ言える?

 言えますよーっだ。


 少女達はそういうことにばかりその若い頭脳を発揮する。あまりにもそういう話題は繰り返されるものだから、聞くともなしに聞いていたナギやシラにもその知識は飛び込んできてしまうのだ。

 そして現在の最も大きなサロンは、皇太后の住む「楓」館にあるのだと言う。黒夫人もそこのメンバーらしい。


「私如きがそこまでいけましょうか?」

『来られないというの?じゃあ迎えを出しましょう。お会いできるのを楽しみにしているわ』


 そして一方的に通信は切れた。

 ナギはヘッドフォンを外すと、唇を噛みしめた。別に言葉の上では大したことはない。だが明らかに黒夫人は、ナギに喧嘩を売っていた。その態度で、言葉の端々で。理由は判らないが、自分を怒らせようとしていた。

 もちろんナギは怒っていた。だがその反面、怒らされた、ということに気付いている自分もいる。その向こうの考えに易々と乗ってしまった自分にも腹が立つ。

 正直言って、シラのことでなければこうも自分が動じる訳がないのだ。言い換えれば、シラはナギにとって、明らかにウイークポイントだった。

 何故弱点となってしまったのか、そのあたりはナギとてはっきりは判らない。もしかしたらはっきりと考えたくはないのかもしれない。

 いずれにせよ、黒夫人に会わなくてはならないのは、決定的なことである。まあそれは、前からそう考えていたからいい。昨夜の勝負の最中にも、そのことをナギは延々考えていたくらいである。どうやって黒夫人と会うか。

 さてどうしよう。


「コルシカ夫人… お茶下さらない?」


 とりあえずは落ち着かなければ。


「昨日の、本当美味しかったから…」

「…何あんた、ずいぶん顔色悪いよ… 何か悪い知らせでもあったのかい? …今日はコレファさんも調子悪いようだし… 皆困ったねえ」



 その「調子の悪い」コレファレスのところへナギはジャム入り茶を呑んで人心地ついてから出向いた。本当は嫌みたっぷりにジャム入り茶でも運んでやりたかったが、まあお見舞いということで普通の黒茶にやや酸味のきつい柑橘類のミランシュを半分に切ったものを添え、持って行った。

 彼はぐったりとうつ伏せになって半分眠ったような状態だった。近付くと、その身体をゆさゆさと思いきり揺さぶる。


「起きろよ」


 ナギはぞんざいこれ極まりない、という口調になる。


「…君か」 

「思ったより元気そうじゃないか」


 思った通り、起き抜けの顔は若かった。予想した通りの歳だ。一種専門的なメイクで彼は普段顔に皺を入れているらしい。それが全く無くなっている。

 ナギはにっと笑って見せる。


「思ったより… ああ全く。君は化け物だよ。それこそ私が女だったらこういうね。『こんなの初めて』」


 言葉の最後は、両手を前に組み合わせてうっとりと目を閉じるポーズである。ナギは苦笑する。 


「ずいぶんなお褒めの言葉ありがとう。軽口を叩ける余裕があるなら十分だ。それよりサートゥン、ちょっとした展開があったんだが」


 いつの間にかナギは彼の呼び名の方を口にしていた。連合の、デカダ通運の三男坊もそうだが、彼女はある程度気に入ると、相手を向こうの許可なしでも呼び名で呼ぶ。

 まあコレファレスの場合は、それに加えて発音の問題というのがある。彼の名はだいたいの人にとって呼びにくいものであったらしい。コルシカ夫人もときどきコレファさん、どなどと端折っている。


「何?」


 彼は訊ねる。するとナギはミランジュの半切りを大きめのカップの上に乗せて、彼に突き出す。


「まあ呑め。市内通信が入ってな。黒夫人から私に直々のご招待がかかった」

「黒夫人が直々に?」

「あんな格好であんな濃い印象の女性だ。彼女しかいまい。最も私にしても、そう見たことはないのだが」

「雑誌とか見たことはないのかい?」


 サートゥン・コレファレスは、小さなトレイにカップを乗せると、ミランジュを思いきり茶の中に絞った。柑橘系特有のさわやかな香りが一気に広がった。


「あまり興味がなかったんでな。もう少しよく見ておけばよかった。『女子学生通信』だの『帝都現代服飾事情』だの買っている子は居たしな」


 まあそれはいい、とナギは腕を組む。


「まあ迎えが来るということだから、来たら私は行く。とりあえず交渉しないことには始まらない」

「そうか。だけど私はどうも疑問なんだがな。何故夫人は君を名指しで来させたいのだろう」

「嫌がらせじゃあないのか?」


 そう言ってナギはややふてくされたように目を伏せる。


「?」

「夫人も寮生活があるというしな」


 何のことだか、さすがの彼でも判らなかった。 

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