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2 ナギ、執事の様な顔の役者と一戦交わす

 ジャムを別の器に入れて、お茶を別にもう一つのポットに入れてもらうと、ナギは用意された部屋に入った。

 学都の一つである、東海華市を離れて以来、ずっと着ていた第一中等学校高等科の制服を脱ぐとハンガーに掛ける。

 華月はまだ厚手の、寒期用の制服である。それはそうそう洗濯に回すということがない。黒いハイカラーの内着だけを取っ替え引っ替えするのが普通だ。

 寝台に腰掛けて眺めると、白い大きな水兵襟がずいぶん汚れていた。そうだろうな、とナギはため息をつく。草原を馬で走り回り、砂まじりの都市をほっつき歩いた結果と言えば仕方ない。

 背中に手を回し、髪を止めていた紐を取る。上は自分自身ではさみで適当に切り、下だけ細く長く伸ばしているのだが、三つ編みにされていた髪は、やっと自由になったとばかりに、さらさらとほぐれる。

 用意された部屋は、副帝都のそれよりは小さかったが、寮舎の自分達の部屋よりはずいぶんと大きかった。

 寮舎の部屋というのは、良家のお嬢さん方が大抵、入った当初ぶうぶうと不平をもらす程度の広さしかない。自分のことを自分でしたこともないような彼女達は、そこで自分の身の回りのことをするようになって初めて、その広さで助かった、と思うようになるのである。

 それでもここは一応客間しらいので、その寮舎の部屋よりは明らかに広かった。

 客間は客間でも、「下級」だろう、とナギは踏んだ。帝都の男爵邸、なのだから、客人も多いだろう。最もその客人も全てが全て良家の方々という訳でもないだろう。おそらくはホロベシ氏がまだ平民だった頃のつきあいの連中もやって来る。

 だからきっと、そういう平民の客間だろう、と彼女は思う。

 とりあえずナギは茶を一杯入れる。サカーシュ酒があればいいのに、と酒に関しては底なしの彼女は思う。

 ジャムをたっぷり入れた茶をゆっくりと口に含みながら、ナギはコルシカ夫人から得た情報を整理してみる。


『ホロベシ男爵には幾人もの愛人が居たが、そのうちの一人が男の子を産んだ』

『当初男爵は認めなかったが、調べさせた結果、実子ということが判明して、認知させている』

『時期はシラが生まれた一年後あたりである』

『母親は五年前に副帝都へ引っ越しているが、子供の方は何処かの学校に入れられているらしく、母親と一緒には住んでいなかった』

『だが現在氏の死去を聞いて、帝都に親子して来ているらしい』


 あちらこちらへ飛びまくるコルシカ夫人の話を要約すると、こういうことだった。

 だとしたら、執事のコレファレス氏が葬儀を出したがらない理由も判らなくはない。シラが喪主であるにせよ、その男の子(おそらくはシラの一つ下の十六歳)であるにせよ、すぐに判断はできないのだ。

 そしてシラがいない。黒夫人に拉致されているとみて構わないだろう。だが。


 何故黒夫人は彼女を拉致しなくてはならないのだ?


 ナギは疑問に思う。

 そしてもう一口、茶を含む。ぱあっ、とさわやかな甘みが口中に広がる。

 その時、ノックの音が聞こえた。おそらくは…


「すごい香りですね」


 返事をして、カウチの方に自分と茶を移したら、ドアが静かに開いた。予想した通りだった。そこにはコレファレス氏が立っていた。


「驚かれないのですか」

「来るなら貴方だろうとは思ってましたから。それに私も貴方に訊ねたいことがありましたし」

「ほほう」

「お茶でもどうですか」

「いや、結構」


 コレファレスは顔の前に手を上げる。


「それにその香りはコルシカ夫人お得意のジャムでしょう。私にはその香りはやや強いですね」

「そうでしょうね」


 慣れない者には強い、とナギも思う。自分は辺境に暮らしていたことがあるが、おそらく彼は違うだろう。

 ではお茶帽子を乗せておくか、というと、それはしなかった。空になりかかった自分のカップに、もう一杯注いで、たっぷりとジャムを入れる。再び香りがぱっと広がる。

 これは嫌がらせである。


「まあとにかくどうぞ」


 ナギは自分の横を勧める。「下級の客間」といえ、カウチの座り心地は決して悪くはない。落ち着いたグレイの地に深い赤紫や紺の糸で刺繍が綺麗にされている。


 さてどう出るか? 


 ナギは考える。そのために場所を移したのだ。

 コレファレスはあっさりと一人入れる程度の間を置いて、彼女の横に座った。

 だが座っただけだった。姿勢はきちんとしたままで脚一つ崩しもしない。どうやら純粋に話をしに来たようである。少なくともそういう態度を見せたいかのようである。


「単刀直入に申します」


 はあ、とナギは曖昧な返事をする。


「お嬢様を取り戻していただけませんか」

「は?」


 ナギは問い返す。確かに単刀直入で突然である。


「取り戻して?」

「先程の玄関でそのような話はできないでしょう」

「まあ確かにそうですが。取り返す、とは尋常ではない。どうしてそういう言葉を使いますか? シラさんはミナセイ侯爵家にお世話になっているのでしょう?」

「お嬢様は、ミナセイ侯爵夫人に捕まっている、と言って間違いないと思います」


 ナギはあまり明るくない照明の下、きっぱりとそう断言するコレファレスの表情を探ろうとナギは金色の目を大きく開いた。


「ちょっと待ってください、コレファレスさん。例えそうだったとして、どうして私にそんなことができると思いますか? 私はただの、シラさんの、あなたのお嬢様の学友に過ぎない。他に何の力もある訳ではない。ただの子供に過ぎませんが」

「まあ聞いてください」


 コレファレスは軽く手を上げる。執事にしておくには惜しいくらいそれは優雅な動作だった。むしろ活動写真の男優のような動作だ、とナギは思う。

 そうですね、聞けと言うなら聞きましょう。ナギはひとまず口をつぐむ。


「ナギマエナさん。あの口の軽いコルシカ夫人からいろいろ聞き出されたようですね。ですから、今この家がどういう状態にあるか貴女もよくお判りだと思います」

「相続の件ですか?」

「はい」


 うなづいた拍子に彼の前髪が一房落ちる。こんな夜遅く、しかも自分より目下の少女の所で話をするために、わざわざもう一度髪に櫛を入れたらしい。

 整髪剤を使う習慣がないのか、固められてはないから、時々ぽろん、と瞳と同じ色の巻き毛が落ちそうになっている。ナギはにおいのきつい整髪剤も香水も嫌いだったから、その様子にはなかなか好感が持てた。

 よく見てみると、仕事の服のままではあるが、それもきちんと整え直している。

 安心とか信頼とかいう言葉とは無縁だが、生理的に嫌いなタイプではないな、とナギは思う。


「ナギマエナさん、正直言えば、我々この屋敷の現在の使用人、副帝都の使用人、松芽枝及び他市の屋敷の使用人に関しては、皆基本的にはお嬢様に相続していただくことを望んでいるのです」

「基本的。と言いますと?」

「思惑はそれぞれにいろいろあります。…そうですね、判りやすい方で言うならば、得体の知れない少年よりはお嬢様の方が好き、という程度から。まあそれは副帝都の使用人達ですが」

「でも無論それだけではないですよね?」

「当然です」


 彼は言い切った。


「特に我々、帝都のこの家の人間は、お嬢様に会ったことがある者自体少ないですから。お嬢様に対し好悪の念も大して感じはしない。お嬢様についた方が自分の利益になる、と考えるのが大半でしょう」


 確かにそれはもっともだ、とナギは思う。この家においてそう思わない方がナギには不思議に思える。


「怒りませんか? そういう理由であることは。自分だけ良ければよいのかと」


 両手を膝の前で組合せ、コレファレスはややのぞき込むようにナギの方を向いた。それに対し、ふっとナギは笑う。


「そういうものでしょう? 確かに私はシラさんがとても好きだし、彼女のために、彼女が相続した方がいいとは思ってもいます。だけど。自分の立場のことだって平行して考えてますよ。彼女が安泰なら私も安泰」

「それならよかった」


 ですが、とナギは身体ごとコレファレスに向ける。


「正夫人の子供であるお嬢様だから、という御意見はないのですか? どなたにも」

「まあそういう実に道義にかなった御意見というものも、無くもないですが… しかし、ここの奥様の亡くなったのももうずいぶん昔です。もう十年を少し越える。だいたいにおいて、ここの使用人は、あまり長くは居着かないですし」

「どうしてですか」

「まあいろいろ理由はあります。いずれにせよ、回転が早いのです。従って現在、奥様のことをよく知っている者は現在は私ぐらいなもので」


 すると少なくともこの執事は十年以上この家に居る訳である。

 コルシカ夫人は給料が良くなかったらこんな所にはいない、と言っていた。


「実際給料が高いのも、人がなかなか居着かないためでして。そういうところにくるくると入ってくるような者が、正妻だ愛妾だと建て前のことを考えはしないでしょう」

「でしょうね。よほど居心地が悪いと見えるわ」


 ナギは明らかに嫌みを込める。


「では、そんな所に居て、どういう点が利益なのかしら」

「利益というのは、降ってくるものではないですからね」


 コレファレスもまた彼女の方へ身体を向けた。


「お嬢様は、確かに賢い方ではあるが、いかんせんまだ子供に過ぎない」

「ええそうですね、まだ十七歳ですから」

「となると、後見人が必要となります」

「その場合、誰が成るのかしら」

「まあおそらくお嬢様の後見でしたら、親戚筋の… 母方の親族でしょう。両親のいない女子の後見は、母方の親戚というのが通例ですから」


 それは初耳だった。ナギには親戚はない。したがってそういった血縁関係のごたごたというものには、さすがに弱かった。理解がし辛いのだ。


「でもそれではその母方の親戚筋に遺産をいいように使われないかしら?」

「いえそれはありません」


 コレファレスは首を横に振る。


「逆に、両親ともいない相続者の場合、その辺りの法の規定はしっかりしているはずです」

「そういうものですか」

「そういうものです。後見人の指定は… 十二歳は越えているから当人にしかできないし、その後見人にしても、財産そのものを動かすには相続人の了解が要る訳です。まあ実際には、子供を適当な甘い言葉で言いくるめるのが普通ですが、お嬢様は結構頭が回る方ですから」

「でもそれはその男の子であっても」

「いえいえ」


 ひらひらとコレファレスは手を振る。


「確かに後見人は必要です。それに対するかの少年の権利も同様でしょう」


 ナギはうなづく。


「ですが彼には母親がいます。母親が後見人になるでしょう。片親がある場合は、その親が後見人になるはずです」

「それは法で決められているのかしら」

「成文法ではないですが、習慣として。いずれにせよ、よほど子供がその親を嫌いでない限り、子供にとって一番身近な大人と言えば親しかいないですから」


 そういえばそうかもな、とナギは思った。母親と二人で流れていた頃、確かにそういう感覚はあった。


「もしも資格審査で認められなかったにしても、彼女には手駒がある筈です。自身が後見人になれずとも、自分の手のうちにある男性を選べばよいことです。彼女は最近旦那様のご兄弟にも接近していると聞きました」

「旦那様にはご兄弟が多いのですか?」

「いえ、そう多くはありません。しかも子供が居る方も一人しかいない」


 耳の早いこと、とナギは内心呆れる。

 そういえば、とその昔受けた授業の中に、相続に関する法があったことを少しだけ思い返す。いまいちはっきり記憶はしてはいないが…


「まあうちのお嬢様は、基本的に親戚一同を誰も信用してはいないでしょう」

「そうですか?」

「そういう話を聞いたことはないですか?」


 無くはない。頼りにならない、とは何かと言ってはいた。


「まあ実際、信頼には値しない者が多い。財産運用ができるような人はまず信用ができない人でしょうし、かと言ってあの中で『いい人』である場合、財産運用ができる程の頭が無いですし。その位のことはお嬢様は考えているでしょう」


 まあそうだろう、とナギは思う。あのシラが、親戚の言いなりになってしまうとは考えにくい。


「ではコレファレスさん、どうしてそれで、その方が貴方がたに利益があると思うのかしら? 彼女がいきなり貴方がたを解雇するかもしれないわよ」

「まあその可能性はありますね。でもそれは不確定要素だ。向こうが勝てば、明らかに、我々は全員解雇される。それは目に見えてるんですよ」

「あら、何故」

「向こうは使用人を引き連れて引っ越してくるでしょうよ」

「なるほどね。そちらは明らかだけど、こちらは、シラさんは、これからの働き如何でまだ可能性があるって訳」

「ええそうです」


 彼は断言する。


「何せ彼女には味方は少ない。ですから、こちらが彼女の味方を名乗る限りは安泰と言えるのではないでしょうか?」

「そんなに単純かしら?」

「単純ではないでしょうね。でも少なくとも、職場を替えることに比べればその方がやりがいがある」


 そうかもね、とナギはつぶやく。


「でもそうしたら、今度はあなた方が彼女を自由にしようと考えたりしない? 味方になったことを盾にして。だとしたら私は嫌だわ。私はシラさんが好きでくっついているのだから」

「好きで」

「ええ」


 コレファレスはほんの少し片方の眉を吊り上げた。 


「まあね、誰もがしない、とは明言できませんな。でもとりあえず私はしないでしょう」

「どうして」

「私がそこでお嬢様を自由にした場合、利益よりもリスクの方が多いのですよ」

「と言うと?」

「それが法です。法がその点は彼女を守ってくれる。だけど、その法が、とりもあえず、彼女の地位を最初に守るためには弱いんですよ」

「とにかく相続させてしまえば彼女は強いけど、相続させるまでが厄介」

「ええ」


 だから、とナギは確認するように言う。


「どうしてもシラさんを取り返したいと」

「ええ。とにかく彼女がいなくては話になりません」


 さてどうしたものか。


 ナギは胸の中でつぶやいてみる。

 こういう風に打算をずけずけと口に出す者に対しては、ナギはそう悪い気はしない。どちらかと言えば好きな方である。

 むしろ彼女が嫌いなのは、最初から下手に出て、おだてたりなだめたり、必ず自己弁護だの責任逃れの言葉を語尾や付け足しの言葉の中に散りばめて、やや気弱な相手には罪悪感を背負わせ、最後にはじわりじわりと自分の手の中に入れてしまおうとする奴である。

 そういう奴より、ずけずけとはしていても、自分の意志をむき出しにする奴の方がずっとましだ。

 例えばその言葉一つのきつさにショックを受けたとしても、少なくともその言葉が本当か嘘かで悩む必要はない。きつい言葉で心が受けるダメージは、すっぱりと刃物で切られた傷と同じで、その瞬間吹き出す血は非常に激しく、痛みも大きいが、単純であり、治る確立も大きい。それに、一度切られた後にはちゃんと新しい皮膚が生まれてくる。

 だが、言われた言葉が… 信じていた言葉が嘘だったり社交辞令に過ぎなかったことを知った時のダメージというのは、一見大したことがないように見えて、じわじわと内側から身体を痛めつける病魔のようなものである。

 ナギは表面的な傷を恐れはしなかった。そんなものは、治せばすむことなのだ。傘を忘れた日のどしゃぶりの雨のようなもので、晴れるまで待って拭いて乾かせば、あとは笑い飛ばせば済むものである。

 意志をむき出しにはしない奴の方が、現実問題としては、商人としてある程度までは優れていたりあたりがなかなかナギの気にくわないところではあったが。そして時には自分もその方法を使わねばならないところも。


「でもコレファレスさん。私にはそれ以前に疑問だわ。どうしてシラさんをミナセイ侯爵夫人は捕まえておかなければならないのかしら?そもそも黒夫人とシラさんにはどういう関係があるのかしら?」


 それは非常に疑問だった。シラとルームメイトとして暮らしてきた一年と少しのうちに、黒夫人が彼女と、もしくはこの家と何らかの関係があるなんて聞いたこともない。


「シラお嬢様には特にはないと思います。ただ、ラキ・セイカ・ミナセイ夫人は、アヤカ・キラ奥様と仲が良かったとか」


 …母さまはいつも書いてたわ。恋しい恋しいセイカ様…


 なるほど「セイカ様」ね。ナギはうなづく。そういう仲だった訳か。


「どうでしょうか? ナギマエナさん」


 ナギは軽く目を伏せる。


「コレファレスさん。そちらの事情はよおく判りました」

「では」

「でもどうして私が動かなくてはならないのです? シラさんがただのお嬢様だというなら、私だってただの娘でしょう?そのただの娘に何ができましょう」


 ナギは目を開き、さらりと言う。

 正直言って、コレファレスが自分のことをただの中等学校の高等科の学生と思っているとは、彼女も思ってはいなかった。

 何しろ、ただの十六か十七の娘に、こんな夜半、相談を持ちかけること自体常識外れである。つまり彼がこの時間にナギの所へやってきた、そのこと自体、ナギをただ者ではないと思っていることの証拠であった。

 それに、彼はあえて単刀直入な言い方をしている。ただ単純に小娘をたぶらかすなら、それこそ実に病原体な、甘い言葉をばりばりに散りばめて騙せばいいのだ。


「貴女はただの中等学校生などではないでしょう」

「どうしてそう思います、コレファレスさん? 私はこの通り第一中等の学生証だって持っていますけど?」


 コレファレスは口元をややゆがめる。


「それは大した問題ではないでしょう。無論私は貴女が実際どういう類の人か、なんていうのは知らない。だが、あの旦那様がただの頭のいい少女を引き取るなどという親切なことをやらかすとは思えませんので」


 シラと同じことを言う、とナギは軽く表情をゆがめる。


「では何だと思います?」

「当初は愛人かと」

「率直な方で」

「人によります。貴女はその方が好きでしょう? それにおそらくそれは半分は合っているでしょう?」

「まあ間違ってはいませんけれど。寝てはいましたし。…でも私は旦那様は大嫌いでしたが?」

「そんな気はしました。それでは私達は気が合いますね。私も旦那様は嫌いでした」


 ふうん、とナギは腕と脚を組む。にっこりと笑ったコレファレスもそれにつられたように脚を組み、組んだひざの上にひじを付く。


「ではこちらの本心を言いましょう。正直言って、あなた以上に自由に動ける人が我々の手の内にはいないのです。だから駄目もとです。そうできなくて正解です。何と言っても、我々はミナセイ侯爵家に手は出せない」

「でもそれでは私も手は出せないのではないか」


 ナギは軽く笑う。口調が変わる。それを聞いてもコレファレスは意地悪そうな笑いを浮かべる。途端に見かけの年齢が五歳下がった。


「黒夫人は、綺麗な少女がお好きだ」

「なるほど。私を綺麗と言われるのか」


 確かにそれなら納得がいく。


「君はかなり綺麗だと言われたことはないのか? 無い訳はない。確かに格好はかなり奇妙ではあるが」

「あいにく言われたことはある。以前はな。だが自分で認めたことはない。別に私にはどうでも良いことだ」

「もったいないことを言う」

「何がもったいない。そんなものは持って生まれた属性に過ぎない。綺麗であろうが何だろうが。せいぜい利用させてもらうさ。役者さん」

「気付いたか」


 ふっと彼の周りから緊張した空気が消える。


「何となくね。やたらに法を振り回す。普通の執事がそうそう口には出さないさ。それもほんの部分的なところ。…察するに、学生演劇をしていたのではないか? 弁護士の役がはまりそうだ。執事の役などくたびれるとは思うが?」

「疲れはするさ」


 彼はひらりと笑う。さらに年齢が下がる。声のトーンが変わる。


「だがそれはそれで面白い人生だと思わないか?」

「というと?」

「そもそも人生は一つの大きな長い演劇のようなものだ」

「ほお」

「私は自分の役を自分で作り、そして演ずる。ある時は確かに、弁護士という役もやった。でもそれはスポットライトの当たる舞台の上ではない。現実の法廷さ。法がどうのというのはその時の名残さ。…ああ間違わないでくれ。それなりにちゃんと資格はあるのだよ」

「何も弁解しなくとも」

「いやいや。大学は法学を専攻した。哀しいかな、私は取ろうと思う資格は取れてしまうのだよ」

「なるほど。それは楽しそうな人生だな」

「そう。楽しい人生だ。なかなかこの現在の舞台は居心地が良くてね。したがって、楽しい人生のためには、お嬢様にはきっちり相続して頂かなくてはならない」

「ほー」

「ナギマエナ、君は頭のいい人のようだ。私と手を組まないか?」

「ふん、私を利用したいのだろう?」


 ナギは組んでいた腕を片方膝に乗せる。


「平たく言えばそうだ」

「平たく言おうが丸く言おうが同じことだろう… まあ主旨は判った。結果として求めるものは同じだ。その辺りは悪くない」

「では」

「だけど組むか組まないか、というのは別だ」

「条件があるのか?」

「そうだ。二つある。一つは絶対条件だ。組む組まずを問わず、これは私の希望だ。私をナギマエナなどと呼ぶな。好きではない。ただのナギだ」

「確かにいまいち音的によろしくはないな」

「もう一つは… 私に貴方がこれから勝ったら同等に組んでもいい。だが私の勝ちなら、途中下車可の自由参加だ」

「何の勝負だ?」


 にやり、とナギは笑った。そして黒い内着のハイカラーをぷつ、と音をさせて外した。

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