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4. ナワズの澱みに沈む、君の名は

 薬を完成させたオムビスは、朝食をとろうと誘うシィーリに断り、早く幼馴染に飲ませたいと言葉少なくお礼を言って村に駆けていった。

 彼を見送ったシィーリとサハルは、軽い朝食をとった後、一応川の様子を確認しておこうと、川辺に足を向けた。

 まだ朝と言えるこの時間の太陽は、灼けるほどの鋭さを持たず、川の水面を穏やかに光らせていた。

 視線を川から自らが立つ川岸に戻すと、昨日と変わらず動物の死体が転がっている。

 その数が変わっていなかったことに、シィーリはほっとした。

 特に変化がなく、怪物は人を森に寄せ付けないための方言だったという予想は、ほぼ確信になった。


「ねぇ、サハル。オムビスさんが毒の原因を探し出したり、それを緩和したりすることができるなら、この川の浄化もできるかな」


 足元の石を拾って、投げる。

 水面を切って三回飛んだ後に、ぽちゃんと心地いい音を立てて沈んだ。


「さぁな。オムビスは薬になる原料の専門家だろうが、水質についてもどうなのかはわからん」

「うん。まずは幼馴染さんが元気になるのが一番だしね」

「…幼馴染か」

「なによ。一番じゃないっていうの?」


 投げる手に力が入ったせいで、二投目の石は一度跳ねて、どぼんと川に沈んだ。

 ちぇっと舌を鳴らしてシィーリは次の石を探す。


「なんでそうなる。」

「じゃあ、何考えてたのよ」

「いや、大したことじゃない。これからどうするシィーリ」


 どうするって…。とつぶやき、三投目の石を投げた。


「さっぱりと別れちゃったけど、オムビスさんとここでまた会おうとは約束してないからここに留まる必要はないしねぇー」

「次の町を目指すなら、出発は早いことにこしたことはないぞ」

「うーん」

「なら、トアデルの実でもとりにいくか?」

「トアデル?なんで?」

「入手が難しい、薬の材料なんだろう?町で売れば旅費の足しになるかもしれないぞ」

「サハル、ナイス!」


 四投目の石は元気に跳ね、向こう岸に届く。

 喜ぶシィーリに、サハルは「また崖で吊られて作業することになるのに元気なもんだ」と胸の内で思った。




「水浴びをしたい!」

「ん?」

「これやり終わったら、水浴びして汗を流すのよ!」


再びサハルに支えられて、宙吊りになりながらトアデルの実を採取しつつ、シィーリは我慢ならない気持ちをさけんだ。

 

 昨日もやったけど、怖いものはこわいんだって!

 ちょっと、サハル!崖にぶつかるから、揺らさないで支えててよ?

 いや、ぶつけてほしいとかの振りじゃないから!

 そういう冗談にのってくる性格じゃないじゃん!!


 などと騒ぎつくして、最後とばかりに上げた言葉が水浴びだった。

 昨日にも負けず劣らずな日差しにうんざりしながら、取りこぼさないように気を付けて採取するシィーリにとって、ご褒美を何にするかというのは士気を高めるための大切な事だ。

 それが水浴びと言うのが、ちょっとお手軽すぎるかとシィーリは思ったが、この殺人的日差しの中では、最高のご褒美だと思い直す。


「オムビス」

「なに、サハル?」


 ぽつりとつぶやいた言葉を聞いて見上げるとサハルと目が合わず、どこか向こうを見ているようだ。

 シィーリは首をひねってみるものの、綱がねじれて変な方向に回る。

 瞬間、ぐいっと力強く引き上げられて、あっという間にサハルの足元へと着地する。


「大地だー。じゃなくて!急に引き上げたら気持ち悪くなるでしょ!!」

「あそこにオムビスがいる」

「え?どこよ?」


 指さされた方向を見ると、確かに川辺を歩く人影の片方はオムビスのようだった。

 隣を歩くのは長い髪を揺らして歩くのは、話に聞いていた幼馴染だろうか?

 石が多く歩きにくい川岸でよたよたと歩くオムビスと比べて、まるで滑るかのように進んでいるように見える。


「シィーリ、気になっていたんだろう?あれが幼馴染でなかったとしても、オムビスに様子を聞くことができる」

「確かに気になっていたけど…。ほらお邪魔虫になるかもよ?二人で川辺を歩くとか、ね」

「そんなことを気にするのか?」

「気にするわよ」

「あそこにいるのは男だと思うが?」

「えー?髪、長いよ」

「あれは男だ」

「えー?」


 じっと目を凝らしてみるが、シィーリには性別を判別できなかった。

 歩く二人を見つめながら、考えることしばし。

 

「トアデルの実も集まったことだし、そろそろここを離れるって、きちんと挨拶していこっか」

「…面倒臭い理由付けだな」


 ふぅ、と息を吐きつつサハルは腕をシィーリに伸ばす。

 肩脇に彼女を抱え込んで、眼下に広がる林を見る。

 落とさぬようにと抱き込んだ腕の中で、ばたばたと手足を動かしている少女をさらに抱えてしめる。


「もしかして、この崖飛び降りようとか考えてる?」


 恐るおそるといった様子で見上げたシィーリに、口端を上げてサハルは答えた。


「わざわざ遠回りしていくなど、面倒臭い」


 ちょっとまってぇぇえ

 情けない叫びを上げながらシィーリは、サハルと一緒に宙に舞った。




 いつかのように、オムビスは水面に指を走らせるその指先を目線で追う。

 泉とは違い、川にはもう魚がいないのだろう。

 リンが弾いた水滴が水面に輪をつくっても、他に水面を揺らがせるものはなかった。


「オムビス。この川はもう生きているとは言えないね。生き物を育む水が毒となり、何も住んではいない」

「数キロ先の川上・川下には影響ないらしいですよ。本当どうなっているんでしょうね」

「川上はともかく、川下の方に毒の緩和など、負担をかけているのが、申し訳ない」


 リンは軽く水面をなでて、立ち上がった。

 遠く、川下の方を眺めて眉を下げる。


「川下が解毒しているとリンは思うのですか?でも、何もしてないという話を聞いていましたが」

「これからは川上にも負担をかけてしまう」

「負担って、どういう…?」


 悲しげに笑うリンはオムビスを見て、そして視線をその後ろの林に向けた。

 つられるようにそちらを向けば、二本足で立った大きな狼と小さな少女が見えた。

 オムビスは狼の姿に驚いたが、今朝まで一緒にいた二人だと見直す。

 視線が合うと、シィーリたちは二人のそばへとまっすぐに向かった。


「こんにちは。今朝ぶりね、オムビスさん」

「こんにちは。あ、紹介しますね。こっちにいるのが僕の幼馴染のリンです」

「はじめまして。昨日オムビスと一緒にいたと言うのはあなた方のことですか?」

「素材の採取を手伝ったわ。具合はどうなの?」

「先ほど薬を飲ませていただきました。ありがとうございます」

「そう。力になれて良かったわ」


 息を吐いて肩から力が抜ける。瞬間、ぐりぐりとサハルに頭をなでられた。

 見上げれば、狼の頭の隙間から笑っているのが見えた。

 つられるようにシィーリも笑う。

 ざりっと石と石が擦れる音がする。

 サハルから視線をオムビスたちの方に戻すと、リンが川に向かって歩いていた。

 

「皆に迷惑をかけて、この身の不明が情けない。期待にも応えられない」


 足首まで川に浸して、かがむ。

 両手ですくった水を覗き込んで、リンは続ける。


「去る前にオムビスに話をしようと思っていましたが、これも縁でしょう。お二人も少々話を聞いていただけませんか?」

「リン?今日はいつにもましてなぞかけのようなことを言いますね」

「わたしはなぞかけをしてはいないよ、オムビス。いや、これから話すの事が答えになるのかな?」


 リンの両手にすくわれた水がじわりと揺らいだようにみえたシィーリは瞬いた。

 じっとみつめると、それは揺れたのではなく黒い渦が徐々に色濃く大きくなっているのが見えた。


「これがこの川の“毒”だよ。水の中に広がっているものを凝縮してみたんだけど…醜いね」

「これが毒。リン、君にこんな力があるなんて知らなかったよ」

「オムビス。君が類まれな薬師だとしても、この毒を解毒することはできない。いや、このあたりの川の解毒は無理なんだ。一匹の魚がこの辺りに棲みついたのが始まりだった。あの魚が故意に放流されたものなのか、ここ最近の異変によって変化してしまったものなのかわからないが、驚くほどの漆黒を抱えていたんだ。わたしはその魚を救いたくて手を貸したが、その漆黒はわたしを染めた。」

「昔から魚と仲が良かったですよね、リンは。でも、君が毒を得てしまったことと、川が毒に染まったのと何か関係が?」

「川とわたしは同じものだから」


 真っ黒に染まった水は、幻だったように透明に戻る。

 リンはその両手を頭上に掲げて、水を宙に放すと雨のように細やかな水滴となって川に降り注いだ。

 

「川の主か。水域が限定している主とは珍しい」

「主って?」


 つぶやくサハルにシィーリが聞き返すと、面倒臭そうに話す。


「ある場所を司り、自身と一体になって守り育んでいく…精霊の一種だ。主がいると天災は少なく、恵みも大きい」

「会ったことなかったわ」

「普通、人の前に姿を現すことはない。だが、各地に主は存在する」

「そう。この川の主はわたしのほかに、川上と川下に存在している。兄弟で一つの川の主をしているんだ」

「…リンは、人間ではなかったんですね」


 呆然とオムビスが呟く。

 にこりと笑ってリンは川辺に上がり、オムビスのそばに立った。


「青年となってからも幼い頃と変わらず、川や森を探索しては発見を喜ぶ姿に興味をもってね。話してみたいと思ったんだ。予想通り、君は目を輝かして見つけたことや感じたことを話してくれる。本当に楽しませてくれるよ」

「…川を解毒することができないって言ったわね。ならば、オムビスが処方した今朝の薬も効果がないってこと?」


 シィーリの疑問に、オムビスがはっと息をのんだ。

 じっと見つめる二人をみてリンは申し訳なさそうに小首を傾げた。


「怠く、外に出ることもままならないわたしをここまで来ることができるほど…目を見張るほどの効能があるよ」

「それは効いているってことよね?」

「このところ、わたしは数日ほどで消えてしまうほど弱っていた。オムビスが処方しているこの薬を飲み続ければ数か月は延命できるだろう。オムビス、きみはわたしに間違った処方をしてしまったと気に病んでいただろう?あの時すでにわたしは毒を患っていた。そのまま流れに任せて消えようとしていたわたしが、少しは頑張ろうかという気になったのは君のおかげだよ」

「……」


 リンの言葉にシィーリとオムビスは何も言葉が出てこなかった。

 オムビスの新しい薬は効果がある。

 けれども治すほどの効能はなく、延命治療として効能を発揮する。

 リンを治療したかったオムビスにとっては、とてもショックだろう。

 顔を蒼白にさせていたオムビスの手を取って、リンは笑う。


「わたしは消える前にきみともう少し過ごしてみたいと思ってるんだ。きみの、この毒を解毒したいという想いに応えられないこと、本当に申し訳ない」

「…何を言ったらいいのかわからない。ごめん、リン」

「わたしも今まで秘密にしていてごめん。あなたたちもわたしの話に付き合ってくれてありがとう」


 シィーリたちに視線を向けて、リンは会釈する。

 オムビスたちの様子を見守っていたシィーリはピクリと揺れ、後ろに立っていたサハルにぶつかった。

 肩にサハルの手がそえられ、引き寄せられる。

 

「川の主。我々は次の町へと向かわなければならない旅の者。先を急ぐが故、これで失礼させてもらう」

「ちょっと、サハル」

「かまわない。北の町には陽が落ちるまでに間に合わないだろうが、急ぐといい」

「シィーリさん、サハルさんさようなら」

「いくぞ、シィーリ」

「ちょっと、腕ひっぱらないでよ、痛いってば。オムビスさんたちごめん、いくね!」


 サハルが会釈したかと思った瞬間、背を向けて歩き出した。彼に腕を引かれて別れの言葉を言う。

 お元気で、と開きかけた口を慌ててふさぐ。

 余命を知る川の主とどうにかしようとずっと奮闘してきた薬師になんと言えばよいのだろう。

 迷ううちに、どんどんサハルが引っ張って行ってしまう。

 川岸と森の境目で、シィーリは顔を上げて二人を視界にとらえる。

 オムビスたちも彼女たちを見ていた。

 彼女はしっかりと視線を合わせるようにして、笑うことにした。

 引っ張られていない方の腕を上げて、大きく振る。

 見ればオムビスが、シィーリに負けないほど手を振り返す。

 リンは綺麗な微笑みを返していた。

 言葉にならない気持ちが、通じ合えたような気持ちになる。 

 森の木々に紛れて見えなくなるまで、シィーリは手を振った。

 その頃には木々の間隔も狭まって、元気よく振る腕に枝などが引っかかっていた。


「あの二人、どうなるのかな」


 腕を引かれながら、シィーリはつぶやいた。

 ずっと黙っていたサハルが一度シィーリを振り返り、また向かう先を見つめる。


「さあ」

「さあって、つめたいなぁ」

「どうなるかはあいつら次第だ。考えてもしかたがない」

「そうだけどさ」

「気になるならまたここに立ち寄ればいい。今彼らとシィーリが関われるほとんどのことは終わったと思うが?」

「…そうなのかもしれないけどさ」

「シィーリ。お前の目的はなんだ?」

「……異変の噂を収集して、その場にいって記録すること」

「何のために、次の町への日数を短縮しようとしたのか忘れてないか?」


 周り道するのとそう変わらなくなるぞと、言外に匂わすサハル。

 そういえばそうだった、と頷くが、薄情な気がして後ろ髪をひかれる。

 腕を引く手を振り払い、来た道を振り返る。

 あの川辺にはまだ二人はいるのだろうか?

 あの時、飲み込んだけれどやっぱり言おうとシィーリは決める。

 シィーリは息を吸い込み、声を響かせた。

 言葉にならない思いと、祈りを込めて。


「お元気で!」

 

これで終了です。

ありがとうございました。

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