自分を表現したかった女の子は。
私は同年代の彼女たちと比べたら、少しだけ活字が好きな女の子だった。
少し暇を持て余したらなんとなく本を開く程度には読書を気に入っていたし、言語分野の科目も得意科目の一つだった。
そんな少しだけ本が好きな私が、
いつしか自分の内にあるものを表現したいと思うようになったのは、勉強をしなくてはならないという強迫観念にかられた高校受験の三日前のことだった。
そんな大切な時期に真っさらなノートを広げて、勉強と全く関係のないことをしている私を見て、母は勉強をしなさいとも、何かあったのとも言わず、ただただ毎日なにも言わずにあたたかいカフェオレをもってきてくれた。今思うと、あれはその頃私にとって一番のやさしさだったと思う。
そんなこんなで受験を三日前からさぼった私だが、それまでの積み重ねのおかげか、なんの問題もなく志望校に合格する事ができた。高校に合格してからは正直学校に通う必要もあまりなくなり、時々学校をサボってはノートを広げてただただ文字を連ねていった。それは、独り言に近いものだったり、その日のあった事を綴った日記であったり、おとぎ話のようなありえない世界だったりした。
そんな関連性のないものを描いていくうちにだんだんと自分の表現したいものを的確に言葉にできるようになりはじめた。それまでは、ピタリと当てはまるものがなかなか見つからず、なんともむず痒いような不思議な感覚に苛まれいたのだが、その度にどんな言葉がそれに相応しいのか調べていたかいがあったのかもしれない。
そしてこの頃から私の中では小さな変化が生まれていた……。
自分が表現したいと思う"何か"が、手に取るようにわかるのだ。それまで不明瞭な靄の奥に隠れていた本質が、私の目の前に姿をあらわしたのだった。
それからの日々は早かった。朝起きたらノートを開き、文字を綴る。それはその日の夜まで休むことなく続き、夜になったらノートを閉じてゆっくりと睡眠をとった。それを繰り返していくうちに、ある時ノートは、無数の文字で真っ黒く塗りつぶされてしまったのだ。これでは続きが書けないぞとおもい、何処かに無限に言葉を連ねることができる場所はないものかと考察した末、私が目を付けたのはパソコンのテキストだった。スクロールしていけばどこまでも続く真っ白なスペースに、私はここしかないと何故か運命的なものを感じていた。
文字を打ち込む日々の合間に、少しだけインターネットでネットサーフィンを楽しんだ日があった。話題のニュースや、芸能人のブログ、色々なものをみていくうち一般人が気軽に小説を投稿できるというサイトを見つけた。
そこに投稿されていた作品たちはどれも作品というには少し欠けていて、未知の可能性をひしひしと感じさせる人間性で満ちていた。ここでならこんな私でも、誰かに想いを伝えられるんじゃないかと、今まで書きためていたうちのひとかけらを投稿してみた。
最初のうちは誰もみてくれない寂しい日々が続いた。それでも諦めずに次へ次へと話を重ねるうちに、閲覧してくれる人がでてきて、それは日を追うごとに増えていった。あの時は驚きと感動で、半狂乱になりかけたのだけど、これは誰にも秘密だ。そして、そんな喜びはいつしか欲となり、もっとたくさんの人にみて欲しい、もっと多くの人にこの想いを伝えたい。そのうちに作品はどんどん量をまし、物語も厚みを帯びてきて、私の知らないところで話題作と化していたのだった。
そんなある日、一通のメールが届いた。知らないアドレスに戸惑いながらもメールを開くと、そこにはあなたの作品を文庫化したいというような内容が書かれていた。それは紛れもなく、小説家にならないかというお誘いだった。
こんな私の作品であればどうぞ作品にしてやってください。そんな想いを込めてメールを返信すると、すぐにメールが返ってきた。直にあって打ち合わせなどをしたいから予定を教えて欲しいとのことだった。それから何度かメールのやりとりをした末、後日私の家の近くにあるカフェで打ち合わせをすることとなった。
約束の日、待ち合わせ場所へ赴くとピシッとスーツを着こなした、優しそうな男性がそこにいた。この人がこの後私の担当編集となる辰巳さんだ。
簡単な手続きを済ませ、販売にあたりペンネームを決めることとなった。そんなもの考えてすらいなかったので、私の本名をもじって藤堂すずかという名前でデビューすることとなった。その場の思いつきで決めてしまった名前だったけれど、今ではずっと使っているからか愛着も湧いて、この名前にして良かったと思ってる。
この時から、私はこれから先藤堂すずかとして、誰にも内緒で作品を生み出すこととなったのだ。
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