第8話・・『2人』
今回は佐倉メインの3人称です。
「ごめんね佐倉さん。僕が誘ったりしたせいでケンカになっちゃって」
夕日が射す下駄箱の前。
そう詫びると高梨は整った顔を曇らせた。
そんな彼を見て佐倉は、さっきまでのすさまじい怒りはどこへやら、何ともいたたまれない気持ちになった。
「高梨くんのせいじゃないわよ! 私達が勝手にケンカ始めたんだから」
高梨は柔らかく笑い、
「優しいね、佐倉さん」
王子スマイル。
心臓が壊れるんじゃないかと、本気で佐倉は思った。
「そ、そんなやや優しいなんて! 私ホントぜぜん全然」
あぁ、何を言ってるんだろう私──クスリと笑う高梨を前に、佐倉はこういう時の自分のあがり症を呪った。
すでに顔は茹でダコ状態だ。それを誤魔化すために、慌てて靴を履き替えて玄関を出る。
真っ赤な光の中に飛び込むと、自分の顔色も少しは目立たなくなった気がして、佐倉はホッとした。
ゆっくりと、夕日に染まる校舎を見上げる。2回の左端の教室、そこが2年3組だ。
──本当に……。
佐倉は心の中でそっと呟いた。
本当に1人でずっと残るつもりかな。それって寂しくないのかな。
その疑問に答えたのは自分自身だった。
寂しくないんだろうな、きっと。ううん、絶対。
「どうしたの?」
いつの間にか高梨が隣にいて、佐倉を覗き込んでいた。
「あ……何でもない」
「そう? じゃ、行こうか」
「うん」
幸せ。
右手と右足が一緒に出そうになるのをこらえながら、佐倉は高梨と並んで歩き出した。
夢にまで見た『2人で下校』。しかも輝く夕日のシチュエーション付き。しかもしかも、この後は一緒に勉強できるなんて。本当に幸せ……なはずなのに。
佐倉は妙な引っ掛かりを感じていた。
気にすることないと自分に言い聞かせるものの、頭の中ではさっきから何度も繰り返される台詞があった。
『俺、お前がいなくても別に困らないし』
さっき王子スマイルで癒されたはずの怒りが静かに再燃焼し始めた。
ふん、ずいぶん素敵なこと言ってくれたものね。皮肉たっぷりにそう思った次の瞬間、
「……あ。そういえば私も」
同じこと言ったんだっけ。
途中で言葉を飲み込んだものの、前半は思わず口に出た。
「え?」
笑顔で聞き返す高梨に、佐倉は手を大きく振り慌てて弁解する。
「あっごめん、何でもないからホント気にしないでっ!」
「うん」
彼はあっさり納得してくれた。
その態度に、佐倉は小さな感動すら覚えた。何て素直な人なんだろう、と。
おそらくこれが藤原宏樹だったら、へらへら笑いながら「今の独り言? お前結構そういうの多いよなー」くらいの憎まれ口は叩いていただろう。そしてケンカになる。何回か繰り返したパターンだ。
思えば、高梨が好きだということを教えた時もそうだった。人の好みにさんざんケチをつけ、最終的には怒鳴り合いになったのだ。
こんな素直でいい人にケチのつけようなんてないじゃない。藤原くん、どんな神径してんのかしら。
隣を歩く高梨を見ながら、佐倉は思った。
「ねぇ、佐倉さん」
「ん?」
嫌だわ佐倉さんだなんて、亜美でいいのに……。とは言えなかった。言いたかったが、言えなかった。恋する乙女は複雑だ。
「佐倉さんて、藤原くんと仲いいんだね」
「は?」
「さっきも2人で残って喋ってたしさ。最初は付き合ってるのかと思った」
佐倉は絶句した。
「あ、ごめんショックだった?」
「私、藤原くんとは本当にそんなんじゃないから!!」
無意味に大声を出すと、高梨は苦笑いを浮かべ謝る。
「そうなんだ。ごめん」
「本当だよ?」
「うん」
信じてもらえたことにホッとしながらも、佐倉は一生の不覚を味わった気分だった。
まさか自分の好きな人にまでそんな勘違いをされていたなんて。しかも、今さっき大ゲンカをしたばかりのクラスメイトと──もとい、間違った赤い糸の相手との誤解だ。
佐倉は左手の小指を軽く曲げ、恨めしい糸を引っぱってみた。この糸のせいで、自分の人生は大きく狂い始めているのだ。
思わず溜め息をついた。
何がいけなかったかというと、そもそも文化祭委員になったのが全ての始まりだ。やっぱり止めればよかったかなぁ、と今さらながら思う。
最初、2年3組はなかなか委員が決まらなかった。ただでさえエンジンがかかるのが遅いクラスがこれ以上もたつくのは嫌だったし、雑用や企画の仕事は嫌いではなかったので、佐倉は自ら委員を引き受けた。
委員にならなければ放課後居残ることもなかったし、当然妖精に誤解されることもなかっただろう。
そして、あんなふうに委員の相方である藤原宏樹とケンカするということも────
「佐倉さん」
「は、はいっ」
気が付けば、自分の顔をじっと見る高梨が目の前にいた。
「何? 高梨くん」
高梨は遠慮がちに言った。
「佐倉さん、もしかして今つまらない?」
思いもよらない言葉だった。
「え!? そんなことないよ!」
「ならいいんだけど……ずっと眉間に皺寄ってたから」
「うそ! ご、ごめん、寝不足かな」
佐倉はゆっくりと顔をあげた。なるべく眉間に皺を寄せないように、意識しながら。
──でも。
もし自分が委員になることもなく、妖精とも会っていなかったら。
佐倉は昨日の自分の言葉を忘れてはいなかった。
『私は……まぁまぁ嬉しいって思えるわよ、今は』
嘘じゃない。本当に、思った。
藤原宏樹とはケンカも多かったが、たわいもない話もして、お互い知らなかった相手のことを知って、糸のために協力したり──。
そういうのが、嫌じゃない、と思ったのだ。
協力して糸をほどこう、とも。
さっきの「行けば?」の彼の何でもないような顔。その後の、口ゲンカ。
無意識に左手をかざすと、小指のそれは夕日を受けて輝いた。
佐倉の中の何かが止まる。
私は、どうしたいわけ?
「高梨くん」
自分の中の何かが止まった瞬間一緒に足も止めてしまった佐倉は、高梨を呼び止めた。
泣きそうで困惑した、けれど何かを決心した声で。