第7話・・『そして、ケンカ。』
王子。白馬。ていうか、薔薇?
しつこいようだけど、見ている人間にそんな類の言葉を連想させる雰囲気を振りまいている野郎だったんだ、高梨は。
「探したよ。佐倉さん」
彼にこんな爽やかスマイルを向けられた女子なら、きっと誰でも意識がぶっ飛んでしまうだろう。ましてや名前まで呼ばれてしまった佐倉はすでに頭の中で桜が狂い咲きしていそうな表情だ。(別に駄洒落ではない)
「あの……な、何?」
うわ。どもってるよ佐倉さん。しかも声も震えてる。
高梨の方は相変わらず笑顔のまま、
「佐倉さん前に数学が苦手だって言ってたよね」
「え? あ…こないだの中間の後ね」
何だ、そんな会話まで交わしているなんて、実は結構親しいんだな。佐倉の奴、高梨はただの憧れの存在、的な言い方をしていたのに。
──とまぁこんな感じで、同じ教室内にいるのに完全に部外者となった俺は、何となく2人のやりとりを観察するしかなかった。いやもう暇で暇で。
「僕も数学はあんまり好きじゃなかったんだけど、昨日すごくわかりやすい参考書を買ったんだ。佐倉さんにも見せてあげたいと思って。だからもしよかったら、これから僕の家で一緒に勉強……」
高梨の視線がほんの一瞬、こっちに来た。何。俺?
「……したいと思ったんだけど。そうか、佐倉さん文化祭実行委員だったよね」
それから再び俺の方を見て、
「藤原くんも」
と、にっこり。
俺の名前知ってたのか。少し驚いたがとりあえず曖昧に頭を下げる。なんかこいつとは話しづらい。
「今日も居残りで仕事?」
にこやかに問い掛ける高梨に、佐倉は誤魔化すように乾いた声で笑った。
「えっと、今日は委員の仕事ってわけじゃないんだけどー……ははは」
さすがに妖精を待っているとは言わない。まぁ確かにそんな爆弾発言したら、ちょっと頭がお花畑になってる子なんだと思われるのがオチだろうし。
佐倉は少し困ったような顔で考え込んだ。
いやいや、ちょっと待て。ひょっとして断るつもりか? せっかくもっと高梨とグッと親しくなれるチャンスなのに、どこまで真面目なんだ佐倉亜美。
そして彼女は顔を上げて、
「でも、やっぱり今日は残らなきゃいけなくて、だからごめんね高梨くん、せっかくだけど……」
「行けば?」
急に口を挟んだ俺を、佐倉は目を丸くして見た。
「勉強。してくればいいじゃん、高梨と。せっかく誘ってくれてるんだしさ」
「でも……」
妖精さんと話さないで行くわけにはいかないでしょ。佐倉の目がそう言っていた。
「そんなん俺1人でも平気に決まってんじゃん」
オヤジとは俺がしっかり話しとくから。そういう意味を込めた目で佐倉を見たが、伝わったかどうかはわからない。ただ佐倉は、困った顔で――本当に今までで初めて見るくらい困りきった顔で、俺を見た。
目と目がぶつかる。
急にどうしちゃったの藤原くん──そういう顔だった。
俺だって、何で自分でこんなことを言っているのかよくわからない。でも、赤い糸のせいで好きな人とのことも上手くいかないなんてあまりにも可哀想すぎる気がした。
それに、うぬぼれかもしれないけど、佐倉がどれだけ高梨を好きかはよく知っているつもりだったし。
だったら尚更、今この状況で俺は行けよと言ってやるべきじゃないか、そう思った。
高梨はというと、ただ黙って俺達を見ていた。相変わらずの爽やか王子風スマイルで。
佐倉はこの王子様が好きなんだろ?だったら迷うことなんてないじゃないか。
「行けよ」
俺がもう一度言うと、佐倉はほとんど唇を動かさずに、俺にだけぎりぎり届くような小声で答えた。
「……駄目だよ」
「行けってば」
思わずぶっきらぼうな口調になってしまった。
これまでにも何度か感じたことはあったが、今、改めて思う。
俺は佐倉のことが、全く理解できないんだ。
こんなチャンスなのに迷う気持ちがわからなくて、正直少しイライラした。
「俺、お前がいなくても別に困らないし」
さすがにこれには佐倉もムッとしたようだった。
「何よ、わざわざそんな言い方しなくても……」
「本当のことなんだからしょうがないだろ。すいませんね正直者で」
俺の態度に対して佐倉の眉がだんだん吊り上がってきた。
やばい。またケンカモード突入だ。しかし一度火が点いた導火線はなかなか消えてくれない。
「えぇ、そうでしょーね。藤原くんは私がいなくたって一秒たりとも困らないでしょうよ。……私だって全くその通り、同じよ!」
前半の敬語部分が恐い。本気で怒ってるな、これは。
あ、後ろの高梨の笑顔が少し引きつっている。こんなド迫力な佐倉さんは見たことがなかったのかもしれない。
しかしそんな高梨を気にしていられるほど、俺も佐倉も冷静ではなかった。
「じゃあ行けばいいだろ! わけわかんねぇよ、こんなことで断ったりして。お前、実は馬鹿だろ!?」
佐倉が不気味ににっこりと笑った。ものすごく怒りが凝縮された笑みだ。
「そうね。私が馬鹿だったわ。気付かせてくれてどうもありがとう。さよなら」
吐き捨てるようにそう言うと(吐き捨てる……なんて普通女子の口調を表現する言葉じゃないと思う)鞄を引っ掴んで教室を出ていった。高梨が慌てて追い掛ける。
あとに残ったのは、情けない俺と、もやもやする怒りと、少しの後悔。
大声を出したせいで喉が痛い。
熱を持ったみたいにひりひりして、ケンカ後の嫌な感じを無理矢理突き付けてくる。
溜息すら出ない。
あいつもだけど、どうしてこう短気なんだろうな、俺。
馬鹿とか言ってしまったが、俺はそれ以上の馬鹿だ。
ただ、行けよって言いたかっただけなのに。どう考えてもケンカに発展するような言葉じゃないのに。
なのに。
「……どーしてこうなるんでしょうかね、妖精さん」
わざとらしい敬語で呟くと、掃除用具入れの影から見慣れた姿がひょっこり現れた。
「気が付いてたのか、少年」
「目だけはいいからね。いつからいたの?」
「“行けって”あたりだな」
オヤジは禿げた頭をつるりと撫でた。
「すまなかったね。盗み聞くような真似をして…」
俺はハッと笑い、
「いいよ別に。てか、最初の日と同じ時刻に名前を呼ばないと現れないんじゃなかったっけ?」
「うむ。どうやら、君とお嬢さんのあまりにも大きい怒鳴り声が聞こえたものだから、何か勘違いして現れてしまったようだ」
「いつもそうだったら俺達も楽なのに。きっちりあの時間まで待たなきゃいけないのって面倒でさ」
それを聞いたオヤジは大げさな身振りで耳に手をあて、
「よしてくれ。その度にあんな大声聞かされたんじゃあ、こっちの耳がどうにかなってしまうよ」
「……そんなにデカい声だった?」
「あぁ。それはもう」
怒鳴ってる時って、意外と自分の声の大きさに気が付かないもんなんだな。まだひりひりと痛む喉に手を当てながら思った。
もう何回目だろう、佐倉とのケンカ。
あの赤い糸で結ばれた日から既に3日がたっている。ケンカは何回もしたけど、まぁそれなりに仲良くやっていけそうな気がしたし、佐倉のことも少しわかってきたと思ったのに。やっぱりうぬぼれだったようだ。
なにしろあいつ、俺がいなくても全く全然困らないらしいし。
「……あ、そういえば俺も同じこと言ったんだっけ」
自然と言葉として出た。聞こえないフリをしてくれたオヤジは、本当に優しいと思う。
そう、俺も、困らないのだ。だって現に今、困ってない。
「……今日は男同士で語り合おうな!オヤジ!!」
懲りずにまた大声を出したせいで、声がかすれた。
そんなものが教室内に響いて、何だかひどく情けなかった。