第11話・・『記憶』
今回はオヤジの回想からです。
それは、30年前の出来事。
色褪せ埋もれかけていた、遠い記憶。
「本当に申し訳ない……どうお詫びすればいいものか……」
オヤジこと赤い糸の妖精は、小さな体をさらに小さくし頭を下げた。
「いや実は……ここ数年、赤い糸の伝説を信じる若者が激減していて……私の出番なんて滅多になかったもんで、だから君達が教室で楽しげに会話していた時は、久々にカップルが訪ねてきたのだとつい有頂天になってしまって……」
「で、間違って僕達の小指を結んでしまったってわけか」
と、整った顔のすらりとした少年が、よく響く声で妖精の言葉を受け取った。彼の左手の小指からは細い深紅の糸が伸びている。
「あぁ。だが……一度結んだ糸は、たとえそれが間違いでももう二度と解けない。本当にどうすれば良いのか……」
うなだれる妖精にふわりと笑いかけたのは、これまたモデル体型の色白美少女──通称『カナ』。さっきの少年の赤い糸は、このカナの小指と繋がっていた。彼女が柔らかく微笑むたびに糸がきらりと輝く。
「そんなに気にしないで、妖精さん。なってしまったものは仕方ないわよ。ね?」
カナが隣の少年を見遣ると、彼もにっこり笑って頷いた。
「うん。別に命に関わるわけでもないし、そんなに悲観しないで。僕もカナもこれから赤い糸で結ばれたまま生きていきますよ」
「……君達……」
2人のあまりにも寛大な言葉に、妖精は目元にうっすらと涙を浮かべている。
「それにね、私、一度で良いから本物の妖精さんに会ってみたかったのよ。今こうして夢が叶ってすごく幸せ!」
カナが嬉しそうに言い、その傍らで少年も穏やかに笑った。
こうして並んでいると、本当にお似合いの美男美女カップルのようだ。妖精はこんな状況にも関わらず、2人の美しさに思わずほうっと溜め息を吐いた。
「妖精さん妖精さん!」
少年と少女が再び妖精の元を訪ねたのは、それからちょうど1週間後、文化祭当日の夕方だった。
「どうしたんだね2人とも……そんなに息を切らして」
外ではすでに後夜祭の片付けが始まり、校庭に取り付けられたスピーカーから文化祭終了を告げるアナウンスが流れている。
しかしそんな事にもお構いなしに、美男美女2人は興奮した様子で妖精の元へと駆けてきた。
「見てコレ!」
頬を上気させたカナが左手を突き出す。
妖精は目を見張った。
一週間前誤って結んでしまったはずの赤い糸が、2人の小指にはなかったのだ。
「ほ、解けたのか? 一体どうやって……?」
「それが僕達にもよくわからないんだ。特別な事はしてないんだけど、後夜祭の最中に気が付いた時にはもう糸がなくなっていて……」
「きっと妖精さんの強い想いが通じたのね」
不思議そうな顔で自分の左手を見つめる少年と、何ともメルヘンな想像に浸るカナ。そんな2人を眺め、妖精は涙ながらに思った。
──もう何でもいいからとにかく解けて良かった……! と。
そしてしばらく喜びを分かち合った後、カナと少年は教室を去っていった。
嬉しそうに顔を見合わせ、にっこりと微笑みながら────。
「む」
今まで目をつむり黙り込んでいたオヤジが突然、短く声をあげた。
「ど、どうしたオヤジっ」
「何か思い出した!?」
俺と佐倉は思わず身を乗り出し、オヤジに詰め寄った。
オヤジは自分の記憶を確かめるかのように数回頷き、ゆっくりと口を開く。
「いや、大した事ではないのだが……1つ思い出した。その時の……糸が解けた事を私に報告し終え、教室から去っていく時の2人が……」
「2人が?」
ごくり、と喉が鳴る。
「……とても、幸せそうだった」
「へ?」
何だそりゃ、と目を瞬かせる俺達に対し、オヤジは真剣な面持ちで語った。
「本当に満ち足りた笑顔だったんだ。糸が解けた安堵感というよりも……2人とも心から、今の幸せを感じているような。上手くは説明できないが」
「今の幸せ……」
オヤジはさっき俺に言った。
私は30年以上前から妖精としてここにいるんだ。悲しみを感じている中学生の目くらいはすぐに気付けるよ、と。
昔からこの場所にいて多くの少年少女を見てきた彼だからこそ、きっとわかる事があるのだ──うん、多分。
「でもどうしてそんなに幸せそうだったんだろーな」
「さぁ……」
佐倉が首を傾げる。
「何かあったのよ、きっと……」
「でもさ、正直、糸が解けた事に直接関係あるとはあんまし思えないけどなグフォッ」
たった今俺の脇腹に強すぎる衝撃を与えた張本人は声をひそめ言った。
「ちょっと、せっかく妖精さんが思い出してくれたんだから、そんな言い方失礼でしょ……。妖精さん、ありがとう! きっとそれ、何かしらヒントになると思うわ。ね、藤原くん」
「……はい」
……あぁ腹が張り裂けるように痛い。
「しかしやはり肝心の糸を解く方法に関しては何もわからないな……。2人とも本当にすまない」
「妖精さんが謝る事なんてないわよ。とにかく、まず今はそのカナさんを捜すのが1番確実だと思う。もしかしたらまだここら辺に住んでるかもって長岡さんのお母さんも言ってたし……」
その佐倉の言葉には、俺も大きく賛成だ。
「だな。やっぱここは地道に捜してくか」
「あ、ちょうど明日は土曜で学校ないわよ。うん。確か天気予報では週末は秋晴れ」
佐倉が『不敵な』としか説明できないような笑顔を見せた。
「絶好の人捜し日和、って感じ?」