第1話・・『その言い伝え』
「赤い糸って信じる?」
彼女は俺にそう聞いた。
彼女といってもダーリンハニーの意味じゃなく、三人称の方だ。
「……は?」
俺は急な質問にそう答えるしかなかった。
それは放課後の教室。
2人で委員会の仕事のために残っていた時のことだった。
俺、藤原宏樹と、同じクラスの佐倉亜美は、一週間後に行われる文化祭の実行委員である。
自分で言うのもなんだが俺は特に勉強が出来るわけでもなく、先生から絶大な信頼を得ているわけでもない、ごく平凡な生徒だ。
そんな俺が、なぜ我らが中学校における年に一度の祭りの実行委員という重要な役職に就いてしまったかというと、何のことはない、委員決めのジャンケンで負けたからだ。
当然、全く乗り気ではない。
そんな理由で半ば嫌々就いた仕事にやりがいを見い出せるほど、俺はまだ人間ができていないのだ。
一方、佐倉亜美はというと、勉強も運動も得意な優等生タイプだ。
顔もなかなか可愛いのだが、“言いたい事は言う”ハッキリした性格なので、クラスの男子からは少しばかり敬遠されがちだ。
反対に女子からは、男子にもガンガン文句を言ってくれる存在として頼りにされている。
そんな彼女の口から思いがけずにロマンチックな質問がとび出したので、俺の脳みそは一時停止してしまった。
「だから、赤い糸だってば」
机を2個くっつけ向かい合って座ったままの位置で、彼女はもどかしそうに繰り返した。
「赤い糸って……あの小指の?」
ようやく俺から出たまともな言葉に、佐倉は嬉しそうに目を輝かせた。
「そう! 運命の二人は小指同士が赤い糸で結ばれてるっていう、伝説よ。よく知ってるね、藤原くん。じゃあ、これは知ってる? うちの学校に、この伝説にまつわる言い伝えがあるって話」
急に何を言い出すんだ。
俺は実行委員になるまであまり佐倉と話すこともなかった。なので急にこんな突拍子もない事を聞かれて、少しまごついた。
「え? 知らないけど……何だよ、いきなり」
彼女はフフッと笑った後、夢みる目つきで言った。
「あのね、ロマンチックっていうか少女漫画的っていうか…とにかくすごい素敵な言い伝えなのよ」
佐倉の瞳はキラキラと輝き、頬は紅潮し、まるでバックに花でも散らしそうな雰囲気だ。
しかし、ロマンチックだとか少女漫画だとか、どっちにしろ俺には興味のある分野ではなさそうだ。
「ふーん」
俺のイマイチな反応に、彼女は少しつまらなさそうな顔をした。
「ちょっとぉ。“どういう言い伝え?”って聞いてくれないの?」
「はぁ?」
「普通さぁ、ここまで話したら聞くでしょう!」
「っていうか、結局お前が話したいだけなんだろ」
俺はもう既に呆れ気味だった。
しかし彼女があまりにも期待に満ちた目で見てくるため、俺はしかたなく
「……どんな言い伝えナンデスカ」
と尋ねた。“言わせられてる感”溢れる棒読みで。
そんな俺とは対照的に佐倉亜美は意気揚々と語り始めた。
「よくぞ聞ーてくれました藤原くん! この話は今日の朝、部活の先輩から教えてもらったんだけど、もうあまりにも素敵な話なんで誰かに言いたくてしょうがなかったのよ!」
佐倉はここで一旦息継ぎした。
「友達に話そうかとも思ったんだけど。何かね」
彼女は肩まである髪を揺らしながら続けた。
「誰かに軽々しくペラペラ喋ったら、それほど素敵じゃなくなるような、価値が薄れるような、そんな気がしたのよ。わかる? この気持ち」
「ちっとも」
悪いがそんな繊細な気持ちは全くわからない。
俺があくびまじりに答えるのも気にせず、彼女は目を輝かせながら話し続けた。
「だから、これ話すのは藤原くんが初めてよ。本当は誰にも言わないで自分の胸にしまっとこうと思ったんだけど、やっぱり我慢できなくなっちゃった。お喋りだから、私。それで肝心の言い伝えの内容なんだけどね……」
もはや本日の居残り作業である『後夜祭で流すBGM希望曲調査プリントの集計』はそっちのけだ。
そんな事はおかまいなしに、佐倉は熱っぽく語る。
「本当にロマンチックなの。“文化祭の7日前、恋人同士が放課後の教室で愛を語りあっていると、午後5時55分ちょうどに2人の前に妖精が現れる。そして2人の小指を深紅の糸で結ぶ。そうするとその2人は永遠に一緒にいられる。”んだって! ねっ、素敵でしょ?」
「さぶっ」
本当に、鳥肌が立つほど、体がかゆくなるほど、少女漫画チックな伝説だ。
俺が腕を掻きむしるのを見て彼女は今度こそムッとした顔になった。
「なによ、その反応! こんなに素敵な伝説がうちの学校にあるなんて感激じゃない! これだからガサツな男子は嫌なのよ」
「何だよ、お前が勝手に喋りたがったんだろ! だいたい今どき教室で愛を語るなんてお寒いカップルいねーよ!」
こうしてしばらく口ゲンカが続いた後、俺はある事に気付いた。
「そういえば、文化祭の7日前って……今日だな。しかもあと少しで5時55分だし」
教室の時計は5時54分辺りをさしている。
「そうよ。だから今頃どこかの教室でロマンチックなカップルが愛を語ってるかも……」
「んなわけあるか。ハッキリ言って嘘くさいんだよ、その言い伝え」
「何よ、あんたなんかどうせ一生彼女も出来ないわよ」
その時、教室の後ろで突如バーンという何かが爆発するような音がした。
それと同時に赤い煙が部屋中にたちこめ、視界を遮る。
まさか……火事!?
俺はパニックになりかけたが、辺りは煙だらけで、向かいにいるはずの佐倉の姿はおろか自分の手さえ見えなかったので、その場に立ち尽くすしかなかった。
10秒ほどたつと煙も薄くなり始め、視界が戻った。
佐倉の方に顔をやると、彼女は顔面蒼白で教室のある一点を見つめていた。
後ろの隅の、今さっき爆発音がした辺りだ。
不思議に思い、俺もそこを見る。
するとそこには────オヤジ。
まぎれもなく、オヤジ。
どっからどう見ても、オヤジ。
オヤジといっても血のつながった方じゃなく、中年男全般を指す方だ。
そのオヤジは昔のコントや漫画に出てきそうな、“いかにもオヤジ!”といった感じのステテコと腹巻きを身につけ、毛の薄い頭を手でつるつる撫でながら、酔っぱらったような赤ら顔で俺たちのほうを眺めている。
どこかの祭りにでもいそうな普通のオヤジだ。
ただ1つ普通じゃなかったのは、その彼が異常に小さい事だ。
小柄だとか背が低いとか、そういうレベルじゃない。
パッと見、俺の靴と同じくらいの大きさだから体長26・7センチってとこか。
「……ありえない」
佐倉がポツリと呟いた。俺が何か言おうとした瞬間、オヤジが唐突に口を開いた。
「やぁやぁ、若さ溢れる少年。そして可愛らしいお嬢さん」
やっぱり普通の、酔っぱらいっぽいダミ声だ。
「そんなに脅えないでくれたまえ。私は決して怪しいものではない」
怪しい奴が決まって言うセリフだ。
それにしても、いやに紳士的な口調だ。
その服装にはとてもじゃないけどふさわしくない。
「……何なのよあんた」
佐倉が震える声で、ただし強気に言った。すごい度胸だ。
俺はさっきから喋る小人オヤジにあっけにとられて、言葉が出てこない。佐倉はさらに続ける。
「その腹巻き、今どきそんなのコントでも使わないわよ……。あなたいつの時代の人?」
「いやいや、そこかよ」
ようやく俺も発言した。
「普通この状況だったら、もっと違う事聞くだろ。例えば……何でそんなに小さいんですか、とか」
オヤジは俺と佐倉の質問、両方に答えた。もちろん、あくまで紳士的に。
「この腹巻きは昔からの愛用品でね。なにしろ私は冷え症なので、これがないといられないのだよ。それから、もう1つの質問だが……何故私がこれほど小さいか。答えは素晴らしく簡単だ。私は、人間ではないからさ」
人間じゃないと聞いて、佐倉が少し後さずった。
しかし、俺はこの時点でなんとなくわかっていた。
オヤジの正体が。
ほんの数分前に佐倉から聞いた、あの体がかゆくなるような話が、頭をちらついていたからだ。
自分の予想が外れていてほしい、と心の中で激しく祈りながらも、俺はおずおずと尋ねた。
「もしかして……赤い糸の妖精?」
「ご名答。君はなかなか賢いな、少年」
彼は楽しそうに答えた。
自分で質問しておきながら、俺はオヤジの返答に仰天してしまった。
まさか、本当に妖精なんて生き物が存在するなんて! しかも、こんなに『妖精らしくない姿』で。
もっとも俺は今までに実際の妖精なんて見たこともなかったが、童話か何かにあるように、綺麗な羽の生えた小さな少女を想像していた。
でも目の前にいるのは、髪の薄い50代くらいのオッサンだ。
想像とは恐ろしいほどかけはなれている。
しかしよく見ると、彼はさっきから笑顔を絶やしていないし、紳士的な口調も不思議と『妖精っぽく』感じてきた。禿げた頭やたるんだ腹も、なんとなくあいきょうがある。
妖精とめぐり会えるなんてめったにない機会に、俺は感動していた。
しかし世の中にはそう簡単に信じようとしない人間もいる。例えば、今、俺の隣にいる女子とか。
「ちょっと待ってよ! あんなにロマンチックな伝説の妖精が、こんなおじさんだなんて……簡単に信じられないわよ!」
“俺の隣にいる女子”こと佐倉亜美は、泣きそうな声で言った。
彼女の場合、妖精はいるものと信じていたので、それと出会ったことよりも、自分の憧れていた言い伝えの妖精があまりにも『非・ロマンチック』な姿で登場した事がショックらしい。
その後、これはきっとよくできたロボットでどこかにスイッチがあるのよと呟き、オヤジをひっくり返そうとするのを俺が全力で止め、彼女はようやく落ち着いた。
その間もずっと、オヤジ(もとい、妖精)はニコニコと笑っていた。
楽しそうに、俺と佐倉のやりとりを眺めている。
「君たちは本当に仲が良いな」
「良くない!!」
俺と佐倉が同時に叫ぶ。妖精はそんなこと気にする様子もない。
「まぁまぁ。そちらのお嬢さんはさっき、私が妖精だなんて信じられないと言っていたが、君たちの小指の『それ』を見れば私が本物の妖精だとわかるだろう」
「え……?」
俺たちは慌てて自分の小指を見る。
最初、『それ』はよく見えなかった。
あまりにも細すぎたから。
しかし、目をこらすと左手の小指に『それ』の姿がハッキリと見えた。
「なんで!?」
俺と佐倉がまた同時に叫んだ。
『それ』とはもちろん、赤い糸だ。