92.探偵局、西へ! その9:大明神の真相
「肉の海」という表現は今もよくあちこちで見かける。文字通りの焼肉巡りや、大都会の人通り、さらに欲望にかられた大量の男女である事もある。時には命も絶え、文字通り「肉」しか浮かんでいない情景を言いあらわす時だってある。ただ、それらには一つの共通点がある。「海」というのは、決してずっとそのままの情景を保ち続けるという事はしない。潮の満ち引き、海底火山の噴火、砂浜の形、どれ一つとっても永遠にその姿で居続けるというのは無い。当然ながら、「肉の海」だってそうである。欲望はやがて終わり、人通りはめまぐるしく変わり、焼肉巡りで財布の重さも変わってしまう。一見どこまで行っても同じ景色に見えるものでも、変化と言うのは必然的に現れるものだ。
…それを見極める羅針盤を、陽元シンはDNAレベルから刻み込んでいた。
「…こっちか…狭い…!」
胸やら何やら、様々なものに圧迫されながらも、彼はその中に空いたわずかな隙間を縫って、目的地に進んでいた。
デューク・マルトが彼の能力で見抜いた場所に、囚われの身となっている「本物の」サンショー大明神が眠っている。その力強い言葉は、シンにとって大きな後押しとなっていた。自身を持てば持つほど、自らの能力はより高まる。どんなに肉の海が広がっていても、彼の体は次第に目標まで近づいていた。
その一方で、耳を覆う笑い声と同時に頭上では空気が張り裂ける音が何度も響き、彼の耳をつんざいていた。
『す、すいません…大丈夫ですか?』
突然、脳裏に鮮明な声が響いてきた。周りの声とは別に、直接脳内の聴覚を司る部分に語りかけている。これがいわゆるテレパシーとかいうものであるのは、自室でデュークから既に経験済みだったので、彼はいくらか慣れていた。この言葉へ返すには、直接独り言を言えばいい。時空改変能力で万能な丸斗探偵局の助手には、それで十分だからだ。
「大丈夫っす…随分派手にやってるっすね」
『いえ、今回は少々本気でやっていますから。ところで、そちらの方は…どうですか?』
「ぬぐ…ちょっと待って…よし、ここっすね」
無数の肉の海を越えて彼が辿りついたのは、少々古びたアパートの入り口付近。幸いにも肉の海が覆っていない部分を見つけ、ようやくシンは落ち着く事が出来た。デューク曰く、このビルの中に「大明神」の本体が隠されている、と言う。早速階段を駆け上がろうとした次の瞬間…。
「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」「あははははは!」「うふふふふ!」
まるで濁流のように、階段から無数の男女が駆け下りてきたのだ。勿論、全員とも同じ服装、同じ顔…。
=========================================
「何だと…!」
その様子は、デュークもしっかりと認識し、そして目の前で不敵な笑みをするタヌキに向けて怒りの表情を表した。
あれだけ自分が叩きのめしても、目の前の奴は悪意を崩す事が無い。この結果では無く、イタズラという名の手段を遊んでいるからである。サンショー大明神の能力を奪った上に本体まで強奪し、そして新婚のカップルをも巻き添えにした事への怒りを、デュークは自らの体に高めていた。
「…悪ふざけも、いい加減にしてください」
…言葉が、急に敬語に戻った。局長などの目上の人や、栄司やミコなどの協力者へ向けて使う口調だが、もう一つ、彼がその言葉を使う時がある。以前も同様であった。とあるホスト狐に対して、自らの力を駆使した時である。人間を嘲り笑い、ホストとして君臨する裏で女性を騙し、次々に仲間と共に餌食にしていた卑怯な悪党に対して、彼は止めの一撃を使用した。その結果は、二度と「狐」に戻れないただの人間の犯罪者としてホスト狐は生き続けるというものである。
あの時と同じ感情が、今のデュークには宿り始めていた。
野生の勘からか、目の前で空中浮遊している狸の顔に焦りが見え始めていた。
「…僕たちの『恩』を『仇』で返すつもりですか?」
…そもそも、屋久島に狸は本来は存在しなかった。だが90年代ごろから目撃例が増え始め、各地で被害も起き始めていると言う。外来種によくある、「天敵」がいない状態で安心して増え続けた結果だ。
正直、自分らしくない発言だとデューク本人は心の中で思った。そもそもそういう原因を作ったのは、タヌキの楽園を作ってしまった自分たち人類にある。ただ、その楽園は他の生物を無理やり押しのけて作られたものである事は否めない。それに、そこからとんでもない悪人が出たとなれば話は完全に別だ…と、栄司なら言うだろう、とも思った。結局、彼と自分は似た者同士なのかもしれない。
言葉責めで相手が怯み、身動きが鈍った体へ向け、デュークは自分の指で拳銃の形を作って照準を合わせた。
そして、自ら撃つ仕草をした。その途端、彼の下にあった肉の海が突如として消え始めた。正直な所、彼の力ならこの狸を打ち砕く事くらい簡単だったのである。だが、敢えて相手を油断させるため、そしてシンに対してあまり影響を出さないために控えていた。だが、吹っ切れた今、そのような事に構う必要は無かった。苦しむ相手に向けて、彼はさらに何発も銃を撃った。相手は死ぬ事は無いが、自らの術が消える反動をもろに受ける。
…あの時も同じであった。過去に巨大オオサンショウウオの術を簡単に打ち破り、見事に捕えたデュークを、その近隣の村人は喜ぶどころか、逆に拒絶しようとした。あのような技を使うなど、きっと化け物に違いない。あのハンザキに代わって、村を滅茶苦茶にするつもりだ。サンプルを持ち帰ろうとした彼は、それを聞いて失望した。結局、人間はこんなものなのだ、と。そして、村を去る時に置き土産として、災いをもたらすウイルス型のナノマシンを生物無生物問わずばら撒き、やがて壊滅寸前にまで追い込んだ。その「祟り」を鎮めるために、あのような大明神が生まれたのだ。…実際の所は、ただナノマシンの寿命が尽きただけなのだが。
…もしかしたら、今のデュークは、過去の自分を倒すような気分で目の前の相手を潰そうとしているのかもしれない。人間に失望するあまり、彼らを舐めていた心に…。
「デュークさん!」
…怒りに支配されかけた彼を現実に戻したのは、シンの大声であった。薄れ始めた笑い声の中で、彼の低い声はよく響いていた。そして、その体の前には、彼の力でもかなり重そうな巨大な石像があった。オオサンショウウオを模したその形は、間違いなく「サンショー大明神」のものだ!
ついに、こちらに決定的な勝利がもたらされた。
そして、デュークからの最後の一撃をくらい、悪党は全ての力を失って地面へと落下した…。