90.探偵局、西へ! その7:オオサンショウウオ
…デュークとシンの動向を見る前に、視点をもう二人の乱入者に当てたい。
先程から大量の男女の肉体によって動きを阻まれている化けカワウソの兄弟である。
デュークたちは既にこの空間は変化能力を持つ何者かによって造られたものだと言う事を把握し、それを踏まえて入る事を決意している。だが、彼らカワウソたちは一体どうやってこの中に入る事が出来たのだろうか…?
話は少し前に遡る。
この兄弟も探偵局一行と同様に、オオサンショウウオが彫られた「サンショー大明神」のバッジを購入していた。何も怪しまれずにアクセサリー店から買う事が出来たのは幸いであった。二人は、このバッジにある臭いが染み付いている事に気付いていたのだ…。
そしてその夜、ホテルの中で兄弟はパソコンの前に集まっていた。機械の操作が得意な痩せ型の弟を、少々体格が太い兄が急かす。落ち着いて欲しいと返されたものの、弟側も少しだけ焦っていた。一時はこのまま様子を見ようと考えていたのだが、一度抱いた嫌な予感と言う物はなかなか取れない。「旦那」とのオファーに無事成功し、急遽ネットの通信アプリを利用して事態を報告する事になったのだ。
『何、サンショー大明神?』
「そうっすよ旦那、あの外来タヌキがこんなのを…」
「兄貴、まだ奴の仕業って決まったわけじゃないぜ」
「おっと済まん。取りあえずあそこでこれが売ってたのは確かですぜ」
そう言いながら、ネットカメラに兄はしっかりとバッジを映した。画面の向こうでは一人の男がそれを見つめながら、難しい顔をしていた。元々鋭かった目つきがさらに睨みつけるようになっている。丁寧で優しい「旦那」なのだが、少し怒っただけでも非常に怖いというのはカワウソ兄弟もよく分かっていた。
しばらくの無言が続いた後、「旦那」が動き出した。一旦画面から離れた後、戻ってきた彼の手元には一枚の葉が握られていた。絶滅種の生き残りである兄弟を支える彼、その力は二人を凌ぐものがある。何の変哲もない葉っぱを、大容量のUSBメモリに変えてしまう事くらい朝飯前であった。そこに記録されていたファイルの中を見てほしい、と言うのが「旦那」からの最後の連絡だった。説明すると長くなってしまうためと、もう一つの理由として…
「すげえな旦那…」
届けられたのは、複雑な模様で構成されている画像ファイルであった。恐らくこの場にデュークがいたとしても、これが何なのかはすぐには分からなかったであろう。理屈としては簡単なものであり、携帯電話のQRコードのようなものである。ただ、これの機能は全く異なった。
取扱説明書と指示を兼ねたテキストファイルを読んだ後、二人はそれに従って例のバッジを画像にかざした。その途端、オオサンショウウオの目が赤く輝き出した。その明るさたるや、一瞬目を瞑ってしまうほどである。「旦那」の一族に伝わる認証用の魔法陣の効果は、どうやら絶大だったようである。
間違いなく、これは屋久島からの侵入者の仕業だ。
そして、テキストには次の指示が書かれていた。もし「旦那」の推測通りなら、何かしらの変化能力が用いられているに違いない。特にこのような小型のアイテムを使う時は、自分が造り出した幻想の空間に相手を一時的に引きずり込んでやりたい放題する、というのが狸や狐の常套手段である。
「だから、それを逆に利用して中に割り込め、と」
「兄貴は確かそういうの得意だよな?一度やり方が分かれば」
「おうよ、記憶力は抜群だからなー」
カワウソ本来の能力以外にも、この兄弟はある程度はタヌキ独自の変化能力を身につけている。こういった異次元への侵入も「暗証番号」さえ分かればこなせてしまうようだ。今回は幸いにも、先程の認証用の画像でロックは解除されている。なるべく早めの行動の方がいいのだが、テキストにもあるように体力を多く使う事も視野に入れないといけない。
と言う事で、この異次元への侵入、および屋久島の化けタヌキの確保は明日へ持ち越す事になった。
そして翌日、朝食などの準備を整えて侵入した直後、いきなりの人間の肉の海に引きずり込まれ、ああいう状態になったという顛末である。
「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」『ぐぐぐ…せ、狭い…』「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」『兄貴ーーー!』「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」「うふふ♪」「あはは♪」
…既に自分のスペースを確保するだけで精一杯、任務どころでは無くなっていた。
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一方、その様子を空から愕然とした顔で見つめている二人の男がいた。
「だ、大丈夫ですか…?」
「いや、俺よりもデュークさんの顔色が…」
シンの指摘通り、丸斗探偵局の助手の顔色は少々青ざめていた。この異次元の町並み自体は、外の景色と変わらない。だが、その空間は一組の男女によって埋め尽くされているのだ。皆全く同じ口調で同じ言葉を言い続けるものだから、デュークとシンの耳にはまるで何か壮大な音楽が流れているように届いている。
デュークは以前も同じような光景を見た事…いや、経験した事がある。自らが造り出した「悪夢」の世界で、増え続ける局長の中に埋もれたあれだ。栄司や蛍、そして彼女自身でこういった分身は慣れているものの、やはりいざ世界中を覆われるとさすがの彼でも少々気持ち悪くなっているようである。
時空改変で空中に足場を作り、ようやく二人は落ち着いた。何もしていないのに、双方とも息が絶え絶えである。
「どうして、こんなに夫婦がいるんすかね…」
「分からないです…でも、この空間を作った犯人が夫婦を引きずり込んだのは間違いないでしょう」
「すると…犯人は…」
その名を告げようとした時、二人の背後から低く響く声がした。その口調は、明らかによそ者である自分たちを警戒している証だ。そしてその音の発生地点に目を向けたデュークとシンは驚いた。空中に、一頭のオオサンショウウオが浮遊していたのである。しかもただの両生類では無い、特徴を示すのは顔のみで、体つきはまるで江戸時代のお代官。擬人化したような姿で、眼光は赤く見開き、今にもこちらへ攻撃してこようとしていた。
そして、大声一発、戦いは始まった。
「シンさん、僕にしっかりと捕まってください!」
「りょ、了解っす…!」
…まさか、自分がこういったオカルトに巻き込まれるとは夢にも思わなかった。だが、そんな余韻に浸っている暇はシンには無かった。相手の発射する不気味な赤い球を、デュークはバリヤーで受け止めて相手に跳ね返している。一部が地面に当たり、蠢くカップルの一群を吹っ飛ばすも、煙が収まればまたそこは笑顔を浮かべたまま何千何万もの同じカップルで埋め尽くされる。あまりの事態に頭が混乱しそうになりながらも、何とか彼は正気を保ちデュークの体にしっかりとしがみ付いていた…が、そんな中、ふと脳内に、一つの違和感が現れ始めていた。
陽元家には、代々予知能力の血が流れている。時には大っぴらに明かし、時にはこっそりと隠しながら、様々な業績を上げてきた経歴がある。しかし、その能力を用いるためには一つの条件がある。自らの予知を、どこまで自分自身が信じる事が出来るかと言う事だ。だが、今のシンにはまだ僅かな違和感がある状態となっている。これを完全なる自信、そして現実に変えるには、あと二、三個ほど確証が必要だ。
目の前にいる「サンショー大明神」が、本当の「サンショー大明神」なのか、という。